第45話 少女

 「ねえ、前にした約束覚えている?」


 少女は魔王に問いかけた。

 雪は降り積もり、外に出るのが容易ではなくなっている。少女は大人しく城に篭っていた。住んでいた部屋の整理をしていたところに、魔王が顔をのぞかせにきたのだ。

 少女の問いかけに魔王は首を傾げた。

 少女は口をふくらませてみせる。


「わたしの記憶を見せるっていったでしょ」

「ああ。そういえば」


 少女はいたずらっぽく笑うと、ザックから澄んだ水色のキューブを取り出す。


「わたしの仕事道具よ。記憶を再現するの」


 少女は道具をいじると、取り出したさらに小さなキューブをセットする。


「今から?」

「うん、そうよ。後の方がいい?」

「いや、いいよ」

「じゃあ、行きましょう」


 その声を合図に、キューブを中心に風が舞い上がった。

 その風は竜巻になり、幾億もの文字となり、二人の体を持ち上げる。

 風の壁ができると、外の景色がかわった。

 すとん、と二人とも地面に降り立つ。


「…ここは?」


 魔王が首を回して、周囲を観察する。

 どこかの街中だった。

 雪の上に日が照っていたはずなのに、夜の帳が降りており、街灯には灯りがともっている。雪はすっかり消えていた。魔王はもとより、少女の軽装でも寒くない。

 賑わっているようで、石畳の通りの上をひっきりなしに人が行ったり来たりしている。


「近くの町か」


 魔王が周囲を見回す。


「カフェに行きましょう」


 少女が魔王の手を引っ張った。

 楽しそうに進む少女に、魔王がついていく。

 周囲の人はまるで体積が存在していないかのようだ。コートを着たふくよかなマダム、杖をついた紳士。若い女性の肩になれなれしく触る男性。誰も二人に気付かない。通行人の体を、二人がすり抜けていく。


「なるほど。…おもしろい」

「記憶だから、すりぬけられるのよ。この日はお祭りだったから人が多かったの」


 やがて、一見の店の前にたどり着く。

 アンティーク調なその店からは、静かな音楽が流れ出ていた。


「ここが、カフェよ」


 そのまま、扉を開くことなくすり抜けて、中に入る。

 中では、老若男女が踊っている。幼い兄妹も楽しげにくるくる回っている。笑顔と、陽気な笑い声が響く。楽しげな様子に魔王が首を傾げて少女を見た。


「そうだ、写真をとりましょうよ」


 少女は魔王をカウンターに向かって引っ張る。

 少女の予想に反して、魔王は嫌がらなかった。だから、ビールを掲げて陽気に初老のマスターに話しかけている、一人の中年の男の前に立つ。その男を魔王と少女で挟み込んで、写真機のレンズを自分たちに向ける。ボタンを押すと、かしゃりと機械が動く音がした。

 少女はいたずらっぽく笑った。


「いつか賭けをした相手よ。きっと、びっくりして喜ぶわ。自分が魔王といっしょに写真に写っているなんてね」


 魔王は意味深長な笑みを浮かべるのみだ。写真を現像した時、少女は悲鳴をあげるだろうか、そう魔王は想像して、そしてそれがとても簡単に想像できたので、思わずほほえんでいる。

 そんな魔王には気がつかずに、ホールの真ん中にやってくると、少女は魔王に片手を差し出した。きらきらとした緑の瞳が魔王を見つめる。まるで、宝石のようだった。

そして、ふざけるように、いつもより少しだけ、余所行きの声をだした。


「わたしといっしょに踊りませんか?」

「やり方を、教えてくれるなら。よろこんで」


 魔王も珍しく調子を合わせると、上品に、少女の手を救い取る。魔王だけあって、そのさまは大層麗しい。ただの町祭りには、少しばかり過剰に優雅だ。


「もちろん。たのしいのよ」


 少女の丸顔はしあわせでいっぱい、という風に笑顔で満ちる。魔王は目を眇めた。


「期待しているよ」


 やがて、メロディーに合わせて二人の体は動き始めた。

 その日、記憶の中の音楽で、飽きるくらいに二人は踊り続けた。

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