第44話 キツネと英雄
どこもかしこも凍り付いていて、食べ物なんてどこにもない。
いっぴきのキツネが巣穴から、空腹のあまりさまよいでた。
もちろん、キツネだって自分の巣穴に食べ物をためこんでいた。しかし、先日森に侵入してきた人間たちに見つかってしまったのだ。命からがら逃げ出したキツネがだいぶ古びた穴蔵を見つけることができたのが、つい数日前のことだ。
森の中に食べ物なんて残っていない。
仕方がないから、遠出をすることにした。
霜を生やした土を踏みしめ、しなやかに前に進む。
足は自然と、競争相手のいないだろう方向に向かった。
木枯らしから身を守るだけの毛皮はあるが、毛皮で空腹をしのぐことはできない。早く食べ物を見つけなければ。
気がついたら、いつのまにか何もないだだっぴろい寂れた土地に出ていた。真ん中には天まで届くような人間の巣穴があった。
キツネはこの場所のことを知っていた。
まだ若い人間がひとりで住んでいるのだ。一時期はもう一人住んでいたが、それはすでにいなくなったらしい。匂いがしない。ここはキツネや他の野生動物にとって一際恐ろしい場所だった。
他の人間達の危険さと、この城の異様さは質がぜんぜん違う。
普通の人間はたいていの肉食獣と変わらない。普通より凶悪なだけだ。時に、仲間が無益に殺されたりもするが、基本的に自然の一部でしかないのだ。
けれど、血と、腐った肉のかすかな匂いが、この城には染み付いている。飢えた動物にとってさえ、忌むべき匂いなのだ。
それでも、キツネは足をすすめた。
忌むべき場所だろうが、背に腹は替えられない。
食べ物が見つからなければ、キツネは死んでしまう。本能がいくら引き返せと、告げてこようが前に進むしかないのだ。だれも手をつけていない食物があるとしたら、その場所はここしかない。
鼻を地面にこすりつけるが、物の腐った匂いがつよすぎて、他にはなにも読み取れない。時折混ざり込む、ドラゴンの残り香にシッポは自然と垂れ下がった。
しかし、なにかの拍子にさわやかな匂いが強くなった。その匂いの方向にすすむ。
やがて、キツネが顔を持ち上げると、そこは四角く石に囲まれた土地だった。通常、人間達が中庭と呼んでいる部分だ。
そこには、森ではありえないような光景が広がっていた。
果物や野菜、花までもがたわわに実っているのだ。まるで、季節をどこかで止めてしまったかのようだ。
もしかしてこれは何かの罠だろうか、キツネは警戒する。
しかし、匂いを嗅ぎ取っても、周囲を見回しても何も見えない。おそるおそるとうもろこしに近づいた。木桶に何本も入っているのだ。
いいにおいがする。
一口かじってみた。
おいしい。あまい。おいしい。
毒もないようだった。
一本まるごと食べ終えた。
まだ、いくつも残っている。
隣の一つに取りかかろうとしたとき。他の生き物の気配を感じた。とうもろこしを一本、口に加え、慌てて、立ち去ろうとするが、幸か不幸か気配とは反対側に進んだ先は行き止まりだった。仕方が無いから物陰に隠れる。
果たしてやってきたのは、金属を身にまとった、茶色い毛色の人間だった。
その人間は、まるで息絶える直前の小鳥のようなため息をはくと、キツネのすぐ近くの、組みたった木の板の上に座った。
キツネはいつ噛み付いてもいいように身構える。
「どうなることやら」
ははは、と人間は乾いた笑いを漏らす。
どうやらキツネは気付かれずにすんだようだ。
キツネは、人間の言葉を解さない。けれど、その人間の感情はなんとなく伝わった。疲れたような、そして疲れきって却ってすっきりした、とでもいうような。
キツネだって住処をなくしても、こうして生きているのだ。この人間だってどうにかなるだろう、なんとなく同情して、すこしだけ応援した。キツネは、ほんの少し情緒的なキツネなのだ。
「あの自由民に期待しよう。世界に向けて、宣言が放たれたのだから。もう、…後は俺だけか」
英雄で良かった、そう呟いて、ふっと人間が息を吐き出した。
はやく消え去れ、我慢の糸の切れかけたキツネが、そう願っていたのが功を奏したのか。人間の姿は突如として消え失せる。
そろりそろりと辺りを伺った後、キツネは隠れ場所から這い出る。
獲物のとうもろこしを口に加えると、とっとと去ろうと駆け出した。
ふと、雪が降り始めたのにも関わらず、「夏」のまま時をとめてしまった庭をふりかえる。
人間が見たら、季節の美しさをつめこんだ庭にこころを踊らせただろう。
しかし、キツネはキツネだった。
奇妙な風景は奇妙なだけだ。
前を向くと、巣穴に帰るため、ふたたび軽快に歩き出した。
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