第2話:溜めろ経験値

   7月2日(土)14時57分

   @ブルーム:カウンター内


 先ほどの小休止からたったの1時間後。ショッピングモール内の人通りはピークを迎え、店内放送も子供のはしゃぐ声や泣き声でかき消されている。カフェ・ブルームの店内は、甘いものと座るものを求める客で溢れかえっていた。

「店長、珍しく焦ってるな」

 ドリンクカウンターの前にいる照太が、デシャップ台で料理の順番をチェックする友に向かって囁いた。友はその手を止めずに曖昧な返事をするつもりでいたようだが、横目で鈴田の姿を見て思わず「うわ」と声を出した。

「ほんとだ、激レアっすね」

「なんでだろ、店長のとこ、そんなオーダー入ってないと思うのに」

 ドリンクカウンターの端にあるアイスクリーム機とスムージー機の前に鈴田は立っている。その二種類を担当することになるが、特に今はその二種類で手間がかかるものは入っていないはずだ。

「焦ってるときの店長の特徴。眉間のシワ、ひとりごと、そろばん弾いてるみたいな右手。全部当てはまってますね、いま」

 普段冷静さを欠かず、毎日機械のように綿密な動きで働いている人だからこそ、こういう時の変化が分かりやすいんだろうな、と友は思った。

「おー、それ俺が研修中に教えたやつな」

「これ以外教えてもらった覚えがないです」

「おまえ」

 そんなやりとりをしながらも、二人ともしっかりと手元は仕事を続けている。

「もういっこ教えてやるよ」

「何ですか」

「店長、フリーズすることあるらしい」

「フリーズ?」

「そう、パソコンとかが止まるやつな」

「店長が止まるんですか?」

「うん、なんかオーバーヒートするんだってよ」

「機械じゃあるまいし」

そう言いながらも友は、さっき自分で思った「機械のように」という言葉を思い出して苦笑した。例え言葉にしてもタイミングが良すぎる。

「俺も、他の社員さんから聞いただけの伝説みたいなもんなんだけど。ちょっとの間ただ上向いてじーっとして、氷水かぶって冷却して再起動。晴れて元通り。みたいなことがあったんだって」

「なにそれ。そんなのほんとに機械みたいですね」

「俺も半信半疑だけどさ、その時教えてくれた人の顔がマジだったんだよねコレが」

「ふうん…」

 ちょうどキッチンからパンケーキの皿が出てきたので、自然とこの話はここで終わりとなった。パンケーキを運びながら、友は心のどこかでモヤモヤした感情があることに気が付いた。

 ――店長、鈴田さん。いつも冷静で、気分によって態度が変化するなんてことは全くない。そもそも、気分が浮き沈みするのかが疑問なくらい。バイトに対する接し方は丁寧で、距離があるという訳ではなく、大事にされている感じ。それが人としてなのか、労働力としてなのかは…分からないけど。社員とバイトという関係上なのか、これ以上踏み込んでくるな、というような線引きを暗にされているような気がする。そして、何より、他の社員と違うと思う点は―――

 友はそこまで考えて、番号札通りのテーブルにパンケーキを置いた。

「ご注文はお揃いですか?」

客が頷くのを確認してから、番号札を取りデシャップへ向かう。その途中に返却台を見ると、トレイや食器は多くないものの、こぼれたコーヒーが池のようになっていた。これはいい気分にはならない。そう思った友は返却台まわりを担当している柚子の姿を探したが、ホールのどこにも見当たらない。探すよりも自分でやったほうが早いと考え、デシャップからキッチンをちらりと覗いて料理がすぐには出ないことを確認し、手早く返却台を拭いた。友が柚子の姿を捉えたのはその直後のことだった。

柚子はホールではなくカウンターの中にいた。そして鈴田となにやら真剣に話をしている。店内が落ち着いている状況でもないのに何だろう。不思議な光景に、友と照太は自然と目を合わせる。

「何話してるんですかね」

「さっき花が言ってたけど、15時インの加地くん、事故って来れないらしい」

「うわ、それはキツイ」

「花が15時上がりのとこ、16時まで延びてくれんだって」

「女神だ」

 それを聞いた花はレジの対応中にも拘わらず、客が見ていないタイミングを見計らって「もっと褒めて」と言わんばかりの表情を見せる。それを見て二人は笑うが、そんな風に洒落に変えられる花を心からすごいと感じていた。

「17時からは他のメンツも来るし、一時間だけ乗り越えたらいけるだろ」

「でも4人で16時~17時を乗り越えるのは」

「だから、その『乗り越え方』を店長がピコピコ計算してるわけだよ」

 ブルームの最少のポジションの割り当ては、ホール(料理を運んだり食器の返却)1人・レジカウンター(お会計とトレイを渡す)1人・ドリンク(飲み物をつくる)1人・サブドリンク(アイスクリームとスムージーを作る)1人・フリー(忙しいところの補助をする)1人の5人構成だ。レジは2台あるので、フリーの人は2台目のレジを開けることが多いが、今日の柚子と友のように、新人と補助のペアになることもある。もっとも、花のレジ対応は正確かつ早いので、花がいる日は2台目のレジを開けなくても済むことが多いのだ。今日は花や照太、友と鈴田という『回転率が速いパーティ』ということで、新人の柚子を含んだ5人構成で問題ないと鈴田は判断したのだった。加地も花には劣るものの、レジ対応が早いタイプなので入れ替わりを予定していた。

 誰かが休みになるかもしれない、遅刻するかもしれない。これは常に想定しておかなければいけない事案だ。しかし常にそれを気にして多く人手を入れておく訳にもいかない。16時までは回るが、そこからの一時間が勝負だ、考えろ。鈴田は自分に言い聞かせ、このメンバーで出せる最大値の割り当てに辿り着いた。少々賭けだが、これ以外では確実にレジも料理も停滞する。思いついてからすぐ柚子を呼び出したのだった。

「17時から、柚子はレジをやってほしい」

「私がレジですか?まだ少ししかやったことないですけど…」

 柚子が俯きながら呟く。鈴田は焦りながらもゆっくりと伝える。

「花が伸びてくれた1時間のあいだ、花のレジを見ていてほしい。」

「見る…?」

「『見る』。見て、覚えるんだ。同じスピード、同じ手順、同じ言葉を、自分のものにして」

 柚子は黙って何かを考えている。口を結んで、奥歯で何かを噛み殺しているようにも見えた。

「柚子ならできる」

 そう、指示されたことは遂行できる。覚えたことは確実に実行できる――『マニュアル型』の柚子の特性を生かせば可能なはずだ。

「わかりました。やってみます」

 顔を上げた柚子の目が真っ直ぐ、何か吹っ切れたように澄んでいるのを見て、鈴田の期待は確信に変わった。そうだ、君はもう新人ではないのだ。

 終わる頃にはどんだけレベル上がってんだろうな、などという考えがよぎり、鈴田は口角が上がるのを必死に抑えたのだった。

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テンチョウ・クエスト @kawori_sakurano

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