第十二話〜本能

 ガムシャラ、としか言いようが無い。とにかく、神辺との間に距離が欲しくって、半狂乱になって暴れることで、ようやく掴みあっている状態から脱する。そして後ろに数歩下がると、神辺も同じように距離を取った。


「肺には刺さっていないと思うが、念の為に言っておく。抜かないほうが身のためだぞ」


 丁度鎖骨と肩の間にある関節の、その真下に突き刺さった刃。普通に考えたら肺に刺さっていそうだが、刃は少し下から刺さるような形で、肩甲骨は破らず、その上辺りから突き出る角度になっていた。


 状況的に、少し考えれば解る。神辺は、わざと急所を外したのだ。あの状態で、普通なら、刃の角度は逆になる。わざわざ難しい体勢になってまで、肺を避けたって言うのか。


「…………情けのつもりかよ」


 肩を貫いた確かな痛みと、そこから感じる異様な脈動。力の入らない右腕はだらりと下を向き、自然と顔も上がらなくなる。


 負けた。


 勝ち目なんざ最初から無かったんだ。神辺は、それが解っていたから、訳の分からないハンデを自ら課してまで、俺に勝負をさせた。


「情け? そんなものになんの価値がある」


「じゃあなんのつもりだ!!」


 当たり前のように淡々と答える神辺の、その悠然としたあり方に腹が立った。こっちはこんな必死だってのに、そっちは弄んでなお余裕がおありとは、随分じゃないか。


「何が目的だよ! 無駄足掻きする俺を見てて面白いのか!?」


 逆切れも良いとこだ。でも、言葉は口から勝手に漏れていた。黙る理性を働かせようとしても意味は無く、自分でも訳の分からない事を、この後も叫んでいた。戦闘中にごちゃごちゃと御指導までして頂いて、絶対的強者はやる事がちげぇな、みたいな事も言ったと思う。他に何を口走ったかはよく解らないが、それでもはっきり言えるのは、自分が、どこまでもかっこ悪いということだ。


 ──ナメてんじゃえよ。


 そんな事も言ったか。ナメられて当然の状況でありながら、よくまぁそんな事を言えたもんだ。


 自分でも聞くに耐えない言葉を、いくつか並べた。神辺はそれを黙って聞いていた。


 そして、声が枯れて言葉が裏返ったところで、ようやく言いたい事も終わる。


「終わったか?」


 変わらず悠然と、神辺が聞く。


「…………今ので全部だ」


「そうか」


 僅かな沈黙。


 もういい、殺せ。という言葉は、既に喉元まで来ている。今更ビビったのか、それを言うのに躊躇っていた俺に、神辺は言った。


「なら、続けるぞ」


「……………………は?」


 何を言ってるんだ、こいつは。俺にはもう、とっくに戦意なんて無いのに。


「貴様が言ったのだろう、明園を守りたいと。……その明園を見てみろ」


 言われ、後ろを見る。と、そこに明園さんは居なかった。戦闘で移動していたのだから、思えば当然だ。見回して、最後に視線を向けた右横、少し離れたところで、蹲るような体勢で顔だけ上げてこっちを見ている。


「ぇ、わ、わたくしですか……?」


 突然二人の視線を受けたからか、明園さんは狼狽する。明園さんのための戦いだというのに、突然舞台に上げられた観客みたいな反応をするもんだから、可愛くて、つい見入ってしまった。


「明園陽華。貴様に問う。──もし救われるなら、救われたいか」


 尋問のような問い掛けに、しかし明園さんは答えない。答えないが、口よりも雄弁に、弱々しく泳ぐ視線が、迷いを物語っていた。


「救われたアカツキには口付けを──とでも約束すれば、この男は本当に命まで賭けるぞ」


 勝手な事を言う神辺だが、それは事実だ。明園さんのためなら死ねる。口付けなんて必要無いが、頂けるのなら是非も無い。ただし、そもそも神辺に勝てないのだが。


「そんな……ぃえ、口付けが嫌とかではなく……私は……そんなことで命を賭けて頂くなんて……出来ません」


 ああ、なんて馬鹿な女だ。その言葉は、助かりたいと、本当は救われたいと言ったも同然だ。


 なんだ、足掻いて良かったんだ。


 全部俺の身勝手だと思ってたし、身勝手なのは事実だが、俺のためだけの戦いだと思ってた。


 でも、足掻いて良かったんだ。


「明園さん。なら、こうしよう」


 その蹲った姿勢でなお可憐な彼女が、この世界から居なくなってしまうなんて勿体無いし、彼女のような美しい存在を知っていながらお喋り出来ない日常というのも、絶対に勿体無い。


「救ったアカツキには、バンドに入ってくれ」


 あまり深く考えずに口から出た言葉。しかし、言った後になって、初めからこれしか無かったようにも思えてきた。


「バンドをやろう。一緒に」


 ああ、これが本能というやつか。その理想的なビジョンが脳裏を過ぎると、なんだかまだやれそうな気がしてくる。


「…………」


 明園さんは暫く俺を見て、呆然として、少しずつ視線を落として──答えた。


「はい」


 俺は視線を、神辺に戻す。


「話は着いたな」


「わざわざ待っててくれるとか、空気読めるやつだな」


 アニメの敵キャラかよっての。


 いや、まぁ、確かに、敵なのかもしれないが。


 でも──


 俺は肩に刺さっている刃を引き抜いた。


「…………」


 訝しげな表情を浮かべる神辺。さっき抜かないほうが良いと言った本人だ。流石、これを引き抜けば血が大量に吹き出ると知っていたのだろう。


 だが、神辺が知らなかったのは、俺になら対処可能だったってことだ。


 肩に力を入れる。それだけで血は止まった。


 短剣の刃をへし折り、足元に捨てる。


 調子が良い。今なら、力だけでなんでも出来そうだ。


「かくごはいいか」


 神辺が何かを言ったが、何を言ってるのかはよく解らなかった。突然喋んな、聞き取れねぇだろ。


「では ゆ く ぞ」


 ゆっくりと何かを喋って、ゆっくりと駆け出す神辺。やつの武器はもう無い。ならば拳で来るはずだ。──だから拳をフェイントにして、足技だろう。


 左から来た拳を止める──フリをしたら、神辺の腕が止まり、引き返していくのが


 逆側から繰り出す足技のために、腕を引く力をバネにしているのだということが


 だから腕でそれを、掴まずに止める。


 繰り出された脚がゆっくりと引いていく。──かと思いきや、少し引いただけで、高さを変えてすぐに蹴りが繰り出される。


 とはいえ遅い。さっきと同じ腕で普通に止められる──はずだったのに、何故か身体が動かなかった。いや、動きはした。しかし、遅い。思ったような速さで身体が動かせず、その蹴りは側頭部に直撃した。


 とはいえ、遅い蹴りだ。大した力は無いどころか、当たったな、くらいにしか感じなかった。


 こんな攻撃なら無視しよう、と、右腕を神辺の顔に伸ばした。その動きも遅すぎたせいか、もう少しのところだったのに、体勢を低くした神辺に避けられる。


 さっき側頭部を襲った脚が引き返していく。それを掴もうとしたが、やはり身体が早く動かず、間に合わなかった。


 俺の足元で低い体勢の神辺。


 掴める気がして掴みかかったが、くるりと回って簡単に避けられ、挙げ句アッパーカットも食らった。しかし、無理な体勢からだったせいか、特にダメージは無い。


 早く動かなければ。


 腕を振るう。全力で振るったつもりなのに、やっぱり遅い。自分の遅さが不快で、全身に力が入っていく。


 腕を振って、また腕を振る。神辺の攻撃は基本的に無視だ。どうせ大した攻撃力は無い。とにかく殴って、殴って、殴って殴って──。


 待て。


 落ち着け。


 理性を失っている。思考が働いていない。


 唇を噛む痛みで頭を冷やそうとしたのに、痛みを感じない。ならより大きな痛みをと、下唇の一部を噛み潰したが、飛びかけている理性を保つには足りなかった。


 声を出そうと考えた。


 何か喋れば思考も動くと思った。


 何を喋ればいいか解らないから、力の限りの低音で呻く。


 いつの間にか神辺を木まで追い込んでいた。大振りの拳は容易く避けられ、俺の拳が木を殴る。


 メキメキと鳴いたそいつに、やたら腹が立った。


 だから──


「ヴヴヴルァアアアガァアア!!!!」


 既に神辺の居ないそこへ、今度はエルボーを食らわせる。


 ゆっくりと木が折れる。


 身体が早く動かなくて攻撃が当たらないなら、一気に攻撃すれば良い。


 その木で薙ぎ払えば良い。


 木の幹を脇に抱えて、そのまま地面に叩きつけようとした。


 そのはずなのに、動きが鈍い。


 上の方でバキバキと何かが鳴って、バラバラと大量の葉っぱがそこらじゅうに飛び散っている。


 それでも限界まで力を込めて木を振り下ろす。


 全力で、その木を地面に叩きつける。


 枝も葉も失って、途中で無様に折れた幹が地面を抉る。


 しかし、そもそもそこに、神辺は居なかった。


 辺りを見回すが、未だなおバラバラと落ちてくる枝や葉のせいで、どこに居るのか解らない。


 探す必要は無い。


 脇に抱えたこの幹をそのまま振り回せば、いずれ当たる。


 その思って力を込めたが──いつの間にか、神辺は俺の懐に潜り込んでいた。


 俺の持つ木の幹に怪しげな文字が書かれた札を貼り付けて、何か喋っている。何を言っているのかはよく解らなかったが、俺が次の行動をするよりも先に、神辺はすぐさま俺から距離を取った。


 逃がすか。


 追撃をしようとした。


 何をしようとしたのか、自分でも解らないまま、貼り付けられた札が赤く光る。


 全ての感覚が停止する感覚があった。


 それほどまでに、全ての動きが遅かった。


 全て見えていた。


 札が膨張し、光の粒子が霧散し、燃え広がり轟音と共に、俺を呑み込んだ。

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モンスターサウンド! 根谷つかさ @tukasa26

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