第十一話〜戦闘

 既に吸血を終えているらしく、明園さんも動物の死骸も、ぴくりともしない。ただ、いくらかの抵抗があったせいか、血は辺りの木々にまで飛んでいた。


 想像してしまったのは、抵抗する動物を、しかも結構な大きさのそれを、明園さんが無理矢理押さえ付ける場面まで。そこから、殺してから吸血したのか、吸血していく中でじっくりと殺したのかは、俺の想像力では見当も着かないところだ。


 だけど。


 脚は勝手に動いて、手は勝手に上がっていた。


「待ってくれ……。ちがう、これは……ちがうんだ、神辺……」


 言葉も殆ど勝手に出た。でも、それより先は勝手には出てこない。ここからは自分で考えろってことだ。そんなもの、俺に思い付くはずが無いのに。


 それでも自動で神辺と明園さんの間で両手を広げてみせるが、神辺は俺には目もくれず、俺の後ろの明園さんを、無機質な目で見据えている。


 しばしの沈黙が置かれた。鼓動が何回脈打ったか、そんなもの数える余裕は無かったが、10回以上は鳴ったと思う。無抵抗を示すために挙げた両手が痺れてきた時、後ろから声がした。


「…………こうのえさん……ですわね……あなたは……なんなんですの…………?」


 虚ろな声音に背筋が凍る。彼女の顔色を確かめたいが、目前の神辺から目を背けたら、何もかも終わる気がして、出来なかった。


「退魔師だ」


 簡潔に答える神辺。それ以外に動きは無い。


「…………ああ……そうですの……でしたら……ひとつ、お願いをしてもよろしいですか……?」


「言ってみろ」


 俺の後ろの彼女は告げる。


「…………ころしてください」


 神辺は答える。


「──解った」


「だめだ!!!!」


 気持ちが解るなんて言えない。俺は俺のことしか考えていないし、なんなら今は何も考えていないまである。


 それでもだ。


「殺させないし、死なせない」


 それしか言えない。それしか無い。


 そこでようやく、神辺の鋭い視線が俺を捉える。


「ならば、どうする。殺さずに、理性を失った吸血鬼を、どうする」


「……わからない」


「話にならんな」


 解ってる。俺にはどうしようもないことだ。何も出来ない。それでも、何か出来るかもと足掻くことまで辞めるなんて出来ない。


「我が神辺家は魔物に対し、殺処分の方針だ。そこに来て魔物自身からの殺害要請。断る理由はあるまい」


 断る理由。


 断る理由?


 人を殺さない事に理由が要るのか?


「殺す理由も、無いはずだ……死ぬ必要も無いはずだ」


「残念ながらそれはあるのだ」


 俺が絞り出した答えに、神辺は容易く答える。


「魔物は封印が解けていく度、魔物としての本能を抑えられなくなる。オークならば異性を襲うようになるだろう。吸血鬼ならば、吸血し、眷属を作り、人を人では無いものに変える。……人間となり、理性を知り、人間と共に過ごした魔物は人間を愛す故に──そうなる」


 言われ、後ろで何かが動く気配がした。


 振り向いた先で、明園さんがこちらに身体を向け、しかし蹲って、地面に額を付けていた。


 動物の──おそらく野犬の死骸を横に置いて蹲る彼女の姿勢が、不器用な土下座なのだと気付いて、呼吸が止まる。


「まきこんでしまって……ごめんなさい……甘えるべきでは無かったのに……」


「…………そんなことは無いさ。美少女に手を差し伸べられるっていうのは、男の誇りなんだぜ」


 甘えていいんだ。甘えて欲しいんだ。女たらしってのは、女性に頼られる事でしか、存在出来ないんだから。


「おねがいします……助けないで……助けようとしないでください……」


 それは無理な相談だ。だって、俺は何も考えずに助けたいと思ったんだ。今だって何も考えてない。


「本人はそう言っているぞ。どうする」


 神辺に問われ、神辺のほうに向き直る。


 そうだ。俺は初めから、彼女のためだなんて考えてない。ずっと自分のためだ。


「明園さんに生きていて欲しいのは俺の願いだ。だからこれは、俺の決めた行動だ」


 もう一度、ちゃんと手を広げる。


「方法を考える猶予をくれ。もし駄目なら俺の血を吸って良いって約束なんだ。俺は魔物。死んでもお前達は困らない。そうだろ?」


「不可能だ。退魔師の歴史は千年を超える。そうして至ったのが今のシステム。既に方法は出尽くしている。その上で、封印か殺処分しか無いとの判断なのだ」


「他の退魔師を見つければ良いんだろう!? それくらいなら、出来るかもしれないじゃないか!!」


 なんでもいい。まずは時間を稼ぐ。考える時間を。


「そうか。それが貴様の理想か」


 だが、時間を稼ぐよりも先に、神辺は、手にしていた短剣を握り直し、下段に構えた。


「力無き理想はただの寝言だ。理想を語るなら、まずは力を示せ」


「……………………」


 戦えと。そういうことだ。


 勝てる気は毛頭しない。でも、あいつはこの間の夜と違い、刀も無く、他の装備も多分持っていない。時間くらいは、きっと稼げる。


「明園さんは今、正気じゃない。正気に戻るまで、待ってくれても良いじゃないか」


「残念ながら、正気へ戻す術は既に掛けてある。先程のが明園の本音だ」


「……そうか」


 神辺はそういう術を持っていた。確かに、俺も使われた。なら、そういうことなんだろう。


「魔力回路の解放を許可する。貴様が暴走するまで封印も使わないでいてやる。明園を救いたいなら力を示せ。貴様には明園を救う力があると証明してみせろ。さもなくば──二人とも殺す」


「なっ」


 神辺にハンデを課すメリットがあるとは思えない。だが、だからと言ってその申し出を断るほど、俺は強くないし、出来た性格でも無い。


 腰を落とし、集中を高めて、全身の回路を開くイメージをする。


「まだだ。まだ高めろ」


 回路を開くほど、全身の筋肉が膨張していく。それにつれて、激しい眠気にも似た酩酊感が襲い掛かる。もしくは、美少女のグラビアを見てしまった感覚にも似ているかもしれない。理性が薄れていくのだ。


 その感覚を押し込め、神辺を睨む。


「そうだ。……行くぞ」


 言葉と同時に、神辺との距離が無くなった。右手に握られた短剣。これを制するため、神辺の右手を掴む。


 すると神辺がそのまま刃を逆手に握り直した事で、彼女が少し手を捻れば俺の手首が切れる形になった。


 すぐに体勢を変えてそれを防ごうと動き出した瞬間、足元のバランスが崩れた。柔道の技みたいに、足の逃げ場を無くされていたのだ。


 倒れるまではしなかったものの、前屈みになる。そこへ、神辺の足が──正確には膝が顔面目掛けてきたのが見えた。


 左手は神辺の右手を掴んでいるから、右手でその膝を止める。


 攻撃は止めた。すぐに体勢を建て直さなければ……と考えたところで、後頭部に鈍い衝撃が走る。


 何事かと動揺した。そして、動揺しなんてしてしまった事を、再び目前に迫った明園の膝を認識して、後悔する。


 そのまま額を直撃して、衝撃で身体が起き上がる。


 左手はまだ神辺の右手を掴んだままだ。ギラリと動こうとした右手の刃を、そうはさせまいと思いっきり引き、そのまま引き倒そうと試みる。


 だが。


 俺が引いた勢いも使った掌底が顎を打つ。さっきまで前屈みになっていた身体が今度は仰け反るり、天を仰ぎ見たところで、腹部に強い衝撃が走った。


 数歩下がり、腹を抑える。どうやら腹を襲ったのは蹴りだったらしく、神辺は脚を引き戻す姿勢だった。


 そして、俺が手放してしまった神辺の右手が──握られた短剣が自由になっている。


 勝負を決めに掛かるような大振りで、首元目掛けて振り込まれる刃。取るのは得策では無いと本能が叫ぶから、上半身を引いて避けようとした。


 だが、刃はそれを嘲笑うかのように途中で止まり、引き返していく。


「ぇ……」


 なんで、と、考えてしまった。戦闘なんて初心者なんだから仕方ない。


 刃をフェイントにしての後ろ回し蹴り。これが本命と気付いた時には既に、回避不能なタイミングだった。


「ぐぉっ……!」


 軽く数メートルを、数回点しながら飛んで、肩から落下する。草の上に落ちたから、惨めに地面を滑ったりはしなかったが、立ち上がるのに邪魔だった。


「くっそ……っ!」


 今の一回の攻防で、力の差は証明された。こんなんただのサンドバッグだ。


 だが、


「あまり効いていないか。成程たいした生命力だ」


 刃の致命傷さえ避ければ、いくらでも時間を稼げそうだ。


「お前、自分が美少女だって忘れてるだろ。──美少女の足技ってのはな、男にとってはご褒美なんだ」


 勿論大嘘だが、それくらいのジョークでも言わなければやっていられない力量差だろう。


「ふむ、興味深い。では次は攻め方を変えるとして、礼にこちらもひとつ教えてやる。─|─刃ばかり見るな。相手の目を見ろ」


「……は?」


 なんのことかと言いたくなる言葉を残し、神辺が距離を詰めてきた。右手に握られた刃。神辺が引き切る形で振り付けてくる。


 これを止めようと、神辺の右手首に手を伸ばし──その右手が、神辺の左手によって弾かれた。


「なっ!?」


 防御は容易く破られ、為す術なく切り付けられる刃。胸元を裂いて目前を通過していった刃には、微かな赤がまとわりついていた。


 刃はすぐさま切り返し、次の切り傷を与えようと動き出す。その刃をなんとしても止めようと手を動かした、その時。


「があっ!?」


 さっき切りつけられた胸元に、その真新しい傷口に、鈍い痛み。それは全身を痺れさせ、俺に無理矢理、数歩下がらせた。


 胸元を抑えながら距離を取る。触った感じ的にも、出血的にも、傷はさして深く無い。しかし、刃に気を取られている内に、傷口へ掌底を食らったらしい。切り傷に打撃を入れるとこんな内側に響くような痛みになるのか。


「刃ばかり見るなと言っただろう。あと、貴様が暴走しても私が止めて殺してやるから、もっと力を解放しろ」


 これ以上なんて解放したことねぇよボケ。と言いたいところだが、そんな事を言ってられる余裕は、当然無い。


 あいつは戦闘のプロフェッショナル。当然、俺如き初心者の動きなんて熟知していて、その対処法も、きっと解りきっている。


「…………おいおい、あまり俺を見くびるな。今はちょっと、刃が怖すぎて本領を発揮出来ないだけだ」


「……ふむ。そうか。ならば、こうしてやろう」


 そう告げて神辺は──刃を上へ投げた。


「……なんっ」


 刃を目で追おうとして、それが罠だと気付く。刃ばかり見るな、目を見ろ。頭を過ぎったその言葉に吊られて、神辺に視線を戻すと、そいつは既に俺との距離を詰めていた。


 胸元への掌底を弾く。


 顎への拳を避ける。


 大振りなバックブローを受け止める。受け止めた俺の手にチョップが飛んでくる。それも逆の手で掴んで止める。


「悪くない反射神経だ。だが──」


 これで神辺の両手を俺が掴んでいる状態。蹴りの一発でも食らわしてやろうと脚を上げかけたが、それは足を踏むという形で阻止される。


「──判断は最悪だ」


 まるで何かのマジックショーでも見ているかのようだった。


 神辺の手を掴んでいた手を同じように掴み返され、そこに、さっき投げた短剣が落ちてくる。


 回転しながら俺達の間に降ってきたそれの柄を、神辺は口でキャッチした。


「っ……!?!?」


 言葉も出ない。何か声を上げるより早く、こうなる事が解っていたかのように無駄なく、むしろ狙っていたのだとでも言いたげなほど流麗に──神辺はそのまま、俺の右胸に刃を突き刺した。

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