第十話~惨状

 デートは順調に見えた。最初こそ香海未に遠慮していた、ゲームセンターへ寄った頃には普通に楽しそうにしていて、豪運持ちの香海未がクレーンゲームで二つ同時にモノを獲得した時なんか、腹を抱えて笑っていた。


 微笑ましくも危険な状態。ハリネズミのジレンマとはこういうことなのだろうか。もっと親しくして欲しいのに、そうすれば二人の命が危ない。


 そしてその焦燥感は、当然俺だけが抱いているものでは無い。縁もたけなわ。窓ガラスの向こうで空の色が変わり始めると、それに比例するかのように、傍から見て解るほど唐突に、明園さんの元気が無くなった。


「……体調不良を催しているようには見えなかったのだが」


 と、神辺が呟く。そりゃ、きっとさっきまでは本当に元気だったに違いない。本心から楽しんでいたはずだ。だからこそ、その反動が来た。


「隠してたか、薬で誤魔化してたんじゃないのか。最近の鎮痛剤はすごいらしいからな」


「貴様は、明園について何か知っているのか」


「知らないな。乙女の体調不良ってのはな、向こうから報告して来ない限り、男からは深く言及しないのがマナーなんだよ」


「そのようなマナーは初耳だな。貴様独自の理屈ではないのか」


 言われて、いや、こいつ男装してるけど男じゃないじゃん、女じゃん、と、とても大事なことを思い出す。これ以上言うとマジモンのセクハラになる。


「これ以上は言わせないでくれ。これでも紳士を目指してるから、デリカシーの無い発言は控えたいんだ」


「……ふむ、まぁ、仕方あるまい」


 答えは『体調悪そうな女の子を心配して何回か声を掛けたら、「乙女の日なの……」と暴露され「おうふ」としか言えず気まずくなってしまった』という俺の経験則によるものだ。思春期男子というのは日頃から「生理hshs」と鼻息荒くなるアピールをするが、いざ本当に知ると息が詰まるチキンなのである。


 そうこうしている内に、香海未と明園さんはモールを出ていた。夕方の四時半。高校生の解散にしては、少し早い気はする。未だ言い合いをしているように見えるのは多分、早く香海未と別れたい明園さんと、体調不良をほっとけないと言い張る香海未、みたいな構図だろう。


 勿論、安心安全なんて思っていない。割って入るべきか。今すぐ二人きりの状況を打破すべきかとも考えた。ただ、今飛び出していくのは明園さんのためではなくて、なんだか自分のためな気がして、後ろめたかった。


 明園さんが本当に、香海未に襲い掛かるまで。


 それまで俺は、耐えるべきだ。


「帰るようだな」


 二人で駅へ向かい始めたところで神辺が言う。我々も続こうと肩を叩かれたところでようやく身体が動いた。どうやら自分で思っている以上に緊張しているらしい。


 なにせ俺達はこれから電車で帰るのだ。都会と違って数分に一本来るほど優れたアクセスは無い。せいぜい三十分に一本。それを待ってから移動時間十五分。しかも混雑しやすい時間。明園さんと香海未の距離は否応なしに近くなり、逃げ場は無くなる。


 電車待ちの時間はなんとかやり過ごす。明園さんが頭を抱えてうずくまる場面もあった。それでも、ここまで来たら、もう見守るしか無い。


「どうなったのだろうか」


 電車に乗ったところで、神辺が呟いた。生憎と席は全て埋まっていたため、明園さん達が見えるが認識の難しい隣の車両で立っている。


「会話は聞こえなかったからな。でも、バンド加入ってことには、ならないんじゃないか」


 そう答えると、神辺は自重するかのように鼻を鳴らした。


「そこは期待していない。ただな……」


「ただ?」


 勿体ぶるような間を置くもんだから先を促したが、神辺はやはり間を置く。言い難い事ならば別に言わなくても良いが、どうもそうでは無いらしい。物思いに耽るというか、黄昏るというか。


「私は別に、居場所が欲しいと思った事は特に無い」


 ようやく口を開いたかと思えば、会話の脈絡は失われていた。


 しかしまぁ、流れが流れだ。どうにかして繋げるのだろうと、黙って聞く。


「戸乃上に誘われたバンドに了承したのも、バンドそのものが目的なのでは無い。自分自身の我儘ゆえだ」


 そこは、ベーシストとしてはあまり理解できない。低音を担当するベーシストは、派手さが無いためか単体ではエンターテインメントとして機能しにくい。楽器は数人で一緒にやるもんだ。バンドが無ければ、ベーシストは呼吸も出来ないと言って良い。でも、一人でもまぁまぁ楽しめるギタリストは、話が違うのかもしれない。


「だが、戸乃上にはそう見えなかったらしい。戸乃上には私や貴様が、寂しそうに見えたようだ」


「…………」


 黙って聞く。なんとなくだが、話が見えてきた。


「先日、戸乃上とミーティングをした際に私は、不足しているメンバーはライブハウスや楽器ショップ等で募集の貼り紙を出せば良いのではないかと提案した。しかし戸乃上はそれを拒否した。。だそうだ。戸乃上は、バンドというものをメンバーの──そしていつか出来るであろう聴いた人間の居場所になりたいと言っていたんだ」


「……呆れるくらいあいつらしいな。まぁ、美少女さえ居れば満足! と豪語してる俺をメンバーにしてしまう辺り、見る目は無いようだが」


「その点に関しては同意だ」


「おいこら」


 自虐ネタにさらりと同意しないでくれます? ジョークじゃなくなっちゃうじゃねぇか。


 とつっこもうとしたが、それより先に神辺は続けた。


「私も別に、一人でだって構いはしないと思っている淡白な人間で、仲間意識というものを抱いた事が無い。しかし、その理念は、試しに一度噛んでみても良いかと思えるものではあった」


 驚いた。神辺がなんか良いやつみたいな言い草をしてるのもそうだし、見る目が無いという自虐ネタに素直に同意されたのかと思ってツッコミを入れようとした自分が恥ずかしくなった。


「誰かの居場所、ねぇ。昨今のエンターテインメント性重視の音楽業界じゃ、難しいんじゃねぇの?」


「確かに、芸術としての音楽は日本の表舞台からは消えかけていると言っても過言では無い。だが、だからこそ、エンターテインメント性重視で構わぬのだろう」


「どういう意味だよ」


「芸術とエンターテインメントとしての音楽、というのは、人によって価値観は変わるだろうが、少なくとも私は、芸術とは正統派で伝統的で、美しく完成されており、人々の心を引きつけるものだと思っている」


「で、エンターテインメントは?」


「自由で感情的で、完成度とは別のところで採点され、誰かの心に寄り添うものだ」


「……なるほど」


 ぶっちゃけ半分くらい解らなかったが、最後のところは理解も納得も出来た。芸術は惹き付け、エンタメは寄り添う。芸術を知りたくばそちらから歩み寄って来い。エンタメは勝手に来る。みたいな感じだろう。


「誰かの心に寄り添うならば、エンターテインメントくらいが丁度良いとは思わぬか」


 なるほど。なんだか神辺がその鋭い見た目と声で言うと寒々しいが、戸乃上が言ったと思えば微笑ましい。が、なんだ。こう言うと俺が冷たい人間みたいに思われるかもしれないが、むず痒いというか、単純にサムい。


 だから俺は、あえて首を横に振った。


「なぁ。バンドってのは言っちまえば暇つぶしだぜ。さっきから言ってる通り所詮はエンターテインメント。プロを目指さない限りはどんな理念も遊びでしかないんだ。あまり高尚なものみたいに語るのは、相応しくないんじゃないのか」


 楽しくて、気持ち良くて、独特の一体感があって、LIVEなんかやってると、音楽しかやってないのに、分不相応にもなんでも出来るような気がしてくる。魔物退治なんかをやってる神辺がそれをやる、なんて、時間の無駄にしか思えない。


 俺のその言論に、神辺はしばし沈黙した。黙っていても煩い満員電車の中で、しかし彼女が浮かべた笑みは、言葉よりも雄弁に、そんな事は百も承知、と告げている気がした。


 電車が揺れる。体幹が弱いのか疲れ果てているのか、隣の親父が体当たりばりに体重をかけてくる。オークの身体能力でなくとも耐えれるであるう程度の重さだが、如何せん男の感触が不愉快で身じろぎすると、それに合わせて神辺との距離が縮まる。


 神辺は身長が高いため、不安定な体勢になった俺と、ほぼ同じ高さに顔が来る。その鋭い目が怖くて視線を斜め下へ逃がした。


 すると。


「高尚に言わなければ正しいと思えない。ひどい悪癖だ」


 そんな言葉が耳を突く。独り言でしかない声量。車内の騒音に掻き消されそうなそれは、しかし明確な諦観を宿していて、その声音に驚いて顔を見る。


 何か言うべきなのか、それとも、俺に聞こえていたとも思って無さそうな神辺のことだ、何も聞かなかった事にしたほうが良いのか迷う。


 しかし、俺がその答えを出すよりも先に、神辺自身が口を開いた。


「高尚と思っていたほうが、やり甲斐があるも思わないか?」


 今度はちゃんと俺に向けられた言葉。きっと誤魔化しや嘘では無い。なんとなくだが、多分こいつは嘘は吐かない。


 何を言うまでも無い。こいつは強い。それは、殺されかけた俺だからこそ過剰なまでに身に染みている。なによりその凛々しい振る舞い。真面目になんて生きてない本能丸出しの俺よりはきっと、遥かに思慮深いはずだ。


「そういう考えも有りかもな」


 賛同はしかねる。多分こいつなりの正しさをこいつが持っているから、否定なんて必要無いんだと思う。楽しければ良い。気持ち良ければ万事解決。そんな短絡思考な俺は、だからこそ反対する理屈も持ってないわけだが。


 どこからかふと、「青春ねぇー」というおばさんの声が聞こえてくる。そこかしこで会話は弾み、一つ一つの内容なんて聞き取れそうに無いが、その言葉が今の俺達に向けられたものと思うと、苦虫を噛んだような感覚に襲われる。


 羞恥心から逃れるために隣の車両を見ると、辛うじて明園さんの頭が見えた。背の低い戸乃上もあそこらへんに居るだろう。


「…………」


 いつの間にやら、次の駅が俺達の降りる場所だ。退勤時間とも重なっているから、降りる人は多いだろう。その中に紛れて二人を追い掛けるとしよう。


 明園さんの顔は見えない。どんな表情をしているのか、予想も付かない。予想出来るほどの情報を俺は知らない。


 でも、体調不良と言っておきながら俯かず、窓の外を見ようと視線を逃がしているのは、多分だが戸乃上を見ないためだ。


 もうすぐ。もう少しだ。そう思うと、今まで抱いていた緊張がほぐれてくる。残り数分。今までの数時間に比べたら、大した事ない。現に、もう少しで電車は止まる。扉が開けば、もう何も問題無い。


 しかし。


「気を抜くな」


 そう釘を刺してきたのは神辺だった。


 言われてハッとする。残り数分。吸血鬼の欲求が溜まりに溜まって、最も危険になる頃。一番警戒しなければならない時だ。


 そしてさらに違和感に気付かされる。


「……おい、お前、どうして」


 


 明園さん達のほうをじっと見つめる神辺を、俺が見据える。神辺はちらりと一瞬だけ俺を見てから、簡単そうにこう言った。


「自分の行動を省みて、気付かれないとでも思っていたのか?」


 ──騙された。


 そう悟った。


 こいつは敵意が無いふりをして、俺の態度から、言動から、明園さんが魔物であることを特定したのだ。


 心臓が体に血液を送らなくなるような、そんな圧迫感に見舞われる。


 また、いや、今度は、明園さんがあんな目に遭わされるのか?


 あんな、この世のものとは思えない苦痛に?


 だめだ。それだけはダメだ。


「まて……待ってく」


「開くぞ」


 電車の扉が開く。幾人もの人が立ち塞がって、すぐに出れそうに無い。


 そこに、隣の車両からざわめきが聞こえた。不意の事に視線をやるが、慌ただしい雑踏があるだけで何も見えない。


「くそ!」


 神辺が人ゴミを押し退け外へ出る。俺も続くが、中々出られない。


 やっとのことで外に出る。何度か舌打ちをされた気がしたが、構っていられない。数人が歩く駅のホームを駆ける影はふたつ。すぐそこのは黒髪。既に階段を登り始めているのが銀髪。


 隣の車両の出入り口で、数人が尻餅を着いていた。明園さんが突き飛ばしたのだとすぐに察しが着く。吸血衝動に耐えきれず。しかし耐え抜いて。


 目を見開いた様子の戸乃上が、電車から降りてきたのが見えた。しかし彼女は、すぐに尻餅を着いている人へ手を伸ばす。何故かあいつが「ごめんなさい、ごめんなさい」と連呼していた。あの様子なら、ここは任せても問題無い。俺は、もう駅の階段を登り始めている黒髪を追い掛ける。


 結構な距離がある気がする。なら、仕方ない。俺は自身に掛けている身体能力の制御を引き下げて、人目があるのを構わず、人では無い速度で二人を追った。


 陸橋を超えて階段を飛び降り、改札は駅員に切符を渡して駆け抜ける。


 すぐに追い付けると思っていた。この身体能力で追いつけないものはそんなに無かった。でも、外へ出て左右を確認して、距離が縮まっていないのを見て、自分の傲慢さを知る。


「馬鹿か俺は……っ!」


 片や格上の魔物。片や、その気になれば俺を無傷で殺せる退魔師。むしろなんで、それですぐに追い付けると思っていたのか。


 全力で追い掛ける。明園さんの姿はもう見えないが、辛うじて神辺の姿に追いすがる。街ゆく人が目を見開いてこちらを見る。それほどの速度で走っているのに、距離は開いていく。


 まだ本気を出せるはずだ。そう思って速度を上げるために力を込めた。だが、身体よりも先に靴が悲鳴を上げる。メッシュ素材のスニーカーが、ぶちっ、と音を立てたのだ。


 靴が壊れてはまともに走れない。これ以上の速度は出せない。ともすれば、否応なしに距離は離れていく。


 神辺な角を曲がる。少しして俺も曲がって、ついぞ見失ったと思い知る。


「くそ!」


 せめてどこでまた曲がったのかを確かめようとした時だった。何か鈴の鳴る音が聞こえた気がしたのだ。それは勿論気のせいなのだが、どこからか聞こえたその鈴の音の方を見たら、さらに向こうで角を曲がる黒髪が見えた。


 それからは完全に2人の姿を見失ったが、5秒おきに響く鈴の音の方へと全力で駆ける。これが勘というやつなのか、それとも他の何かなのかは知らないが、鈴の音を辿れば追い付ける気がした。


 しばらくひたすらに走り、至ったのは学校近くの山だった。クレーターのある、先日明園さんと話をした山。


「…………」


 息は少ししか切れていない。鈴の音はクレーターのほうへと近付いているようで、これは気のせいとかではなく、先日明園さんを発見した場所に誰かが導いているのだと気付く。


 そして、深い林の中で立つ神辺の姿が見えた。


「神辺!!」


 その手には、どこかに隠し持っていたのだろう短剣が握られている。刃は綺麗なもんで、血は着いていない。しかし、神辺はいくつも武器を持っていた。それだけでは安心出来ない。


 ちらりと俺を一瞥だけした神辺の隣へ駆け寄ると、まず、神辺の声が耳に触れる。


「……魔物を尾行するなら、最低限の装備くらいは整えておけ」


 脆いスニーカーへの批判だろうが、そんなものには構って居られない景色がそこにあった。


 飛散した大量の血。その上で、干からびた動物の死骸を抱き抱えてうずくまる、明園さんの背中。


 殆ど沈んだ太陽のほの暗いオレンジに照らされて、その景色は、悪魔崇拝の祭壇を彷彿とさせるものだった。

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