第4話 番外 霧の深い日

 ―――淀んだ真っ白なもやが、どこまでも広がっていた。

 もくもくと雲のような濃霧が、町中を埋め尽くす。

 これでは、歩いていてもまともな視界が得られないだろう

 町には困惑している人間はいないが、やはり人通りは普段に比べて極めて少ない。

 第十四層では毎年、濃霧が頻繁に起こる時期がある。

 巨大な塔という建物故の通気性の問題や、塔の外で移っていく気候の変化、設備の老朽化等、様々な事象が重なり、濃霧は最低でも数日間は続く。

 視界が酷くなり事故が頻発しかねないので、人通りは否応なく減る。

 そんな人通りの減った通りの一角で、占い屋を営んでいる少年がいた。

 十代半ば、もしくは後半か、そのくらいの年頃に見える。

 占い師をイメージさせるダークブラウンのローブを着込んでいたが、何故かサイズがあっておらず、裾が膝のすぐ下くらいにあった。胸元では、珍しい魚の骨を模したペンダントが揺れている。

 黒い髪と黒い眼をしており、ローブの下には、実用性と値段を重視したのであろう、動きやすそうな服を着ていた。

 少年の名はホゥと言った。町どころか、塔でも有名な名家出身のクァという少女の所に居候している少年で、町の一部ではクァをつかまえた悪い男、ヒモ、ほぼ無職などと言われていた。……どちらかというと、悪評ばかり目立っていた。

 ホゥは普段占い師を営んでいたが、それほど売れているわけじゃない。特に今日は霧が酷い。未だ客はゼロだった。

「……今日はもう、店じまいするか」

 ため息と共にそう呟き、荷物を片付け撤収の準備をする。といっても、殆ど何もないので一瞬で終わり、近くで店を構えていた人に軽く挨拶して、ホゥは帰路についた。




 クァの実家は代々『賢者』を輩出してきたが故に高名な家柄であり、かつては家はそれなりに大きかった。……過去形であり、現在はそうではない。

 一部屋だけの小さなアパートが、今のクァの住処だった。

「ただいまー」

 そう言って、ノックもせずにホゥはドアを開けた。靴を脱いで、部屋に上がる。

 随分と狭い部屋だった。テーブルと、二人分の椅子。それにシングルベットが一つ。他にも洋服棚など必要な家具が最小限揃えられてる。

 しかしその一方、ささやかながらところどころに遊び心がある。テーブルの上に置かれた薔薇をかたどったコースターが、その最たるものだろう。

 部屋には本を読んでいる一人の少女がいた。

 血のような濃い薔薇の髪飾りが特徴的な少女だった。顔立ちはまるで人形のように端正で、瞳も髪も青い。その青い髪とその髪飾りがちぐはぐで、合わないような、微妙に合うような、独特な見た目をしていた。

 ホゥを見て、少女――クァが顔をしかめた。

「ホゥ、私のローブを勝手に使うのはやめろと何度言えば分かるんだ?」

 クァが咎めても、ホゥは全く気にした様子を見せない。

「そういうお前も、俺の服勝手に着てるじゃん」

 クァはホゥの服を、部屋着としてしばしば勝手に着ていた。

「ホゥの安い服と違って、私の服は高いんだよ」 

「そりゃそうだがな……」

 続きの言葉を考えながら、ホゥはクァから借りていたローブをハンガーにかけた。

「……下手に反論して家賃払ってないことに言及されたら厄介だからな」

 小声でホゥはぼやいた。クァはしばしば、どんな問題であれ、分が悪くなると「でもホゥは家賃払ってないからおあいこだろう?」と言い出す。

 それは今関係ないだろ、と言いたい。が、払ってないのもまた事実。

 ……適当に誤魔化すか。

 ホゥはそう考えた。

「ところでさ……」「ごまかさないで」

 間髪いれず、釘を刺された。……どうやらホゥの目論見は見透かされていたらしい。

「……くそ、寝食を共にすると、こういうことがあるのが厄介だな」

 ホゥがぼやいた。そして、渋々といった感じで分かったよ、と言った。

「だけど、せめてその服は勝手に着るなよ。下したてなんだよ」

「じゃあそうしよう。……約束、守ってね?」

 はいよ、とホゥは答えて手洗いうがいをしに洗面所に向かった。

 洗面所には二人分のコップと歯ブラシが並んで置いてあるほか、随分前に安くで買った歯磨き粉のチューブと、安っぽい髭剃り、それと二、三本の化粧瓶が置いてあった。

 歯磨き粉のチューブはコストパフォーマンス最重視といった塩梅の、一般の物の中では大きめのサイズで、白地に黒で最低限の情報が書かれたシンプルなものだ。一方化粧瓶の中にはそういうものもあるが、少し派手なデザインの、ちょっと高そうな物もある。

 いつも金金言ってるんだから、こんな高そうなもの買わなくていーだろ、とホゥは常々思っていたが、クァは全然違うから、と決して安くて似通った代替品に変更しない。ホゥには分からないが、どうやら何か違うらしい。

 またいつものクァの拘りってやつだろう、とホゥは思っていた。

 ホゥは結構強欲な人間だが、飽き性なのですぐ興味を失い、結局怠ける方向へと進んで行きがちだ。一方、クァは無欲な人間だが、結構拘りがあった。

 ホゥがこれも個性か、とありきたりなことを思いながら部屋に戻ると、クァが着替えていた。

 床に服を脱ぎ散らし、新しく出したのだろう、別の服を上からかぶっていた。今なら、ささやかな悪戯として身体の動きに合わせて揺れている胸を無抵抗で突ける気がしたが……後が怖いので止めておいた。

「……何じろじろみてるの? ホゥも着替えたら?」

 上着を着終えたクァが冷め切った目でそう言ったので、ホゥもさっさと部屋着に着替え始めた。




「どう? 今日は占い師稼げた?」

 クァの直球な質問にホゥは肩をすくめた。

「一人も。さすがに、こうも濃霧が濃いとな」

「ま、それもそうね」

 クァも納得し、ため息を吐いて棚の上にある物を見た。

 それは開いた小さな木箱と、閉じられた、それよりも一際小さな木箱だった。さながらマトリョーシカのような二つの木箱。それはちょうど数日前に、クァが馴染みの珈琲店で頂いた物だった。

 これ以上木箱を開けるには、もう少しすれば開催される図書市で、ある人物に尋ねる必要があった。

「……図書市まで後何日だっけ?」

「七日だよ」

 ホゥがそう言うと、クァがまたため息を吐いた。

「待てない」

「……クァって本当おばあちゃん大好きだな」

「……まぁね」

 憧れだったから、とクァは付け足した。

「まぁ、クァと本当に血が繋がっているのか疑いたくなるような、大人物ではあったな」

 ジロリ、とホゥを見たものの、クァはホゥの問題発言をスルーした。

「だろう? ……私だって頑張ってるんだけどな」

「それは知ってる」

 そう言って、ホゥは食料棚を漁りに向かった。

「それはどうも。……私にも珈琲入れてくれないか?」

「よく分かったな」

 ホゥは苦笑して珈琲の粉末が入った瓶を取った。それと同時に、嫌なことに気付いた。

「なぁ、今週の買出しって誰? クァだよな?」

「ホゥじゃない? 偶数の週は私が、奇数の週はホゥが行くんだから」

「……それ、クァが微妙に使い切らずに週またいで食料を使い切るせいで、俺ばっかりが買い物行くから止めるって決まったじゃん。今は普通に交代制だろ?」

 ああ、とクァは頷いた。

「そういえばそうだった。でも、先週私買いに行ったよ?」

「いや嘘つけ。俺が行った」

 クァが顔を上げて、二人は互いの目を見た。……気がつくと、二人の間に微妙な力場が発生していた。

「俺」

「私」

 単純に、どっちかが買い物当番をすっぽかしたせいで今日の食料がない、という、ただそれだけの問題なのだが、二人は一歩も譲る気は無い。意地というのもあるし、案外、二人はこういうやり取りを楽しんでいるふしがあった。

「ホゥ、この前家の鍵かけ忘れてたよね? それでも記憶力に自身あるの? ないでしょ?」

「……クァこそ、ちょくちょく買い物行った時、何か買い忘れてくるだろ? クァに記憶力なんて無いに決まってる」

 二人は、実に下らない論理の展開を始めた。とはいえ、このまま言い合えば次第に悪口にエスカレートして喧嘩になるだろう。その愚を悟ったのか、それとも経験として知っているのか。お互いこれ以上言い合うことはなかった。

「……まぁいい。問題はどっちがこの濃霧の中、面倒な買出しに行くかってことだ」

「そうだね。それが、建設的な話し合いってやつか」

 クァも頷き、立ち上がると棚の中からカードの束を取り出した。

 それは、ごく普通のトランプだった。

 最近二人は揉め事が起こるたびにトランプの勝負をして、勝った方の言うことを聞くということにしていた。些細なことにも遊び心をいれようという考えである。

「何する? スピード、ポーカー、七並べ?」

 クァの問いに、ホゥは首を振った。

「いや、やっぱ二人でトランプは寂しいだろ? つーか、そろそろ飽きたろ? こっちにしよう」

 そう言って、ホゥは鞄の中からボードゲームを一つ取り出した。

 九×九の盤と、プラスチックか何かでできた駒が四十個。

 文字や絵柄といった些細な違いはあるが、それはホゥが元いた世界、元いた国で親しまれていたボードゲーム――将棋に他ならない。

 今日市で偶然見つけ、衝動買いしたものだ。

 ――稼ぎが全くなかったにも関わらず。

「……稼ぎのない、家賃未払い者風情が何でそんなもの買ったのかという説教は置いておいて、まぁ、いいよ。じゃあそれで勝負しようか。飽きてきたのは事実だし」

 ―――掛かった!

 ホゥは内心、にやりと微笑んだ。




 将棋はトランプと違い、運の要素が少ない。というか、無いと言っていい。

 相手の手を読み、駒の価値を把握し、適切に動かし盤上を支配する。動くべきタイミングと、この一戦において勝てる戦略――勝ち筋を感じ取り、王を捕る。そういうゲームであり、賢さや発想力も大切だが、初心者、中級者の場合、何よりも経験と知識が重要なゲームだ。

 ホゥは多少ではあるが、前世において将棋の経験があり、ルールは当然、戦術、戦略の知識もある。

 クァに負ける道理は無い。

 ホゥはサボる時は全力を出す。そうクァに愚痴られることがあったが、おそらくこういう行動の繰り返しが原因だろう。

 幸いクァにも将棋の基礎知識はあった。そういうわけで、すぐに勝負することになった。

 ――そしてすぐに、ホゥから余裕の笑みが消え去った。

 勝負が始まってすぐ、クァは飛車(各プレイヤー一駒だけ持つ、攻めのエースとなる駒)を左右に動かした。

 将棋の二大戦術「居飛車」と「振り飛車」のうち、「振り飛車」の「四間飛車」という戦術カテゴリに分類される戦術を行う、前触れとなる動きだ。

 居飛車とは、「飛車をゲームスタートの位置から大きく変えずに戦う」戦略であり、「飛車を大きく動かし、攻守の都合のいい位置へと変えて戦う」のが振り飛車である。

 基本的に将棋では、捕られたら即敗北になる王を守るべく構築する守備陣形と、攻撃のエースである飛車を中心とする攻撃陣形を、盤上の左右にそれぞれ構築する。

 居飛車は素早い攻撃が可能な反面、攻撃と守備の二つの陣形が混ざりがちだ。一方、振り飛車は攻撃速度は遅れがちだが、二つの陣形はほぼ完全に分かれ、守りが堅くなりやすい。

 「四間飛車」は、攻守のバランスに優れた布陣として定評がある戦略で、初心者にも人気のある戦略ではある。しかし、その序盤の独特の動きは、知識があるものでなければまずしない動きだ。

 ――自分だけが知識がある、という前提条件は、間違っていた可能性があるな。

 ホゥはそう判断せざるを得なかった。

「おい、ホゥの番だぞ?」

 クァが薄く微笑みながら言った。

「……なぁ、クァって将棋できるのか?」

 そうだなぁ、とクァはわざとらしく何かを思い出す素振りをした。

「ま、子供の頃に色々教わったり、地域の大会に出て準優勝まで進んだことならあるかな」

 そう言って、再び勝ち誇った顔で微笑んだ。

 ―――嵌められた。

 ホゥは、罠に掛かったのはクァではなく、クァが実力を隠して勝負に乗ったことに気付かなかった自分だったのだと気付いた。

 クァは食料庫から紅茶を取り出して、二人分淹れると優雅に飲み始めた。

 ……まだ負けが決まったわけじゃない。腹を決めるべきだ。

 ホゥは敗北を予感しながらも、一応覚悟を決めて次の一手を打った。

「…………」

 残念なことに、既に勝負は動き始めている。

 何手か無駄になってしまったが、ホゥはそれまで進めていた「居飛車」を止め、「振り飛車」の「中飛車」に変更した。

 「居飛車」は将棋界を代表する最もメジャーな戦略であり、それこそ将棋の創世記から存在する長い歴史を持つ戦略である。

 将棋の歴史の中で、「振り飛車」勢力を壊滅させたことすらある戦略であり、「理論上、最強の戦略」とうたわれる。

 しかしそれ故に、大きな短所を内包する。

 ――それは、メジャーな戦略であり、使用人口が多いということそれそのものだ。 

 格闘ゲーム等の対人ゲームでもあることだが、「主人公キャラ」「性能のいいキャラ」「人気キャラ」のような、プレイ人口の多いキャラクターは、対戦で戦うことが多い分、コンボや新しい戦術が次々と開発されるが、同時にそのキャラと対峙する時に「どうやって対処するか」「敵の強みをどう押さえ込むか」「こちらが主導権を握るにはどうすべきか」ということもまた次々に考案される。

 居飛車も変わらない。その長い歴史の中で、メジャーであるが故に無数の戦略が考案されてきた。考案され対策され淘汰され、また新しく開発される。それを繰り返してきた。居飛車使用者はいつか必ず壁にぶち当たる。それは「知識量」という壁だ。居飛車は動きが素早く攻めやすく、目的がはっきりしていて初心者にも使いやすい戦略だが、一定以上の実力を得るには定跡(研究し考案される、最善とする決まった指し方。勝ちパターン)の知識がかなり必要になる。

 クァはおそらくホゥよりも知識がある。このまま戦うことを愚と考え、ホゥは振り飛車に変更した。

 振り飛車は将棋の歴史上何度か断絶しており、居飛車よりも歴史は浅い。また、前世の世界においては従来の「防御一辺倒、完全防御とカウンターで戦う振り飛車」に対し「自分からも攻め込む」攻める振り飛車が画期的な戦略として近年誕生し、変革の時を迎えていた。

 そのため振り飛車は居飛車に比べてが定跡が乏しく、特に初心者~中級者ではセンスや勘に頼ったゴリ押しな攻めで思いのほか勝てることもある。

 この世界の歴史はどうか分からないが、それでもこちらの方が勝つ確率が高いとホゥは判断した。

「……そうきたか」

 優雅に紅茶を飲みながら、クァは次の手を指した。

 ごくり、と唾を飲み込みながら、ホゥもまた手を指す。

 中飛車もまた四間飛車同様、人気のある戦略で「薄く広い防御力」が自慢といえる。

 それを活かし、遠い記憶を頼りに、うろ覚えではあるが布陣を組んでいく。

 やがて双方布陣が完成し、互いに攻め込み、跳ね返しカウンターを仕掛けていく。

 そこまできて、ホゥは再び自身の失策を悟った。

 元来、ホゥは振り飛車派ではなく居飛車派である。

 それでも多少は覚えがあったが、居飛車と違い経験が薄れ、特に「どう攻めるか」が曖昧である。

 軽いジャブの打ち合いのようなせめぎ合いに敗北し、攻撃を仕掛けてくるクァに対し、念入りに何手も先を読みカウンターを仕掛ける。……が、クァの方が上手である。

 「薄く広い」というのは、逆に言えば「要所の守りが薄い」ということでもある。致命的な誤った一手が効いて、一度攻め込まれた後はなす術も無い、悲惨な結果となった。

「じゃ、よろしくね」

 いつになく上機嫌な様子でクァはウインクして、メモにびっしりと書き記した。

「…………」

 罠に嵌めようとした敗者が何も言えるはずもなく。

 ホゥは黙って、大きなリュックを背負って濃霧の町へ出た。




 霧が濃すぎて、本当に碌に前が見えない。 

 塔の中にあるという性質上、この町は本当に換気が悪い。霧が篭るのもそうだが、時折、建物の中特有の無機質な匂いが鼻にくる。同様に、無機質な天井がまた嫌になる。……本当に、時折だが。

 遠く遠く離れてしまった、前世――生まれた故郷を思い出す。

 清々しい、どこまでも続いている青い空。

 遠くに見える山々とアスファルトの道路、コンクリートや木で作られた建物の群れ。それらで構成された広くて多様性のある、見ごたえがある世界。

 巡る季節と花や木々、屋台の食べ物、工事現場の石油の臭い等、バリエーションのある匂い。

 それらが懐かしくて、戻りたいと思う瞬間がどうしてもある。

 今日やった将棋もやっぱり、懐かしい気持ちになった。

 ……とはいえ、じゃあ元の世界に戻れるなら戻るのかと言われれば、首を縦に振るか、自分でも分からない。……今となってはこちらの世界での日々も大切だし、クァを放って帰るのもイヤだ。

「何だか今日はセンチメンタルっちまったなー。……濃霧のせいか?」

「知るか。野郎のセンチメンタルなんぞ、どうでもいいんだよ」

 クァのお気に入りの珈琲屋―――加糖連盟組曲屋の初老の店主は、突然やって来た客をぞんざいに扱った。

「おい冷たいな。俺は客だぞ?」

「嬢ちゃんのおつかいなんだから、客は嬢ちゃんだろ? お前じゃない」

「その理屈はおかしい」

 そう言って、珈琲を買い終えた客には用は無い、とばかりに、きゅっきゅっ、とコップを磨く。

 舌打ちして、ホゥはぴん、と硬貨を一枚弾いて店主に渡した。

「まいど」

 店主がニヒルな笑みを浮かべる。

 クァに持って帰る粉末の珈琲とは別に、一杯、ホットコーヒーが淹れられた。

「うん。……まぁ、うまいかな」

「むかつく態度のガキだ」

「おい、今度こそ俺は客だぞ」

「……その金、一体誰のだ?」

 店主の指摘にホゥは口笛を吹いて誤魔化した。

「おい」

 ホゥは肩をすくめる。

「……まぁ買って帰る野菜の本数が一本二本少ないくらい、クァも気付かんだろうさ」

 ふっ、と静かに店主は笑った。

「まだまだ甘いな。女は意外と、そういう細かいとこにも気付くぞ」

「……へぇ、そういうもんなの?」

「だてに長生きしていない。坊主とは経験が違うのさ」

「じゃあ金返してくれ。怒られちまう」

「馬鹿か。そうはいくか」

「じゃあ占ってやるから、チャラにしてくれ」

 ホゥがさらにそう頼み込むと、店主は一瞬「はぁ?」という顔をしたが、次の瞬間思い出したような顔をした。

「ああ、お前占い師だったな」

「そうだ。安くで占ってやるぞ? 本当なら、珈琲一杯どころの値段じゃないんだ」

「お前の占いなんて珈琲一杯どころか、シロップ一つ分の価値も無いに決まってる」

 そう言いつつも、店主は何を占ってもらうか考える素振りを見せた。

「……そうだ、あれがあったな」

 店主はごそごそとズボンのポケットを探って、宝くじのチケットを三枚取り出した。

「こいつが当たっているかどうか調べてくれ」

「……それくらい、当選日待てよ」

 ホゥは呆れてため息を吐いた。

「当選日は昨日だ。この濃霧だし店があるからな。まだ見に行ってないんだ」

「占いはそういうためにあるんじゃないんだがな……」

 文句は言いながらも、背に腹は代えられない。ホゥは占いの準備をした。

 幸い、水晶は持っていなかったが、タロットカードはポケットに入れっぱなしになっていた。今回はそれを使うことにした。

「じゃあ、この三枚のチケットがもたらす未来を占おう」

 そう言ってホゥはタロットカードの束を切り、一度深呼吸をして、カードの束をテーブルの上に置いた。


 目を閉じて、それからゆっくりと、目を開ける。

 次第に、カードの束が青く輝き始める。

 光っては消え。光っては消え。

 不規則に明滅する光が、少しづつ強まっていく。

 魔力というエネルギーが、ホゥの体からゆっくりと、少し不慣れな、不器用な流れではありながらも、静かな水のようにタロットカードに注ぎ込まれていく。

 ぶく……ぶくぶく……。

 ぶくぶく……。

 ぶくく……。

 小さな小さな泡のような音が、タロットカードから―――カードとカードの狭間から聞こえる。

 やがて一枚、また一枚と束の上からタロットカードが浮かび上がり、くるくると円を描くように、輪になって回り始めた。

 流れる水のように、偉大なる海のように。なめらかさと力強さを兼ね備え、タロットカードは回る。

 神秘的なこの光景が、ホゥは結構好きだった。

「―――未来よ、我が愛しい未来よ。希望に満ち満ちた夢を、破滅を退ける幻を、慈しむべき夢幻の泉の雫を、ここに落としたまえ―――!」


 ぽちゃんっ。


 どこからともなく水が落ちる音が聞こえ、やがて一枚のカードを除き、タロットカードがしゅるしゅると集まり、元あったように束になってテーブルの上に戻る。

 そのたった一枚残った―――『雫』の落ちたカードが、ひらひらと舞って、表向きになって店主の掌の上に納まった。


「強奪」


 カードには盗っ人の絵と共に、そう記されていた。

「……どいうことだ?」

 店主は、当然の疑問を述べた。

「さぁ? タロットカードではそこまで完璧には分からない」

「…………」

 店主は、あっさりとカウンターに置いていた硬貨をしまった。

「まてまて! ……まぁその、あれだな。当たっているかどうかは分からんが、盗まれる可能性がある。気をつけろって話になる」

「なぜ盗まれる?」

「そこまでは分からない。だが、普通に考えて実はその宝くじ当たっていて、そのせいで誰かに盗まれるんじゃないか?」

 ホゥがそう告げると、すぐに店主はチケットを隠した。

「やらんぞ」

「別に盗らないよ。……あれじゃないか、孫とか奥さんとか、身内に盗られるんじゃないか?」

 ホゥがそう言うと、深刻な表情で店主は顎に手を当てた。

「ありうる……!」

 本当に盗るのかよ、どんな身内だ! ……と言いたい所をホゥは我慢した。

「……そういえば、何度かここには来たけど一度も奥さん見ないな。どこにいるんだ?」

 ホゥが尋ねると、店主は挙動不審気味に目を左右に動かした。

「あ……し、知らんな。散歩にでも、行っとるんじゃないか? 偶然だ、偶然」

 店主の額に、脂汗が流れる。

 その言葉で、ホゥは何となく察した。

「……そうか。悪かった」

「おい。何だその憐れんだ目は」

 ひくひくと、店主の頬が怒りで引っ張られる。

「いや、……悪かったな。盗みを警戒するのは友達相手に失礼かな」

「いるぞ! 俺に身内はいるぞ!」

「はいはい」

 硬貨を受け取り、ホゥは立ち上がった。

「長居しすぎた。じゃあな。……その、すまんかった」

「もう来るな、生意気小僧!」

 罵声を背に、ホゥは店を出た。




 幾つかの店を行き来し、リュックサックいっぱいと両手にも荷物を持つ状態になるまで買い物をして、ホゥは帰路に着いた。

「ただいまー」

 本日二回目にの「ただいま」を言って、ホゥはどさ、と 握っていた荷物を置いた。

「おかえり」

 のんびりと紅茶を飲んでいたクァが近寄ってきて、袋を漁って中身を確認し、食料棚にしまっていく。

 野菜の本数を指差し確認し、固形タイプの栄養調整食品を各味どれだけ買ったか数えているのを目撃し、ホゥは珈琲屋の店主から珈琲代を返してもらえたことに安堵した。

 全ての荷物を確認し終えたクァは、お疲れ様、と言ってホゥの分も紅茶を淹れてくれた。

「意外。絶対何か買い食いしてきて、お金が足らなくて誤魔化そうとしてると思ったのに」

「……んなまさか。俺は正直さで売ってる男だぜ?」

 ホゥの言葉をはいはい、と流して、クァはホゥに近寄って、爪先立ちになってホゥの顔の目と鼻の先まで顔を近づけた。

「…………?」

 ホゥが混乱していると、クァは目を閉じて、くんくんと匂いを嗅いだ。

「……ダウト。珈琲の匂いがする」

 顔から離れて、クァはそう言った。

 ……俺のドキドキを返せ。

 ホゥは膝から崩れ落ちそうになった。

「バレたか。占ってチャラにしてもらったんだ」

 何でもないように、ホゥは平然とそう言った。

「そ。まぁ、当てずっぽうの鎌かけだったんだけど」

 ……冷静に考えてみれば、確かにもう口の中に珈琲の匂いなんて残っていないはずだ。

 屈辱で、先程の店主同様、ホゥの頬がひくひくと引っ張られた。

「まぁ買い物はちゃんとしてくれたし、いいよ」

 クァの言葉が若干、イラっとする。

 感情をぶつけるようにぐびっと、ホゥは淹れてもらった紅茶を一気に飲み干した。 

 そんなホゥを見てか、クァがふっ、と笑った。

「じゃあ行こうか」

 そう言って立ち上がると、珍しいことにお気に入りの薔薇の髪飾りを外した。

 さらさらとした青い髪が揺れる。

 髪飾り一つだが、取っただけで印象ががらりと変わる。

 普段の血のような濃い薔薇の髪飾りと、青い髪と瞳の合うような合わないようなちぐはぐさは無くなり、純粋にきれいな、人形のような美少女になった。

 こうした姿を見るのは寝る前くらいなもので、毎日見てはいるが、それでもホゥの目には新鮮に写った。

「行くって……どこに?」

「銭湯。身体、冷えたでしょ?」

 そう言って、ひょいと小さなバックが手渡された。中を見ると、タオルや下着類が入っている。……準備は万端らしい。

「……結局、帰る時に身体冷えないか?」

 ホゥの当然の質問は、まぁいいじゃない、と流された。

「この間、エスラン家の屋敷に入った時のお礼のようなものだとでも思えばいいさ。もしくは、魔術書蒐集祝いとでも」

「…………」

 ……何か言おうと思ったが、折角の好意だ。ホゥはありがたく頂戴することにした。お礼を言って、二人並んで家を出た。






 ひくち、とクァがくしゃみをした。

 相変わらず霧が濃い。足音が凄く近くで聞こえることからして、二人並んで立っているはずなのに、姿はロクに見えない。

「どっちだっけ?」

「こっちであってる?」

 二人して言うが、すぐにこそあどが今は通じないことに気付いた。

 顔を近づけようとしてホゥは屈み、クァは爪先立ちになる。結果、二人の額がぶつかり、声にならない悲鳴を上げてクァが転んだ。ホゥもまた、額を押さえ一歩二歩後ずさる。

「……手、繋ぐか」

「だね」

 ホゥが手探りでクァの手を掴んで引っ張り起こし、一度離してからもう一度手をつないだ。

 は、ホゥが前世一度もしたことの無い―――する相手のいなかった―――

 恋人つなぎは、名前通り恋人がするものだ。それには特別な意味がある。

 ホゥは、クァがこの手のつなぎ方の意味を知っているのか、そもそもこの世界でも同様の意味があるのか知らない。

 なぜこんな風に今、恋人つなぎでクァと手をつないでいるのか。ホゥにもよく分からない。何となく間を読んだというか、偶然というか、二人の間に降り積もった年月が、自然とそうさせた。

 そこには何らかの感情があったのかもしれないし、単に霧の中視界が悪いので、咄嗟にもう少しお互いの身体をくっつけようと考えて、普通の繋ぎ方をしなかったのかもしれない。

 ホゥは自分でもよく分からなかった。

 ……だが、まぁ、悪くは無いな。

 銭湯がもっと遠くにあればいいのに。

 ホゥは内心、そう思った。








 思ったより長風呂だったし、疲れてしまったのだろうか。

 いつもより早くホゥが寝てしまったので、クァは本を読むのを止め、灯を消してベットの上に乗った。ぎし、と軽くベットが揺れる。

 ううん……。と寝言を言ってホゥがごろりとベットの上で転がる。それを押しのけ、自分のスペースを作ってクァも寝転んだ。

 ホゥの息が首筋に当たり、互いの足がぶつかる。

 シングルベットに無理矢理二人で寝ているので、かなり狭い。

 本当は二段ベットか、もしくはダブルベット辺りを買う予定ではあったのだが、予算やスペースの都合上、断念せざるを得なかった。

 正直な所、年の近い男と同じベットで寝るという事態にクァも思う所はあるが、相手がホゥだからだろう、慣れたとは言えないが、抵抗感は薄れた。


 ―――彼と一緒に暮らし始めて、早くも二年が過ぎた。


 ホゥとの日々は楽しくもあったし、寂しかった心の隙間を埋めてくれた。本当に感謝している。

 くだらないことを言い合い、笑い合い励まし合う。時には喧嘩したり、一緒に銭湯に行ったり買物に行ったりする。

 こういう生活を幸せというのだろうか―――? なら、今の私は幸せなのだろう。そう、クァは思う。


 ―――きっと自分は、彼のことが好きなのだろう。


 そう思った後、すぐさまクァは否定した。そんなバカな。誰があんな穀潰し。 

 だいたい、どうあったって告白なんてできない。

 もしそんなこと言ったら、もし、そんなこと知られたら。からかわれるし、第一、恥ずかしい。誰が言うか。

 そうやって否定し、ガラにも無いことを考えてしまったとクァは恥じた。

 ごつん、とホゥの頭がクァに当たった。

 こいつ、もしかして起きてるんじゃないか――? 苛々しながら疑ったが、寝息を聞くに、当然だが狸寝入りではないと確信した。

「…………」

 ふと思いついて、クァは身体の向きを変え、ホゥと向かい合うような体勢になった。

 今日は、ホゥの顔を見つめながら眠りたい。

 クァは、そう思った。


 ……決して、そこに深い意味は無い。無いったら無いのである。

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自称転生者と女賢者のいる終末世界  暇和梨 @syarecobe

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