第3話 かつての光景を
「……おかしい」
少女がポツリと呟いた。
確かに、少女はおかしかった。
血のような濃い薔薇の髪飾りが特徴的な少女だった。顔立ちはまるで人形のように端正で、瞳も髪も青い。その青い髪とその髪飾りがちぐはぐで、合わないような、微妙に合うような、独特な見た目をしていた。
しかし、それはつい先ほどまでの話だ。
今では血のような濃い薔薇の髪飾りがよく似合う、長い黒髪と黒い瞳の少女だった。
黒を基調としつつ、所々に赤でアクセントをつけたドレスを着込み、いつも持っている年季の入った杖ではなく、服と同じ、黒と赤の混じった傘を持っていた。
気合の入った化粧で、肌は人ではなく陶磁器かと思うほど白く輝き、目にはモノクル眼鏡をかけていた。
近くの屋敷で着替えたが、周囲からかなり浮いて目立っていた。
「まぁ、おかしな服だな。それより、お金の方が問題じゃないか?」
少女――クァの隣に立っている男が尋ねた。
「衣装、かつら、カラーコンタクト、小道具、化粧。……結構な出費になったね。ま、何とかするしかない。……知ってるぞ? ホゥはへそくりを結構溜め込んでいるって」
クァの隣に立っている少年――ホゥが、あらぬ方向を見ながらわざとらしい口笛を吹いた。
クァと同い年くらいの黒髪黒目の少年で、普段は実用性と値段を重視した動きやすそうな服を着こみ、珍しいペンダントをしているのだが、今は違った。
白い手袋と燕尾服を着込み、髪をかっちりと固めている。
行動はともかくとして、外見だけ見れば、二人は立派なお嬢様と執事だった。
やれやれ、とクァがため息を吐いた。
「じゃあ、そろそろ始めるとしようか」
クァがそう言うと、ホゥが頷いた。
「だな。―――では、帰りましょうか、お嬢様?」
そう言って差し出された手を、クァが掴んで微笑んだ。
「ええ。エスコートを御願いしますわ」
実力が乏しくとも、曲がりなりにも賢者であるクァの仕事は万屋のようなもので、ようするに何でも屋だった。
仕事に貴賎はないとして、大抵の仕事は請けるクァだが、実際のところ仕事を選り好みするような余裕がないともいえる。特に、報酬のいい政府関係の仕事を断ることは少なかった。報酬がいいこともそうだが、政府から仕事を貰えるというのは、自分達に箔がつき、仕事が増えると考えているからだ。
自宅近くのカフェで、クァとホゥは依頼者と面会した。
「お久しぶりです、マドモワゼル」
カフェで会った男はシルクハットをとってお辞儀をした。
しわがれた老人の声であったが、覇気の感じる声でもあった。
しかし、外見は老人ではない。それどころか、人ですらない。
きちっとしたスーツを着ていたが、その下からは肌を覆うように、ぴっちりしたタイツが見え、頭には、目のところに穴が開いたバケツを被っていた。
こんな見た目でありながら、塔管理局――政府の最高議会に属するうちの一人であり、バケツ男爵・通称「バロン」という大人物だというのだから、驚きだ。
「お久しぶりです、バロン様」
クァとホゥがお辞儀し、勧められるままに椅子に座った。
「おかけなさい。。好きなものを頼んでいいよ」
バロンはそう言って、メニュー表を渡して来た。それから、ぽん、と手を叩いた。
「うっかりしていたよ。せっかく奢るのだから、もっといいお店に入るべきだったか」
バロンの言葉に、慌ててクァが胸の前で手を振って遠慮した。
「い、いえ。わざわざこちらまでお越しいただいているのに、そこまでしていただくワケにはまいりません」
「遠慮ぜずともいい。ではまぁ、ここで好きなものを頼みたまえ」
「ありがとうございます、ごちそうさまです」
クァに続けて、ホゥもごちそう様です、と言った。
クァは紅茶のケーキセットを、ホゥはサンドイッチセットを注文した。
バロンは何も頼まなかった。というより、できない。バロンは流動食以外の食事を取ることができないのである。
「そういえば、ニィは息災かね?」
バロンがかちゃかちゃと紅茶の入ったカップをかき回すクァを、バケツの向こうで見ながら尋ねた。
「ニィ? ……ニィ・ドラゲリオンのことですか? さぁ……私は知りませんが」
「そうなのかい? ……そうだな、同じ賢者だからといって、密に連絡を取ることもないか」
納得した様子でバロンは頷いた。
「はい。年も近いですし、本当はもっと交流した方がいいのかもしれませんが……」
それからバロンとクァを中心に天気の話題から、政治、経済と知識層らしい小難しい話を繰り広げ、それからようやく本題に入った。
「今回の依頼というのは、本当のところ政府の管轄ではないんだよ。……ただ、長年世話になった一族の者からの頼みでね、無碍にするわけにもいかないのだよ」
両手を組み顎を乗せ、ため息をつきながらバロンは語りだした。
「……というと、どの一族でしょう?」
「依頼人はダテ家の現当主だ」
バロンがそう言うとクァは驚き、ホゥは顔に疑問符を浮かべた。
クァがホゥの脇腹を軽く小突いた。
「なぁ、ダテ家ってどこ?」
ホゥが小声でそう尋ねたので、クァもこそっと、
「本家筋が断絶した賢者の家だよ」
と答えた。
「……かつてはいくつもの逸話を残し名を轟かせたダテ家だが、今では分家筋が残っていてね、その当主が料理研究家なのだよ」
「魔術の家柄だったのに、今ではやめて料理しているんですか?」
ホゥが首をかしげると、バロンがハハハと笑った。
「ダテ家の昔の当主は変わり者でね、多趣味が高じて様々なことをしたのさ。そのうち有名なものが料理と、後ファッションだね。代々、ダテ家はそれぞれ独特のファッションセンスで有名だったよ」
どこか懐かしそうにバロンは言った。
「それで、そのダテ家からどんな仕事をもらえるのですか?」
クァが尋ねると、資料を取り出した。
「この第十七層にある、放置された旧ダテ本家屋敷に入ってとある本を取ってきて欲しいそうだ」
「自分達で入ればいいんじゃないですか?」
ホゥが疑問に思うと、バロンも頷いた。
「そうしたいのはやまやまなんだが、面倒なことにダテ家は滅んでも警備のガーディアンは稼動中らしい。今のダテ家の力ではそれを突破することができないそうだ。本を取ってきてくれるなら、同じように屋敷内に放置された魔術書を贈呈する、とのことだ」
「……随分と太っ腹ですね。残された一族には、魔術書は不要なのですか?」
尋ねると、バロンは肩をすくめた。
「言ったように、今やダテ家は料理研究家なんだ。魔道の研究は難しかろう。また我々も魔術書は魅力的ではあるが、ガーディアンの群れを一掃するテマを考えると人員を割くより、彼らから少しばかりの仲介料を頂くだけのほうがいい。……納得したかい?」
少しだけ考える間をおいて、クァは頷いた。
「……はい、分かりました。ぜひその依頼受けさせてください」
クァがそう言うと、フフフ、とバロンは笑った。
「それでは、以後よろしく」
厄介そうな臭いが凄いな、とホゥは隣で聞きながら思った。
「本当、バロンさんの依頼って面倒くさそうなのばかりだな」
カフェでバロンと別れ、自宅に戻ったホゥはぼやいた。
「確かに。でもバロンさんからの依頼は箔がつくし、見返りも十二分に貰えるからいいじゃないか」
クァがそう言うと、ホゥが肩をすくめた。
「そう言われてもな……。ま、今回もベストを尽くすか」
「そうして」
だけどさ、とホゥは続けて尋ねた。
「ガーディアンなんてシロモノ、どうやって潜り抜けるつもりだ?」
「私がこれからダテ家に接触して情報を集めてみるよ。でも、どうすればいいかはもうだいたい考えてるよ」
へぇ、とクァは感心した様子でクァを見た。
「その辺、結構優秀だなクァって」
「褒めるな褒めるな。照れるじゃないか」
クァはそう言って頬をぽりぽりと掻いた。
「話を聞いた限り、おそらくガーディアン達はマスターを変更されていないんだ。だから、もう亡くなったダテ本家のマスター以外の人物――即ち、あらゆる人間に牙を向けるんだ」
「ふーん、なるほどね。……で、どうするんだ、変装でもするか」
ビシッっとクァはホゥを指差した。
「半分正解。……変装して、その上から認証偽装魔術をかけるよ。それで大丈夫なはず」
クァはウチの先祖って凄いでしょ、とでも言うふうに自信満々な顔をした。
「鍵開けといい、クァの家って一体どんな魔術を子孫に残してるんだよ……」
呆れたように、ホゥはぼやいた。
クァの下調べの結果、当時のダテ家のご息女と執事に成りすまし、二人はダテ本家屋敷に侵入した。
屋敷のガーディアンというのはなかなかに物騒で、銃のような武器を持った二足歩行人型のロボットのような外見をしていた。
「……お嬢様、ワタクシ、この姿に見覚えがあります」
執事になりきったホゥが言うと、お嬢様然としたクァも頷いた。
「エスラン家の最期の方とそっくりですわね。……おそらく、あちらの古代兵器の劣化コピー品でしょうね。能力は勿論劣りますし、あちらと違い魂など感じられません。……とはいえ、十分な脅威なので注意してくださいね?」
「分かりました、お嬢様」
さりげなく周囲を観察しながら、二人は中庭を抜け、正面玄関に向かった。
ギッ、ギッ。
二人が歩くのに合わせ、周囲のガーディアンが顔を動かし二人を見た。
元々なのか風化したのかは分からないが動きは少しぎこちなく、錆びた歯車を回す時のような音がした。
不意に、二人を見ていたウチの一体が回りこむように二人の前に立った。
咄嗟に身構えたが、二人の動揺を意に介さず、ガーディアンはお辞儀した。
「お帰りなさいませ、ダテルミ様」
電子的な声による挨拶に合わせて、別のガーディアンが扉を開けた。
「どうぞ、お入り下さい」
二人は少し逡巡した後、堂々と屋敷に入った。
屋敷は、ピンクや赤、そして黒で構成された、かなり派手な装飾の屋敷だった。既に痛み朽ちているところもあるが、それでも全体からかつての名残が感じられる。ガーディアンが手入れしているのか、何とか最低限の体裁は保つことできている。カーテンは破け床が抜けている所があるのに、埃が積もることもなく虫の一匹として見かけないのは奇妙だった。
二人が入ると、ガーディアンが扉を閉めた。
屋敷の中にも同じようにガーディアン達が周回して警備していた。
「二百七十二年七ヶ月ぶりのご帰還となります。……どちらへ?」
「久しぶりだもの。屋敷の中を散歩するわ。付いて来なくていいわよ」
クァがそう言うと、暫しの沈黙の後、「了解しました」と答え、ガーディアンはどこかへ歩いていった。
「さてと……じゃあ、まずどこへ行く?」
ホゥが緊張をほぐすために伸びをして尋ねた。
「決まっているじゃないか、勿論当主の部屋だよ」
「やっぱり?」
コク、とクァは頷いた。
「魔術書にせよ、依頼された本にせよ、どちらも当主の部屋にあるかの生が高い」
だろうな、とホゥも頷いた。
小声で話し合いながら、対面的には「お嬢様と執事」という姿を貫き、二人は当主の部屋に向かった。
エントランスホールを抜け、階段を幾つか上った所に、当主の部屋は会った。
クァが軽くノックして、それから二人は部屋に入った。
「……もう誰もいないんだから、ノックする必要なんてないんじゃないか?」
「何となくだよ、何となく」
軽口を言いながら踏み込んだ部屋には、ほとんど何もなかった。絵画も何もかも放置されたままのこの屋敷の中でこの部屋だけ、既に誰かが持ち去ったのか、何もなかった。精々高級そうなテーブルと椅子が一人分ある程度で、本当に何も無かった。
「何で……何も無いんだ? ここはダミーで、隠し扉とかあるってこと?」
「無いと思うけど、一応調べてみよっか」
二人でぺたぺたと壁を触って歩いたが、そんなものはなかった。
「こういう所は本棚の後ろっていうのがセオリーなんだがな……」
残念ながら、本棚の後ろどころか、そもそも本棚がない。
一通り探し終え、クァは机の上に座った。
「困ったね。……この服ひらひらして動きづらいし、さっさと終えて着替えたいんだけどな」
「そう? 可愛いけどなぁ、ソレ」
「ありがとう。……そっちも似合ってるよ」
「そりゃどうも。……で、どうする?」
ホゥが尋ねると、クァが顎に手を当てて考える姿勢をとった。
「状況を整理しよう。……政府経由の依頼でまず誰も入れない屋敷に入ったものの、本来当主の部屋にあるはずの物が当主の部屋にない。これはどういうことか?」
「バロンさんの陰謀。わざと捜索の終わった屋敷に俺たちを放り込んだっていうのは?」
「……確かにあの人ならありえる。他の可能性としては、本をわざと別の場所に隠したとか。彼なら獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすとか言ってやりかねない」
「だろ?」
「うん。かなりありえるね。……他の可能性としては、実は、ここは当主の部屋じゃないって可能性かな」
クァの言葉を、ホゥはばっさり否定した。
「いやいや。部屋の前に当主の間って書いてあったじゃん」
「それはそうだよ? でも例えばこの家、もしくは最後の代においては当主はお飾りで、実権は別の人が握っていたとか」
それを聞いて、ホゥは部屋をぐるっと見渡した。
「この部屋にロクにものがないのは、そもそも実権を持たない人の部屋だから……ということか?」
クァは頷いた。
「そう。例えば、嫡流というだけで年若い子供を当主に据えていたとか、当主は病人だったとか。だとしたら当主の間に誰もいた痕跡がないことも理解できる。実生活では、どちらも別の部屋を使っていたんだよ。病人は病室、子供は子供部屋をあてがわれ、当主の間は実際には使われなかった」
ホゥは感心したように頷いた。
「なるほど。まぁ、ありそうといえばありそうだな。……で、じゃあ次どこ探す?」
「この辺りの部屋を手当たり次第に探すしかないよ。たぶん、実質的権力者の部屋も当主の間と近い場所になるはず。どっちも同じく屋敷の中では高位に位置する人だから」
「……本当か、それ?」
「…………たぶん。どのみち、他に方法がないよ」
そう言って、トン、と音を立ててクァは座っていた机から飛び降りた。
ドレスの裾が、ふわっと軽く舞った。
「……しょうがないか」
ホゥはため息を吐いて、クァと共に部屋を出た。
客間や叔父、叔母の部屋、給油室、召使の部屋を探し、ついにそれらしい部屋を見つけた。
部屋の前には特に何も記されてなかったが、部屋の中身からクァが変装している当主の妹――ダテルミの部屋らしかった。
派手な装飾に包まれた館の主に相応しく、華美な内装、広々とした衣装棚、それに天蓋つきの豪華なベットがあった。その一方、高度な魔術について書かれた書物の収められた本棚や、朽ちた羽ペンと書きかけだったらしい風化した紙、木造の、重みのあるデザインの机があり、クァの説通り、この屋敷の実質的最高権力者の部屋にみえなくもなかった。
魔術書も依頼の本も拍子抜けするくらいあっさりと見つかった。本棚に他の本と混じって無造作に入れられていたのだ。
黒い表紙に金字で彩られた魔術書と、「第十七層料理百珍」と書かれた黄緑色の依頼された本だった。
「魔術書は多少の劣化は防ぐようになっているみたいだけど、いくら何でも雑だね……」
少し呆れるようにクァは言った。
一方、依頼されていた方の本はかなり傷んでいた。全てを解読することは難しいだろう。そもそも、外見こそ本という体裁だが、中身はびっしりと手書きされたノートだ。本というより、こういうデザインのノートといった方が正しい。
クァはぺらぺらとノートをめくった。
「しかしさすがはダテ家。派手だな」
感心した様子でホゥは部屋を見渡した。
「だね。……ちょっとだけ、バロン様に似ている」
「そうか? バロンさんが派手なのはスーツなだけじゃないか?」
呆れたようにホゥは言った。
「そうでもない。ファッションにせよ部屋の内装にせよ、骨子……要となる部分は同じ空気を感じる」
「……あいにく、俺には分からん」
「だろうね。……ホゥがもう少しファッションに興味沸いてくれたら、私も服の選びがいがあるんだけど」
クァは肩をすくめた。
「じゃあ出るか。……気になることができたんだろ?」
ホゥが聞くと、クァが首を傾げた。
「……どうして分かったの?」
「それなりの付き合いだから、顔を見れば分かったよ」
「なるほど」
ぱたん、とクァはノートを閉じた。
「……バロン様に聞きたいことができたの。どこでこのノートのことを知ったのか」
今度はホゥが首を傾げた。
「依頼人からじゃないのか?」
「そうかもしれない。でも、これは本っていうより、本当にただただ自分に向けて書いた料理のメモ帳だよ」
「……そんないかついタイトルしててか?」
「それはたぶん遊び心だね。何でもない道具や、それこそペットに大仰な名前をつける人いるでしょ?」
「ああ、なるほど」
ホゥも納得した。
「確かに聞いたことのない料理がちらほら載っているけど、どれもこれも個人の創意工夫で改良したものっぽいし、命を賭して取りに来るほどのものには見えない」
「つまり、ダテ家の子孫の方々が勘違いしているか、バロンさんが依頼をでっち上げたってわけか」
「この本に暗号が記されているとか、何か秘密があるとかしない限りそうじゃないかな」
クァは頷いた。
「でも何より不思議なのは、こんな一個人のメモ帳をどうしてバロン様は知ってるのかってことかな」
分かるわけもなく、ホゥは適当な感じで答えを出した。
「……案外、女房だったとか?」
「そんな馬鹿な」
「だよな」
二人で軽く笑って、それぞれノートと魔術書を持った。
「じゃあ、逃げようか」
「ああ」
ホゥが先頭になって、二人は部屋を出た。
―――ギロリ。
周囲を歩いていたガーディアンが、動きを止めて二人を見た。
「警告します。ダテルミ様といえど、魔術書の持ち出しには事前の報告、及び許可が必要です。取り決めルールに従い、
「そうですか。では、本を戻しておきますね」
クァがそう言って、部屋に取って返そうとすると、ガーディアンが近付いてきた。
「警戒レベルを一つ引き上げます。……――あなたは、本当にダテルミ様ですか?」
その質問に、クァは答えなかった。
ただ、無言で傘を構えた。
クァの瞳は焦点を合わせず、生気が感じられず、ここではない何かを見ているようだった。
次第に、クァの全身が仄かな青い光に包まれる。幾つもの言葉が、その光に浮かび上がる。
「――敵対勢力と認識。排除行動を行います」
ガーディアンはそう宣言した。
ぱらららら。
ぱらららら。
どこからともなく、クァの内側から辞書をめくるような音が聞こえ出した。
「――――我が先人達よ、幾星霜の時を越え、その叡智を現世に現出させよ」 クァがそう言うのとほぼ同じくして、辞書をめくる音が止んだ。
一際鮮烈な光がクァを包み、やがてそれは傘を包み込んだ。
ガーディアンが拳を振りかざしたのと、傘から雷が迸ったのはほぼ同時だった。
ガーディアンの拳がクァに届くよりも速く、雷は轟音と共にガーディアンを貫いた。
「敵ではないよ。ダテ家の子孫からの依頼だからね」
ぽつり、とクァが呟いた。
その間もバチバチと音を立てて、雷が廊下を竜のように駆け回る。
「……相変わらず、それ怖いな」
「私も好きじゃない」
クァはそうぼやいたが、ぼやく暇があるだけマシだった。
すっかり割れている窓から、外から跳躍ジャンプし次々とガーディアンが入ってくる。
「――チッ!」
クァが再び傘を向けると、その先端から雷が飛び出した。
「逃げますよ、お嬢様!」
そう言って、ホゥがクァの手を引いて走り出した。
「下らないこと言ってる場合?」
ホゥに手を引かれながら、振り向きざまにクァが次々と雷を繰り出す。
その額には、既に玉のような汗が浮かんでいた。
「やっぱり、連発は苦しいか……」
廊下を駆け、飛ぶように階段を下りる。
「それだけ攪乱できれば十分ですよ、お嬢様?」
「だから、ふざけてる場合?」
「まぁ、待って。――よっ」
ホゥが立ち止まり振り返り、勢いあまってぶつかりそうになるクァを受け止めると、そのまま抱き上げた。
「……何する気?」
「飛び降りるんだよ、もちろん」
ガーディアンがやったのとは逆に、ホゥは窓から飛んだ。
「――――!」
軽く地響きがなり、衝撃がホゥの足を駆け上がった。
足から嫌な音が鳴り、顔が苦悶に満ちるが、それでもクァを決して離しはしなかった。
「おい……。は、はやく魔術を」
ホゥの悲痛な叫びと、ドスン、とホゥよりも大きな地響きをたてて次々と降りてくるガーディアン達を見て、あわててクァが全身を青く輝かせた。
「――我が先人達よ、幾星霜の時を越え、その叡智を現世に現出させよ!」
ふわっ、と二人の体が浮いた。そのまま、屋敷の敷地内から逃げるべく飛んだ。
「――――逃がしません」
きゅるるるるっ……と音を立てて、機械らしい動きでガーディアンのうちの一体が突進してくる。
「うおおっ!?」
ぎりぎりで運良く拳をかわして地上スレスレを飛び、塀を爆発するように飛び上がって越え、屋敷を出た。
「対象の行動制限区域外への離脱を確認。ターゲットロスト」
攻撃をかわされた、ホゥとクァに一番近かったガーディアンがそう呟いた。「失敗要因。整備不良、エネルギーカノンのチャージ不足と仮定。問題解消不能。報告者及び整備者……応答なし。通常任務に移行します」
ガーディアンは機械的な動きで、通常任務を行うために動き出した。
「死ぬかと思った……」
通行人の不振な者を見る目を無視して地面に横たわりながら、ホゥは言った。
「ホント、死ぬかと思ったよ。……今日はありがとう」
クァがお礼を言った。
「どういたしまして。……つーか、もうちょっと格好よく着地できなかったのか?」
「無理言わないでよ。二人とも無事だっただけで良かったじゃないか」
ホゥがため息を吐いた。
「無事で何よりだよ全く。……それより、早くどいてくれないか?」
「ごめんごめん」
笑って、クァはホゥの上から退いた。
「痛っつつ……」
足を押さえながら、ホゥも立ち上がった。
「大丈夫そう?」
ホゥは足首を軽く回し、顔をしかめた。
「軽く痛めたくらいだな。確かに痛いが、折れてはいない」
それを聞いて、ほっとしたようにクァも息を吐いた。
「ま、ちょっとくらいなら歩けるよ。ガーディアンも出てこないし、とりあえず服を着替えよう」
「そうだね。……ガーディアンはたぶん大丈夫だよ。ああいうのは敷地を外れて動くことができないんだ。あくまで大抵は、だけど」
「そんなもんか」
ホゥは顔をしかめながら、クァに連れられてバロンの待つ屋敷に向かった。
そこは、新築の少し気取ったデザインの屋敷だった。
バロンの別荘であり、十七層での仕事の間、クァとホゥも滞在させてもらっていた。
「その様子では、無事に本は取ってこれたようだね」
優雅に本を読んでいたバロンは、執事に案内されて入ってきた二人を見てそう言った。
「かけたまえ」
そう言って、ぱたん、と読んでいた本を閉じた。
ホゥとクァは無言で座った。
「……これが、依頼されていた本です」
クァがおずおずと「第十七層料理百珍」を手渡した。
それを受け取り、「おお」とバロンは嬉しそうな声を出した。
「これだよこれ。よく見つけてくれたな。ありがとう」
懐かしいな、と呟いて、バロンがぱらぱらと本をめくった。
「……バロン様、今回の依頼の主に会わせて貰えませんか? 聞きたいことがあるのですが」
クァがひとまず切り出した。
「……会っているだろう? 私が依頼者だ」
本から目を上げずに、バロンは言った。
「では、ダテ家の依頼者というのは……」
「クァ君も気付いているから聞いているのだろう? そんな者はいない。こんな私的なノートを欲しがる人間なんて私くらいのものだ」
実にあっさりと、悪びれるでもなくバロンは暴露した。
「私達を……騙していたのですか?」
少しだけ非難するような口調でクァは聞いた。
そこでようやく、バロンは本を置いた。
「まぁ、一面だけ見ればそうなるのかな? 今回の依頼は余り吹聴したいものでもないし、できれば気付かれたくなかったんでね。嘘をつかせてもらったのさ」
「どういうことですか?」
クァは訳が分からず首を傾げた。
その疑問に、バロンは行動で示すべく、自らの被ったバケツを取った。
「「…………」」
そこには、日に焼け痛み黄ばんだ頭蓋骨が乗っていた。脳の部分など幾つか機械が付けられていたが、肉はもうどこにもない。
眼球があるべきところには、うっすらと光るカメラが合った。
「「…………」」
絶句し喋れない二人を他所に、バロンはバケツを被り直した。
「私には『不死』の魔術適性がある。その噂を知っているかい?」
呆然としたクァとホゥに対して、バロンは「それは事実だ」と言った。
「キミが今変装しているダテルミという娘――これは、私の妻だ。ダテ家の真の当主は、私がルミと婚約する大分前に失踪してね」
あの頃は幸せだった、そう、バロンは言った。
「私とルミの新婚生活は幸せ以外の何ものでもなかった。だが、ちょうどあの頃、塔の外へ進出する計画が持ち上がった。そして、――その計画によってダテ一族直系は滅んだ」
遠い昔のことを、怒りも何もなく、ただ語って聞かせるおとぎ話のように言った。
「当主不在で、代理として向かった私達夫婦に待っていたのは、地獄以外の何ものでもなかった。結局妻は死に、私はぼろぼろになりながらも生き残った。いや、死ねなかった。不死の力が、私に死ぬことを許さなかった。……失意の日々を過ごし続け、死ぬ自由すらないという牢獄の中、私は生きた。次第に肉体は腐り、かつてできたことが少しずつできなくなっていった。今ではもう、あのガーディアン達は私を私だと認識しない」
バロンは語り終え、クァを見た。
「……ご愁傷さまです」
クァはぽつり、と呟いた。
「――――」
微かに、だが確かに。しわがれた笑い声が部屋を不気味に包み込んだ。
「もう悲しくなどないさ。あれの顔も声も、もう朧気にしか覚えていない」
「……でも、好きだったんですよね」
それまで黙っていたホゥが言った。
「だから、今回の依頼を頼んだんじゃないですか? 奥さんの手料理の味を、もう一度食べてみたかったんでしょ?」
「………………」
ホゥが尋ねると、バロンは黙り込んだ。そして、机の上に乗っているベルを鳴らした。
ドアをノックし入ってきたメイドが、無言でクァとホゥの前に紅茶とクッキーと、依頼の報酬が入った封筒を置いた。
「その茶もお菓子も、私はもう飲めないし食べれない。それを飲んで行きなさい。……此度の依頼、感謝する」
そう言って、クァの言葉もホゥの言葉も、誰の言葉も届かないかのように、亡き妻の料理の本を読み始めた。
「「…………」」
クッキーと紅茶を味わい二人は無言で頭を下げ、屋敷を出た。
どちらも、とてもおいしかった。
「……ねぇ、バロン様の話、どう思う?」
道を歩きながら、クァが尋ねた。
「どう思うって……。悲しい話だな、とか……。何で俺に聞く?」
「死んだ経験がある身として、不死に対してどう思うかな、と思って」
「そんなこと言われてもな……」
困ったように言って、少しして、ホゥは語った。
「結局、皆自分の人生と向き合って、『死』を受け入れるしかないんじゃないか? ただ俺は早すぎてマトモな答えを出せなかったし、バロンさんはずっとずっと答えを出せないまま何だろ?」
「そういうことなの?」
クァが尋ねたが、ホゥは「さぁ?」と投げやりに答えた。
そして軽くクァの頭を小突いた。
「分からないことに頭悩ますよりも、報酬も入ったしパーっと何か食べて今を楽しんだ方がいいんじゃないか?」
クァも仕返しにとホゥの脇腹を小突いた。
そして、ため息を吐いた。
「…………そうかもね」
ぽつりと呟いて、クァはぼんやりと天井の遥か向こう――空を思った。
風に流れて、無限に変化し続けている雲。
そんな光景が、今も、そして無限に続いていくのだろう。
だから空は誰が見ても美しいのだろうと、クァは思った。
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