第2話 忘れ形見へ

 人族の住む塔は、各界が一つの町ほどのサイズの、途方も無く巨大な塔だった。

 今ではそうでもない。

 塔は劣化し、ぽっきり折れてしまった。

 不幸中の幸いだったのは、哀しいことに、そもそも人口減少で塔の上半分に住んでいたのは一部の物好きくらいだったことで、被害は最小限に留められた事だ。

 それから残された部分を修復し、これを機にと停滞しきっていた人族は少しだけ前を向いたらしい。


 ―――今とは全く関係の無い、六十年以上前の話である。




 タージキリ橋。

 もっときちんとした名前もあるものの、誰もが、観光ガイドの本ですらタージキリ橋と記されている橋が、塔の第十四層の観光名物である。

 橋事態は、ガラス細工の装飾が綺麗な木造の橋に過ぎない。重要なのは、その橋の周辺だった。

 タージキリ橋周辺は紅茶、珈琲のような嗜好品の集まる集積地だった。

 かつてこの層の権力争いで、二人の富豪が自らのシンボルとして、それぞれの好きな嗜好品を取り扱う店を誘致し続けたことが原因で、二人の領地の狭間にあるタージキリ橋を中心に、様々な店が立ち並ぶようになった。

 橋の名前がいったい何なのか、紅茶なのか、珈琲なのか。二人の貴族の喧嘩は結局どうなったのかは、イマイチ後世に伝わっていない。

 それが、この橋の不思議な魅力なのかもしれない。

 そんな橋の近く、人気のない所に奇妙な珈琲屋があった。

 日に焼けたベニヤ板に「加糖連盟組曲屋」と、意味不明な言葉が書かれた看板がかけられていた。

 ここで出される珈琲は、通常の珈琲と香りは同じなのに、苦味が薄く、ほんのりと甘い。魔術で特殊な加工が施されているのである。

 珈琲の苦味は嫌いだが珈琲は飲みたい。ついでに太りたくないから砂糖は入れたくない。

 そんなワガママっこの欲望を満たすためのお店である。

 その店にいつもの常連が、今日は珍しくツレを連れてやって来た。

 常連は、血のような濃い薔薇の髪飾りが特徴的な少女だった。顔立ちはまるで人形のように端正で、瞳も髪も青い。その青い髪とその髪飾りがちぐはぐで、合わないような、微妙に合うような、独特な見た目をしていた。

 服装は、ダークブラウンのローブと年季の入った杖を持った、魔術師然とした服装だった。

 もう一人は少女と同じくらいの年頃の少年で、珍しい、魚の骨を模したペンダントをしている。

 黒い髪と黒い眼をしており、実用性と値段を重視したのであろう、動きやすそうな服を着ていた。

 少女の名はクァ。少年の名はホゥ。クァは賢者であり、ホゥは占い師。二人は、一緒に暮らしていた。

 クァは店主と何気ない会話をしながら、目当ての珈琲を注文する。

 それから買い物が終わると、店主とクァは珈琲談義を始めてしまった。

 置いてきぼりをくらったホゥは、次第に手持ち無沙汰になって、ポケットからタロットカードを取り出して、意味も無くシャッフルし始めていた。

「なぁクァ、いい加減ばーさんの真似して無理に珈琲飲むのやめてさぁ、素直に紅茶飲めよ。お前紅茶派だろ?」

「失礼な。私は珈琲も好きだぞ」

「嘘付け。お前、紅茶の時はこの何倍も時間かけて選ぶだろ」

 ホゥがそう反論すると、初老の店主が肩をすくめた。

「やきもちを焼くな、少年。……それはただ、彼女がここのこの珈琲以外飲めないからさ。いつも同じものしか飲まないからといって、珈琲より紅茶のほうが好きとは限らないだろう?」

「さぁな? 妖しいもんだな」

 ホゥは、クァがいつもお気に入りの紅茶を、台所の戸棚の砂糖壷の後ろに隠していることを知っていた。

「私が何を飲もうが、そんなの私の自由だろう。……ゴメンだけど、後ちょっとだけ待っていてくれ」

 しょうがないのでしぶしぶホゥはクァを待った。その間に、何とはなしにタロットカードで自分の今日の運勢を占ってみた。

 水晶と違い、タロットカードは近くの具体的なことではなく、抽象的であいまいにしか占うことができない。なので、占いの結果はよく分からない。推測で判断するしかないのだ。

 出たカードは神の従者。

 ホゥが自分を占うといつも出てくるカードである。

「俺の人生を捻じ曲げた存在って意味なら、ある意味そうだけど、……っつーか、前のトコだと、確か、神の従者なんてカード無かったよな?」

 ホゥが考え込んでいると、クァが服を引っ張って揺さぶってきた。

「ありがとう。じゃあ、人を待たせているから、これで。行こう、ホゥ」

 そう言って歩き出そうとしたクァを、店主が呼び止めた。

「まぁ待ちなぁ、嬢ちゃん。いつも贔屓してもらってるお礼だ。これをやろう」

 店主はそう言って小さな木箱を取り出した。

 複数の木材を組み合わせて作られた木箱で、一つの面に錠前がついていた。

「これは?」

「さぁな? この前骨董市で鍵が無ぇって、安く売られてるのを買ったんだ。ほら、嬢ちゃんなら、こういう不思議な物を欲しがると思ってな」

 それにだ、と店主は付け足した。

「ここ、お前んトコの家名が彫ってあるだろ。気になるだろ?」

「……! 本当だ。ありがとうございます。祖母の遺品です! これ」

 木箱の裏にハゥ・シュマロマと祖母の名が彫られているのを見て、クァは興奮気味にお礼を言った。

「はは。いいってことよ。これからも、ウチをよろしくな」

 勿論とクァは言って、ホゥの手を引っ張って駆け足気味に帰った。

 慌てるなよ、とホゥはぼやいたが、クァの耳には届かなかった。



 クァは脈々と『賢者』を輩出してきた高名な家柄であり、家はそれなりに大きかった。……過去形であり、現在はそうではない。

 一部屋だけの小さなアパートが、今のクァの住処だった。

「また変なの物を貰って来て。ただでさえ、家はもう狭いってのに」

「愚痴愚痴言うな。小姑かキミは。というか、家事をロクにしない分、小姑より酷い」

 二人は軽く言い合いながら、息の合った動きでテキパキと洗い物を片付けていた。

 二人が頂いた木箱に取り掛かったのは、昼ご飯とその片付けが終わった、昼過ぎのことだった。

 テーブルを挟んで二人で座って、珈琲を飲みながらクァは首を傾げた。

「……うーん、変だなぁ」

「どうした、買い直した椅子、もう壊れたのか?」

「違うよ。……この木箱、魔術がかけられてるの」

 へぇ、と少しだけホゥも驚いた顔をした。

「マジか」

「マジマジ。………うん、まぁ、開けてみれば分かるか」

 そう言って、クァは玄関から杖を持ってきて構えた。

 年季こそ入っているが、華美な装飾があるわけでもなく、ごく普通のシンプルな木製の杖だった。 


 クァは杖を木箱に向け、目を瞑り……そして開けた。

 瞳は焦点を合わせず、生気が感じられず、ここではない何かを見ているようだった。

 クァの全身が仄かな青い光に包まれる。幾つもの言葉が、その光に浮かび上がる。

 ぱらららら。

 ぱらららら。

 どこからともなく、辞書をめくるような音が聞こえる。

 それは、彼女の体の内側から鳴っているように感じられた。

「――――我が先人達よ、幾星霜の時を越え、その叡智を現世に現出させよ」 クァがそう言うのとほぼ同じくして、辞書をめくる音が止んだ。

 一際鮮烈な光がクァを包み、やがてそれは杖を通して木箱に放出される。

 かちゃり、と鍵の開く音を、ホゥは聞いた気がした。


「お、開いたな」

 ホゥがひょいと手に取ると、中からコロン、と一際小さな木箱が出てきた。

「またか? まるでマトリョーシカだな」

 そうぼやいてホゥは木箱を机に戻して、クァに向かって指で弾いた。

 クァがそれをキャッチして、木箱を触りながら難しそうに眉を顰めた。

「こっちの木箱は駄目だね。単なる開錠魔術だと開けられないみたい。かなり高度な抗魔術結界が張られてる。……でも、見たいなぁ。おばあちゃんの遺品、見たいなぁ……」

「そんなに見たいなら、探せばいいじゃないか」

 はぁ、とクァがため息を吐いた。

「探すったってどこで? 店主さんは骨董市で買ったって言ってたよね? また出店するか分からないよ」

「そりゃそうだけどさ、ないとは言いきれないだろ? ちょうど……えー、ひいふうの、……五日後か。五日後にはまた市が開かれるんだからさ、行けばいいじゃん」

「気軽に言ってくれるね。無駄骨だとイヤだよ」

 そう言って、クァはちらちらと部屋の隅に置かれた水晶の方を見た。

「……そう言うなって頑張れよ。ばあさんの遺品のためだろ」

 あえて、ホゥはクァのアピールを無視した。

「そう怒らないでよ。ねぇ、占ってくれない?」

 クァが少し屈んで、両手を祈るように合わせながら上目遣いでホゥを見た。

「占い? 何のことかな? 占いを当てにしすぎるのはよくないな」

「この間、お屋敷に行った時は悪かったけどさ、お願いだよ」

「ええ~、どうしよっかな~。あの時は、全身蜘蛛まみれになっちゃったからなぁ……。思い出しただけでも寒気がするし」

 ホゥがにやにやと楽しそうに笑った。

「お願いします、は?」

 クァが引きつった笑みを浮かべた。

「いつまでもいつまでも、昔の話をねちねちねちねちと。ちっちゃい男ね」

「何が昔だ、最近のことじゃねーか! ほら、お願い致します、は?」

「くっ…………!」

 屈辱だ、とクァは忌々しそうに言った。

「………お願いします」

「よろしぃ」

 満足気に頷いて、ホゥはクァに水晶を持ってこさせた。

「後で覚えとけよ……」

 ぼそりとクァが言った言葉を無視し、ホゥは水晶に両手を触れた。


 クァが魔術を使う時ほどではないが、ぽぅっと、うっすらと水晶が青く光り始めた。

 魔力というエネルギーが、ホゥの体からゆっくりと、少し不慣れな、不器用な流れではありながらも、静かに水のように水晶に注ぎ込まれる。

 こぽぽ。

 こぽぽっ。

 こぽぽぽぽっ。

 水晶から、水が泡を産む時のような、優しい音が生まれてくる。

 ホゥはこの時、水晶は生命の揺り篭たる海に繋がっているのではないか、全ての始まりだからこそ、全てを見通す力を持つのではないかと感慨に耽り、不思議な気分になる。

「―――未来よ、我らが愛しい未来よ。希望に満ち満ちた夢を、破滅を退ける幻を、慈しむべき夢幻の泉の雫を、ここに落としたまえ―――!」


 ぽちゃんっ。


 どこからともなく水が落ちる音が聞こえ、そのたった一滴だけで、やがて水晶の中が何かで満たされていく……。

 次第に水晶の中に、何かがうつり始めた。

「……どう?」

 ホゥは難しい顔をした。いつものことだが、水晶にうつるのは、明確な未来ではなく、あくまで占い。確定された未来でもなく、断片的で、変わる可能性のある未来である。未来は不安定で移ろいゆくものなのだ。

「………五日後の骨董市はダメだな。これは……パンケーキか? たぶん何も見つからず、しょげてパンケーキを食べているんだな、こりゃ」

 ぼんやりとうつった、しょげてパンケーキを食べるクァの姿を見て、ホゥはそう推測した。

「じゃあ、骨董市に行くのは止めておこうっと。で、どうすればこの箱を開けられるの?」

 ホゥはいらいらと頭をかきむしった。

「そう言われてもな。神託じゃあるまいし、そこまで分からねぇよ……取り合えず、この骨董品は誰のものかで見るとするか」

「そりゃおばあちゃんだよ。……あ、でもそうか。おばあちゃんからどういう経緯で骨董市に流れたのか知ることができたら、何か分かるかも」

「だろ? じゃあ、もいっちょ見てみるか……!」

 水晶で見ることができるのは、未来だけではない。過去もまた、遡り見ることができる。寧ろ過去を遡り……、モノの“人生”の歩みを遡るほうが得意といえた。未来と違い、過去は既に確定している分、ズレが少ないのだ。

 もう一度水滴が落ちる音がして、水晶に新しいものがうつった。

「うん? お前のばあちゃんなんてうつんねーぞ。たまたまかもしんねーけど、……なんか、所有者がはっきりしないな。相当色んな人の間を渡り歩いた物らしい」

「ええ? じゃあ、おじいちゃんかな」

「どうだろうな……。うーん、これは……」

 水晶の中には、無数の本棚と、時代が違うのか、知っているものと少し違うものの、それでもどこか見慣れた町並みが見えた。―――その町には、タージキリ橋が遠くに見えた。

「こいつは、かつての図書市かな?」

 タージキリ橋周辺では、不定期に様々な市場が開かれる。それには骨董市だけではなく、古書を扱う図書市というものもあった。

 その図書市で、ぼんやりと油絵のように、数人の若者が屯している姿が見えた。

 顔までは見えないものの、一つだけ分かったことがあった。

「たぶん、分かった。レェさんに聞けば分かる」

「レェさん?」

「ああ? 猫耳がある人がうつったし、多分そうだろ」

 不思議そうな顔をするクァに、ホゥは頷いてそう答えた。

 レェ・グレースは、塔では非常に珍しい人以外の種族の女性である。

 猫人族という、頭の上についた猫のような耳と、外見が若いまま変化しないことが特徴的な種族の女性で、何十年もあの橋周辺で暮らしている。

「レェさんかぁ。あの人の連絡先知らないんだけど、いつ会えるかな」

「十日後の図書市だろ。あの人、今や図書市のアイドルじゃん」

「……それもそうか。じゃあ、十日後の図書市まで結果はおあづけか」

 残念そうに言ってクァはため息を吐いて、ホゥの水晶と一緒に、木箱も部屋の端に置いた。




「塔の外」「魔女の秘法」「英雄王ギルスの受難」「月刊クルクル」

 タージキリ橋周辺が、今日は様々な雑誌、書籍で埋もれていた。

 図書市である。

「アップルページ七号 簡単♪七層流お料理」「王様のひみつ」「八賢者列伝」

 塔の上から下まで、様々な時代の本が集まるとさえ言われているその市は、いつも通り、多くの人で賑わっていた。

 そして、その中でも一際大きな人だかりに囲まれているのが、レェの「福猫本市」である。

「箱庭世界の脱出法」「希少人種・異世界転生者目録」「高慢なエルフ族との付き合い方」「パドラ戦争の全て」「英雄王伝説3~ギルス王子と空より来る姫~」

 レェの本屋の強みは、その品揃えにある。

 長年培ってきたコネクションと、「人族ではない」という特徴を活かし、年代モノの作品や、何よりも、塔の外から人以外の種族が書き記した書物を仕入れてくるのが上手かった。

 それは塔の中で暮らし続ける人族にとって、とても貴重で興味深い本達だった。

「ラピオ・ドラ(婚姻のしきたり)」「エンガ(祈り)」「バイブク(エルフ神話)」

 異種族の言葉で書かれた本は解読が難しいが……。そのぶん、タージキリ橋周辺の喫茶店で、くつろぎながらゆっくりと解読するのは、格別の娯楽だと言われていた。

 そして解読が終わる頃、再び図書市が開かれ、またレェの本屋に向かうのである。

 またそれ以外にも、彼女に会うために本屋に向かう客もいた。

 レェは既に図書市のアイドルとして認知されており、観光ガイドブックにも載り、彼女に会うために他層から来る客もいる。

 今日は黒いゴスロリ衣装を着て、彼女自ら接客をしていた。

 どこか幼く、可愛らしい顔立ちと、塔では珍しい猫人族という種族から彼女は大人気だった。……勿論それは、たった一人の異種族でありながら、周囲に受け入られるよう努力した、彼女の努力の賜物でもあるが。

「これは無理だな。とても近寄れない」

 早々にクァは断念した。

「だな。ていうか、今行ったら商売の邪魔だな」

 仕方が無いので、二人で福猫本市がよく見える、いつもは使っていない喫茶店に入った。

「ロビンソン」という紅茶専門の喫茶店だった。

 木造の、アンティーク調の装飾が特徴的で、今日が本市だからか、それとも普段からそうなのか、市は客で溢れかえっていた。

「この紅茶を二つ。それにケーキを」

 クァが注文をつけ、二人は偶然空いていた窓際の席に座った。

「この紅茶で良かったよね?」

 クァが指したのは、有名ブランドの茶葉ではなく、この層近くで取れたという安い方の茶葉だった。

「何でもいいよ。……正直、紅茶はよく分からないし」

「……人のこと、紅茶派なのに珈琲党の裏切り者扱いするくせに、自分は無所属ってどういうことなの、本当」

 ホゥは聞こえない振りをして紅茶を飲んだ。……ほんとうに、うまいな、ということくらいしかホゥは思い浮かばなかった。

 その後しばらく茶葉やお茶の入れ方について語り始めたクァを適当に聞き流し、ホゥは暇潰しに買ってきた本を取り出した。

「希少人種・異世界転生者目録」

 気になって、レェの店に並んでまで買ってきた本である。

「何? 同族が気になるの?」

「そりゃあ、まぁ。俺はたまたまクァと暮らしてるけど、他の、同じような身の上の奴らはどうなのかなって気になるじゃん」

 そう言って、ホゥはぱらっと本をめくった。

『人族と外見的には同じであり、同種とされることもあるが、彼ら異世界転生者は別種の生命体である。

 彼らは多くの場合この世界に、以前の世界と同じ肉体を備えてやって来る。 とりわけ特別な力を持つ例もあるが、そうでない者もいる。どちらにせよ、非常に希少な種族であり、外見が同じため、発見例は少ない。

 また、その性質上異世界転生者でありながら浮浪者のような生活の末、命を落とす者もいると思われる。過去に、浮浪者が異世界転生者を名乗った事件は三件起きているが、いずれも虚言であったことが確認されている』

 そう簡単な異世界転生者の説明があり、それから、過去に実際に異世界転生者と認められた人物の紹介に移った。


『ジョン・タイター 中年男性。アメリカという世界から来たらしく。移動装置のミスでこの塔に来たと証言している。その後、一日とたたずに消えてしまった。捜索したが見つからず、おそらく、その移動装置というものを使って何処かへ移動したと思われる』


『アガサ・クリスティー 女性。意識が混濁しており、詳しいことは不明。時折ポワロという言葉を呟き、しきりに何かを握るような動きをしていた。ためしにペンを持たせたところ、見事な小説を書き上げた。その後、僅か発見から十一日で忽然と姿を消してしまった。彼女が残した小説はベストセラーとなり、推理小説という分野の礎となった』 


「すげぇけど、参考にならねぇ……!」

 本のほとんどは、異世界転生者について研究者が語るという、ホゥにとっては知っている答えを多くの人が想像で語るという、余り意味の無い話ばかりで、数少ない異世界転生者の記述もほとんど参考にならなかった。

「駄目だったみたいだね」

「ああ。そりゃ、アイツがこの世界に俺をぶち込むわけだ」

 あの忌々しい奴め。とホゥはぼそりと言った。

「……そっちは何読んでるんだ?」

 今更ながら、ホゥが尋ねた。

「これこれ」

 クァは本の表紙が見やすいように、開いていた本を机に立てた。

「アップルページ七号 簡単♪七層流お料理」

 そう表紙には記されていた。

「面白いか? それ」

「料理のラインナップを増やすことは大事だよ。……ロクに料理をしない、誰かさんには分からないだろうけど、ね」

 藪をつついて蛇が出たな、とホゥは後悔した。

「そ、そろそろ行こうぜ。もう図書市終わって人減ってきたしな」

「くっ……。相変わらず、逃げるのが上手い……!」

 残念そうなクァを置いて、ささっと会計を済ませてホゥは外に出た。

「全く。……今日は、料理をしてもらうよ?」

「はいはい……はいはい……」

 適当に手を振ってごまかしつつ、ホゥはレェに近付いた。

「すいませーん、ちょっといいですか……」

 ホゥが声をかけると、奥からはいはいはいな、と妙に落ち着いたハスキーな声が聞こえてきた。

「何か御用?」

 奥から出てきたのは、朝と同じ黒いゴスロリ服を着た女性だった。

「すいません。ちょっと伺いたいことがありまして……。これをご存知ですか?」

 尋ねながら、クァは例の木箱を取り出した。

「…………これは! 懐かしい。とっても懐かしい玩具ね。どこで見つけたの?」

 びっくりしたような顔をして、彼女は聞いた。

「加糖連盟組曲の店長さんから頂きました。骨董市で買ったと伺っています」

「それたぶん嘘ね。案外、もらったのかもね、あなたのおばあさんから」

「! 私のことをご存知なのですか?」

「いや。でも分かるよ。どことなく顔つきが似てるし、何よりその髪飾り。あなたがシュマロマ家の賢者さん、でしょ?」

 そう言って、いったん奥に戻ってレェは珈琲の入ったカップを三人分持ってきた。

「どうぞ」

「「ありがとうございます」」

 礼を言って、二人は珈琲に口をつけた。

「う……」

 思わず、クァが顔をしかめた。

「ふっ。……あなた、珈琲が苦手なの? そこは祖母に似なかったみたいね」

 そう言って、彼女はおいしそうに珈琲を飲んだ。

「加糖連盟組曲の珈琲なら飲めるんですが……」

「あれは邪道じゃない? 珈琲は、苦いのがイイのよ」

 そう言って、涼しい顔でレェは珈琲を飲んだ。一方、さり気ない一言だが、クァは割とでかいダメージを受けた。

「ええっと、そ、それで、結局これは何なんですか?」

 クァの問いに、ふふっとレェは笑った。

「私がそれを答えてもいいけれど、箱を開けてからの方がいいでしょう」

 そう言って、レェは木箱を手にとって、ポケットから鍵を取り出した。

「念のためとっておいてよかったわ。もう、鍵じゃなくてお守りみたいなものだけど」

 そう言って、レェが鍵穴に差し込み捻った。

 がちゃりと音を立てて、鍵は開いた。

 そして―――、中からもう一つ木箱が出てきた。

「本当はこの箱も、全部この鍵で開くんだけど、それじゃ味気ないわね。この木箱をカフェ・オリオンの店主と時計屋クロノスの店主に渡してくれる? それで分かるはずだよ」

 どうやらこの場で、彼女は教えてくれないらしい。クァはそう判断した。

「分かりました。では聞いてきます」

「うん。……あ、せっかくだし、その珈琲は全部飲んでね」

 そう言われて、クァは気合で一気に飲み干した。

「くっ……」

「やっぱりクァは紅茶派じゃん」

「煩い」

 八つ当たり気味にクァはホゥの胸を軽く叩いた。 

「仲のいいこと。……ということは、君が八賢者の家に居候しているというホゥという男か」

「え。……なんで知ってるんですか?」

「勿論。八賢者の家に居座る半分ヒモの男なんて有名人に決まっているだろう」

「べ、別にヒモじゃなですよ」

「じゃあ、家賃払ってよ」

 クァが手を出した。

「………………ちょいちょい仕事手伝ってるじゃん?」

「だからといって、全く払わないのはどうかと思うよ」

「時々払ってるよ!」

「本当に、とっっきどっっっきだよね?」

「う……」

 次第にホゥがクァにやり込められ、臨時の仕事の約束をさせられるのを、レェは面白そうに見ていた。

「夫婦漫才もいいけど、そろそろお店がしまっちゃうよ?」

「! いけない、急がないと」

 レェにお礼を言って、クァはホゥを引っ張るようにして、まずは時計屋クロノスに向かった。



「「懐かしいねぇ」」

 時計屋クロノスの店主も、カフェ・オリオンの店主も、二人とも全く同じことを言った。

 それから、持っていた鍵を差し込み捻った。

 クロノスの店主の場合、また一回り小さな木箱が出てきた。最後、カフェ・オリオンの店主が鍵を差し込み捻ると、中からはもう木箱ではなく――一枚の紙切れが出てきた。

「読める?」

「いや、読めないよ。祖母の字だと思うけど……。古すぎて、もう紙が痛んでぼやけてる」

「いつもの時間、いつもの場所に、だよ」

 カフェ・オリオンの店主はそう言った。

 サービスだ、そう言って、店主はグリーンティーの入ったカップとケーキを二人の前に置いた。

 カフェ・オリオンはこの辺りでは少し珍しい、緑茶専門の喫茶店だった。

「私とクロノス、加糖連盟組曲のじじぃどもは幼馴染でね。三人とも、このタージキリ橋周辺で育ったのさ」

 懐かしそうに、遠くを見つめながらオリオンの店主は言った。

「私ら三人と、それにレェとハゥの二人で、若い頃はよく集まった。ただ……、長くは、入られなかったがね」

「どうしてですか?」

 ホゥが聞くと、店主は、悲しそうに笑った。

「仕事だよ。私ら三人はずっとこの町にいるが、あの二人はそうじゃない。レェは貿易商。ハゥは賢者だ。……特に、あの頃はちょうど塔が倒壊した頃だったからな。賢者だったハゥさんは、仕事に追われて、この十四層どころか、塔の中に戻ることも珍しい常態だった。仕方が無いといえばそうなんだがな。……そこでハゥが作った玩具がこれだ」

 そう言って、店主は木箱を手に取った。

「こいつがハゥから郵便で送られてくる。俺たちは、自分のぶん、つまり一つだけ鍵を開けて次の奴に送る。最後の奴だけが箱の中を見ることができるが……、箱の中はだいたい決まっていた」

「それが、いつもの時間、いつもの場所に ですか?」

 店主は頷いた。

「でも……じゃあ、なんで加糖連盟組曲のおっさんはコイツにこれを渡したんだ」

「おそらくだがな……魔が差したんだろう」

「どういうことですか?」

 クァが聞くと、店主は肩をすくめた。

「……お前のばあさんは、亡くなってしまった。だから、孫のお前に代わりをして貰いたかったんだろう。……詳しいことは本人に聞け。あいつの店は、まだ閉まってないはずだ」

「分かりました。そういうことであれば、行ってみます」

「ああ。それと、奴に伝えておけ。またいつもの時間、いつもの場所で会おうとな」

 二人は店主にお礼を言って、店を出た。

「思いもよらない結果になったな」

「そうだな。びっくりしたよ。……こんなお茶目なこと、おばあちゃんやってたんだ」

 切なそうな声を出してクァは言った。

「……行くか。今日はこれで最後だな」

「ええ」



 二人が加糖連盟組曲に向かうと、既にレェが店主とお茶をしていた。

「お、来たか。遅かったじゃないか」

 珈琲を飲みながら、店主は軽い調子で言った。

「調べるの大変でしたよ。……なんで、こんなことをしたんですか?」

「大方ハゥが死んだから、代わりにして貰いたかったんだろう? お前はあいつに惚れていたからな」

 レェがあっさりとそう言った。

「……私と祖母が似ていると言ってもらえるのはうれしいですが、私と祖母は別人です」

 そう断言し追撃するクァを、慌てて店主が否定した。

「ばっ、違う違う! だいたい、レェも一体いつの話をしているんだ」

「はて、どうだか」

 面白そうに、レェはにやりと笑った。

「俺が嬢ちゃんにあれを渡したのは、それがハゥの遺言だからだ」

「祖母の?」

「ああ。俺達皆が六十を越えた時、こうして再び茶会を開く。その合図を、孫にさせるってハナシだった。……あえてちゃんと説明しなかったのは、ちょっとした悪戯心よ。嬢ちゃんところの穀潰しの小僧、の辿ってきた人生を見ることができる占い師なんだろ? 小僧がきちんと働いているか知りたくてな。この様子じゃ、ちゃんとしているらしい」

 満足そうに店主は頷いた。

「余計なお世話だ」

 やれやれ、といった様子でレェはため息を吐いた。

「昔から、向こう見ずの行き当たりばったりの、悪戯小僧なの。思いつきで、変な名前の珈琲屋始めるくらい」

「うっせーよ! そういう悪戯小僧と結婚したお前はどうなんだよ!」

「「えっ」」

 思わず、クァとホゥの二人は、店主とレェを見た。

「犯罪だな。通報しよう」

「違う。こいつと俺は同い年だ」

「ものすごい言い訳ですね……」

 少し引きながらクァが言った。

「本当だ!」

「本当本当」

 あっさりとレェも認めた。

「このことがバレたら、レェファン倶楽部の人に殺されかねないな」

「だから言わないんだよ、普段な」

 店主はそう言って珈琲を飲んだ。

「では、分かったので、私達は帰りますね」

 そう言って、クァは立ち上がった。

「何でだ?」

 不思議そうに、店主は尋ねた。

「何でと言われても……、もう夜遅いですし」

 そう言うと、店主が「あいつら……」と呟いた。

「あのじじぃども、ちゃんと説明しなかったみたいだな。いつもの時間、いつもの場所に っていうのは、ちょうど今、のことだ。この店は元々俺の自宅なんだ」

 それから、店主はクァとホゥ、二人分の珈琲と、レェの土産だという異国のお菓子をテーブルに置いた。

「もうすぐ、時計屋とカフェのじじぃも来るだろうから、ゆっくりしていけ。せっかくだ、お前ら二人も楽しんでいけ」

「いいんですか?」

 店主は頷いた。

「老人達だけで楽しんでどうする。この伝統は、お前らの代にも受け継いで欲しいしな」

 店主は笑ってそう答え、レェもまた頷いた。


 それからまもなくして、店主の言葉どおり、時計屋とカフェ・オリオンの店主もやって来て、楽しい一晩を過ごした。

 クァとホゥに、月に一度の、夜更けのお茶会の習慣が生まれたのはこのためだった。

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