自称転生者と女賢者のいる終末世界
暇和梨
第1話 古屋敷の魔女
住人が死んで放置されて早くも三十年が経過しているので、遺跡と言っても一応、差し支えないだろう。
埃が床に積もり、虫の住処となったそんな屋敷を、二人の人間が歩いていた。
一人は、血のような濃い薔薇の髪飾りが特徴的な少女だった。顔立ちはまるで人形のように端正で、瞳も髪も青い。その青い髪とその髪飾りがちぐはぐで、合わないような、微妙に合うような、独特な見た目をしていた。
服装はフードを脱いではいるが、茶色のローブと年季の入った杖を持った、魔術師然とした服装だった。
もう一人は少女と同じくらいの年頃の少年で、珍しい、魚の骨を模したペンダントをしている。
黒い髪と黒い眼をしており、実用性と値段を重視したのであろう、動きやすそうな服を着ていた。
屋敷の中は湿気でしっとりとしていて、おまけに真っ暗だった。時間帯や天気の問題ではなく、廃棄区画に位置することが問題だった。
「八賢者の元屋敷だというのに……。誰も手入れしていないんだな。盗人も沸いているかと思ったんだけどな」
少年がそう呟いた。
「ホゥのいた国だと、こういう所は生前の資料を展示して観光スポットにするんだっけ? ……まぁ、賢者なんて、昔はそれなりにいたからね」
ふーん、と少年――ホゥは興味なさそうに答えた。
「今じゃクァともう一人しか、八賢者の血を継ぐ人がいないのにな」
「……所詮、人族なんてあっけないもんさ」
少女――クァがそう言って、持っていたランプを屋敷の見取り図にかざした。
三階建ての広々としたお屋敷で、使用人に当てられた部屋の多さから、当時の豪勢っぷりが窺えた。三十年前に遺族が金になる物は全て売ってしまったようだが、当時は数々の装飾品も屋敷に飾られていたらしかった。今二人がいるのは、その屋敷の最上階。一つの絵が掛けられただけの部屋だった。
かつては他にも装飾品があったようだが、今は金にならなさそうな絵が一枚あるだけだった。
それは、部屋を描いた風景画だった。無数のぼんやりと描かれた肖像画と、それに囲まれたくっきりと描かれた木製の机。そしてその上に、青紫色のカバーに金色で文字が書かれた本があるだけの、薄暗い風景画だった。
「何度見ても……やっぱりこの部屋だよ。魔術書がある“継承の儀”を執り行う部屋は」
クァはそう断言した。
「そう言われても、この部屋にそんな物、どこにもないぞ?」
ホゥの言ったとおり、部屋の中には絵しかなかった。
「そうだね」
そう言ってから、クァはちらり、とホゥと絵を交互に見た。
「……帰らないか?」
「ダメ」
ホゥの提案を、クァが却下した。
「ホゥが言ったんじゃないか、今日の私は厄日だって」
「占いでそうでたってだけだから。当たるかも、だから」
「当たるかもでしょ? じゃあ、私よりもホゥがやった方がいいよね、勿論」
「俺は俺自身を占ってないんだよ!」
ホゥは占いの魔術適性を持つ、占い師である。そして、占い師は水晶によって、自身を占うことを禁忌としていた。
「誰が、路頭に迷っていたキミに家を貸してあげているんだ? ……いやそれだけならこんなこと言わないよ。キミ、いつになったら払う払う言ってる家賃を払うの? 家事はいつしてくれるの? いつのまにか料理は私の担当になってるし。交互にするはずの洗濯も、たまにすっぽかすし」
「は、払います払います。お金が出来たら払いますって。……家事については、面目ないです」
「払う払う詐欺はいいから、さっさとやってくれる?」
「了解であります!」
クソ、とホゥは内心毒づいた。全て事実で、客観的に悪いのは完全にホゥなので、今回は文句を言えなかった。……いや、共同生活している以上、ホゥ側にも不満はいくつかあったが、言ったら水掛け論になり喧嘩になるだけで、こんな廃棄区画くんだりまで来てまで喧嘩したくなかったので、ホゥはしぶしぶ従うことにした。
おそるおそる、ホゥは風景画に近付いた。
……残念なことに、クァと違い、ホゥには風景画から『何か不気味だな……』ということ以外、情報を得ることが出来ない。ホゥには占い師としての魔術適性以外ないのだ。長く経験を積んだ高位の占い師はともかく、ホゥ程度には具体的な脅威を把握する予知じみた行為は難しい。
取り合えず、額縁を握って風景画を降ろそうとするが、びくとも動かない。接着剤で固定しているかのようだ。
「ダメよ。三十年前、遠縁の方がこの屋敷を売り払おうとしたけど、この絵が外れないせいで不気味で買い取り手がつかなかったそうだから。壁ごと破壊しようともしたそうだけど、かなり強固な防御結界が張ってあって、ダメだったんだって」
思わずホゥは舌打ちしたくなった。
「……この女アマ、そういうことは最初から言え」
にこにことクァは笑った。
「つまり、その絵の中に入って、魔術書を手に入れてくるしかないの」
……ホゥは子供の頃に読んだ、一休さんという御伽噺を思い出した。
「嫌な予感しか、しないんだけど」
「そうね。でも、私今日の運勢悪いし」
クァはまるで占い好きの少女のようなことを言って、ニコっとわざとらしく微笑んだ。
……しばらく、頼まれてもコイツのことを占うのはよそう。ホゥはそう決心した。
……そして、しばしの躊躇の末、ホゥは風景画に手を触れた。
「……エスラン家の継承の間?」
「そ。そこに魔術書が隠されているらしいの」
クァがホゥにそう言った。
ホゥはいつもの場所で占いに来る客を待って待って待ち続け、数人の客を相手にした後、住まわせてもらっているクァの家に帰ってきた所だった。
クァは脈々と『賢者』を輩出してきた高名な家柄であり、家はそれなりに大きかった。……過去形であり、現在はそうではない。
一部屋だけの小さなアパートが、今のクァの住処だった。
木製の机に座りながら、クァは言った。実家から持ってきた椅子はこの前折れてしまった。祖父の代からの品だというので、さすがに寿命だろう。
ホゥは残ったもう一つの椅子に座りながら話半分に話を聞いていた。
エスラン家は、クァのシュマロマ家と同じく、『塔の八賢者』に名を連ねる魔術の名門一族だった。しかし三十年前、病死によってエスラン本家唯一の生き残りが亡くなった事で、一族の輝かしい歴史は幕を閉じたそうだ。エスラン家の遠縁はいたが、魔術に疎く才能があった人間もおらず交流も無く、本家がその歴史に幕を閉じた時、残っていた物は金になるもの全て売り払い、本邸は売れ残り放置されそのままになっているそうだ。
「……ねぇ、ちゃんと聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。……でも、それはそれとして、勝者の特権を味合わないと。……アア、イイイスダナー」
「安い勝者ね」
確かにただじゃんけんで椅子と机どっちに座るか決めただけだが、勝者は勝者だ。
はぁ、とクァがため息を吐いた。それから眠くなったのか欠伸をして、体を伸ばした。
それにつられて、クァの胸が揺れた。……自分の目と同じ高さで、しかも近くでクァの胸が揺れるのを見て、ホゥは勝ってよかった、と思った。
「……あんまり、そんなじっと見ないでくれる?」
半眼で、クァは言った。……取り合えず、ホゥは話題を逸らすことにした。
「場所は?」
「廃棄区画」
うげぇ、とホゥは嫌な顔をした。
「それじゃあ、手入れなんてされてるわけ無いか……。申請書も必要じゃないか?」
「取って来た。明日行くからね」
「明日ね……。随分と早いな」
「兵は神速を尊ぶ、よ」
そう言って、クァはウインクした。
「お前は兵じゃなくて賢者だろ?」
ホゥはノーリアクションでそう言って、面倒臭そうにため息を吐いた。
「ツッコミありがと。……じゃあ、いつも通りお願い」
クァがそう言って、水晶を指した。
「はいよ」
もう手馴れたもので、ホゥはさっさと水晶でクァの明日の運勢を占った。
「…………良くないね」
「やっぱりトラップがあるってことなのかな?」
「さぁ? 占い師が言うのもなんだけど、所詮占いは占い。予言じゃないからね」
「そりゃあ、ね。でも、せめてもうちょっと具体的に占えない?」
当然ながら、クァはそう要求した。
「うーん……。これは……虫かな? 虫には気をつけて」
「どんな虫?」
「まるっこいね。ぼんやりしてるな。場所がそもそも暗いのかな?」
「ええ~。嫌だなぁ。……そこで私はどうしてるの」
「いや。そこまでは」
「そう」
そこまで難しそうな顔をしていたクァが何か思いついたのか、嬉しそうに顔を上げた。
「何か。思いついたの?」
「うん。これで明日はバッチリだよ」
「それは良かったな。これで俺も大助かりだ」
「……そうね♪」
クァはそう言って微笑んだ。
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
ホゥが叫び声を上げて体中を這う虫を払いのけた。
いや、虫ではない。蜘蛛だ。
風景画に触れた途端、絵が黒く染まり、天井に穴が開いて蜘蛛が何十匹も落ちてきたのだ。
「落ち着いて。これ玩具だよ」
クァがそう言って、床を這う蜘蛛をわしっと掴んでホゥに見せた。
ホゥは叫ぶのを止め、赤面した。……何だか恥ずかしい。
床を這う蜘蛛はいつの間に空いたのか、壁にできた小さな穴に這って行って部屋から消えていった。
「……で、何なのコレ?」
ホゥが当然の疑問を投げ掛けた。
「たぶん、侵入者用の罠の、第一段階ね。ちゃんとした手順を踏まないと酷い目に合うってことを知らせるための」
「ですよねー」
クァがホゥと入れ替わるように風景画の前に立った。
「この手の罠なら、私一人で何とかなりそうね」
クァが杖を取り出した。
年季こそ入っているが、華美な装飾があるわけでもなく、ごく普通のシンプルな木製の杖だった。
クァは杖を風景画に向け、目を瞑り……そして開けた。
瞳は焦点を合わせず、生気が感じられず、ここではない何かを見ているようだった。
クァの全身が仄かな青い光に包まれる。幾つもの言葉が、その光に浮かび上がる。
ぱらららら。
ぱらららら。
どこからともなく、辞書をめくるような音が聞こえる。
それは、彼女の体の内側から鳴っているように感じられた。
「――――我が先人達よ、幾星霜の時を越え、その叡智を現世に現出させよ」 クァがそう言うのとほぼ同じくして、辞書をめくる音が止んだ。
一際鮮烈な光がクァを包み、やがてそれは杖を通して風景画に放出される。
かちゃり、と鍵の開く音を、ホゥは聞いた気がした。
「……行こう」
光が収束し消滅し、普段の様子に戻ったクァがそう言って風景画に触れた。
ずぶり、と沼に嵌るようにクァの体が絵に吸い込まれていく。
ホゥは慌ててクァの後を追った。
『塔の八賢者』達は世襲制だ。だが、その名は決して単なる名ばかりの尊称ではない。
賢者達は魔術書を子孫へと継承させる。
魔術書とは、一種の記憶媒体である。
元来、人間は全ての魔術を扱う力を持つが、実際に扱えるのは本人の適性にあったほんの数種だけだ。例えばホゥは、占いしかできない。
しかし、魔術書があれば、その力を次代に継承させ、行使させることができる。ホゥの子は、魔術書があれば、適性が無くても占いの魔法を使うことができるのだ。これを無限に繰り返し、力を魔術書が溜め込み続けた場合、その継承者を『賢者』と呼ぶ。
これ故に、クァ達『賢者』の家柄は名ばかりではないのだ。
「四十……四十五……四十八っと。肖像画は四十八個あるみたいだな」
ホゥが律儀に部屋の中にある肖像画を全て数えて報告した。
絵の中の部屋には、四十八の肖像画と、木製のシンプルな机だけがあった。
絵に描かれていた本は、机の上には無かった。
「エスラン家の歴代当主の数とだいたい同じみたいね」
クァが頷き、肖像画を眺めた。
威厳に満ちた肖像画がこれだけ並ぶと壮観……だとは、ホゥは感じなかった。金と権力の臭いしかしない肖像画の群れは、陰気な部屋の空気と合間って不気味に感じられた。
現実であれば、埃がたまり汚れていたのだろうが、実際には存在しない場所なので埃がたまることは無く、部屋の中は清潔で、電灯のような青みがかかった白い光で包まれていた。
「机はどうだ? 魔術書はある?」
ホゥが問うと、クァは首を振った。
「無いよ。でも、代わりに引き出しの中にこれがあった」
そう言って、一冊の本――日記を見せた。
錆びた鉄のような色をした一冊のノートをクァがぺらぺらとめくった。
「名前は書いてないけど、年号からして最後の継承者の死ぬ一年前からの日記だね」
『九月九日 これより日記をつけることにする。エスラン家最期の継承者として、この日記を継承の間に残そうと考えている』
『九月二十日 亡くなった親友の墓参りに行った。人族再興委員会の礎となった彼女は、秋のお芋が大好きで、昔は私と焼いた芋を二つに分けて食べていたけど、彼女はもういない。芋は一人では大きすぎて、少し残した』
「……なんだか、もの悲しい日記だな」
ホゥはクァが読み上げるのを聞いてそう思った。
「そうね。……でもそれより、なぜ最期と書いたのかが気になるよ。確かエスラン家最期の継承者は私と同じくらいの少女だったはず」
「結婚願望が無くて、生涯子供をつくらず魔術の研究でもするつもりだったんじゃない?」
「そう? ……それにしては、文面から“最期”になってしまうことを悲しむ思いが伝わってくるけど」
疑問符を浮かべながら、クァは続きを読んだ。
『十一月八日 また一つ塔の八賢者の血族が滅んだ。もう、私達には後が無い。追い込まれた我々人族はその復興のためならば、なりふり構っている場合ではない。どうしてそのことが分からないのか。私たちがおかしいのか? そんなはずはない。そのはずだ…………』
『十二月三日 議会からの妨害が激しい。このまま滅びを受け入れよというのか。私達未来ある若者は、断じてそれを受け入れられない。研究は続行する』
『十二月三十一日 私たちの拠点がある区画が、廃棄区画として指定された。人口減少による効率化という名目だが、今の今までしてこなかったことから鑑みるに、いやするまでも無く、我々への嫌がらせだろう。こちらも考えを改める必要がある』
『一月三日 人族復興委員会を解散した。真に種族を憂う者だけで集まり、秘密裏に活動を続けることにする』
「きな臭いな」
ホゥは顔をしかめた。
「確かにね。日記からでは全貌は分からないから何とも言えないけど、かなり過激思想の持ち主のように読めるね」
クァがそう同意し、続きを読んだ。
『六月二十日 数多の実験の末、研究も終盤に近付いている。人族は身体能力でも、魔法能力でも他種族に劣る、器用貧乏な種族だが、何でも少しはできるため、多数の魔法道具を操ることが可能だ。今では失われてしまったが、古代は人のみが操れる高等魔法道具がいくつも存在した。私たちは、それを復元する』
『八月一日 モルモットによる実験がようやく成功した。理論が実証された。これほど嬉しいことは無い』
『八月五日 これは遺書になるかもしれない。ついに、私自身の身体を使う時が来た。健康体として生んでくれた両親には言葉も出ないほど感謝している。魔術適性が高い人間の肉体はどうしても必要で、ここにいる者のうち、一番高いのは私だ。私がやる。これは大変栄誉なことだ』
そこで、クァは一瞬読むのを止めた。そこから、字が突然変化していたのだ。
『とおか うで なくなる くちで かいてる ないぞうも ない』
そしてまた、ここから――今度は書き手が変わっていた。
『経過報告 八月二十日 同志であった被検体の臓器・部位の全ての摘出が完了し、肝心である彼女の骨が姿を現した。分解魔術の適性を持つ同志がいたことは、運命だと今、まさに思う』
『経過報告書 八月二十二日 彼女の、幼い頃から魔術を浴びてきたその骨を削り、研究の成果である魔術を施し、一本の聖剣が完成した。骨盤から、装飾を作った。取り合えず、一つ目は完成した』
『経過報告書 九月八日 保存していた彼女の脳と心臓を古代兵器のアンドロイドに移植する。その工程が、今日を持って終了した。明日、目覚めた彼女と再会することを心から楽しみにしている。……彼女は、私との再会を喜んでくれるだろうか? ……今日はここに、長年秘め続けた思いを書いておこうと思っていたが、やめておく。やっぱり、最初に言葉で彼女に伝えたい』
日記はそこで終わっていた。
そこから先をぺらぺらと捲って、クァは驚きの声を上げた。
「これ……魔術書だよ! 魔術書に書き込んでたんだ」
クァが興奮した様子でぺらぺらと本を捲った。
「落ち着けよ。……それにしても、なかなかエグイ話だな」
「そうか! 表紙だと思っていたのはブックカバーか! 凝ったことするなぁ」
「聞いちゃいねぇ……」
クァはそれからしばらくしてようやく、落ち着きを取り戻した。
「怖い話だね……。だから親戚の人と交流が薄かったのかな? で、結局彼女はどうなったんだろう」
「さぁ? それより、とっととここから出ようぜ。晩飯はシチューがいいなぁ」
「そう不貞腐れないでよ。悪かったから」
クァは上機嫌で笑って、ホゥの脇腹を突きながらおざなりに慰めた。
「もういいから、外に出よう。帰ろうぜ早く」
「分かったよ」
二人は絵の壁の一つに触れ、来た時と同じようにずぶずぶと外へと吸い込まれていった。
――部屋に戻ると、一体のアンドロイドが足を丸めて床にお尻をつけて座っていた。
裸の機械が剥き出しな、シンプルでスレンダーな、女性体型の白と銀色の機械だった。
二人の足が床に着くとん、という音を聞いて、アンドロイドは顔をこちらに向けた。そこには、表情というものが無かった。
アンドロイドは二人を、特にクァを上から下まで舐める様に見た。
『……門が開いたけど、やっぱりエスラン家ではないみたいね』
抑揚の無い音で、アンドロイドが話しかけた。
息を呑みながら、クァが愕おどろいて言った。
「あなたが、三十年前に死んだエスラン家最期の継承者マウラ?」
『ええ。……あなたはシュマロマおばさんの孫ね? よく似てるわ』
アンドロイド――マウラは立って出口に向かって歩き出した。
「行きましょう。久々に、お茶でも振舞うわ」
エスラン家の屋敷から少し歩いたところにある小さな小屋の地下室へと、マウラは案内した。
マウラはそこまで案内すると、どこかへ消え、しばらくして湯気の立つコップを二つ持って戻ってきた。
「どうぞ」
「……毒はないみたいだね」
「おい、わざわざ魔法使って検査するなよ。失礼だぞ」
「そういうホゥは、私がしなかったら検査紙でも使うか、そもそも飲まなかったんじゃない?」
「あー、このお茶うまいな」
かなり無理矢理、ホゥは誤魔化した。クァがムスッとしてさらに追求しようとすると、マウラが羨ましそうに笑い声を出した。
『ゴメンなさい。人だったときのクセで、どうしてもこういう時笑ってしまうんです』
研究一筋だった私には、できなかったことですから。そうマウラは言った。
「……賢者マウラ、教えてください。かつてここで、一体何があったのですか?」
単刀直入に、クァが尋ねた。
マウラは、首を軽く傾けた。……人だった頃なら、曖昧な笑みでも浮かべているのだろうか。
『日記を読んだのでしょう? そのままその通りのことが起こったんです。朽ち果てる一方の塔から出て暮らすことすらままならない、力のない人族を復興させることを目的とした地下組織。今は知りませんが、当時はよくあった組織のうちの一つです。
私はそこで研究に没頭し、高い魔術適性のある人間を使って聖剣を作る技術を生み出した。そこで、私の人骨を使い、私自身の命はこの古代機械に移しました。ただ、それだけです』
自らの命を捨てるという、壮絶な決断を下したにもかかわらず、淡々とした様子でマウラは言った。もっとも、淡々としか、話せないのかもしれないが。
「なら、私と来て、塔のため、人族の未来のために動いてくれますか?」
クァがそう聞くと、マウラが首を振った。
『いいえ。……私はもう、人族ではありません』
予想外に、いや、こんなところに住んでいる時点で予想通りだろうか、彼女は断った。
ホゥはそう思ったが、クァはまだ諦めきれないらしく、食い下がった。
「あなたは人です。お願いです、私に力を貸してください」
ぺこりとクァは頭を下げた。
誠意を示すことくらいしか、彼女にできることは無かった。
『ありがとう。でも、ごめんなさい。私は人じゃない。……彼も、私を見てはくれなかった』
ぽつりと、マウラは付け足した。
「彼って、日記の最後に書いてた告白してきた男ですか?」
マウラは何も語らずにぼうっと二人を見た。表情が無く、音のような、抑揚の無い声しか出せない彼女からは、黙っていると何を考えているのか全く読み取れない。
『千年の恋も冷めるといいます。この姿では、愛はもらえなかった。私も必要としなかった。……それだけです』
マウラは、そう言って口を閉ざした。
「……あなたは、後悔しているのですか? 自分の選択に」
クァが尋ねた。……答えは無かった。そのことが、全てを雄弁に物語っていた。
「……もう一つ尋ねてもよろしいですか?、貴方の作った聖剣はどこに?」
『さぁ? 知らないわ。彼が持っていってしまったもの。……賢者の孫である貴方が知らないということは、彼、使わなかったのね』
そう言った後、マウラは尋ねた。
『そういうあなたはどうなの? ここに来たってことは、八賢者の魔術書を全て集めて、魔道書を作るつもりなんでしょう? その果てに、幸せがあると思っているの? その生き方に後悔は無いの?』
クァは答えに窮した。
一冊一冊が多彩な魔術を記した魔術書を束ね、膨大な魔術が記された魔術の大辞典―――魔道書を作り、その力で人族を復興させ周囲に認められることが、クァの目標だった。
その生き方が正しいのか、これでいいのか。人生の先輩に対して断言できるほど、クァはまだ理解――否、覚悟が足りていなかった。
「まだ決断しなくてもいいでしょ。とりあえずでやってけばいいんじゃない? どうせ、普段は何でも屋さんなんだから」
なので、横からホゥが口出しした。
「余計なお世話。……だけど、まぁ、一理あるかな。ありがとう」
顔を少し赤らめながら、クァはお礼を言った。
『幸せそうな、いいカップルね』
抑揚の無い声でマウラは言った。ただなんとなく、ホゥはマウラが羨ましそうにしている気がした。
「恋人じゃないです」
クァが否定した。続けてホゥも頷いた。それから少し黙り込み、やがて覚悟を決めた顔で、クァは尋ねた。
「……それでは、元に戻すことはできませんが、より自然な姿にしましょうか?」
クァがそう言うと、またもどこからか―――クァの体内から、本をめくるような音が聞こえてきた。
『……出きるの?』
「私を誰だと思っているんですか? ……才能に恵まれなかったとはいえ、シュマロマ家の末裔ですよ」
やがて本をめくる音がぴたりと止まり、クァの杖が青白く光りだした。
「やりますね?」
『………お願い』
クァが静かに唱えた。
「――――我が先人達よ、幾星霜の時を越え、その叡智を現世に現出させよ」
杖から放たれた光がマウラを包む。
ゆらゆらと、マウラの姿が水面に一滴の水を垂らした時の様に揺れ始めた。
「ありがとう。……やっと、終わる。………………さよなら、アッシュ」
揺れがおさまると、ガシャン、と音をたててマウラ―――マウラだったものは、力なくだらりと両手を垂らし、頭を机にぶつけた。
衝撃で机が揺れ、クァとホゥのコップは倒れ机に染みをつくった。
「……彼女は?」
ホゥが念のため尋ねた。
「逝きました。彼女は脳と心臓を触媒にした、亡霊のような存在なので、鎮魂魔術がよく効きました」
「そうか」
ホゥは納得した。それから、地下室を見渡した。
そこは、かつては研究室だったのだろう。
今では見る影も無い。
決して、月日の経過でそうなったのではない。部屋には、誰かが発狂し、暴れまわった痕跡がありありと残っていた。
そして、実験動物のものと思われる骨の山から離れたところに、人の骸が一つ。ただし、全身ではない。体の一部、右腕だけが残っていた。
「こいつが、愛し合っていたアッシュって人の骨かな?」
「たぶんね。……どんなだったかはわからないけど、それが二人の結末なんじゃない?」
骨の手には、二つの指輪が入っていた。
様々な想像が掻き立てられたが、ホゥはそれを止めて、気の沈んだクァを慰めることにした。
「元気出せよ。……まぁ、あれだ。こんな日もあるさ」
「……うん、ありがとう」
浮かない顔で返事をするクァに対してどうするか考えても、結局ホゥは何も思い浮かばず、適当にクァの頭をわしわしと撫でた。
「やめろ穀潰し」
酷い罵倒を受け、ホゥはむっつりと黙った。
それをみてため息を吐いて、クァは立ち上がって伸びをした。
「……感傷に浸るのが馬鹿馬鹿しくなっちゃった。魔術書も手に入ったし、帰ろ」
「そうそう。心が疲れたなら、さっさと帰ろうぜ」
二人は黙祷して、地下室を出た。
最後に扉を閉める時、コップからこぼれた水が、机から零れ落ちていく様が見えた。
それは誰かがかつて身体機能のせいで泣けなくても、心では泣いていた残滓だとホゥは思った。
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