お土産は手作りの地元パン

吉岡梅

きっかけはラジオ

 電池式のラジオから懐かしい歌が流れていた。ぼんやりとその歌を聞いていると、ふと、地元ならではのパンを焼こうと思いついた。とはいえ、俺はパン職人ではない。いきなりおいしいパンを作るというのは無理だ。そこで考えた。地元ならではの食材を使ったパンならば、郷愁を感じて貰える分、まだなのではないか、と。我ながら少々卑屈にすぎるかな、とも思ったが、じっくり考えているうちに、案外悪くないと思えてきた。どうせ他にやる事も無いのだ。ひとつ、挑戦してみよう。


 そう思い立ったものの、俺の周りにはパンを焼く窯やオーブンが無い。炊飯器でもパンは焼けると聞いた事はあるが、どうせなら正攻法で焼いてみたい。その方があのDJも喜ぶだろう。そこで、まずはオーブンを作ることにした。


 お隣の岩辺いわなべさんのお宅にお邪魔して、フライパンをひとつ拝借する。取っ手部分を糸鋸で切り落とそうと思ったのだが、なかなか手強い。20分ほどギコギコやっていると、物音が珍しいのか、鯖虎の野良猫が瓦礫の陰から顔をのぞかせた。


「猫の手を貸してくれるとありがたいんだが」


 そう言ってはみたものの、当然鯖虎は手伝ってなどはくれない。興味深そうに、だが、どこか警戒するように周りをうろうろしながら時々こちらをちらりと見るだけだ。鯖虎の手を借りるのを諦め、さらに20分ほど糸鋸を引くと、ようやく柄を切り落とせた。これでよし。


 屋根から落ちた瓦を2枚拾ってきて、1枚を岩にぶつけて小さく割る。フライパンの底に入れるためだ。3つほどの欠片をフライパンの底に敷くと、いい感じに収まった。台所から、そのフライパンのサイズに合うステンレスのボウルを見繕ってきて、被せてみる。すっぽりと収まり、いい感じだ。その上に割らずに残しておいた瓦を重石おもしとして置き、ボウルを軽く揺すってみる。うん。案外よさそうだ。自作の窯プロトタイプ1号の完成だ。まずはこれで焼いてみよう。


 窯ができた所で、材料の調達だ。この街の唯一のスーパー――といってもほぼ「商店」といった規模――である「マルオキ」へと向かい、棚を物色する。何日持つのかは分からないが、この店はまだ電気が生きているのがありがたい。以前に妻の手伝いでパンを作った時の記憶を頼りに材料を思い出す。強力粉にドライイースト、バター、そしてハチミツ。他にも何か使ったような覚えもあるが、思い出せないものは仕方ない。材料に加えてミネラルウォーターを1つカゴに入れると、レジにお金を置いて帰宅した。


 ドライイーストの箱に記載されている分量を頼りに、材料を混ぜて捏ね、なんとかパン生地っぽい丸い塊をでっちあげる。続いて、皿の上にパン生地をラップを張り、一次発酵とやらをすることにした。こうなると、しばらくは待つだけだ。とたんに手持無沙汰になりコーヒーが飲みたくなる。しまった。マルオキで買ってくれば良かった。しかし、また出かけるのも面倒だと逡巡していると、また鯖虎がひょっこり顔を出した。


「なんだまたお前か。仕方ねえ。もう一回行ってくるか」


 俺は重い腰を猫のにして仕方なくといったていで上げた。鯖虎の餌を買いに行くという大義名分を掲げた俺は、もう一度マルオキへと向かい、レトルトパウチの猫用スープをいくつかカゴに入れ、お湯を注ぐだけでOKなドリップ式のコーヒーを探した。すると、クッキングシートが目に入った。そういえばこれも必要だったはずだ。俺はコーヒーと共にそいつもカゴに入れると、先ほど置いたお金の上に、さらにお金を置いて帰宅した。


「よう、待たせたな」


 まだ自宅の周りをうろうろしていた鯖虎を見つけると、レトルトパウチから皿へとスープを空けてやった。よほど空腹だったのか、鯖虎は警戒心もそこそこに、一気に距離を詰めてくると、ペチャペチャと音を立ててスープに貪り付きはじめた。あの災害から今日で4日、ひょっとしたらコイツは何も食べていなかったのかもしれない。俺は見ず知らずの猫に、妙な親近感を覚えた。


 ラップの中のパン生地が、いい感じに膨らんできた所で、いよいよ焼きに入る。瓦をミネラルウォーターで洗ってフライパン窯の底に敷き直し、クッキングシートを乗せる。焦げるのが心配なので、少しだけ水をフライパンの底に張り、パン生地を乗せた。ふと、妻の言葉を思い出して丸いパンのてっぺんに、ナイフで十字に切れ目を入れた。こうすると、パン生地が膨らみやすくなり良く伸びて、ふわふわに仕上がるそうだ。


 ボウルで蓋をすると、現在のメインコンロのである一斗缶に載せ、さらにその上に瓦の重石を乗せる。一斗缶に開けた横穴の中に、かつて岩辺さんの家の納屋の柱であった崩れた木材を薪としてくべ、キャンプ用のガスバーナーで点火する。あんなにも恐ろしかった炎が、目の前でちんまりと上がった。


 どれくらいの火力で焼けば良いのか分からないので、とりあえず「強火」を意識して薪をくべる。ほどなく、釜の隙間から良い香りが漂ってきた。これは思ったよりもうまく行くかもしれない。期待を込めてミトン代わりの軍手をはめて、素早く窯を地面に下す。窯の代わりにコーヒー用のお湯を沸かすヤカンを一斗缶に載せると、窯の瓦を取り除き、ボウルを開けてみた。


 ボウルの中からは、見事にきつね色の焼き目が着いた丸パンが現れた。もっちりと膨らんだ丸パンの皮は、てっぺんに付けておいた十字の切れ目をぷっくりと広げ、その裂け目からはバターの良い香りが漂ってきている。

 思わず汚れた軍手のままパンを皿の上へと移すと、冷めるのも待てずにナイフで一部を切り取り、口にしてみた。うまい。「焼きたて補正」があるにしても、これならば他人に食べさせても大丈夫だろう。俺は一人笑顔で頷いた。


 湯が沸くのを待ってコーヒーを淹れると、丸パンを全て平らげてしまった。あまりの食欲に我ながら驚いたが、ここ数日はマルオキに残っていたおにぎりくらいしか食べていなかったので、温かい食事に飢えていたのだろう。ともあれ、これで目途は付いた。明日にでも丸パンをもう一度焼いて、あのDJへと会いに行こう。


***


 あくる日、いつの間にか眠りについていた俺は、ラジオから流れる音楽と陽気なDJの声で目が覚めた。あの日以来、あまり青空を見ていない。俺は、伸びをひとつすると、歯磨きもそこそこにマルオキへと向かった。ふと後ろを振り返ると、鯖虎が後ろからちょこちょことついてくる。


 マルオキに着いた俺と鯖虎は、パンの中に入れる「地元ならでは」の食材を物色し始めた。富士山の麓の街である、この富士宮の「地元ならでは」の食材と言えばなんだろうか。やはり「富士宮焼きそば」になるだろうか。そうなると、焼きそばパンだ。悪くない。悪くないが、焼きそばを作るのがちょっと面倒だ。その他の食材と言えば、ますだろうか。しかし、パンと鱒という組み合わせは異質だ。挟むとすればフライがいいだろうが、俺にとって揚げ物は難易度が高く、何より、今は魚はすこし怖い。これも却下だ。

 しばらく悩みながら店内をうろついていると、ひとつの食材が目に入った。正確に言うと、食材というよりもデザートと言った方が適切なは、プリンだった。そのプリンの形を見た俺に、ひとつのアイデアが閃いた。


 プリンと生クリームのパックを手に帰って来た俺は、鯖虎にご飯をあげるとさっそくパン作りに取り掛かった。丸パンの生地を2つ分作り、寝かせる。続いて、生クリームをボウルに空け、撹拌を始める。ハンドミキサーはもちろん、泡だて器すら無いので菜箸で必死にかき混ぜる。覚悟はしていたが、まったく泡立たない。甘ったるい匂いの液体がボウルの中でピチャピチャしているだけだ。思いついて、フライ返しでかき混ぜはじめたものの、効果は五十歩百歩と言った所だ。そう言えば昔、妻がハンドミキサーを欲しがっていた。あの時は結局なんだかんだ理由を付けて買わなかったが、今なら即購入するだろう。自業自得というものか、俺は苦笑してフライ返しで生クリームを必死にかき混ぜ続けた。


 結局、一次発酵を終えてもまだ、生クリームは少しがつく程度だった。仕方ないのでそこで作業を一時停止した。


 俺は、生地を切り離して丸パンを2つこしらえると、真ん中に空洞を作り、その中にプリンをまるごとひとつドンと入れた。イメージとしては、パン生地の皿に上にプリンを置き、さらにパン生地でドーム型に蓋をしたような状態だ。その状態のパンのてっぺんに十字の切れ目を入れ、組み上げた窯の中に入れて焼き始める。薪の火に勢いが出てきたところでひとつ頷いたが、すぐにこうしている場合では無いと気づいた。俺はスープを平らげ満足そうに丸くなっている鯖虎にちらりと目をやってため息を吐くと、再びボウルの中の生クリームをかき交ぜ始めた。


 窯から良い匂いが上がる頃に、ようやくボウルの中の生クリームは滑らかに泡立ちはじめた。いわゆるが立つような状態だ。もういいだろう。妻はこれにバニラエッセンスを入れていたような気がするが、手元に無いものは仕方ない。代わりにハチミツを少し混ぜて仕上げとした。


 朝から作業を始めたので、昼前には2つの丸パンが焼きあがった。おそるおそる一つのパンの上側を、十字の裂け目を壊さないようにナイフで切り取って開けてみる。パンの中でプリンはぐずぐずに溶けていた。俺は思わず舌打ちをした。山の形を保ったまま焼けると思っていたが、そうはいかなかったようだ。考えてみれば当たり前だ。仕方がないので、そのまま溶けて平らになったプリンの上に、生クリームを絞って入れこんだ。もうひとつの丸パンにも、同じように生クリームをINした。


 俺の狙いは、地元食材を使う代わりに、地元の名所である富士山をパンの中に再現するというアイデアだった。綺麗な山型のプリンは富士山で、その上の生クリームは、綺麗だった頃の冬の富士にかかる雪化粧だ。我ながら良いアイデアかと思ったが、甘かった。まあ良い。おしなべてこの世界は、ままならないものだ。それでも、出来る事を行ない、出来た結果を受け入れてやり続けるしかない。何より、今の俺たちにとっては、「富士山を喰らってやる」という意気が大切なのだ。


 俺は2つの丸パンを、岩辺さんの家で見つけておいた木編みのバスケットに入れると、遥か向こうに見えるラジオを放送しているであろう隣町の電波塔を見上げた。


 電波塔の脇の空では、4日前に噴火した富士山からまだ煙が上がっている。本当にうまく行かないもんだなあ。俺は肩をすくめて呟いた。2日前から誰に宛てるでもなく、ラジオ放送を開始した彼も、そんな風に思っているかもしれない。恐らくは、この災害で唯一生き残った友人。かの友人は、どんな人だろうか。音楽の趣味から言って、気が合わないという事は無いだろう。あとは、甘いパンが好きだといいのだが……。俺はそんな事を考えながら、隣町へと続く、かつて道だった瓦礫の上を歩き出す。


 歩みゆく俺の背を、鯖虎の猫と電池の切れたラジオが見送っていた。

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