これまでと、これからの友人へ
「――そんな事が最近あったんだが、どう思う?」
「なんていうか、ストーカーって怖いですよね」
「………待ってくれ、否定はしないけど」
「でも、いい話でしたよ」
あの夜更け過ぎに唐突なタイミングで開始された元管理人の捜索活動。
それは俺が滅多に実行することのない完徹という結果で幕を降ろした。
カラスの鳴き声が窓越しに聞こえてくる夜明けの時間帯は、それはもう素晴らしいまでに俺の全身を睡魔に押し切ってしまいそうな威力を発揮していたが、何とか数時間後の出勤にこぎ着けることができた。
とはいえ、実際にはあまりの眠気にまったく仕事が手に付かず、上司からいろいろと小言を言われるまま最後には残業祭りの散々な1日だった訳だが……。
その後、週末の休日に俺はとある友人に音声チャットの誘いを持ち掛けていた。
『僕』という一人称を使用している、あの学生である。新参者の彼と1対1で会話するのは始めての事だったが、そもそもあの捜索活動が行われた最初の切っ掛けが彼の存在だったこともあって、是非とも今回のエピソードを話しておきたいと思ったのだ。自分が以前にアイドルの追っかけをしていた過去を話すのは少々気恥ずかしかったが、まあ所詮は過ぎた過去だと開き直った様子で、俺は学生にあらかたの説明を終えた次第だ。
流石にストーカーじみた真似と言われるのはショックだったが。しかしSNSにしろブログにしろ、いずれも情報の塊には違いないのだから取り扱いには注意が必要なのだと、俺は今回の件から深く理解したので何も言い返す事は出来なかった。
むしろ、中々切り込んだ突っ込みをしてくれた学生の方を褒めるべきだったのかもしれない。年齢が少々離れているので、「はあ……」とか当たり障りのない相槌で済まされていた可能性があったことを考えれば、彼の返しは及第点を与えていいだろう。しっかりと最後にはフォローの言葉を貰えた訳だし。
「あの、そんなに違和感あったりします?」
「うん、なにが?」
「僕が『僕』って一人称を使ってることです」
音声のみの会話だったので表情は窺えないが、学生がそんなことを口にした。
「……いや、別に。たまたま俺たちの周りにそういう人間が居なかったから印象に残ってただけだ。気にすることはないよ、悪かったな」
むしろ今後社会に溶け込む必要が出てきたら、そちらの方が言葉遣いとしては相応しいだろう。更にかしこまった場面では『私』となるのだから、結局は使い分けの話だ。
「そうですか。僕個人としては、特別に意識して使ってるわけじゃないんですけど」
俺の話を聞いてみて当惑したようなことを話す学生だったが、それはそうだろうと疑問は抱かなかった。以前は彼と同じように『僕』を用いていた時代を過ごしていた頃を思えば――それが自然体だったのだから。
「それにしても、10年振り、いや8年振りの再会でしたっけ? 聞けば聞くほど凄い話ですね」
「ああ、正直言って今でも信じられないよ」
あんな出来事は今後もうないかもしれないなって、つくづく思う。
「……ネット上の付き合いって、大抵は綺麗な形のまま終わったりしないからな」
「綺麗な形、ですか」
「リアルなら、わかりやすい切っ掛けになる出来事があるだろ? 引っ越しとか、卒業とか、就職とか」
「節目ってやつですね」
「でも、ネットの付き合いはそうはいかない。俺と君がそうであるように、年齢だったり住んでいる場所だったり異なる事情がいくつも存在している。最初はお互いに折り合いをつけながら時間を確保したりして付き合っていくんだろうが……まあ、ずっとって訳にもいかないし、どこか無理をしながら関係を維持してる人間もいるはずなんだ」
「……それって、過去に、界隈を去った人達の話ですか? 僕はその時いなかったから、詳しい事情は知りませんが」
学生はなかなか察しの良い人間だった。新参者の彼にこんな暗い話をするつもりでは無かったのだが、あの夜にぼんやりと頭に浮かべていた事を、俺はついつい話し続けてしまう。
「ああ、そうだ。中には事前に理由を話してから界隈を去った人間もいたけど、大抵の場合は自然消滅だったよ――気が付けば、居なくなってた」
別れの言葉を告げられる事もなく、いきなり。
当時は寂しい気持ちにもなったけどな。
「今なら、あいつらの行動もなんとなく理解できるかもしれない」
俺の頭の中に、数多くのHNが想起される。
既に縁の切られた、繋がりを断った友人達の名前を。
「さっきの話だと、無理をして界隈にいるのが辛くなったって感じですか」
「ネット上の付き合いってのは本当に難しいんだ。時間を重ねれば重ねるほど、より踏み込んだ話をするようになる。そうやって徐々に関係を深めていく訳だが、同時に許容できる範囲が狭くなったりもする」
最初は他人行儀に接しているから、多少の発言には目をつぶれるんだがな。
「付き合いが長くなればなるほど、些細な言葉が引き金となって、争いや決別の切っ掛けが生まれたりするんだと、俺は思う」
「言ってることはわかりますけど……それは、リアルでの付き合いでもよくある話かと」
学生から鋭い指摘が入る。他人に心境を伝えるというのは難しい。初めてネットの世界に触れた頃から何年経とうとも、こればかりは苦手なやり取りだった。俺はゆっくりと、補足を付け加えていく。
「リアルならさ、顔を付き合わせた上で会話ができるだろ? あれはあれで難しいんだけどな。職場に苦手な上司がいるんだけど、正直言って関係改善の手段がまるで思い付かない。それでも仕事上の繋がりだから――簡単に切って捨てる訳にもいかないんだ」
「確かに。ネットの付き合いでは、そういったしがらみは少ないですね」
簡単に関係を断てるからこそ、コミュニケーションの手段としては手軽だったりして、一概に悪いとは言い切れないんだがな。
「まあ、何が言いたかったというと、今の俺たちみたいな関係において――綺麗な別れ方をするのは難しい事なんだよ」
ネットという場所の中で誰もが自分の気持ちやプライベートな事情を打ち明けられる訳じゃないし、卒業式のような明確な節目も俺たちの関係には存在し得ない。去りたくなった時に去るだけの、簡単で、手軽で、移ろい繋がりだ。
そこに再会の約束は――成立しにくい。
別れた友人がいつまでも同じ住処に居を構えているとは限らないし、一度縁を切った相手にこだわる必要性も、コミュニティの溢れかえってる世界ではどうしても希薄になってしまうからだ。
だから……あの夜に俺が目撃した同窓会は、まさに一つの奇跡だったと言えるかもしれない。アイドルグループの解散という、明確な終了の切っ掛けを与えられたとはいえ、結局はその後で自然に離散したコミュニティだったはずなのに。
そんな彼らが一堂に会した理由を挙げるとすれば、それは――
「楽しかったから、か」
「――急にどうしたんです?」
つい言葉に出てしまった呟きに学生が反応する、どうやら、いつの間にか俺の方が一方的に黙りこくっていて少々気まずかったらしい。こちらから通話に誘っておいて失礼な話だった。「ごめん」、と俺はひと言前置きしてから。
「綺麗な別れ方をするに超したことはないかもしれない。でも、俺はあの昔のコミュニティに居た当時のことを楽しかった、いい思い出として振り返っているんだ」
「だから……わざわざ探して、会いに行ったと」
俺の話を先読みしたように、学生は言った。
画面越しには見えない苦笑を浮かべながら頷いた。
「そういう事なんだろうなって、あの時の自分の行動に、やっと納得できる理由が見つかった気がするよ」
「……今の僕には、ピンとこない話ですね。ネット上の友人なんて、今の界隈の人達が初めてですし」
「そのうち、分かる日が来るさ」
君がいつか、『僕』ではなく『俺』と誰かに名乗る日が訪れた、その頃には。
「あのさ、ひとつだけ頼んでもいいか」
「なんですか?」
「多分、俺もいつかは今の界隈を去るときが来ると思う。君だってもしかしたら、いつかはそうする、そうせざるを得ない理由ができるかもしれない。その時に……再会の約束なんて、したくなかったらしなくていい。でも」
あの時の友人と過ごした、楽しかった記憶。
それだけは――忘れないでほしい。
現在の『俺』から、10年前の『僕』の友人へ 双場咲 @tsubasa09
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