第16話 帰郷からの帰宅(12/23~12/25)
「あ、これ‶プリン″だ」
「プリンー? えー何々、ちょうだ〜い」
帰り際に出会った人からいただいたお菓子の箱を手にとって呟くと、ぐでっと寝転がっていたえる子がむくりと起き上がる。
けれど、私の持ってる箱が自分の想像していたよくあるカスタードとカラメルのぷるぷるとろとろのプリンじゃないとわかってまたグダーっとコタツの上に伸びる。
「なんだ、燐火のハネムーン土産じゃん。プリンじゃないじゃん」
える子はどうしてもあの人のことを今の名前で呼ばないみたいだ。ま、そう簡単に切り替えられるものでもないだろう。気長に待とう。
「本当はターキッシュディライトっていうお菓子なんだけどね。『ライオンと魔女』って児童文学ではプリンって翻訳されていたんだよ。当時の日本の子供には馴染みのないお菓子だし、ターキッシュディライトって名前も難しいからとかそんな理由で」
説明しながら私はちょっとワクワクした。子供の時に読んで「どんなお菓子なんだろう」と想像に胸を膨らませたお菓子が今ここに。
……それにしても、まさか異世界に行ってオーストラリア土産を受け取るとは。
える子のお友達、というか初恋のお相手のその人は、犬顔美男子な夫さんが曳く橇に乗り込んでから、何かを思い出したように私を身振り手振りで私を呼び止め、お菓子がいくつか入った袋を手渡したのだった。ターキッシュディライトの他には南半球を訪れた人からお土産にいただくことの多いチョコレートがかかったビスケットがある。
「※※※※」
お土産を手渡しがてら、異世界の言葉で私の耳に何かを囁いて、その人は蠱惑的な微笑みを浮かべる。言葉のわからない私がきょとんとする間に夫さんの掛け声に合わせて橇は遠ざかり、その人も手を振りながら去って行く。
うん、綺麗な人だった。帰りに出会った時はえる子の村の人たちが着ていたのと同じ厚手の民族衣装姿も素敵だったけど、こちらに着いた時にカップ麺を拾ってもらった時に見た薄手のワンピース姿なんて女神像みたいだった……。12〜13歳の二人が一緒にいるところを見てみたかった……。さぞ綺麗で可愛かったろう。
銀色の髪と銀色の髪の女の子がお花畑で戯れるイメージを浮かべながら、さっそく箱にかかったビニールを剥いだ。
それにしても橇に乗った美女からターキッシュディライトを貰うなんて。懐かしいあの物語の挿絵が思い浮かぶ。私、誘惑されるんだろうかとちょっとふざけたことを考えたらつい笑ってしまった。
「……何、ニヤニヤして」
「別に〜」
初めてみたそのお菓子は、四角い小さなブロック状のゼリーもしくはグミ、あるいは柚餅子のようだった。半透明の赤・黄・緑の三色で白い粉がまぶさっている。見た目はお菓子というには綺麗すぎておもちゃの宝石ぽくもあり可愛らしい。手にとってみると弾力があってお餅か求肥のよう。
私は黄色いものをつまんでかざしてみた。
色味がちょうど、少女時代のえる子が家出する直前にこっそり枕に隠したというあの石に似ている。
家と村を出る決意を固める前、える子はその石を二人の秘密の隠し場所から彼女に無断で持ち出して隠したのだという。あの引き出し付きの枕の中へ。
「なんでそんな、子供っぽい意地悪したの?」
「……あたしだってわかんないよ。やっぱ腹たって寂しくて悔しかったんでしょ。あたしの大事な人をあんなチビに取られてさ。チビの癖にこんなのあげるってのがマセてて気持ち悪いし。燐火にだってあたしよりアイツの方を好きになるなんて……って気持ちがあったし。あのチビよりあたしのほうが絶対絶対いいのに。あいつなんて橇曳くのがちょっと上手なだけだし。チンコはやしてるだけだし」
「えっちゃん、その辺でストップしよう」
やんわりとたしなめた方がいいなって時に‶えっちゃん″呼びをするのは、私たちが出会ってから生み出された習慣の一つである。
少女時代のえる子が石を持ち出した、うろのある木の前であたしたちは喋った。
後ろにあるのがえる子が当時の彼女としょっちゅう話し合ったという樅の木だ。そこは村からそんなに離れてはいない場所だったけれど、傾斜の途中にあり下映えの案外みつかりにくいのだという。
「燐火はさ、口ではこんな石全然大切じゃないし小遣いのために売ろうって言ってた時だってあったけどさ。でもさ、チビに名前つけたらもう状況が違っちゃうしさ。この石で嫁入り支度でもするのかな〜……ってさ、考えがドツボにハマっちまってさ……」
うろのある木の前でえる子はしゃがみ、黄色い石をつまんで見つめ、体を前後にゆすりながらいじいじ、いじいじと呟いた。
私はため息をつく。
「えっちゃんや、それって多分嫉妬ってやつだよ」
「そーだよ! あたしの嫉妬とみじめさの結晶なんだよこの石はっ。あたしが最悪にカッコ悪かった時代の生き証人なんだ!」
「石は無機物だから生きてないと思うよ? 一応言っとく」
こういうことでつい突っ込んで話の腰を折ってしまうのが私の悪い癖だ。
「……本当は便所の中に捨ててやろうかと思ってたけど、それをやったらあんまりにも自分がみっともなくて一生立ち直れないって思ったから、ギリギリで踏みとどまった」
「うんうん、それはよく踏みとどまったよ。偉いよえる子」
あたしもえる子のそばに同じようにしゃがんだ。屋外でしゃがんで喋り合うとか、まるで小学生にもどったみたいだ。ちょっと寒すぎるけど。
「……でもやっぱ、許せないんだよ。自分が。泥棒した事実は変わらないしさ。このあたしが、泥棒! 寂しくて辛くて腹立ったからとか、そんなショボい理由で!」
ぐっとえる子は石を握りしめた。
える子が村に帰りたくなかったのは、自分を捨てて他の男の人と結婚した初恋の人に会いたくなかったからではなく、自分の情けない過去に直面するのが嫌だっためなのか。
それもあったけれど、この石を隠したのがバレて二人に責められるのを怖がっていたのかもしれない。
そういうみっともなかった過去の自分に直面しなければならないのを、える子は恐れていたのだろう……と、私は見当をつけて頭の中で簡単にまとめた。
私はえる子の頭を、分厚い毛皮の帽子ごしに撫でる。
「見栄っ張りだねえ、える子は」
「そうだよ。カッコ悪いところは見せたくなかったんだよ。燐火にカッコいい、すごいヤツだって思われたかったんだよ。あたし村じゃ百年に一度生まれるか否かの神童って言われてスゴイスゴイ大したヤツだって言われて育ったんだからね、一応」
「私の前では結構カッコ悪いところを見せてくれるのにねえ」
わりに甘えただし、衝動的だし、こんなふうにいじける時もあるし。分厚い手袋越しにぽすぽすと頭を撫でる。
子供っぽく、恥ずかしそうにふくれっ面になるえる子は可愛かった。こういうこどもっぽい顔つきは、その人たちはみてないだろうなと思えたことで私も満足する。
「……でも、その石は返した方がいいんじゃない」
「そりゃ、返すよ。あたしだってやだもん。心の中に後ろ暗いことがあるとさあ、物事を全力で楽しめないんだよね」
「その二人、帰ってくるのいつだっけ?」
「25日の夜とか、燐火のおばちゃんが言ってた。それまで村に居られないかって。ことわったけどね、仕事も休めないし」
私たちは明日24日に街へ向かって出発し、モールからうちに帰宅する予定だった、本来は。
……このあと、街へ向かう街道沿い一帯が猛吹雪に見舞われ橇を出せなくなり、村でもう一泊せざるを得ず25日に帰ることになり、向こうの世界と連絡手段がない場所でどうやって職場と連絡とったらいいかで顔面蒼白になることを知らない私たちだった。どうやって石を返す方法を話あう。
「元通り、このうろの中に戻しておくのがいいんじゃないの?」
「やだ。なんかそういうのコソコソして格好悪い。ちゃんときっちり謝りたい。でないとあたしの中で折り合いつかない」
「……ちょっと気になってたんだけど、その人、この穴から石が無くなってたこと気がついてたの? える子の話からでしか判断できないからわかんないけど、その人、あんまりこの石に執着してなさそうな人じゃない。この石にこだわってるの、どっちかいうとえる子の方だよね?」
「……」
「基本的にずーっとその穴の中に入れっぱなしにしてたし、お小遣いが欲しいから売ろうって言ってたんでしょ? 案外、穴に入れっぱなしにしてて、える子が石を持っていったことにそもそも気づいてなかったりするんじゃない?」
「……や、でも、あれから十年近くたってるし……。たまには燐火もこの穴の様子を見てたりするかもしれないし……」
どうだろうか?
思い出深い品々を捨てられずついつい小箱にしまってしまうけれど年単位でその存在を箱ごと忘れてしまう、そんなことがよくある気質である私のカンが告げる。
その人は多分、える子と別れて以来この穴を覗いたことが無い。その可能性が高い。……まあただのカンだけど。
ともかく、「その人はえる子が石をこっそり隠した」ことにそもそも気づいてない可能性がないわけではない。私はそこに賭けたくなった。
「しらんぷりして穴に戻しておいてもいいと思うよ?」
「だーかーら~、ヤなんだってばそういうのは~っ」
じれてえる子は声のボリュームをあげる。自分の消せない過ちをどうにか償いたいようだった。やれやれ。まあそういうところがいいんだけれど。
不意にぎゅっぎゅっと、雪を踏みしめて歩く特有の足音が斜面の上から聞こえてきた。二人して見上げると、そこには十二歳くらいの金髪の可愛い女の子がいる。ちょっと不機嫌そうな顔がその年ごろらしくていい。
現地語でえる子はその女の子とやりとりをする。ぼそぼそとぶっきらぼうにその女の子は要件を伝えるとぷいっと去っていった。
「……なんて?」
「あの子の母ちゃんがあたしを呼んでるんだってさ。婚礼衣装に祝いの刺繍をしろって。この辺の風習なんだよ、村の娘の婚礼衣装に女衆全員が幸せになれるようにって祝いながら針を入れるの」
おお、なんだか胸がときめくような風習じゃないかとときめいた直後で、あたしははたと気づく。
「婚礼衣装ってことは……?」
「そうだよ、さっきのは燐火の妹。あたしが村を出た時は赤ん坊だったんだけどね。……しゃあない、久々に裁縫でもやっかあ」
える子は立ち上がった。伸びをして、手にしていた石は上着のポケットにしまう。まだどうやって返したらいいのか決めかねているのだ。
その日の一日、える子の好きだった人の家で、える子が一針一針ちくちくと刺繍をしてゆく様子を見て過ごした。
える子の好きだった人のお母さんはやっぱりきれいな人だったけれど、とにかくおしゃべりな人らしくえる子に話しかけていた。言葉の通じない私にも話しかけてくらい気さくな人だった。あの果実酒をうんと薄めた温かい飲み物とチーズに似たようなお茶請けでもてなしていただく。
あたたかい家をえる子と同じように婚礼衣装に刺繍を入れに来た女の人が訪れる。その中には、この村まで橇に乗せてくれた軍曹さんもいる。冬至祭でちらっと見かけたこのあたりでは珍しい黒髪の女性を伴って現れた。やっぱりこの人が軍曹さんのパートナーなのだろう。
花嫁になる人のお母さんやそのほかの女の人ともえる子は現地語で気軽に雑談に応じていたけれど、この二人としゃべっている時はやっぱり声が弾んでいる。私には理解できないやりとりだったけれど、暖かい空間の中でおしゃべりを楽しみながら針仕事をする人たちをみるのは胸まで温まる、快いものだった。
身振り手振りで私もお母さんから一刺ししてくれと頼まれたので、目立たない隅っこに針を入れさせてもらった(裁縫が苦手なのだ)。お幸せに、という気持ちをありったけ込める。
刺繍に使う糸は、羊毛のようなちょっと太めのものだった。それを見てふとひらめくものがある。
お母さんに許可をもらって部屋に散らばった糸の切れ端から緑と赤のものを選んで拾った。それを縄にように縒ってクリスマスカラーの紐を作る。
「える子、さっきの石貸して」
一体何をするつもりなのかといぶかしんだ私に、それでもさっきの黄色い石を手渡してくれる。私はその石を赤と緑の紐でプレゼントのように十字にしばり仕上げに蝶結びをした。小さなプレゼントの出来上がりだ。わりと可愛く仕上がったと思う。
「……何やってんの?」
「こうやってあの穴の中にもどしておけばその人へのクリスマスプレゼントになるんじゃないかなって思って」
える子の好きな人が村が村へ帰ったら、さっきの木のうろの中をみることを伝えてもらう(伝言役はさっきの妹さんがいいだろうか)。うろの中を覗けばプレゼント仕様になったこの石がみつかるって段取りだ。
まあささいなサプライズだし、もともとその人がもらったものなんだからプレゼントとは厳密には言えないんだけれど、きっと笑顔になってくれるんじゃないか……と、私はえる子に伝えた。
「……ええ~、なんかキザっちくない?」
謝ることに固執していたえる子はそう言って渋ったけど、私は自分のアイディアにこだわった。
「その人はえる子が石を隠したのを知ってるかどうか、私たちには分からないじゃない。なら私はその人がえる子が石を隠したことに気づいてない方に賭けたい」
「……なんで?」
「あのうろの中を覗いてみろって伝言されたその人が、言われた通りうろを覗くでしょ? するとこうやってプレゼント仕様になったあの石が見つかる。まあ可愛い、誰がやったの? ハッ、この石のことを知ってるのはあの子しかいないわ! じゃあこれはあの子の仕業ね。もしかしたら家を出る前にこうやってくれてたのかしら? あたしのために? あたしの好きなあの子はやっぱり世界一素敵な子だわ…………ってなるのを想像すると楽しいから」
まあ、現実が思い描いたストーリー通りに運ぶとは限らないけれど。
でもいいじゃないか。クリスマスなんて日は「あの人が喜んでくれるかな」って想像すること込みで贈り物を用意しながら楽しむものだし。
それにやっぱり、その人がえる子を格好いい女の子だって見ていてくれてたなら現パートナーとしてはそのイメージを補強したくもあったのだ。
「ええ~、美里の話はムシがよすぎると思う。そんな上手くいく~?」
える子はちょっと渋い顔をしたけれど、結局やっぱりその石は羊毛のリボンをかけてうろに戻すことになった。
昔大好きだったその人の中にある自分は、どこまでもカッコ良くて素敵な女の子でありたいという欲には逆らえなかったと見える。見栄っ張り屋さんなんだから。
ねっちしりした歯触りの黄色いターキッシュディライトをかじると、口の中でレモンの味と風味がいっぱいに広がった。そして甘い。お砂糖のかたまりかってくらい。甘さの中にスパイスの風味も感じられて、ちょっとエキゾチックな風味もある。なるほど、ターキッシュディライトというのはこういうお菓子だったのか。
「……なんかバラの匂い付き化粧品食べてる気がする……」
私につられて赤い色のターキッシュディライトをかじったえる子は首を傾げた。へえ、赤いのはバラの香料なのか。
渋い顔をしたえる子だけど、何か後を引くと言いたげに、一つ飲み込むとまた新しいものに手を伸ばす。今度の色も赤色だった。
猛吹雪がなんとかおさまった一瞬のチャンスを逃してはならないと、あたしたちは橇に乗って慌てて帰った。
ちょうど軍曹さんとそのパートナーの方を訪ねにやってきた子連れのご夫婦を乗せた橇が到着した所だったので、入れ替わりに乗せてもらう。える子のご両親との別れの挨拶もそこそこに。とにかく早く帰らなきゃ……! とお互い気持ちがせいていた。
村へのお客さんを連れてきた乗り合い橇の曳き手はおしゃべりしな人だったらしく、さっき村に来たのは海辺のほうから来たらしいとか古い知り合いを尋ねにこっちにきたらしいとか、える子に話しかけていた。言葉の通じない曳き手の話の内容を私が把握しているのは、うんざりしたえる子が時々日本語で通訳してくれたからだ。
おしゃべりな曳き手さんのお陰で、日が沈みきるまでにはなんとかモールの正面に到着する。
荷物やお土産をかかえ、スポットのある3Fへといそぎ、界壁越境手続きを済ませ、スマホの使える両界越境エリアで欠勤したことを事情を説明しながら職場に詫びまくり、とにかく息も絶え絶えになった所だった。
「銀鹿? 銀鹿だろ?」
ぐったりした私たちに話かける人がいた。
私はそれがえる子に話しかけられたものだとは気づかなかった。反応したのはえる子の方だった。ベンチにぐったりよりかかっていたのにそれを聞くなり体を起こし、きょろきょろあたりを伺う。
「やっぱりそうだ、ひっさしぶりだなあ。元気にしてたか?」
声は男の人のものだった。そちらを見ると、垂れ目だけど全体的にシベリアンハスキーっぽい顔立ちの美男子がいたのだ。える子に笑顔で話しかけてきた。
疲れていたはずのえる子の行動は速かった。立ち上がるなりダダダダっと駈け出して、グーで殴りかかる。ハスキー顔の人はそれをひょいと交わす。える子が殴る、その人が交わす。そのやり取りを数回くりかえしたあと、ハスキー顔の男の人がわざと殴られる形で決着がついた。
……なんなんだろう、このやりとり。少なくないギャラリーも突然始まったショーにポカンとしている。
「なんだよお前、相変わらずだなあっ。元気そうでよかったけど」
殴られた顔を押えながら、男の人は笑いながら言う。笑えるということはえる子はきっちり手加減していたらしい。
「……元気だよっ。あんたの顔見たら怒りって形で疲れが吹っ飛ぶくらい元気が出てきたよっ。あんがとな!」
「おう、俺も大概疲れてたけどお前見たらなんか嬉しくて元気が出たわ。いや~なつかしさってすげえな、色々水に流しやがるんだからよ」
苦虫をかみつぶしたような表情のえる子とは反対に、背も高く細マッチョ系体系のその人はえる子をみて親しそうにバシバシ肩を叩いた。その後私に気づいて、人懐っこく笑いかける。やっぱりなんとなく犬っぽい雰囲気の人だ。
「あんたか、噂で聞いてた銀鹿の嫁って人は。いや~こんなとこで会えるとは思ってなかった~」
強引に手をつかんでぶんぶんと上下に振る。私はことの流れについていけず、ノリがちょっとえる子のお父さん人似てるなというようなことを考えてしまう。そこに現れたのが、あの人である。
「あんた何やってんのさ?」
ひょい、と気軽な雰囲気で男の人の背後から顔をのぞかせたのは、える子の村の民族衣装に身を包んだ金髪の美女だ。その顔をみて、私はあっと声をあげる。こっちに着いたばかりの時、カップ麺を拾ってもらったあの女神様みたいな美女だったから。
あ、と声にだしたせいでその人も私に気づいたらしい。何かを言おうとしたけれど、その直後視線を横にずらして硬直する。
その人の視線の先には、同じように硬直するえる子がいる。
二人の視線がぶつかって、一呼吸の間があって、お互いひしっと抱き合う。それからどちらともなくわあわあと泣きだすまで何秒もなかった。
外野の私たちにはその時間はほんの数秒だったけれど、当の二人にはとんでもなく長い時間であっただろう。
ごめん、だとか、会いたかった、だとか、わんわん泣きながら伝えあっている美女二人再会の場からはじきだされた私とハスキー顔の美男子さんは、仕方なしにお互い自己紹介を始めた。
「あの、佐藤美里って言います。向こうでえる子さんと一緒に生活をしています……」
「ああどうも、白狼ってもんです。あの二人と一緒の村で育ったもんで、今は橇曳やってます」
二人の気持ちが一旦収まった頃を見計らい、とりあえず1Fのコーヒーショップに移動することにした。つもる話があるならそこで、というわけだ。
そこで私たちはお二人の婚前旅行のささやかだけど派手な冒険を聞いた。サンタのプレゼント配送業がわりとデンジャラスなことにも驚く。
「もー、コイツが空から降ってきたのを見た時は肝潰しちまいましたよ。あれほど怖かったことはなかったっす」
「そう? あたしは全然怖くなかったけどね。あんたが受け止めてくれるって信じてたし」
初めて飲むというコーヒーに口をつけて、苦っ! と驚いた陽蜜さんは涼し気な表情でのろけと受け取れる言葉を口にする。そのあとうってかわってほれぼれした目つきで、ブラックを飲んでるえる子をたたえる。
「あんたこんな苦いのよく飲めるね~。やっぱあんたってすごいよね~。」
「まあね! 伊達に異世界で揉まれたわけじゃないからね」
コーヒーごときで昔好きだった人にえばってみせるえる子の姿を、私は記憶にとどめておくことにする。まったく、うちのえっちゃんときたら……。
乗り合いの橇の手配ができたというお二人を、モールの外で見送る。どんな言葉でも通じる魔法の外に出た私に、陽蜜さんがお菓子の入った袋を手渡してくれたのがこのタイミング。
耳元で、いたずらっぽく囁かれたけれどやっぱり私にはその言葉がわからない。
える子がかじった赤いターキッシュディライトを、私もつられてかじる。確かにふわっとバラの香りが口の中に広がり、酔いそうになる。でも、美しい魔女が子供を幻惑するにはぴったりなお菓子にも思えた。
お菓子を口にしながら、私はこれからの段取りに頭を切り替える。
とにもかくにも休暇は済んだ。明日はきっちり出勤して、仕事納めまでみっちり仕事だ。
大荷物抱えて帰宅して、手を洗ってうがい。洗濯物を洗濯機に投げ入れる。ゴミ類は捨てる。明日会社に持って行くお土産をしわける。トランクやバッグを片付ける。部屋着に着替える……。
という作業をダッシュで済ませたものの、これからご飯を食べてお風呂に入って……という英気を養うための作業が待っているのだ。
コタツの上にはコンビニで買ったお弁当と飲み物が。とてもじゃないけど今日はご飯を作る気になれない。異世界からこっちへ帰るのは一瞬なのに、ところどころ通行止めになっていたえる子の故郷からモールのある都会への道のりは本当に遠かった……。
しみじみ振り返っていると、える子がこたつの向こうからじいっと熱っぽい目でこっちを見ているのに気が付く。金色の目がとろんとしている。
「……何?」
「ねえ?」
甘えた声をだしたかと思ったら、コタツの中で足を絡ませてきた。
私は冷静にコタツから出ようとする。今日は本当に疲れたのだ。いちゃついてる余力はないのだ。
「ダメだよ。今日はしっかり寝て疲れを取らなきゃ明日に響く」
「やだやだ。まだクリスマスだもん。クリスマスなのにまだ何にもしてないもん」
える子はすっかり甘えるモードになっている。コタツのなかにもぐりこんで私の入っていたところから顔を出し、私に抱き着いて床の上に押し倒す。パイル地の部屋着姿のえる子は、所かまわず私の顔に唇を押し付ける。
「ん~、みっちゃんしゅきしゅき~」
どうにもこうにも酔っ払ってるとしか思えない言葉がこぼれる口元からはバラの香りが漂う。酔っ払ってるとしか思えないくせに、すばやく冷たい手を私の服の中に差し入れる。コタツの中で私の服を器用に剥いでゆく。
「ちょ……、こら、やめなさい。える子っ。めっ」
「やですぅ。える子のクリスマスはここからなんですぅ」
一体何がきっかけでこんな甘えたスイッチが入ったのか。片方の手で私の体をまさぐりつつ、もう片方の手でコタツの上を探り、ターキッシュディライトを一つ取って色も確認せず口の中に入れる。
そして私の口に唇を重ねると、蕩けた目でふふっと笑いながらぐいっと舌先でバラの香りのするお菓子をねじ込んでくる。私はそれを受け入れざるを得ない。
このお菓子がえる子を酔わせているのは明らかだったけれど、何の要素がえる子をこんな状態にしてしまうのか今の私にそれを探っている余裕にはなかった。なにせとっても疲れていたから。
でもまあ、クリスマスはまだ終わってないのも確かだった。
口移しされたバラの香りのお菓子を噛んでわたしも酔っ払うことにする。
える子故郷に帰る。 ピクルズジンジャー @amenotou
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