第4話・天才と凡才

夜―――二人は七軒茶屋と緑井の辺りで適当に飲み屋を見つけて入り、久々に酒を酌み交わした。


安い居酒屋だ。ビールと安い総菜を口にしながら、二人の話は家庭や仕事の内容にシフトして行く。


ノリツグが驚いたのは、エージの過酷な労働環境だった。

噂には聞いていたが、大学病院の医師はそんなに寝る時間がないものなのか。


もう慣れた、と疲れた表情で話すエージを見て―――


「俺なんかの・・・」


ノリツグは家庭の愚痴をポロリと溢す。


二人は違う道を歩んだ天才と凡才。


ノリツグからすればエージは雲の上の存在になったように感じたし、エージはノリツグのありふれた幸せを羨ましがった。


*  *  *


酒が進んだ。


千鳥足の二人は二軒目に流れる。


牡蠣鍋をつつきながら、話は重苦しい展開へ。


「ええよのぅ、お前は。東大出て、先生云われて・・・。」


「はぁぁ?お前こそ羨ましいわ。俺なんか、休みの日でも電話が鳴らん日が無いんで?」


「そりゃ病院なんかいくけーじゃろうが。んー・・・でも、お前ならもっと上行けたんじゃないんか?」


「はぁ・・・それがのぅ・・・。」


エージは語る。


地頭の良さで勝負できるのは東大に入るまで―――そこから後の出世は実家の財力に左右されるのだと。


医学部同期で裕福な家庭の者達は臨床研究の道に進み、その後海外留学などを経て更なる高みに到達する。彼等にとって臨床で医者をやる事は勉強の為であり、決して生活の為ではないのだという。


困った事に、彼等はその事に驕りも傲慢もない。

裕福な家庭であるが故に、進学や上昇に関して何の罪悪感もなければ、それを鼓舞する必要も無いのだ。


エージはその点に於いて、一般家庭の産まれだった。

国立大学とはいえ学費面に加えて上京で要した生活費などを考慮に入れた結果―――彼は勤務医という選択を選んだ。これ以上実家に負担はかけれなかったし、どんどん周りに取り残されていく感覚に耐えられなくなったらしい。


勤務医となり収入は入るようになった。だが普通のサラリーマンより実入りはいいものの、生活の拠点は都心だ。決して左うちわの生活ではない。


同級生と差が開く暮らしぶりに、過酷な労働環境―――頭が良いだけに、エージはどうしようもない現実に悔しい思いをしたらしい。


*  *  *


「ノリツグぅ、俺はのぅ、お前が羨ましいわ・・・。」


そろそろ酔い方になってきた。


ノリツグは鍋の中の白菜と白滝を掬い上げ、虚ろな目をしたエージの前に差し出す。そして彼を嗜めるかのように、話題を変える事にした。


「そういやお前、趣味とかないん?そんな仕事ばっかりじゃと、人生もつまらんようになるじゃろ。なんか趣味もてや、趣味。」


「趣味ぃ?そうは云うても・・・。」


医師仲間との付き合いはとかく金のかかる趣味が多い。

ゴルフにせよ、マリンジェットにせよ、兎に角金がかかる。

東京に住めば、何をするにも「金」「金」「金」だ。


「金のかからん趣味でええじゃん。」


「例えば?」


「そりゃまぁ・・・絵とか?あ、そういえば、俺って国語得意じゃったじゃん?」


「はぁ?なんやそれ。知るかーやそんなもん。」


「まぁ聞けぇや。ほいでの、中二の時とかはクソ寒い小説なんかも書た事もあったんじゃがの、最近また小説書くようになったんよ。」


「ほー小説ぅ?」


「そうそう、最近そういうネットの小説のサイトとかあるじゃん?それでの、俺の小説、そういうサイトでちょっとした賞を取ったんよ。これが結構気分が良くての。」


「はっはは!マァジか!バリ受けるじゃん。」


要するにノリツグはその自慢をしたいのだろう。

酒で鈍り行くエージでもそのくらいの事は解った。


その時―――


「お待たせしましたー!雑炊セットです。」


店員が鍋に入れる〆を寄越してきた。

白米とカレールゥ。牡蠣出汁の出た鍋の〆で作るカレー雑炊は絶品らしい。


この雑炊セットの登場で話は一旦中断し、二人はグツグツと弱火でカレー雑炊の完成を待つ。


*  *  *


「ほいでぇ、その小説がどうしたんや。」


話を戻したのはエージだった。


エージは楽しんでいた。その表情はこうだ。


(読んでやろうじゃないの、その受賞作品とやらをな。)


ノリツグは嬉し気にスマホを取り出すと、ポチポチと画面をタップし、当該の小説をエージに見せた。


そして良い感じで出来上がった牡蠣カレー雑炊を口に含みながら、エージはその小説に目を通し始めたのである。






「 う ん や ん 」 ――― カ ク ヨ ム










「ほんま、美味いのー。この牡蠣雑炊。」


エージにスマホを渡したノリツグは、美味そうに牡蠣雑炊を頬張っていた。


その様子を、目を細めたエージがじっと観察している。


スッ・・・。


エージはノリツグに無言でスマホを返した。


彼はにっこりと笑って―――


「お前のぅ・・・」


―――何かを言いかけたのだが、途中で云うのを止めてしまった。




代わりに、彼は心の中でこう呟いたのです。


(俺、凡人で良かったわ。)

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