第9話 ひとりぼっちの人形師のおはなし

 さて。長くお話してきたあの街にまつわる物語も、これが最後になります。

 ここまでおつき合いしてくださったのは、ともすれば貴方が初めてかもしれません―――店主さんを除いて、ですが。……散々笑われて以来、御恩はあれどもう彼にこの話はしていませんでしたから。

 ですから、どうかご清聴ください。

 ある人形師の話を―――私が愛した、彼の物語を。


 これから語りますは、ずっとずっと昔の話。「人形の街」が「残骸の街」に成り果てる前、そもそも「街」が造られる以前のお話です。

 

 人形師には、真実愛した妻と娘がおりました。

 二人は彼の人形造りの師の、娘と孫娘でもありました。

 辺境の小さな街で、慎ましやかに、幸せに、暮らしていました。


 ―――ある日、人形師は戦火で、その全てを喪いました。


 彼は見たのでしょう。美しかった妻の肌が、赤黒く焼けただれたのを。柔らかかった娘の頬を、とろけた眼球がつたうのを。


 だから―――だから、人形師は思い立ったのでしょうね。

 愛した二人を、よみがえらせようと。……今度こそは、理不尽に奪われぬようなかたちで。

 そうして彼の、人の身にはあまりに永い遍歴が始まりました。

 まずは材料集めです。彼や彼の師の工房には珍奇で不思議な品々が種々揃ってはいましたが、それらもほとんど焼けてしまいましたから。

 彼は多くの国を巡りました。多くの喜びを見て、多くの悲しみを見て―――時々に応じて、朽ちゆく彼自身の身体を人形のそれと取り換えながら。そうして百年が経ってようやく、必要な材料のすべてを蒐集することが叶いました。

 妻には天馬の尾の髪、黄玉の瞳。白磁の肌に、天使の肋骨から作った『心の歯車』を。

 娘には一角獣の鬣の髪、紅玉の瞳。大理石の肌に、妖精の肩甲骨から作った『心の歯車』を。

 彼はその後、地脈のよい場所に居つき、いよいよ『妻』と『娘』の製作にとりかかったのです。

 世界のあらゆる神秘を詰め込んだ、と彼は言っていました。そうでないと、小宇宙たる人間とそっくり同じものを造るには不十分だから、と。

 自分の持てるあらゆる技術を注いだ、とも言っていました。そうでないと、彼女たちを取り戻すには不徹底だから、と。

 寝食を文字通り忘れ(最早その頃には、彼は食事を摂る必要のない身体になっていました)、研究と製作に没頭する日々だったそうです。この二百年はあっという間に過ぎた、なんて笑っていました。

 そして―――完成したのです。

 『妻』と『娘』が。

 

 彼は大層喜びました。なにせ彼がこの計画を思い立って―――つまりはオリジナルの二人を亡くしてから、もう三百年も経っていましたから。

『声を、聴かせておくれ。瞼を開けて、瞳が見たい』

 『妻』と『娘』が起動して初めて聴いたのは、人形師の震える声でした。それが期待で震えていたのか、あるいはその原因が不安だったのかは分かりません―――けれど『妻』は滞りなく自我を、記憶を、心を持つことができたのです。

 『妻』に限っては。


 螺子が一本足りなかったのでしょうか?

 歯車の噛み合わせがどこか悪かったのでしょうか?

 それとも、そもそもの設計図がまちがっていたのでしょうか。

 

 『娘』は―――『あの仔』は。

 心の歯車を回すことが、どうしても出来なかったのです。


「あの仔には、感情というものがない」

 彼は、人形師は、あの悲しい目をしていました。

「君の心の歯車は、外界からの様々な刺激―――君にとって嬉しいこと、嫌なこと、いいこと、悪いことを受けて、それを動力にして回る。そのエネルギーを以て、君は感情を感じ取ることができるんだ」

「でも、あの仔には、何故かそうしてあげられなかった」

 あまりに彼が悲嘆に暮れていましたから、『妻』の心の歯車もキリキリと悲しく軋みました。それに―――それに、彼女にとってもあの仔は、大事な大事な『娘』でしたから。

 ですから、深く考えもせずに、こう言ってしまったのです。

「私は、あなたに心を与えられました」

「でも、あなた自身は違うでしょう?あなたの心は誰かに与えられたものではなく、自分で育て、養い、育み、培ったもの」

「……あの仔も、あなたと同じように過ごしていれば―――きっと、きっといつかは、笑ってくれるのではないでしょうか」


 彼の行いが誹られるものであるならば。その端緒は、彼に妄執という呪いをかけたのは、紛れもなく『妻』なのです。

 

 そして人形師は、新しい計画を始めたのです。

 自分の生まれ育った街―――自分を育んでくれた人々。最早戦火に失われたそれを再現し、その中であの仔を育てよう、と。

 またも三百年かけて、彼はかの地を造り上げました。

 ……後に『人形の街』と呼ばれるそれを。今となっては『残骸の街』と成り果てた、あの哀しい地を。

 

 それから五百年もの間、、私たちはあの街で暮らしてきました。

 いいことも、悪いことも沢山ありました。

 嬉しいことも、悲しいことも一杯ありました。


 例えばそれは、恋に壊れた人形の話。

 例えばそれは、人間になりたかった人形の話。

 例えばそれは、人形になった人間の話。

 例えばそれは、心を守りたかった人形の話。


 ……今となっては不思議と、どれもよい思い出です。

 しかしそのすべてが、あの街での生活が、あの仔の『心の歯車』を動かすことは―――ただの一度もなかったのです。


「どうして」

 ―――あの日。人形師は言いました。

「どうしてあの仔は笑ってくれないのだろう。僕も、君も、住民たちも皆、紛れもなく彼女を愛しているのに……この街の全てが!彼女の為に在るというのに!」

 それは突然の発露でした。……その数週前に「人形戦役」が終結したばかりで、彼自身疲れていたのでしょうか。

 あるいは、もう、彼は取返しのつかないところまで―――「壊れて」いたのかもしれません。

 『妻』は頭を抱えて苦悩する人形師の肩に手をかけて、ためらいがちに彼に語りかけました。

 ―――彼女がここ数十年間、ずっと思っていたこと。

 ―――そしておそらくは、彼がずっと、この街を造る前からずっと、頭の隅に追いやっていたことを。

 

「あなたがあの仔を、愛しているのは知っています。私だってそうなのですから」

 ……ですがそれは、代替品としての愛。

「私は、あなたを愛しています。私は代替品でよいのです。あなたの妻でありたいと、私自身がそう願っているのですから」

 ……わかっていました。それは、彼のこの数百年を台無しにしてしまうと。

「ですが。どうか彼女を、『娘』人形としてではなく、ただの一体の人形として、唯一の個を持つ少女として、愛してはもらえませんか」

 それでもなお、彼女に笑ってほしかった。

「そうすれば、きっと、あの仔の『心の歯車』も―――」


 そこから先を、『妻』は続けることができませんでした。

 人形師が、その首をもぎとってしまったからです。


「君は、誰だ」

 彼は私に言いました。

「あのひとは、私の愛したひとはそんなことを言わない。お前はあのひとではない……お前は私の妻ではない!」

 彼は、泣いていたように思います。少なくとも私のひび割れた黄玉の目には、そんな風に映りました。

「そう ですね」

 ……これが、私と彼との最後の会話になりました。

「ですが 私は あなた  を」

「あい し」

 彼は私の首を地面に叩きつけて―――そして完全に、壊れました。

 私は稼働できなくなっただけで、まだ意識はありました―――他の人形たちと比べても私とあの仔はより一層丈夫に、たとえ再び「街」が戦火にまみれても無事なよう造られていましたから。

 「駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ―――ぼくは失敗した、御師匠様の言ったとおりだ。違う、違う違う。まだだ、まだやり直せるはずだ、また一から!そうだ、その為には―――」

 しかし、彼が「人形師」として人形を造ることは、もう二度とありませんでした。

 最後に彼が造ったのは、大きな大きな、地の底へ繋がるような巨大な破砕機でした―――最早彼は、人形師ではなかったのです。そこにいたのは八百年の歳月で気がふれた

元人間、そして今や、ただの壊れた一体の人形でした。


「彼女でさえも失敗だったのなら―――この街の何もかも、がらくただ」

 

 「ニンギョウシ」と言う名のその人形は、街の人形たちに向かって、今までただの一度さえ使わなかった「造物主権限」を行使しました。街の住人の誰も逆らえない、絶対命令です。

 住人の一体も残さず、みな、破砕機へ飛び込んでしまえ、と。

 勿論街の住人は、泣きもしません。喚きもしません。『心の歯車』までも無視して、彼らの脚は人形師のもとへ勝手に歩みを進めます。「この日が来たか」「長かったような、短かったような」なんて声が聞こえました。

 ただ―――彼らは残念がっていました。彼らは皆、自分たちがあの仔の『心の歯車』を回すためだけの、莫大な動力に過ぎないことを知っていましたから。

「いや、残念。あと少しだったと思うんだがなぁ」

 でも、あの仔はどうなるのかしら」

「あの仔も儂らも人形には変わりない、ということは―――」


 キリ、キリ。


 誰かの、皆の心が回る音が聞こえました。

 それはなんだか―――彼らにはなんだかとても、哀しいことのように思えたのです。

 自分が破壊されることよりも。

 あの仔は破滅へ続く行列の、いちばん後ろにいました。その顔にはいつも通りに、なんの感情も浮かんではいませんでした。

 一体、また一体と自ら破砕機に身を投げて行く人形たちは、優しく彼女に語りかけます。

「大丈夫だよ、私たちのかわいい仔」

「せめてあなただけは、守ってあげるから」

「じゃないと―――なんのために儂らが生まれてきたのか、分からなくなってしまうから」 

 そう言って、笑って、皆が壊れていきました。

 そしていよいよ、彼女の番が巡ってきたとき―――最早破砕機は、動いてはいませんでした。回る歯車の間にはみっちりと、かつての街の住民たち、そして今や破片となった人形たちの残骸が積み重なっていたのです。

 住民たちは、あの仔を。

 自分たちが造られた証を。

 動く意味を、守ったのです。


「―――アァ、ナントイウコトダ!」

 ニンギョウシはそう喚くや否や、自分の身体を―――永過ぎる年月で、今やほぼ人形と変わらぬ身体を分解し始めました。

 「マタ、イチカラヤリナオシ ダ」

 何故って、みんなみんな壊してしまったので、もう使える部品といえば、彼かあの仔のパーツぐらいしか残っていなかったのです。

「ダガ、ワ  タシは あきらメな イ」

 ……ここで、彼があの仔を壊さなかったのを僅かに残った愛として見るのは、私の色眼鏡なのでしょうか。

「わたし は あのひとを  あのこを」

 ニンギョウシは―――私の愛した彼はついに、自分の総てを、自分自身さえ壊してしまったのです。

 

 そうしてがらんどうになった街には山のような残骸と、一つの歯車だらけの心臓。

 それと、ひとりぼっちになったあの仔だけが遺されたのでした。


「父さま 母さま みんな」

「みんな―――みんな いなくなって しまったのね」

 それからどれくらい経った頃でしょうか。私はもう目も殆ど効かなくなって、休止状態に入る目前でしたが、あの仔のそんな声が聞こえたのです。

「わたしが なにもかんじないから」

「わたしが わらいも なきも しなかったから」

 ……それは違うのよ、と。あなたは何も悪くないのよ、と。叫べるものなら叫んでいたでしょう。駆け寄って抱きしめていたでしょう。けれど私の首から下はニンギョウシがいちばんに例の破砕機へ投げ落として粉微塵にしてしまっていました。

「あぁ どうしよう」

「なんだかとても いたいの」

 ―――私はあの仔の紅玉の瞳、その父にそっくりな瞳から、ひとしずくの澄んだ油が落ちるのを確かに見たのです。それは彼女の胸に落ち、そして……そして、きっと歯車に差したのでしょう。

 私が休止状態に入る前に、最後に見たものは、空を仰いで泣きじゃくる我が娘。

 聴いたのはその慟哭と、キリキリと不器用に回る、彼女の心の哀しげな音でした。


 ―――私がお話できるのは、これだけです。

 その後私はすぐに休止状態に入り、そして気づけば数千年経って此処の店主さ んに拾われ、修理され、今に至るわけで。

 あの仔が今、どこにいるの かは誰にもわかりません。どこかのおもちゃ売り場で陳列されているかもしれませんし、マヌカンたちに可愛がら れているやも、路地裏で春をひさいでいるのやも。

 あるい は、自分さえ心を得れば総てが返って くるのだと、未だに旅を続けているのかも。

 ……あまり聞いていて、面白  い話ではなかったことで しょう。それでも最後まで聞いてくださって、私は本当に嬉しいのです。

 最期に一人で も多くの方に、あの街のことを 話しておき たかったから。

 あの仔のことを知ってもらいたかったから。

 私たちを造った彼の技術は、現代では失われ ていて―――店主さんがここまで保たせて下さったのも、奇跡のよ うな僥倖でした。

 ……喋る生首の死に際なんて、気持ちのわるいものをお見せす ることになりましたが。運が悪 かったとあき らめてください。


 ここまでお話を聞いて下さった やさしい貴方に、もう一つだけ、お願いがあるのです。

 もしも、あの仔に出逢った  ら。あるいはどこかで すでに、出逢っているのなら。

 ―――そのときはどうか、やさしくしてあげて。

 

 そして、教えてあげて欲 しいのです。私たちがあの残骸の街で、彼女についぞ 与えられなかったものを。あたたかい、綺麗ななにかを。

 

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自動人形と残骸の街 そうしろ @romangazer

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