第七話




「よーし、今日も張り切って行くぞー! おー!」


「……」


「……」



開口一番、元気よく響いたグリムロの掛け声に返ってきたのは、なんとも言えない虚しい沈黙だけだった。


目の前に立ちながらも一切乗ってこないナナシとベルを見て、グリムロは頬を膨らませながら文句を言う。



「ちょっとちょっと、せっかくのいい天気だって言うのに二人とも元気無さすぎだよー? ほら、もう一回やるから今度こそ乗ってきて、せーのーー」


「やめろ。朝からアンタが元気過ぎるだけっての。寝起きの頭にその大声は響くんだよ……」



頭を抱えながら、自らへの被害を訴えるナナシ。確かに、朝日が昇ってから暫くもしない内の挨拶としては少しばかり騒がしいかもしれない。


彼らが現在話している場所は、冒険者ギルドに併設されている酒場のテーブル席だ。普段ならば食事を取ったり休憩をする人々で賑わっているのだが、流石にこの様な早朝の時間から活動を開始するような物好きはそういない。


というより、常設されている受付を除けばこの場にいるのはナナシらだけだ。つまるところ、彼らがその物好きという事である。



「えー、でもベルはグッスリ寝てるよ?」


「そりゃコイツがそういう奴だからだろ。今んとこ起きてる時より寝てる時のほうがよく見るぞ」


「zzz……」



座った状態のまま、鼻提灯を出しながら熟睡するというのはある意味すごい芸当ではある。残念ながら何の役にも立ちはしないが。



「それに、何故アイツらがいない。行動を共にするっていう条件はどこに行ったんだ」


「アメルダとフェルトの事? いやー、なんでも急な依頼が入ったとか何とか……。二人とも冒険者ランクが白銀級プラチナムだから、個人にもよく依頼が来るんだ」


「ああ、冒険者ランク……さっき貰ったこのドッグタグの事か?」



ナナシは胸元からやや黒みがかった銅色のネームタグを引っ張り出す。見辛いが、よく見ると所属ギルドと名前の刻印がなされているのがわかる。



「うん、上から白銀級プラチナム黄金級ゴールド霞銀級シルヴァリオ明銅級ブライト・カッパー暗銅級ダーク・カッパーと分けられていて、称号がそのままタグの材質にもなるんだ。因みにボクとベルは黄金級ゴールドの冒険者。トップでは無いにしろ、これでもそこそこ実力はあるんだよ?」


「知ってるよ。嫌という程、な。というか、そんな複雑そうな呼び名よく覚えられたな。正直見直したぞ」


「ボ、ボクを何だと思ってるのさー!」



まあ、さもありなんと言ったところである。



「それで、白銀級のアイツらは二人きりでお仕事か。ご苦労な事だが、俺たちはどうすれば良いんだ?」


「うーんと、確かナナシと一緒に何か依頼をクリアしなきゃならないんだったっけな。ちゃんと観察して、後で仕事ぶりを報告しろって」


「……それ、俺が聞いて良かった内容か?」


「あっ」



やってしまった、とでも言う風に口元を慌てて抑えるグリムロ。わたわたと両手を震わせて必死な表情でナナシに何かを訴える。この僅かな間の付き合いで、彼女の天然さは十分に把握している。彼は静かに溜息をついた。



「……わかった、俺は何も聞いてない。それでいいだろ」


「う、うん! 助かったよ、これがアメルダにバレたら夕飯どころか昼飯すら抜きになるところだった……」



言葉一つで安堵するのもどうなのだろうか。とはいえ、それで落ち着いたグリムロは再び話を続ける。



「と言うわけで、早速依頼をこなそうか! もう掲示板に今日の依頼が貼られてるだろうし、いくつか見繕ってみようよ」



 そういって、一同は掲示板の前に移動する。おびただしい数の羊皮紙が緑のボードに貼り付けてあり、それぞれに様々な内容が書いてある。どうやらここから好みの依頼を探し、受付へと持って行って受注するシステムのようだ。ナナシは手近な用紙を一枚手に取り、内容を流し読みしてみる。



「……色々とあるんだな。猫探しなんて雑事、やる奴がいるとは思えないが」


「まあ、そこは町の雑事を一手に引き受けるのがギルドの本懐だからね。こういった簡単な依頼は駆け出しの冒険者にはうってつけなんだよ」


「俺みたいな?」


「ふふ、冗談。君はこっちだよ」



 そういってグリムロが差し出してきたのは、『ワータイガーの討伐』と書かれた一枚の羊皮紙。それを受け取りよく文章を読んでみると、『推奨ランク霞銀級シルヴァリオ以上』と書かれている。ナナシは文面から目を離し、静かに彼女を見る。


 視線を受けた彼女は少々たじろぎつつも、この判断はしっかりとした思考の元下されたようで己の意見を曲げることはない。



「な、なにさ。言っとくけどボクたちに勝った君が今更初心者デビューなんて許すつもりないからね! 正直これでもまだ優しいと思ってるんだから!」


「……まあわかった。だが、駆け出しの冒険者がいきなりこういった依頼を受けられるのか? 受付あたりに止められそうだが」


「普通ならそうかもしれないけど、このボクたちがついてるんだから何とかなるでしょ!」


「雑だな」



 と、彼らがそんな話をしていると、ギルドのドアが開閉する音が静かに響く。ナナシが来客者に目を向けると、そこには冒険者然とした防具や武器を揃えた四人組のパーティーがいた。



「うげ……」



 隣に立っていたグリムロが何故か乙女が発してはいけないような声を上げる。それに反応した訳ではないだろうが、その四人組パーティーの先頭に立っていた男がこちらを向いた。


 男がこちらを見てニヤリと笑みを浮かべる。いや、実際にはふつうに微笑んだだけかもしれないが、少なくともナナシにとってはそういった擬音が付きそうな笑いに見えた。その男の容貌が特に汚らしいだとか、醜いだとかそういった特別な要素は無いはずなのに、彼の笑顔はどこか厭らしく感じる。


 彼はそのままこちらに近づくと、どこか気障ったらしい口調でグリムロに話しかける。



「これはこれはグリムロさんじゃないですか! いやぁ今日もお美しいですね。戦乙女もかくや、といったところでしょうか。どうです? 一度私のパーティーに入ってみませんか?」


「だから、その話はもう断ったじゃん。ボクもフェルトもベルも、勿論アメルダも君のパーティーに入るつもりはないんだって」


「まあそうおっしゃらずに。私の元ならどのような装備でも買い与えることができますよ? ほら、メンバーの鎧を見てくださいよ! 一人残らず、頭からつま先まで最高級のミスリル鋼で鍛えた物です。おまけにこの装備を鍛えたのは我がアーデルファイト家直属の一流鍛冶師達! どうです? 目の肥えたグリムロさんから見ても一流だらけでしょう?」


「まあ、確かにそれは否定しないけど。別にボクは身一つで十分に戦っていけるんだから不必要だって」


「ですが、その玉のような肌が傷つくなど……」



 断るグリムロに、しつこく食い下がる男。見ていても聞いていても面白いと思える内容では無かったので、ナナシは一歩引いて事態を静観することに決めた。



「……相変わらず面白い」


「っと、お前起きてたのか。その割には面白がってるようには見えないが」



 いきなり隣で聞こえた声に驚き、そちらを振り向くといつの間に起きたのかグリムロのほうを見ているベルが座っていた。口では面白いと言っているが、表情としては無表情である。


 ベルは反応したナナシのほうを向くこともなく、静かに言葉を紡ぐ。



「……はたから見る分には面白い。でも、自分に来ると面倒くさい」


「ああ、だろうな」



 確かに、あの男に自身が迫られることを想像するだけで気が滅入りそうになる。ナナシは自身が男であることを初めて天に感謝した。



「そもそも、今日は別件で来てるんだからあんまり絡まないでよ。やらなきゃいけないことだってあるんだし」


「ほう、やらなければいけないことと言うと……あの見慣れない黒髪の男が関わっているのですか?」



 ナナシはすぐさま先ほどの感謝を撤回した。


 隣で見ていたであろう身代わりスケープゴートを覗くと、どうしたことか既に隣にはいない。

あわてて周囲を把握すると、なんということかナナシの背後で突っ伏すように寝ていた。



(コイツ、あからさまに逃げやがった!)



 恐るべきは彼女の危機管理能力。話題がナナシのことに変わった瞬間、視線がこちらに向くと察して男の視界が届かないところまで逃げたのだ。ナナシが犠牲になるという一点を除けば完璧ともいえる作戦である。


 そんなことを彼が考えている間に、男はナナシの前まで接近してきていた。その顔には、あからさまに嘲弄の笑みが貼りついていた。



「……なるほど、忌み子ですか。あなたのような人が彼女たちに近づいて、いったい何を企んでいるのですか? 彼女らの破滅ですか?」


「……」


「ちょっと、一体何を言い出すのさ! ナナシがそんな奴のはず無いだろ!」



 無言のナナシに、それを庇うよう彼の前に立つグリムロ。だが男の笑みが消えることはない。それどころか、ますますその度合いを強めたように見える。



「神から祝福されぬ子が、幸運などもたらすはずがないでしょう? 黒髪が生れた都市には、漏れなく破滅が訪れるといいます。そうなった村の跡地が、実際にいくつもあるのですから」


「……そうなったのは彼らの自業自得。罪なきものを迫害すれば、罰を受けるのが定め」



 背後で突っ伏していたはずのベルから意外な援護。いるとは思わなかった者からの予想外の反撃に驚きつつ、しかし反論する男。



「黒髪は排斥されるべきものですよ。彼らがしたのは当然のことではないですか。ならばそれで罰せられるのは、紛れもなく災いです。それに、無能をパーティーに入れるのは貴女方の実利的にも――」


「――さっきから五月蠅いな、お前。耳元で好き勝手囀るなよ鬱陶しい」



 ナナシは、こういった男、いや人物が嫌いだった。好きな者には徹底的に媚び、嫌いな者、格下には異常なまでに強く出る人物が。記憶こそ無いが、彼の感情がそれを強く訴えていた。


 それまで沈黙を保っていたナナシの言葉。格下と考えていた者からの暴言に、思わず男の笑顔にひびが入る。



「……無能が私に喧嘩を売る気ですか? この私、大貴族たるアーデルファイト家子息、ニドレス・アーデルファイトに?」


「ニドレス? はっ、似たような名前をしといてよく言うぜ。役立たずニードレス


「貴様ッ!!」



 激昂して思わず剣の柄に手をかける男――ニドレスだが、それを抜く前に背後に立っていた鎧の騎士たちに止められる。



「ニドレス様! ここはギルド内、もめ事を起こすのは……」


「……チッ」



 不満気ではあったが、ここで剣を抜くのは得策でないと理性の部分で判断できたようだ。おとなしく柄から手を離し、構えを解く。



「貴様は私の名を穢した。いつか報いを受けるだろう――忌み子めが」


 憎々しげな捨て台詞を残し、ニドレスはギルドから去っていく。ナナシは、そんな彼の姿を冷たい視線で見送った。

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光の日々を求めて 初柴シュリ @Syuri1484

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