第3話「白の世界の青色」


「寒いね」


 短く吐き出された吐息。それは低温の空間において瞬時に凍結し、白い蒸気のような現象を見せる。


 人間の吐く息というのは基本的に体温と同じ温度である。そのため息に含まれた水蒸気が一気に冷やされ、水滴に変わり白く見えるのだ。


「寒いって言うから寒いのよ」


 そういい、湯気を上げるコーヒーを啜るのはイヤーマフをしたハルカである。


 都市迷彩柄である白を基調とした薄手のポンチョのようなモノを羽織り、すぐ傍には自身が愛用している狙撃銃“L96A1”が立てかけてある。ちなみにこちらも都市迷彩をほどこしておりポンチョとお揃いだ。


「ハルカの意地悪」


 そう言い、同じくコーヒーを口に運ぶのはサキだった。


 彼女が持つカップにもハルカと同じコーヒーが注がれており、その苦味を舌で感じながらも飲み込んでいく。


「砂糖、結構入れたけど大丈夫だった?」


 普通であれば砂糖というものは女子の大敵である。


 毎日摂取するカロリーなど年頃の乙女にとっては非常にナイーブな問題である。


 用意したハルカもその一人であり、食事に関しては日ごろから徹底的に管理しているのだ。


 しかしながら現在の状況では少しでも体を休めるという意味もあるためあえて砂糖を支給している。


 使うかどうかは個人次第ではあるが。


「うん、ありがとう。ハルカは相変わらずブラック?」


 そういってサキが視線を向けるのはハルカが持つカップである。彼女のカップの中身は真っ黒であり、サキのようにミルクや砂糖を大量に入れたりはしていないのだ。


「ん?そうよ、サキも飲んでみる?」


 そのような友人の問いにフルフルと首を振るサキ。彼女が苦いものが嫌いであることは友人であるハルカにとってはすでに当たり前であり、態とであったが。


「そう」


 短くこぼすハルカは再びカップに口をつけるのだった。




 現在二人がいるのは薄暗い空間である。


 剥き出しのコンクリートと壁がない空間であり、開いている場所からは冷気が流れ込んできている。


 二人を含めた遊撃部隊がこの場所で待機を命じられてすでに5時間。通常であればすでに帰投命令が発令されていてもおかしくないほどの待機時間である。


 しかしながら現在もこの場所にとど待ち続けている理由としては


「本当に来ると思う?」

「さあ。でも観測班からはまだ消失ロスト報告受けてないわよ?」


 5時間前。事前に受けていたミッションを無事にクリアしたサキの班は新たな命令を受けた。


 大規模なバルグの集団が発見され、その集団を撃滅せよとの事だった。


「来てくれないと困るんだけどねぇ」


 サキとハルカの二人の会話に新たに参加してきたのは中年の男だ。


「カスガ隊長、工作は終わったんですか?」


 サキと同じ色合いの軍服に身を包み、身長は平均よりも低い170センチほど。筋肉質でもなく、だが鍛えていないわけでもない肉体に平均的な顔がついている。


 隊長と呼ばれた男は苦笑いしながらも近くの部下から湯気の上がるコーヒーを受け取った。


「うん、終わったよ。予備の分まで全部セットしたから帰りには使えないけどね」


 もともとの予定ではすでに帰投していたはずだったのだ。そのため爆薬類の補充がなく、予備として運んでいたものまで使用することになった。


「合流した他の班のも使って、ですか?」


 問いかけるのはハルカ。事前に与えられていた情報から合流した他班の爆薬も使用することを知っていたのだ。


「うん。報告されてる数が多いからね。万が一も考えて予備のものも設置したんだよ」


 それにね、とカスガは続ける。


「他の班の車両が破損しててあんまり荷物を運べないんだ。だから使ってしまおうってね」


 移動途中でのバルグの襲撃は日常茶飯事である。それを極力なくすために観測員を各所に配置しているのだがそれでも固体単位での漏れが出てくる。それらの不意な襲撃で装備が破損したりするのだ。


「あー、たしかに廃棄するよりは使ったほうが良いですもんね」


 納得、という表情で返事を返したハルカは愛銃であるL96を引き寄せる。彼女が使用しているこの狙撃銃の弾丸も自身で運んでいるのだが、小柄な彼女には重いのだ。


「さて、一服もしたところでそろそろ斥候を出すかな」


 隊長としては観測班からの連絡がないのは不安になる。万が一こういった休憩中に戦闘に入ると危険であるからだ。だからこそ各班には斥候として観測要員が配置されているのだ。


「私が行きましょうか?」


 斥候としての訓練を実地で受けたハルカが立候補する。


 実際のところの理由としては寒いために体を動かしたいと言うのが本音だろう。


「お?頼めるかい?斥候役の子を工作に使ってしまってね。まだ休憩中だから忍びなかったんだ」


 首をすくめながらそう言う隊長に苦笑いで返した。


 隊長という命令する立場において部下を使うのは仕事であり当たり前の行為だ。もちろん軍というモノは時には死地に行くように命令する場合もある。


 だがカスガとしてはなるべくそう言ったことをしたくない、と考えている。これは軍人にはあるまじき行為ではある。しかしながら扱うのが人間である以上、致し方ないのかもしれない。


 それにカスガは部下たちからは非常に好意的な態度を受けているのだ。それで帳消し、とまではいかなくとも職場の雰囲気としては良いだろう。


「はい。では通信装置を一式貸していただけますか?」


 ハルカの仕事は基本的に狙撃を主としており、通信装備も最低限のものである。その為、中継地点を必要としない大出力の通信装備を持っていない。これら装備は基本的に斥候部隊の通信隊員しか持ち合わせておらず、数も多くないのだ。


「ああ、向こうで手配しよう。ついて来てくれるかい?」

「はっ」


 短い返事を返したハルカは手に持っていたカップをサキへと渡す。


「いってらっしゃい」


 カップを受け取ったサキは視線と言葉で送り出す。本当は手を振って送りたかったのだろうが受け取ったカップで両手が塞がったのだ。


 サキの言葉に軽く手を上げただけで返事を返したハルカはカスガと共に本部横の物資蓄積場まで同行していった。


 一人残されたサキは、というと


「にがっ」


 先程ハルカから受け取ったカップに口を付けていた。


 自身の持つ甘いコーヒーではなく、興味本位からかハルカのブラックに口を付けたようだ。


「やっぱり、ブラックはむり」


 改めて確認したサキは自身のカップの中身を美味しそうに口に運ぶのだった。






「おかしいわね」


 自身が吐き出す白い吐息がゴーグルを曇らせる寒空の下。ハルカは路地に立っていた。


 先程まで待機していた本部から距離にして5キロほど離れており、すでに敵勢力範囲に入っている区画である。


 未だにこの区画はバルグの出現数が多く、殲滅が完了していない区域である。その為人の姿などなく、降りしきる雪が地面に僅かに積もっている。


「観測班の人がいないんだけど」


 カスガ隊長からの事前情報では斥候班から定時連絡が途絶えていることは聞いていた。しかしながらそれらは機材の不調の可能性もあり、現にこれまでも何度か不調を起こしていた機材であるという。


 そのような場合においてはハルカが現在いる地点のように集合場所をあらかじめ決めており、人力での情報伝達という何ともアナログな手法を用いているのだ。


 そんなことからも最悪の可能性も考慮しつつ、命令されていた索敵範囲を多少オーバーしてバルグの集団を探していたのだが


「短距離無線でも反応がない」


 サキが背中に背負っているバッグ型の通信装備は通信距離50キロにも及ぶ高性能機であり、コンクリートなどで囲まれているこの都市の中でもノイズなく通信できる装置だ。


 そしてそれはもちろん受信に関しても優秀であるという事であり


「この機械が拾わないって事は、やっぱり」


 そう、先ほどから背中に背負う通信装置からは定期的にノイズしか流れおらず、それ以外は本部からの通信しか拾っていない。


「これは、最悪の想定をした方がいいかもしれないわね」


 そう呟くと先はここまで乗って来た電動バイクに跨る。学園では乗る機会が無かったため、軍と合流後に短期間で操縦を覚えたのだ。その為未だ慣れているとは言い難いが、このような作戦では乗る機会も多いため同僚であるサキ達と比べるといくらか上手なのだ。


 そんなこともあり、今回の索敵では貸し出してもらったのだが


「路面が凍ってる場所もあるから面倒なのよね」


 この場所まで来る途中で何度か滑りそうになっていたのだ。そのたびにヒヤッとする感覚がハルカを襲っており、その感覚がハルカは嫌いなのだ。


「まあ、しょうがないわよね」


 そう言うとハルカはスロットルを回し、帰路へとついた。




 どのくらい走ったのだろうか。


 運転途中では風切り音で周りの音が聞こえずらい。それはいくら低速で走っていると言っても雪が降る視界不良の中でとダブルコンボでは不可能に近いだろう。


 だから不意に視界に映った緑の物体に気づくのが遅れても仕方がないことかもしれない。


「くっ」


 飛び出してきたのはバルグであり、単体だった。もしバイクで走行中でなければハルカも即対応できたのかもしれない。しかしながらまだ運転初心者であり、運転中に迎撃するなど器用なことが出来る筈もない。


 だからこそ彼女にできたのは迫るバルグの体から自らの体を僅かに逸らすことであり


「かはっ」


 なるべく綺麗に受け身を取るという事だけだった。


 もし通常60キロほどでバイクを運転して転倒した場合、運転手はどうなるのだろうか。答えは単純であり、打ちどころが悪ければ大怪我を負うだろう。


 しかしながら今回は視界不良による低速での運転。路肩に積もった雪がクッションになったことから僅かに打ち身をするだけ、という奇跡的な状態であった。


 一瞬混乱しかけたハルカだが、体を打ち付ける事でそれらを痛みで上書き。その事により冷静になれた。だからこそ目の前から迫る緑色の物体に反射的に抜いた自動拳銃の引き金を引くことが出来たのだ。


 10発ほど続く拳銃の発砲音。通常ならば甲高い炸薬の炸裂音が聞こえてくるのだろうが彼女の役職からも拳銃にも減音装置が付いており、カシュッと擦れるような音しか聞こえなかった。


「はっ、はっ、はっ」


 不意打ちを突かれたハルカだが、奇跡的にバルグの迎撃に成功していた。


 倒れた際にバイクが体の上に折り重なり、それによってバルグの牙から逃れていたのだ。


 バルグとバイクの二つ重なり合う重しの下から何とか這い出たハルカ。彼女の吐息は荒く、また心拍数も経験したことがないほどに高まっている。


「なんで・・こんな、ところにバルグが・・・」


 そういって向ける視線の先。先ほどバルグが飛び出してきた交差点の先へと目を向ける。するとその先には


「っ!」


 それを確認したハルカは急いでバルグを押しのけ、バイクを起こした。そして直ぐにまたがるとスロットルを最大に走り出したのだ。


 そして狙撃手として優秀な視力で捉えたモノの報告を口早に報告する。


「イーグル1よりCP4へ!大規模バルグの集団がポイントF-23地点を南下中!大至急報告を!」


 この言葉を叫びながら道路をひた走るハルカ。その上を彩る空はいつの間にか雲を晴らし、青空が広がっていた。

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戦場はいつも群青色で泣いている 織田 伊央華 @oritaioka

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