預けられる
第16話 迷子
馬車に乗った二人が、薄暗くなり始めた
誰かをこんな気持ちで見送ったのは、ひょっとしたら初めてかもしれない。危ない目に合わせてしまった申し訳なさ、もっと何か返せたのではないかという後悔、そして沢山の感謝。感情が混ぜこぜになった状態で自分の中に溜まっている。
彼らには、又会えるのだろうか。ちゃんとしたお礼を、いつか、したいものだ。
置いて来てしまった女性は、後からついて来ていたらしく、馬車が見えなくなるまで見送る私にずっと付き添ってくれた。やがて目に焼き付いた彼らの残像すら見えなくなった頃、女性は何も言わずに私の手を取り、丘の上にぽつんと佇む建物へと向かった。
門から建物への道は、思いの外長く、地平線の下に隠れてしまった太陽の残り火に灯された敷地は様々な植物に覆われている事が分かる。手が行き届いている花壇もあれば、
目前まで迫っている建物は基本はシンプルな木造建築に、要所要所組み込まれた石が土台などを支えている。所々には屋根に掲げられていた丸いモチーフが飾りの一部にあしらわれていて、窓にもその模様が特殊な塗料か何かで描かれている。
窓に鉄格子は無い。心配していた牢屋でも、精神病棟でもないようだ。町から外れているが、宿泊施設の一種かもしれない。
今更ながら、当たり前の事に気付く。
どうしよう。お金を持っていない。
コニカはこの女性に私の事をどう説明したのだろうか。お金を持っていないとは伝えられているのか。お礼を言われていたという事は、私が山賊相手に少々大胆な行動を取った事は知られているのだろうか。言葉が分からない事は、きっと最初に話しただろう。他には何を伝えたのか。まさか、大泣きしてしまった事も彼女は知っているのだろうか。
頭を抱える。だが、過ぎた恥はどうやっても取り戻せない。
そう言えば、コニカは私の置かれている状況をどこまで把握していたのだろう。迷子で泣き虫で言葉も分からず、という条件では旅慣れしていない外国人でも当てはまりそうだが。或いは家出をしたと思われていたとか。そもそも、この世界では異世界からの人間とはどういった認識なのか。日本であれば、間違い無く笑い飛ばされ、挙句精神科行きだ。
いや、それよりも私自身、自分の状況を理解し切れているかと問われてしまえば、言葉に詰まるところだ。馬車に揺られていた時は、強引に異世界に何らかの拍子で飛ばされたとして話をまとめたが、もっと具体的に理解しなければ帰る方法も見つからないのではないだろうか。
物理的に不可解な火の起こし方を目の当たりにして日本、もとい地球ではないと判断した。では、ここは一体どこなのか。
うんうん唸っている間に私達は表の扉を抜け、吹き抜けになっている玄関の奥の廊下を通り、またもや天井の高い大広間に辿り着いた。女性に手を引かれていない事に気付き、思考が現実らしからず世界へと引き戻される。
食堂だ。三十人程の子供が長机二つを、それぞれ囲んで食事をしている。空間はかなり広く、六台の長机は人が通る通路を何本も残す様に、平行に設置されている。私達が入って来た入り口は、丁度その六台の長机の並びの真ん中の通路を直進でき、その両側の二台の机で子供達はご飯を食べている。
奥に進めば、同じ型の長机何台かが間隔を開けて、六台の机に対して垂直に設置されている。その上には大きな鍋や皿に盛られた、美味しそうな料理の数々。思わず喉が鳴る。
学校の給食を思い出す。昔、重い鍋を係りの者がえっちらおっちら教室へと運んだものだが、ここはどうやら大きな台所がその机のすぐ後ろにあるようだ。何とも親切な造り。
女性は長机の間を歩きながら手を叩く。先程まで
食堂には小学校にも上がっていないであろう少女から、中学生くらいの男の子まで居る。皆、街中で見かけた人達に比べ、服装がシンプルな印象を受ける。なぜかと思い、一人の女の子が着ている薄い橙色のワンピースに絞って観察してみると、少し前に見た物より刺繍が少ない事に気付く。その隣に座っている少し年功者の男の子の服の方が、若干増えている事を鑑みると、年と共に増やす物なのかもしれない。
説明が終わると元気良い女の子が席を立ち、立ち竦んでいる私の手をぐいぐい引っ張る。
ついて来いという事か。
自分の席まで戻ると、片手で自分の皿を横に寄せ、空いた所の長椅子を小さな手でバシバシ叩く。
座れという事か。
大人しく従う私を見て、女の子は満足気に、にまっと笑う。前歯一本分抜けている隙間から舌が覗く。六、七歳くらいか。気が済んだのか、その女の子は私の隣でガツガツと食事を再開させた。
その食べっぷりに
欧米風の見た目から、てっきりパン文化だと思い込んでいたのだが、違うのか。振り向けば、食事を持って来てくれた中学生くらいの女の子がいた。金髪のくせっ毛を二つのおさげに纏めたその子は、お皿の横に持って来ていたスプーンを添える。
「ありがとう」
覚えたばかりの言葉を駆使し、お礼を述べる。女の子ははにかみ、応える。
「どういたしまして」
聞き取れた新しい単語を頭の中で反復しながら、料理を口に運ぶ。妙に納得する。
ここは、きっと孤児院だ。最初、子供達が集まっている事から学校かと思ったが、よく考えればもう日が沈むような時間帯。夕飯まで食べているという事は、ここに住んでいるのだろう。
孤児院だとすると、合点がゆくものがあるのだ。例えば、屋根などに見えた、ドーナッツ型の飾り。あれは、私の知っているところで言う、十字架ではないだろうか。協会が運営している孤児院というのは、良く耳にする。
当たり前ではあるが、私は子供と呼べる年齢はとうに過ぎている。お酒も飲めれば、選挙にも行ける。法律上、あと少しで選挙に立候補したって何ら問題無い年になる。飽くまで日本では、という話になるが。
だがこの右も左も分からない中、唯一分かっている事。
私は、迷子である。
異世界人だか、宇宙人だか、時空を超えてきた人間だかは分からないが、私はまごう事無き迷子なのである。そう考えると、この世界に於いて、これ以上今の私に相応しい場所は無いように思える。
迷子に孤児院。妙に、しっくりくる。
白魚の混じった野菜の煮込みを口に運びながら、状況整理をしてみる。食べた事の無い味わいだが、これがなかなかいける。勝手な思い込みかも知れないが、孤児院にしては、食事が豪華な気がする。
ここに居る限りは、当面の衣食住は心配しなくても良いという事だろうか。孤児達が普段どういう生活を送っているのか不明だが、私もそこに加わるのか。生活に直結する家事、炊事は想像つくが、他に何をするのだろう。寄付金のみでは生活は回らないのと思うのだが。内職、とかだろうか。
ほうれん草の様な葉の酢漬けを咀嚼。
そう言えば、私はここの宗教だか宗派だかに所属しなければいけないのだろうか。後ろ盾ができるのは嬉しいが、正直動きを制限されるような事は避けたい。何せ、私には帰り方を探すという目的があるのだから。
野菜から滲み出たつゆを含んだ玄米を味わう。日本ではそれほど食べる機会の無かった代物だが、味、香り、食感、私が最後に記憶しているものと一致する。取り敢えず食に関しては、何とかなりそうだ。
さて、帰る方法についてだが、私はここ数日痛感している事がある。それは帰る方法より先に、帰る方法を模索する手段を考えなくてはいけないという事だ。
例えば言語。帰り方を記した紙がそこら辺に転がっていたとしても、今の私にそれを解読する事は不可能だ。
更には、どこを探すかというのも重要になってくる。ここにどれだけの情報量が舞い込んでくるのか分からないが、思うに、私の求めているものは孤児院で永遠と家事の腕を磨いたとて、手に入るものでは無いだろう。
ではどこを、或いは何を探れば良いのかというと。実はこれに関しては、ここ二日で一つ心当たりがある。というよりも、一つしか無い。だが、それと同時に新たな問題が浮上する。
仮に私が帰る方法を見つける目途が立ち、充分に言葉を理解できるまで到達したとしよう。それを求めて孤児院を離れれば、私は再び衣食住の悩みを抱える事となるのだ。金目の物は所持品に無いし、軽いバイト以外は研究室でしか働いた事の無い学生の私の社会適合率はどれくらいのものか分からない。下手したら、その日暮らしの生活を送る羽目になるのではないだろうか。そうなってしまえば、最早帰還方法を探すだけの時間も資金も無くなってしまう。
食べ終えた私の前に湯気が立っているコップが置かれる。持って来てくれた男の子にお礼の言葉を口にすると、発音を直されてしまう。そのまま繰り返しているつもりなのだが、これいまいちというところらしい。五回目にて合格点を頂けたのか、はたまた諦められてしまったのか、男の子は頷いて、香り立つ暖かい飲み物を配る作業に戻った。
自分のコップを覗き込む。薄っすら紅色を帯びた液体から、独特な香草の匂いがする。一口飲むと、安心からか不安からか、かなり長い溜め息が出てしまう。
少なくともクリスマス、あと正月までに帰るのは無理だ。それこそ都合良く救世主が帰還方法を引っ提げてここを訪れない限り。そんな事が起きると信じられるほど、私は楽観的になれない。ならば自力で何とかする外、手段がないのだ。
あぁ、でも。
覚悟を決めた傍から揺らぐのもどうかと思うのだが、思わずには、願わずにはいられない。
早く帰りたいなぁ。
フーヤマ・シッカ 中 真 @NakaMakoto
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