陰陽師の事

 槙島は私の質問に困ったようにしばらく唸ったあと、

「いや、俺も本当になにも知らないんですよ」

 と念押しをした。

 上々。そのステップを踏んだことで、槙島の口は軽くなる。相対する私という存在も、それを加速させるだろう。この男が私に対して行われた所業に、良心の呵責を覚えていないはずがないから。

「十塚さんに聞いた話ですけど、まあ、当然、陰陽寮も一枚岩じゃないみたいで」

 宮内庁陰陽寮。現代には本来存在していないはずの国家機関。陰陽師という言葉のイメージは飛躍し拡散しているが、それはすなわち陰陽寮に属する役人を意味する。

 だが、明治に入ってすぐ廃止されたはずの陰陽寮が、当時の体制のままであるというわけはないだろう。

 陰陽寮の現状は、各地の民間から現れた優れた霊能者を登用し、契約――書面か、あるいは呪的なものか――で縛った上で国家公務員の職を与えているのが実際のところだという。

 そのため陰陽寮内では、あらゆる宗派、様式が種々相に入り乱れている。神道、密教、修験道――西洋魔術にルーンなど、日本以外の様式を用いる者さえ存在する。

 であるならば、当然、そんな組織の内部はさぞかしおぞましいことだろう。

「十塚さんはミームファージという機密を自分で手にしました。それで、十塚さんの派閥は一個、格が上がったらしいんですね。外部に機密を持ち出すことが許されてしまうくらいに」

 陰陽寮が有する機密は、それはもう膨大な数におよぶ。そしてそれは統括されておらず、共有もされていない。最重要機密を保持していることが派閥としての力を高め、その機密のやりとりがすなわち政治と化す。

「九鬼さんはどうも、十塚さんとは違う派閥だったらしいです。でもそこに、十塚さんがミームファージの情報を流した。早い話が、囲い込みですね」

 機密の保持はそれだけで力を生む。つまり相手にその機密を受け渡せば、相手を自分たちの側に囲い込むことができてしまう。それが口外を巌に禁じられているものであればあるほど、権力の趨勢は大きく傾く。

「九鬼さんが担当していたのは、あの仮面です。特級呪物『降魔の面』。あの仮面一つのためだけに、相当なリソースが割かれていたそうです」

 槙島はそこで両手を挙げてひらひらと振った。

「俺もそのくらいしか知りません。鹿村さんが自分の目で見て確認したほうが、はるかに有益な情報を得られると思いますよ」

「いえ、大変参考になりました。ありがとうございます」

 私は礼を言って、ベッドに仰向けに転がる。見なれた天井。しっかりと私の顔を撮影し続ける隠しカメラの位置も変わらない。

 槙島は口を閉じたままその場を動かない。個人としての私の管理がこの男の仕事の一つだ。

 かと言って、特に距離を詰めてくるわけでも話を振るわけでもない。私はそこに好感を抱いている。それはすなわち、私の救いようのない絶望を全く救えないものだと認めているということだからだ。

 人間相手の形式に則った会話は行うが、私という個人の領域に踏み込むことは決してしない。

 一度壊れて、組み直され、自壊し続けなければ動くことすらできないようになった人間相手に、温かい言葉や親密なコミュニケーションは全くの無為にしかならない。

 槙島はわきまえている。自分を過大評価していない。だが、些細な良心を手放すことはできない。

「槙島さん」

「はい」

「九鬼さんと会話を行うことは、可能ですか?」

 槙島はまた困ったように唸る。私からの申し出など即時却下してもいい身分だというのに、律儀に折衝をシミュレートして悩んでいる。

 私が会話を行うということは、それだけで危険物の取り扱いを相手に強要することになる。私の言葉はその一片一片がヒトを殺めるための刃であり、もし私に解釈を敷衍されてしまえば逃れるすべはない。こうして平然と私と会話している槙島もまた、常に私の刃に晒され続けていることに変わりない。それを理解できていないはずはないが、槙島は特に目立ったリアクションはとらない。

「どうでしょう。彼はまだ陰陽寮に籍を置いていますし、こちらに出向いてもらうのは実験の際だけということになっていますが……」

 陰陽寮に籍を置いている、というのなら、情報防疫班班長の十塚紅葉も立場としては同じである。十塚は現役の国家陰陽師であり、つまりはまだ陰陽寮に所属する役人という肩書きは変わっていない。

 問題は、「国家陰陽師」という括りがあまりに粗雑だということだ。そこに通底した理念はなく、一貫した思想もない。

「次の実験は」

「三日後の予定です。なんなら今からアポをとりに動きますが」

「お願いできますか。少し、聞いてみたいことがあるので」

 槙島は頷き、携帯電話を取り出して耳にあてる。正式なやりとりは電話で直接という旧態依然の形式はなかなか変わらないらしい。槙島などはそれに辟易する側の人間だろうに、わざわざ相手側の流儀をとっている。

 三度違う相手に電話をして、槙島はどっと溜め息を吐いた。

「ひとまず、俺にできる範囲の根回しはしました。あとは十塚さんがどう動くか、ですね」

 では、と会釈をして、槙島は部屋を出ていった。これから班長――十塚に掛け合いに向かうのだ。

 私はずっと天井を見上げたまま、頭の中に降っては湧いてくる解釈を処理するのに忙しかった。

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三日月タタリの解釈違い 久佐馬野景 @nokagekusaba

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