接近遭遇の事
これから行う実験は第二種接近遭遇に該当する――と言われて、私は鼻で笑ってしまった。
陰陽寮はどうやら未確認飛行物体と、彼らの担当する領分を同種のものとして見ているらしい。接近遭遇というのは、UFOを人間が視認した時に用いられる用語である。
第一種は視認。
第二種はUFOからなんらかの影響を受けること。
用意されたこの仮面は、ならばエイリアンクラフトなのか――と言えば、槙島などは大真面目にUFOとエイリアンはイコールではないと述べて、笑うだろう。
しかし、だとすれば第三種にも該当するのではないかと、私はなにもない隔離された空間を監視カメラからの映像で眺めていた。
ここに、感染者が収容されている。
〈
第三種は、UFOの搭乗員との接触。
私がこれから行おうとしているのは、その感染者の解釈である。
この世のものではなくなった相手への――間接的な殺傷。これは接近遭遇には含まれないのだろうか。陰陽寮とやらの基準はよくわからない。
いや――それよりも重大な異物が、この仮面だという話なのかもしれない。
ミームファージや妖怪などとは比肩するべくもない、接近遭遇に該当してしまうほどの異界との繋がり。
このものものしい封印。監視カメラ越しに見える隔離空間にも様々な呪的防護がなされているが、この仮面に対するものよりは大人しい。
仮面の入ったアタッシュケースの横には、背の高いスーツ姿の男がずっと控えていた。私に第二種接近遭遇についての注意事項を律儀に説明した、陰陽寮から出向してきた国家陰陽師――確か名前は
「なにか」
顔を見上げる私を見て、九鬼は警戒心を面に出さず、だが諫めるように口を開く。
それはそうだろう。彼らにとっては私との接触もまた、接近遭遇と同じなのだ。
「始めないんですか?」
私はそこで視線をアタッシュケースに落とす。九鬼は私の視線誘導には乗らずに顔から目を逸らさない。
「手続きがまだ完了していませんので」
「そんなに面倒なんですか」
「ええ」
九鬼は鉄面皮のまま、
「国家の危機ですから」
冗談だろうか。危機的状況への上層部からの認可の遅さへの。解釈しようとしてみて――やめた。このくらいの解釈の余地を残しておくくらいが、私にとっては居心地がいい。私の中の〈
「九鬼さん。なにが視えてるんですか? というか、カメラ越しでも視えるものなんですか」
「ええ。あなたと同じくらいの年格好の女性です。ただ呻き声を上げて、部屋の中を歩き回っています」
「ゾンビ」
「ブードゥーには詳しくありませんので」
案外話せる相手なのかもしれない。少し興が乗ってきたところで、九鬼の携帯電話が鳴った。
短く返答だけをして、通話を切る。
「これより特定大規模テロ等特別対策室情報防疫班管轄のもと、仮称・ミームファージ非定向編集体の解体実験を行います。記録者および監督者は国家陰陽師九鬼
よろしくおねがいします――この場の面々が、口々にそう言って独自の仕草や言葉をとる。
九鬼はアタッシュケースを開き、私をその前へと誘導する。厳重な封印をかけられたままの白い仮面に、私は手を伸ばす。
仮面の頬に手が触れる。その冷たい感触を合図に、私はモニターへと目を向ける。
「視えました」
画面には九鬼の言った通り、若い女が虚ろな顔と動きで映っていた。私は女の様子を事細かに説明し続ける。それを九鬼が聞き取り、自身の目で見た様子と照らし合わせ、私が実際に女を視ていることを確かめる。
「第一段階、『降魔の面』による擬似浄眼神経の形成を確認」
この仮面は、触れた者に見鬼としての力を与える。すなわち妖怪を視る能力の後天的付与。とはいえこの視界は仮面に触れている間だけの擬似的なもの。
ここからは素早く――と先に説明されている。律令の如く急げ急げ――。
私は女を視ながら、自分の中――あるいは外に展開する〈
解釈の余地。そこに潜む妖怪。私に取り憑いたミームファージは解釈の余地という領域を見つけると、それを処理しようと演算を続ける。その続けられる演算という流れによって生まれる意識流。その名が、〈
女の表情。挙動。背格好に服装。その間隙に存在する解釈の余地に無遠慮に分け入り、余剰リソースを貪り食う。
それは単なるミームファージの意識流を表層化させるための工程。私の本領は、それを利用した――無慈悲なまでの解釈。
お前は生きているのか。
ならば死んでいるのか。
であれば何者か。
答えぬなら、首を差し出せ。
解釈してやる。
じりじりと目の裏が焦げるような感覚。解釈所以ではなく、おそらくは視覚に強引な後付けを施したことによるもの。
九鬼がすわと視線を投げてくるが、私は空いている左手をひらひらと振って平気だとジェスチャーをする。
「聞こえますか。返答は求めません。私の言葉を聞いていればよろしい」
私は手元のマイクにそう声を上げる。当然このマイクに集音された音声は隔離室のスピーカーに通じており、女はリアルタイムで私の声を聞いている。
他者を解釈する際に厄介なのは、自分の中だけで解釈を完結できないところだ。自分の中で組み立てた解釈を、相手に伝え、その世界観を侵す必要がある。いくら自分の中で他人を好き勝手に解釈しようと、それを頭の中だけにとどめておけばなんの害も生まない。
解釈人とは、その良識を捨て去った者を言う。
だがそのために、どうしても必要なものがある。
言葉。
声でも、文字でも、あるいは動きでもいい。解釈を組み立て、それを外の世界へと放つには、どうしても言葉が要る。
それはミームファージに感染した私も例外ではない。私の解釈はほかの解釈人などとは比肩できないほどの爆発力を持つが、それを起こすための火種として、言葉は省略することができない。
「
私は事前に聞かされていた女の来歴を話していく。だが女はまるで変化を見せず、ただゾンビのように歩き回る。
「そのうちに宿るお前は誰だ。私の名は〈
話しながら、私は左手で矢継ぎ早にジェスチャーを繰り返し、自分が鹿村キボウであると九鬼に納得させ続ける。
私が〈
だけど――そう。
死んでいたほうが楽だったのに、と思ってしまうからには、どうやら私はまだ生きているらしかった。
安西清美からの返答はない。これはわかりきっていたことだ。彼女はすでに人語を解さず、緩慢だが凶暴な動きを繰り返す怪物になっている。
問題は、彼女の中の非定向編集体。それがどのようなリアクションを起こすか。私はモニター越しに、自分の目と、展開され続けている〈
「時間です」
九鬼がそう言って、私を仮面から遠ざけた。
膠着状態が続いていたのは――時計を確認する――十分ほどだったらしい。だが全神経を稼働させていた私にとっては、数秒のようにも数時間のようにも感じられた。あまりそちら側に傾きすぎると、人間としての感覚を喪失しかねない。
仮面との接触には規定の時間が定められている。それ以上の接触は危険と聞かされており、私はもうなにも見えなくなったモニターを睨んだ。
これから九鬼や情報防疫班によるヒアリングが行われる。私の話すことは「なんの反応も得られなかった」以外にないのだが、そのネタだけで半日は拘束されるだろう。
私は閉じられるアタッシュケースを一瞥する。ぞわりと、身体の内側を撫でられたような悪寒が走った。
なるほど。第二種接近遭遇に該当する、特級呪物『降魔の面』。
九鬼は「コウマ」と発音していた。私の解釈は、そこに「降魔」という漢字表記を見出す。
「降魔」は本来「ゴウマ」と読み、意味するところは魔を調伏するといったあたり。
だが「コウマ」――あえて読み方を変えているのだろう。言葉に宿る呪を陰陽師が重視しないはずがない。
そうなれば意味するところは、魔を降ろすといったところか。
どうやら面倒なことになりそうだと、私は解釈を延々こねくり回しながら、それによって意識を活動させていた。
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