非定向編集体の事
「非定向編集体……?」
憔悴した顔の槙島が口にした言葉を、私は鸚鵡返しで聞き返す。
「そうです。その呼称も仮のものですが……厄介なことになってきました」
特定大規模テロ等特別対策室情報防疫班の本拠地。かつて鎖で繋がれ、今もまだ寝起きを監視されているこの部屋がどこにあるのか、私は知らされていない。
ただ、行き方と帰り方は知っている。
都内の地下鉄駅に関係者用パスで入り、そこから線路の隙間を歩く。やがてご立派な専用通路に通じ、そこからは道なりに進めばこの地下施設に辿り着く。
都内の地下にある非公式の政府施設――となれば、情報防疫班の前身と合わせ、自ずと答えは見えてくる。私などが住まわせてもらうにはあまりに高貴な場所だろう。
今日の私は非番だった。いや、私にお鉢が回ってくることは数えるほどしかない。私が頻繁に出張るほどミームファージの感染者が蔓延っていれば、この世はもっと面白くなる。
「我々が持っているミームファージの情報は――持ちうる限りの全てですが、それでもなおあまりに少ない。ですから今回の対象が〈
「それで、新しい呼称ですか」
「ええ。いたずらに新たな
「解釈人――というわけではないんですか」
私に巣くう〈
己が解釈を他者に敷衍するという、ありふれた、だが強大な力を顕した愚か者ども。
私はいわば、「解釈人の解釈人」だった。解釈人によって溢れ出た、この世の常理を捻じ曲げかねない解釈を、〈
今はその役目をあれに譲ってはいるが、私の持つ力は未だ健在だ。疎ましいことに。
現につい先日、〈
あれは現在解釈人の隔離地域にその身を寄せているが、それでも一度溢れ出た解釈人全てを隔離できたわけではない。残党狩りという意味では、私の役目は変わっていなかった。
「それなら楽だったんですが――いえ、失礼」
槙島は冗談のつもりで言った前半を、私の表情を見てすぐさま取り下げる。
私がこの顔に浮かべているのは、いつだって絶望だ。ここではありのままの私でいることを許されている。
それに律儀に反応するだけ、槙島が善良だということだろう。可哀想に。そんな者が私の相手をするべきではないのに。
「解釈を押しつけているわけではないんです。ミームファージは情報寄生体のようなものですが、今回はその宿主が、なんと言いますか……」
言いにくそうに語尾を濁らせる槙島。私が少し睨むと、すぐに謝って話を続ける。
「ええ、ヒト――なんです」
「それは、〈
「そこがややこしいところで。〈
それは――私も同じだ。〈
「ですが今回の非定向編集体は、ヒトそのものに寄生している――そうとしか思えないんです。陰陽寮からの資料がこちらですが」
ベッドの横に置かれているコピー用紙の束を手に取り、一瞬で全てに目を通す。
簡潔に言うと、人が消えている。
それも、陰陽寮が把握している、この世ならざるものを視ることができる者――見鬼たちが。
だが、その存在を陰陽寮は補足できていた。
消えていない――のではない。確かに見鬼たちは消えている。
この世から。
見鬼の目や式占によってのみ確認できる状態――言うなれば幽霊や妖怪と同様の存在に、生きたまま成り果てていた。
情報防疫班はこの見鬼たちを入念に調べ――それ自体に莫大な労力を要した――結果として、彼らがミームファージに感染していると結論づけた。
問題は、その感染者たちが、〈
まず、〈
そして〈
だが、今回の感染者たちは、目に見えて凶暴かつ、理性らしきものを一切持ち合わせていなかった。
「下手なことは言えないし、俺は見鬼じゃないので直接は見てないんですが、陰陽寮の人の話だと、あれはまるで、ゾンビだと」
「噛まれると感染するんですか」
「いや――どうでしょう。試していないので確認はできていませんが、もし可能ならもっと大規模になっているはずなので、その恐れはないかと」
安堵と失望のなりそこないのような息が漏れる。さすがにゾンビ相手に大立ち回りは、私にも無理だ。
「そこで今回鹿村さんに頼みたいのは、こちらで収容している感染者への解釈なんです」
「私は視えませんよ」
〈
私は妖怪を視ることができない。妖怪のような代物に身体を明け渡しているというのに、大祭礼の夜以降、アクチュアルな妖怪とはまるで縁がない。
感染者は妖怪と同じ状態にあるということになる。ならば私には視認すらできない。見えないものを解釈しろと言われて――できないことはないが、完全に息の根を止めることは難しいだろう。
「そこで、これです」
槙島はアタッシュケースを開き、直接手で触れないように気をつけながら、アタッシュケースごと私のベッドの横に置いた。
白い、なんの装飾も施されていない、のっぺりとした仮面が何重にも封印を施されて安置されていた。
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