第5話 潰す
建物の上で鳥を取っ捕まえて、ハラワタに喰らい付いて、喰い千切る。
「鳥肉は……飽きたなァ」
次は何を喰ってみようかと、空腹を満たす物に想いを馳せながら、その死骸を鴉の巣に投げ入れる。数刻もしないうちに骨だけになるだろう。
「……足りない……」
空腹が思考を蝕んで渇望を押し上げる。
何か、食べたい。
空腹を満たさねば。
美味しいものを、寄越せ──
「張り付きは……しんどいな……」
シェオル・カレンデュラ。
推測年齢、約十六歳前後。
朝日が昇る前から、目星を付けた場所の張り込みをしていた。
(……動き……動きは……? ヒト……何処だ……)
空腹に苛まれる頭が、思考をバラバラにして止まない。
──殺してはダメだ。まだ暴れてはダメだ。だからといってここを離れてはいけない。だが空腹が収まらないお腹いっぱい美味しいものを喰わせろ──
腕が動く。
建物……一軒家か集合住宅かは知らない。ともかく建物の石材に腕が伸びて、指が掴んで。
破壊するように抉り取る。
それをすぐさま口に含んで、バリバリとあり得ない咀嚼音を立てながら少女はその石材を喰らう。
「石の味……マズい……」
自然と出た呟きに、そりゃ当たり前だと思いながら、自分の思考が正常である事を確認する。
シェオルの身体は燃費が悪すぎる。人間が満足する量や味を食べたとしても、一刻もしない内に飢餓感と美味しいものを寄越せという渇望が燻りを取り戻す。
夜中から張り込んでいる彼女は、近くを通る鳥ばかり喰らい続けた為、流石に飽きてきてしまい、いくら肉を喰らっても食べているという実感を失い、半ば暴走しかかっていた。
故に石とは言え別の物を喰らいその味を認識した、ということは彼女の人間性と呼べる……かも怪しいが兎にも角にもそれに近いものが取り戻されたという証明なのだ。
「いかんいかん。あのサクサクでも分けてもらってりゃよかったな。失敗した」
不意に、何かが光ったのが見えた。
(鏡? 魔法光? 朝日じゃない……なんだ、望遠鏡か? だとしたら何故……)
まだ黒と決まったわけではないが、さてこれは怪しい。動くか動かないか、彼女はしばし沈思黙考する。
朝日が昇る前の時間で、この光。何か人工的で、しかし意図があるような光り方。謎だらけだが、敢えて火中に身を投げるのも手だ。
そもそも火中に身を投じても、生命活動にはなんら問題はない。立場が面倒になるだけであって──
(やるか)
……乗せられてやろうじゃないか。
彼女は即決すると、建物を足場にして飛び回りながら、その光の元へと急ぐのだった。
飛ぶ、跳ぶ、翔ぶ──
漆黒の空に金の流星が流れるように、少女が駆け抜ける。
そのまま地面に急降下。素足で土煙を上げながら滑り、さてこの辺りだったかと思考を回す。
……だが、何も無い。
罠か? ──そう思った、その瞬間。
「あ」
シェオルの間抜けな声と共に、付近一帯が爆散した。
ボロ雑巾のように荒地に転がる彼女を、複数の男達が抱えて何処かへ連れて行く。
「……んぁ……?」
目が覚めた先は、茶色だった。
息の当たりからからこれは紙袋だろうと目星をつけ、腕と脚を動かそうとして違和感を感じた。
動かそうにも、紐か何かで縛られてるらしい。それも椅子に固定されている。
(あぁ、これ俗に言う囚われの身って奴?)
随分とヘマをしたらしいと、彼女は自分の愚かさを呪ったと同時に──
「起きろ」
男の声がそう聞こえ、冷水をかけられた。
「……おいおい。女の子にこれかよ」
シェオルが着ているのはズボンだけだ。上半身には、胸のサラシくらいしかない。ボロ外套は何処かにやられたらしい。状態を確認しながらとりあえず文句を言った。
自殺行為ではあるが、彼女に限っては別に大した事ではない。
「外来種の穢れたヒトモドキがッ! 口答えをするな!!」
「ぐえっ」
……が、どうやら自分の前にいる奴には挑発だったようで、殴られる結果となってしまった。失敗したなぁ、と思いながらもとにかく声に耳を傾ける。
「貴様らのような外来種が我が帝国に入ってきてから、陛下は貴様らを人として扱えと突然言い出した。まったく愚かしい……あのような奴に強い帝国が作れるものか」
「愚痴なら他でして欲しいんだけど?」
「その口を閉じろ」
「ぐふっ……!」
大体予想はついたので、早く次に行って欲しいので挑発したらまた殴られた。それに先程の発言から政治に疎い一部の過激派では? とも当たりをつけながら、シェオルは更に情報を集めるべく耳をすます。
「……貴様はまだ価値がある。死にたくなければ我々に服従しろ。あの男を動かせ」
「なるほどねェ……嫌だと言ったら?」
「死より過酷な場へ送られるだけだ。歪んだ性的趣向を満たすにはちょうどよかろう」
再び殴られて、今度は当たりどころが悪かったのか椅子ごと倒れ込んでしまう。
別に送られてからでも良いのだが、シェオルとて性奴隷になるのはごめんである。例え性行為がまったく出来ない肉体構造をしていても、そこへ行くのすら嫌である。
──絶対に面倒な事になるのだから。
(もういいか。多分下っ端だろうし……)
そろそろ殴られるのにも飽きた。首から黒い繊維か糸のような、奇妙な物体を出して、大きく首を回すように見せかけて紙袋を頭から外す。
「……さァて、じゃあ……暴れるかァッ!」
シェオルが無理矢理に縄を引き千切り、身体だけで跳ね、適当な兵士の一人の首に、両脚を絡みつかせて鋏のように動かして頭をトばす。
「そォらァ、受け取れェッ!!」
崩れ落ちる身体を足場に飛び、そのまま空を舞う頭を、人外の脚力で蹴り飛ばして狼狽えていた一人に直撃させる。
────そのまま、頭が頭を粉砕した。
「ヒャハッ、次ィッ!!」
ズザァッと床に手を付け滑りながら、もう一度飛翔。それと同時に三人が固まって剣を取る。
天井に張り付いて跳び、壁に付いていた角材を破壊するように引っ手繰ると、中央の兵士から放たれた剣の突きを敢えて受け、角材を両翼の兵士の顔面に振り下ろす。
──膂力に物を言わせた杭が、脳を破壊する。
「おのれえっ!」
剣を離し短剣を抜き、もう一度突き立てようとして──
「キヒッ」
奇妙な笑い声と共に、刃が噛み砕かれた。
驚愕より先に、手刀が心臓を貫いて、そのまま引き裂かれて破壊される。崩れ落ちる身体を掴み寄せて喰らい付き、その肉を喰らう。
「やっぱ美味しくない。でも腹減ってるし……しょーがないよね」
骨を砕き、肉を裂き、皮膚を破って血管を噛む。慣れた手つきで人体を破壊するように解体し、適当な部位を千切っては食す。それは紛れも無い捕食者で、魔物とすら錯覚するような恐ろしさだった。
鮮血に塗れながら、肉を喰らうヒトガタ──
「……何を、している……貴様……!?」
ギョロリとシェオルという名の魔物の瞳が人間を映す。
その男はシェオルを嵌めた主犯格であったが、彼女はそんなもの知らずに、単に『食事の邪魔をしに来た虫』と思っている。
さて、魔物と獲物が出会えば──
「ボクにィ、喰われろォォォォッッッ!!」
──魔物が跳ねる。
──獲物が狼狽える。
刹那、黒い触手のようなものが魔物の背から生えた。ぞぶりと心臓を貫いたそれは、触手から腕へと変貌し、首を千切り、今度は顎へと変貌すると、それを喰らい尽くした。そのまま胸倉を服ごと噛み千切り喰らい、喰らい、喰らい──しばらくしてから彼女は口元を拭った。
そして触手のような、名状しがたい黒い光の糸が背より現れると、それはその死体をズタズタに引き裂き、破壊した。
「……さーて、かーえろっと」
フラフラと歩き、死体の破片を踏み躙りながら彼女は帰路に着いた。
もう、あとはカノンに任せればどうとでもなるだろう。そう思いながら。
が、腹が減った。
腹が減るというのは彼女にとって死活問題である。
仕方ないのでその辺の民家から木板をもぎ、バリバリと咀嚼して腹を満た──否、満たされない。
(……面倒になるけど……喰う……か……?)
空腹が思考を蝕み、彼女の根源がグラリと姿を現していく。
──喰う。
──喰う。
──喰らえ。
──喰らえ。
──お腹が、空いた。
──美味しいものを、食べたい……!
「食べようか」
金はある……というか財布の類は実はこっそりと死体から抜き取っていた。
なので彼女は普通に、目に付いた料理店に押し入り金が尽きるまで食い尽くした。
「……っていうのが事の顛末だよ。いや、中々面白そうな事になってるじゃんか。カノン」
「こちらとしては面倒な事だけれどね。けど、帝国内部の叛逆者……か」
「ははーん? さては検討付いてるな? おっと、ボクに隠し事はやめておいた方がいい。生憎人間相手への観察は上手でね、些細な事でも見逃せないのさ」
盗品を使い切るまで様々な物を食べて食べて食べて食べ尽くした彼女は、カノンの教会へと直行。事の顛末を話し、情報交換をしていた。
しかし此処に来るまで相当な量の食事をしてきたシェオルだが、その空腹感──ある種の呪いとも呼べるソレは尽きる事なく。確かに普段に比べれば相当マシだが、果てなく続くのには変わらず、やはりというかクッキーを強請り食べていた。
「……けど、素朴な疑問があってさ。
──最近、シ・ンヴ=ォンに目を通してもずっと魔法の話題だ。思うに外部……それもヴォリュングヴィ辺りから人が入ってきたんじゃないかな。
ボクの家主に聞いてみたら、やっぱり現場でも魔法の話が多く出てきているって事らしいし、案外唆してる輩がいるんじゃない?」
そんな事言われずとも分かっている! ……などと言えば認める事になる。いい加減外部の人間に情報を知られるのもまずい。よってここはしらを切るなりするべきなのだが。
「そうかもしれないわね。でももう関わらないでくれるかしら? そこまで分かったのなら、あとは私たちの仕事だもの」
「そう言いたいのはやまやまなんだけど……ただボクの家主を利用しようとするのは我慢ならないのさ」
珍しくシェオルは怒りに近い……ような、あるいは違うかもしれないが、何らかの感情を見せながら、クッキーを口に放り込む。
そこでふと、カノンは彼女の言う家主なる人物を全く知らない事に気がついた。破綻者である自身が破綻していると感じる程の怪物を家に住まわせる人間など、余程のお人好しか単なる愚か者か。
久方ぶりに沸いた好奇心が、勝手に言葉を紡いでいた。
「あなたをしてそこまで言わせる、その家主って誰なの?」
「ヘンリック・エルンスト。名前くらい知ってるだろ? 最近王国から派遣された対魔物戦の特別教官だよ」
「大物じゃない」
天使教の一員である彼女にも当然その名は伝わっていたし、実際に見たこともあった。
しかし、あのクソ真面目な男がこんな浮浪者じみた格好を同居人にとらせているのかと考えると、どうにも辻褄が合わない。
まぁ恐らくは彼女の趣味なのだろうと適当に当たりを付け、だが何故こんな怪物と普通の人間が共に暮らせているのか……今度はそちらが気がかりになった。
「けど、それでは更に疑問が増えるわ。彼、相当優秀な戦士でしょう? 国にとって重要な戦力に、不穏分子を付けるなど普通じゃ考えられない」
「あそれ? 単にボクを押し付けられただけだよ。正面からやり合って最も勝率が高いであろうヘンリーがボクを手元に置けば比較的安心でしょ」
「理屈は分かるけど……」
王国はやっぱりよくわからないわ、と呟き、それに対してそりゃそうだ、と答える。
そうして最後の一つとなったクッキーを食べたシェオルは、ダラリと姿勢を崩した。
「まー、真面目な話はそんくらいかなー? ここからはどーでもいいことでもお喋りしようぜー。ボク暇だし」
「私と喋るくらいなら子供達と遊んで欲しいのだけど。最近何処かの誰かに影響でもされたのか、やんちゃするようになってしまって」
「わー、そりゃ大変だな。よし分かった、このシェオルお姉さんがチビたちと遊んであげようじゃないか」
──トテトテと走り去る姿を見て、そういうところだけは年相応だなと感じる。
異質極まりない精神性と外見を持ちながら、しかし時折普通を見せる。
ともかく、死体の処理と資料の改ざんをしなければ……
カノンにとって、あの殺戮は有用な情報であったものの、立場的には非常に面倒な事態であった。
Eat is Life グーゾー @The__IDOLA
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