第4話 嗤う

「……キナ臭いな……」


数日後。

宿屋で剣の刀身を見ていたヘンリックが唐突に呟いた。


「帝国も一枚岩じゃないのは当然でしょ、何わかりきったこと言ってんのさ」


対するシェオルは言外に、「キナ臭いのは何処の国も同じだろう」と含ませながら答えるも、彼はその仏頂面と鋭い眼光を変えることなく、そして視線を合わせることなく淡々と返した。


「違う。この感覚は、魔物の襲撃前に感じるものと似ている。嵐が近い、とでもいうべきか……」


ぼんやりとした答えだったが、要するに良からぬことが起きる前兆らしきものを感じているということか──そう結論付けて、確かに妙な場所で兵士をたまに見かけるなと思い出した。

ちなみに彼らオーレンティアの人間は強力な魔物がいつ国の近くに来るのかをほぼ感覚で理解しているため、いわゆる勘がやたらと鋭いとされる。

……シェオルは例外的な存在だが。


「まっ、大方内乱の準備か何かだろうね。ちょうどよく生贄もいることだし」


どうせロクでもない逆恨みの類だろうと見切りを付け、その話題を切って捨てた──つもりだったが。


「……何故内乱が起きるのだ?」


不思議そうに顔を上げて尋ねるヘンリックの姿に、ため息を一つ。この男、存外人間というものを知らないらしい……彼女は呆れ返った。

戦士、否。狩人としてはこれほど優れた人間はいないと思っていたが、あまり学が無いとは想定外だ。

仕方ないので助けてやるか、と渋々解説をすることを決めた。


「六十四年だか何だか忘れたけど、それくらい前に起きた王国内の反乱知ってる?」

「知らん」

「使えないなァ」

「戦うのが仕事故仕方ないと思え」


切り捨てんなやバカ、とか言いたいが我慢。


「……正式名称は『ジェストゥスの乱』って言えばわかんでしょ」

「知らんな」

「殺してやろうか……!! まぁ、いい。ジェストゥスの乱は王国内で起きた、唯一の公式記録が残ってる反乱だよ。税金……だっけかな? なんかそんなのが原因らしいよ」

「続けろ」

「当時のオーレンティアは、魔法や改良でやっと作物が育ってきたーって状態でね。で、当時の王様は先進的な他国のマネしたのか、入れ知恵でもされたのか、税を取ったんだ。


ただ……その時はまだ金の価値というものがさほど理解出来てなかったらしくてね。元より戦闘民族だろ? ボクらはさ。だから税はあっさり受け入れたんだ。問題は量と物でね。作物を要求したんだよ、それもかなりの量」


──ジェストゥスの乱。

かつてオーレンティア王国で起きた、唯一の公式記録が残っている反乱。当時の王、ジェストゥス・デュ・エノク・オーレンティアの名前を取ってそう呼ばれている。


税を取ったはいいが、その量を間違えたというなんとも言えない理由でこの反乱は起きた……が、実際には色々理由があったのだろう。シェオルの知る限り、当時の内情などは記されていなかったので想像の域を出ないが。


「結果平民だけでなく、中間管理職として胃腸を痛めていた貴族全員がキレたみたいでね。対魔物……それも大型向けの装備を完全武装した彼らは、開始後三日で王城を夜襲、散々暴れ回って騎士団を薙ぎ倒した挙句、街一つを壊滅させたんだとさ」

「……え?」


気の抜けた、間抜けな声を出すヘンリックを無視しつつ、シェオルは記憶の奥底からその顛末がどうだったかを引き出して、適当にまとめることにした。


「で、とばっちりを食らった騎士団も暴走して逃亡する王様を狩ろうと追撃を開始。国境付近まで逃亡したけど、結局は殺しに来た騎士団にやられたそうだよ」

「あ、亜人たちは、どうしたんだ……?」

「確か……呆れてたそうだよ。流石に宥めるくらいはしてたみたいだけどね」


いつ思い返しても無茶苦茶だが、これが事実なのだから仕方ない。

というかこの内乱と逃亡劇が後々の貿易外交や伝説の二日で終結した戦争に繋がるのだからもはやなんと言ったものか。

あの国はかなり普通の出来事が、その環境故に変化した思考や行動によって珍妙極まりない事態に発展するのが特徴なのだろうか。


「まあ、つまりこういうことさ。人間ってのは不満がありゃキレる。複数なら尚更だ。贔屓一つで温厚な奴が殺人鬼に変わるかもしれない。内乱ってのはそうして起こるのさ」

「ふむ……だがそれは王国の話だろう。帝国ではどうなのだ」

「言ったろ? 不満一つありゃ殺せるのさ」


具体例でも話してやるかと、柄にも無く頭を回しながら更に言葉を続ける。


「技術大国なのに魔法使いを贔屓してるから気に食わんとか、あるいは単に皇帝が気に入らないとか、もしくは甘い汁を啜れなくなった奴が傀儡を用意する為にやってるか、とかね。沢山あるよ? 皇帝殺したとしても、罪をなすりつける存在はちょうどよくいるからね。やるなら今だ」

「それは誰だ」

「はぁ……キミだよ、ヘンリー」

「……そういうことか。面倒だな……俺が打って出るのも不味い、かといってこのまま何もしないというのは死ぬようなもの。国外逃亡は帝国からの依頼を破棄する事になり、王国の面を汚す……さてどうしたものか」


現状だけで言えば詰みだ。

ヘンリックが自衛とは言え反逆者を殺したとしても、身の潔白を証明できるものがない。誰が異国の、それも一騎士の発言など信じるものか。民主的決定により、ヘンリックが反逆者になってしまうだろう。

困ったものだ、と頭を悩ますも、彼は生まれた時から戦場に在る、根っからの狩人。政治などさっぱりだ。

──というよりも。


「しかし、貴様がそちらに明るいとはな」


あからさまに野生児……更に悪く言えば浮浪者のような服装なのに、そこまで深いとは完全に予想外だった。


「昔の名残りだよ」

「……貴様平民ではないな。そうした頭を回す情報を持っているのは貴族か王族だけだ」


オーレンティア王国では、確かに身分は存在する。王族、貴族、平民……この三つだけだが。そしてこれはさほど意味を成していない。

そもそも、彼らは定住せず狩猟を生業として生きていた人間が集って王国を建てたのだ。身分もクソも、何も役に立たない。


では何故身分があるか。それは彼らの役割によって呼び名が違うだけなのが実情である。

外交及び国の顔、そして全体的な方針を定める王族。次に内政及び情報管理収集、そして平民に実際に指示を出し彼らの生活を数字としてまとめ提出する貴族。最後に実際に動く平民──この三種はそれぞれがなくてはならない構造を持つ。

王国としてはかなり歪だが、それ故に安定した国情を持つのがオーレンティアなのだ。


なお、シェオルの出身は全く不明である。二人が出会い、そして殺し合ったあの日から相当な日数が経っているが、王国の誰もが知らず、魔術師ですら彼女の研究を諦め匙を投げる程だ。

魔物すら容易く葬る超人的な戦闘能力を誇り、心臓を貫かれてなお死なぬ怪物である女など、誰が好き好んで研究するものか──


「ボクが誰なのかなんて、誰でもいいだろ。ボクはボクだ、シェオル・カレンデュラ以外の何者でもないし、何者にもなれない」

「……」

「で、それよりも手伝ってあげようか? キミに死なれると困るのは、王国だけでなくボクもだからね。暇だし、探ってこいと言われれば探るけど」


珍しく彼女としては善意だけの提案だったが、しかし彼にとっては全く信用ならない発言にも等しかったので、物凄く訝しげな表情を向けられた。


「……何を考えている、貴様は人喰いの化け物だろう」

「まー、色々あるのさ、色々。それにボク、暗部の知り合いいるもん」

「いつの間に作った? いや、待て、何故暗部と知っている貴様。何をした、拷問か?」

「同類だったからさ」

「貴様のような怪物が二人もいてたまるか……まぁいい。そういう事は暗部の仕事だろうからな。匿名の垂れ込みを装って情報を流しておくのが楽だろう。任せた」

「はいはい。あ、あと発見されたり嗅ぎつけられた時はボクの方で勝手に対処するよ。なーに、証拠は残さないからさァ……」


……あぁ、きっと証拠は残さないのだろう。

一つ残らず、喰らい尽くして殺し尽くすのだろうから。




■■■■




後日、シェオルはカノンのいる教会を訪ねていた。

目的はもちろん──


「カーノーンー! あのサクサクの喰わせろー!!」


……食事であった。


「……いや、いきなり何を」

「暇だったから来た。喰わせろ」

「せめて遊びに来た、にしてくれないかしら」

「じゃあ告げ口に来たって言ったら?」

「とりあえず上がりなさい。お菓子も出すから」

「やったね」


慣れた足取りで客室へ向かうシェオル。

もちろん彼女は特に仕事も無いので、暇さえあれば別に理由が無くてもいいなに、何のかんのと理由を付けて、教会へと頻繁に足を運んでいたのだった。


「子供達も呼ぼうかしら?」

「あー、いや……チビたちは呼ばなくていいよ。ちょっとね」

「……そう、そういう話」


椅子に座って向き合う二人。

菓子をしばらく摘みながら、シェオルは単刀直入に切り出した。


「キミんトコの軍部さ、反乱画策してんの?」

「オーレンティア人が知る必要は無い」


カノンはそれを即座に斬って捨てる。

当然の話だが、内部事情を如何に同盟国の人間とは言え、一部外者に過ぎない存在に教えなくてはならないのか。

別に間違った事ではないし、むしろ正しい。彼女は破綻者だが、それでも帝国と天使教に尽くす一人の人間なのだ。


故に、如何なる時であっても黙秘しようと、心に決めたのだが……


「ふーん、即答か……の、割には少し眉が動いたね。おいどうしたよ、何か心当たりがあるのかい? それとも……予想してなかったから動じたのかな? どちらでも構わないけどね」


……しかし、彼女と相対するのは人喰いの化け物。

如何に彼女が破綻者であろうとも。

──人間を狩り、殺し喰らう事を生業とする魔物には、その微かな変化すら読み取られる。

故に空腹のヒトは、クツクツと笑いながら邪悪に表情を歪めるのだ。

そしてその魔性の、黄金の瞳がゆっくりと細まる。

まるで獲物を前にした蛇のように。


「まー、いいんだけどねェ。けど……キミだってガキを見殺しにしたくないだろ?」

「何を……」

「いやァ、ボクも覚えがある奴だからさァ、そのねェ? わかるんだよォ……人が殺す時に建前なんて後でいいって知ってる? 死んだあとならいくらでも言えるからね。あ、でもボクは初めから目的があって殺してたか……わからなくもないけど。


まー、あれだね。ガキだろうとジジババだろうと、人間は邪魔なら殺すんだよ誰だってさァ。それは特に、理想だとか正義だとかを掲げて人を殺す狂人とかが当て嵌まっちゃうんだよねえ。


正義だなんだとほざく輩ほどその手の事には無頓着だ。だってどうでもいいからね、自分の正義こそ全てだから。そして全部終わって、足元に広がる屍の山を見て泣き叫ぶのさ、『こんなつもりはなかった』『犠牲者をもっと少なく出来た筈だ』とかいう妄言をね。そんな気なんてないクセに。


つまりだ、もしもボクの想像している通りの連中が反逆なり何なりを企ててアレコレしてるなら……キミんトコのガキも、皆殺しだろうねェ?」


怪物がニタニタと愉しげに嗤う。唇を三日月に歪めて、あくまで人間に過ぎない破綻者を、人ならざる黄金の瞳で見つめている。

ヒトならざる怪物と、じつと睨み合うカノン。無言を貫き、なんとか言葉を捻り出そうとして、しかし出せなかった。


──否定出来ない。

──他ならぬ破綻者である自分が、必要ならきっとそうするだろうと理解しているから。


「さーァてェ? この期に及んで罪の有る無しで話を誤魔化すなよカノン・クロウエル。


ニンゲンはな、この世で最も残虐非道かつ冷酷無慈悲な生き物だって知ってるだろ。他ならぬオマエがそうなんだから。


どうするんだ? ガキを守るために手を回すか、ガキを見殺しにしてでも待って殺すか。選びなよ、オマエ自身がさ」


怪物が選択肢をチラつかせる。

国の機密に相当する事を語り、破綻者として無垢なる者を守るのか。

それとも忠実な戦士として沈黙し、無垢なる者を見殺しにするのか。


その選択肢を前にしてカノンは──


「何が目的なの?」


ふと、この少女の目的が気になった。


「目的? 強いて言うなら帝国が倒れられちゃ困るからかな。家主が罪おっ被せられて殺されちゃ、ボクの定住地無くなっちゃうし。あと王国にも戻れなくなるからね。その辺よその辺」


その答えを聞いて、沈思黙考する。

利害は一致している。個人的な面でも、組織的な面でも。

反乱が画策されているかの確証は無いが、軍部からそうした噂と真偽を確かめるよう指示されている。


そうした意味で考えてみれば、これはとても良い話なのでは?

自分に害は無い。最悪偽情報に踊らされた子供が死ぬだけ。

なんてわかりやすく、また犠牲も少ない──


「イ イ 目 し て る じ ゃ な い か ァ……」


ゾクリと、震えた。

なんだ、何なのだこれは。

この黄金の瞳を向けて愉しげに嗤い、しかし蔑むような視線を向けるヒトは何だ。

違う違う違う。これはヒトなどではない。ましてや怪物でも、生き物でもない。

深淵だ、触れれば帰ってこれなくなる深淵がここにいる。


──これは、誰だ……!? カノンの思考は停止する。

眼前の何かを前に、言葉も何も出ない。


「……どーしたんだい? 早く答えを出しなよ」


シェオルの催促を聞いてハッと思考が戻る。

先程のような異物感は感じない。いつものと変わらぬ、彼女の知るシェオル・カレンデュラだ。

少し息を吸い、そして吐く。

自身を強く持ち、意を決して答えた。


「……頼めるかしら」

「交渉成立だ、任せてくれよ」


彼女には、誇らしげに嗤う少女は、やはり人間のようで人間には見えなかった。

それはきっとカノンはまだ──


破綻していたとしても、人間だということの証明なのだろう。

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