第3話 語る
言うまでもないが、シェオルはある種の野生児に近い。しかし、ある程度の礼節を重んじた動作も出来るのだが、さて面倒だと全くしない。
そもそも格好が浮浪者のそれだからやらても……というのもあろう。彼女は破綻者だが、一応教養と呼ばれるものは身につけている。やるからやらないかは別にとして。
──そしてギョロリと黄金の瞳が眼下の菓子を眺める。
「ほぅ、これが……クァカァエシィケ……なるものか。不思議な形だ」
「菓子だよ?」
「カェシ……? カォシイ? ケェアイシェ……? ケシ?……アシ? オシ? カセ? ……どう?」
「いえ、菓子です。カ、シ」
「……カ、カ、キシ……カァシェ……だー、ボクにゃ無理だ。発音出来ん。オーレンティア人なんで、元より古臭い言葉しか喋れないんだァ。全くダメでゴメンねェ……ついでに古い語源しか喋れないから、キミらの普通な語源がなんとか……」
本気で苦悩しながらシェオルが頬杖をつきながら、さて何と言ったものやらと言葉を選んでいると。
「イナカ……さん? なの?」
中々に厳しい一言が、リリィから飛んで来た。あははは、と笑うしかない二人は、これはこれでどうしたものかと悩ませ、視線を交わす。
──ボク言っていい?
──え? 言うんですか?
──別にどうでもいいし。
……何と言えない視線の交わしながら、手っ取り早く、自身の出生を少し呟く事にした。
「うん。そーだよ。田舎貴族の倅の倅、その末裔でね。ついでに墓場育ちで、更に言えば森で死んだよ」
あ、と気が付いた時にはもう遅い。
「は……?」
「……死んだ……?」
二人の反応を見ずに即座に判断。
マズった……とも思いながらこの手の事をはぐらかす術を思い出す。
確かヘンリックはこういう時にこう言っていた。「ジョー=ダ・ン」だと。
「ァ、いや……『ジョー=ダ・ン』……?さ。うんうん。ジョー=ダ・ン。そう、ジョー=ダ・ン。実際ボクが目覚めたのは森の奥底。気付けばそこにいて、名前も何もかも忘れてて、だから変な名前なのさ」
「……あっ、そうなんだ! 冗談なんだ! シェオルさんは作り話上手だね!」
「そうでしょー? シェオルお姉さんは作り話が上手なヒトなのだー! なんてね、リリィちゃん」
上手いこと逃げられた……とは思うが、それはリリィだけ。既にカノンはこちらの正体に感づきかけている。
ただ、それがなんのかは彼女自身も知らない。呼び名を知らんから答えようがない。
つまり誤魔化せる。
あと他の奴らに押し付けられる。
主にヘンリックとか。あいつボクを一度殺したしその分苦労しやがれェァッ!! ぶっ殺すぞォェァ!! いやぶっ殺されたけどさァンッ!!──あの気に食わないが波長の合う、何故か異様に強い田舎育ちの、三十二歳の男を思い出しながら、適当な言い分を考えていた。
「まぁ、作り話ですよね。流石に死者が蘇るなどあり得ません」
「あはははははは、まぁ、うん……その、なんだ。わかりやすかったよねー」
(ええぃ見るな見るなボクを見るな! 殺すぞ! なんで子供の戯言だと流さないんだよオマエ!! ふさげんなよカノン・クロウエルゥゥゥゥゥ!!!)
シェオルは思いっきり視線を向けてくるカノンに内心凄まじい殺意を抱きながら、見るな見るなと内で叫んでいた。
が、全く効果が無いのでせめて苛立ちを抑えるために、眼下の菓子を一つ摘み、それを口に運ぶ。
「あ、美味しい。何これ、サクサク……? 食った事ないなァ……なんだろ、美味しい……うん、美味しい。美味しいな!」
「でしょでしょ! これね、クッキーって言うの!」
「ケッケー?」
「ク、ッ、キー」
「クェッキェー……あー、ゴメンねリリィちゃん。やっぱ言えないや」
何と言うか、幼い子供の悲しむ顔とは、こうも心に来るものか……リリィの悲しむ顔を見たシェオルは少し慌てそうになった。
彼女は倫理観が完全に破綻した狂人であるが、その感性自体は人間のそれに近しい。何の情も無く殺すこともできるが、しかし好んで殺す真似はする気はほとんどない。
そうして下らない事で談笑しつつ、時折菓子を摘みながら、三人は中々に楽しい時間を過ごしていた。
しかし気付けば日が傾き始めている。
それに真っ先に気が付いたカノンは、未だ菓子を摘んでシェオルと楽しげに話しているリリィに声をかけた。
「リリィ、そろそろおやつの時間が終わってしまうわ。夜ご飯が食べれなくなっちゃうと困るでしょう。お菓子を食べるのはもうダメよ」
「はーい……ううっ、やっぱり食べたいよぅ」
「その食べたいって気持ちは晩御飯に取っておきな。そうするともっと美味しくなるよ」
「そうかな?」
「そうだよ。きっと」
うーん、と言いながら納得したような表情を見せたリリィは、眠くなってしまったのかうとうとし始めた。
「ごめんなさい、眠くなっちゃって……」
「ん? 寝る子は育つって聞くし、いいんじゃないかな」
「部屋に戻れる?」
「うん……一人で戻る……またね、シェオルさん」
「あぁ、またね」
よたよたと歩くリリィを見送ると、二人は突如として雰囲気を変える。
和やかなそれから──人殺しのそれへ。
「出してもらった奴、美味しかったよ。また食いたいなって思うほどにはね」
「満足してもらえて何よりだわ。生憎とこれくらいしかなくて」
「いいっていいって。好意だけでも嬉しいんだからさ、ボクみたいなおかしい奴からすりゃ特にね」
さて、と一つ間を置き、人ならざる黄金の瞳と水晶の如き青い瞳が交差する。
「で、こんなトコで何やってんだい? 宗教なんて人殺しの正当化までしてさァ」
単刀直入に切り出された話題に対し、動じる事なく修道女が答える。
「善と悪を見つめる為」
「特に何かするわけでもない、と。中々珍しいじゃないか」
言ってることがさっぱり理解出来ないから、ヒトでなしの少女は適当にはぐらかして続きを促す。
「──私は、幼い時から病気を患っていた。それは筋力がおかしくなる病気だった」
「聞いたことがある。なんでも、肉体の限界を超えた力が出せるようになるとかなんとかって奴だね。で、それと何の関係が?」
「……普通の人から見れば、私は異常であり……悪だった。だから私は悪を知りたいし、その対極にある善を知りたい。善悪の観測者であり続けたい。
子供と接するのもその一環。彼らは無垢よ、だから善悪に区別が付かない……けれどそれでいいの。その姿に善悪を見て、殺すべき敵からも善悪が見れる。
──これ以上の天職は無いもの」
「なァるほどねェ」
彼女にはその気持ちと選択が何一つ理解出来ないが、しかしそれが例え無意味だとしても、決して無価値ではない選択だというのは明確に理解出来る。
彼女もまた、同じように他者には決して理解されず、しかしその選択の意味は理解されるような、壊れた渇望を胸に抱いているのだから。
「……で、それはそれとしてさ。天使教の人殺しとしてはどうなのかな。ボクを、殺すかい?」
だが、それは壊れた者としての共感。その本質が似ていたとしても、敵ならば殺すしかない。
シェオルの挑発を交えた問いに、カノンは特に表情を変えること無く。
「別に殺さないわ」
きっぱりと、斬って捨てた。
「キミらの教義から見て、ボクは抹殺対象かと思ったんだけど、違ったかな」
「教義の意味で見れば、確かに抹殺対象よ。でも、あなたに死なれると困るもの」
死なれると困る、などと言われたところでシェオルには誰が悲しみ誰が困るのかなど想像も付かないし、理解も出来ない。生命として破綻した存在が死んだところで、誰も悲しまないだろう──元より悲しまれた事など無いのだから。
果たして誰の事を言っているのか検討もつかない。家族ではないだろうというのはわからなくもないが、さてカノンが誰の気持ちを考えてそんな事を言っているのかはわからないし、そもそも知らない。
だから。
「リリィが悲しむわ」
なんて言われたところで。
「……それ、本気?」
としか、返せないのだろう。
「おいおい、流石に冗談だろう? たかが一回、しかもしょうもない事で手助けした上に今日会ったばかりの奴が死んだって、別に何も思うものなんて──」
「あるのよ」
「……全くわかんないなァ、どうしてボクみたいなクズが死んだら悲しむなんて」
「クズで言ったら私もクズよ」
「でもキミはボクよりずっとまともだろ、例え同じだとしても」
「そんなものは私たちにしか分からないわ。他の人間から見れば、それは同じクズ……あるいはヒトでなしの怪物でしかない」
そう言われても、と頭頂から足先まで血と闇に染まりきった怪物である彼女にはどうしても納得がいかない。
狂人の理屈なぞ理解出来ぬのだから皆同じ、と一括りにされるのは……どうにも気が収まらない。
理解出来ないとしても、その行動はその人物なりに答えを出した結果であろう。それを否定する権利はその本人以外に存在しない。
知らぬ者が知ったように振る舞うな──実に愚かしい。どいつもこいつも変わらぬ愚者だ。
「酷い顔してるわ、大丈夫?」
「……悪いね、気が立ってた」
すぐさまそれらを振り払い、平常心を取り戻す。
「……長く引き留めてしまったかしら」
見れば日が落ちて来ている。
長い時間過ごしていた、ようには思えなかったが、それはこのやり取りに価値を感じていたからなのだろう。
そう結論付け、シェオルはそろそろ帰ることとした。
「いや、有意義なやり取りだったさ。礼を言うよ」
「そう。帰り道、分かる?」
「どうとでもなるさ」
教会の扉まで歩いたところで、ふと思い立ったようにカノンは声をかける。
「暇だったら、また来てちょうだいね。菓子も用意しておくし、きっとリリィも、他の子も喜ぶわ」
それが純粋な好意からだと理解していても、性質上どうしても素直に受け取れないシェオルは──
「教育に悪くならない程度で、考えておくさ」
照れるように、はぐらかすように、あるいは逃げるように。
そんな風に答えるしかないのだ。
■■■■
嗤う月が見下ろし、星が空に咲く夜の闇の中で。
ギラリと光る、黒い巨大な十字架が一つ。
血を浴びて赤に染まり、肉を裂いて残骸を付け、骨を砕いて傷付きながら。
「眠りなさい」
魅力的な身体つきの修道女が、それを振るって人を殺す。
それは死を与える死神が如き姿にも見え、しかし死を知らせる天使にも見える。
どちらでもあり、またどちらでもないもの。
彼女は善悪の境に立つ、狭間の番人。
故にその黒鉄の十字架を突き立て、罪人を裁くのだ。
「……来たか、カノン・クロウエル」
「予想していたのならば、何故潔く待っているのかしら」
「ふん……殺すだけの貴様に分かるものかよ。如何にこの場所で成功しようが、他の場所で成功する確証など無いのだ」
ボロボロの隠れ家に侵入したカノンを前にした、痩せた男は吐き捨てるようにそう語った。
「まぁ座れ。死ぬ前に少し話がしたい。その後、私を殺せばよかろう」
「……」
「警戒するか? あれで全てだ。それにこの場所に罠など仕掛けられんのはわかっている筈だ」
男の言葉に嘘は無い。
その諦観は言葉の節々からも、そして雰囲気からも察せられる。
「どうしてわかったのだ? この場所が……いや、私の不正が」
「雇った手下から吐いてもらった」
「ふん……所詮は死体漁りか。やはり信用出来んな」
クハハハと自嘲しながら、男は更に言葉を続ける。
「奴隷を売るな、と言われてもな。異教徒を殺しているのだ、人間でない者を売り飛ばして金にして何が悪いというのか」
「教義には反しているし、奴隷の売買は帝国が監督する事になっている。それに規模が大きすぎる、これは重大な反逆行為だ」
「だが行動自体は悪ではない、と」
「それを悪だ、とは誰も言っていないから」
「それもそうか」
男は果実酒の入った瓶を揺らし残量を確認しながら、さて、と話題を変えた。
「……私にはな、病に侵された一人娘がいる。その治療費を払うために始めたんだが……これがどうして、中々面白くてな。気がつけば目的と手段が入れ替わってしまったのだよ」
「今更懺悔しても、帝国と天使教は殺すまで止まらない」
「知っているよ。罪を犯した、など毛頭も思っていないがね。自分のやりたい事を勝手にやって何が悪いのか、私にはわからんよ。しかし天使教……ふっ、天使教か……狂っているよ、本当に」
──天使教。
スペルティトゥス帝国の国教である、謎めいた宗教。
神ではなく天使を信仰する……という奇妙な宗教だが、この実態は単純明解だ。
帝国に尽くせ。
さすればその死も意味を持つ。
天使も神も、彼らは信じていない。
ただ宗教が無いと面倒だから、適当に、いくらでも解釈出来て、他国が都合良く解釈出来るものを国教にしているのだ。
つまり天使教とは、帝国の監視の目であり、そして帝国における裏方を担当する組織である。
そしてカノンは、異教徒と裏切り者を始末する殺し屋の役割を背負っている。
もちろん、それは善悪の観測者であるが為に。善を為して、悪を為して、故に双方から見たものと語るものを知りそれを延々と見続ける。
破綻者の彼女の、天職だ。
「私を殺したところで、また同じような者が現れる。さて、どうするのだ?」
そんな挑発があったとしても。
その右手に持つ、十字架を模した巨大な黒鉄の十字剣の、柄を強く握る。
すると刀身に仕込まれた巨大な刃が展開。十字架の形状から護拳の付いた大刀の形状に変化する。
上部からは鋸の如き引き裂く刃が、下部からは叩き斬る為の断頭刃が──その素晴らしく悍ましい本性が現れる。
「──殺すだけよ」
カノン・クロウエルという破綻者は、その答えを叩きつけ、男に剣を振り下ろした。
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