無痛夢

 狭い箱の中にいた。

 金属製の、光沢を帯びた、無駄に綺麗な箱。

 私の目の前には扉があり、両開きに開閉できるようだ。

 その扉の横にはいくつものボタンがあり数字が割り振られている。

 そこまで見てから理解する。

 ここはエレベーターの中だ。今は動いてる様子もなく、浮遊感も感じない。

 だが、《ここ》は知らない。


 ふと違和感を覚え、左手首を見る。

 いつの間にかパックリと切り口が開き、その中からピンク色の液体が溢れ出ていた。明らかに血ではない。その証拠に全然痛みも感じない。しかし、得体の知れないその液体は止め処なく溢れてくる。それこそ血のように。

 変に光沢を強調させながら腕を伝って行く。

 変な疑問を抱えながら、とりあえずエレベーターから降りてみる。


 床一面に赤が塗られていた。

 真ん中には右足が欠けた人間が横たわっていた。

 右脚は膝から下が綺麗に《取り除かれて》いた。

 床の赤はこの人の右膝から流れているのだろう。

 私は躊躇うことなく、右膝の断面を見る。

 骨もない、肉もない、ただの空洞で、中身は真っ暗。もぬけの殻だった。


 《ここ》には殺人鬼がいるのではないか。

 私に記憶はないが、自分自身の変な怪我も、その殺人鬼のせいなのではないか。

 私は根拠はないが、そう、結論づけた。

 奥から音が聞こえた。


 廊下を進み、左へ曲がる直前、そこで足を止めた。

 人の気配がする。加えて、音の響きも近い。

 壁に近寄り、そっと覗き見る。

 男が1人、鉄筋の柱に金槌のようなもので叩いていた。音の原因はそれのようだ。

「誰かいるのか?」

 なぜだろう。気づかれた。

「誰だ?」

 仕方なく、数歩進み出て、男の前に立った。

 男は私を見ると、酷く驚き、私の左手首を指差した。

「ひどい怪我じゃないか! ほら、手当てしてやる。こっち来い」

 男は金槌を脇に置くと、傍に置いてあった箱を開け、道具を出す。

 なかなか来ない私を怪訝に思いながら、それじゃあと、男の方が近づいてくる。

 男の手には包帯用の布とハサミ、テープを持っていた。

 私の腕を捕まえると、手際よく液体を拭き取り、包帯を丁寧に巻く。

「何があったんだ? こんなひどい怪我」

 男は知らないのか? あの惨劇の後のような人間の亡骸。あれを見てないのか? それとも、とぼけているのか?

「ここに来る途中に死体があった」

「え?」

 酷く驚いた顔。全然知らないようだ。

 だがすぐに引き締まった顔になり、

「ちょっと見てくる!」

 そう言って一歩踏み出した瞬間。


 男の首が宙に飛んだ。


 赤い雨が顔を濡らす。


 仕掛けていたワイヤーを片付ける。


「どうせこの世界は痛みを感じないんだから」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

赤井 葵 @semaforo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ