:RStarlit~約束の場所で~

神八梓舞

:RStarlit~約束の場所で~

「……こうして、織姫と彦星は、一年に一度だけ、会えるようになりました」

 空には、宝石を散りばめたかのような星。

 その下で、少女は膝の上で開いていた本を、ぱたんと閉じる。

そよそよと丘の草を撫でる風が、ふわりと彼女のワンピースの裾をはためかせた。

星明あかりちゃんは本当に、七夕物語が好きだな」

彼女……星明の大きな瞳は、空の星を映したように輝いている。

「うん! だって、お星様きれいだし、ロマンチックだもん! でも……二人が離れ離れになっちゃうのは寂しいかな。私だったら……ずっと一緒にいたいよ!」

「でも、もう会えないわけじゃないだろ? 天の川があるから、二人はまた会えるんだ! 天の川が二人を繋いでくれるんだよ!」

「うん、だって天の川は、織姫さまと彦星さまを繫ぐ橋だもんね!」

 星明の表情が曇ったのは一瞬だけで、すぐに再び笑顔になる。

「明日、七夕だろ? また一緒に見ようよ!」

「うん! 今年も一緒に見よう! 二人が会えるように、祈らなきゃ!」

「じゃあ、明日ここで待ち合わせしよう!」

「うん、待ってる!」

「また明日ね!」

しかし、その日、家に帰った俺を待っていたのは、鬼の形相をした両親だった……。

「ただい……」

「昴、今何時だと思ってるの。最近遊びすぎよ。あなたはお受験を受けるのよ? 分かってるの?」

「近所の子と遊んでばかりいるようだな。受験のためにも、来週から、東京の塾に通ってもらうぞ」

 突然の話に、頭がついていかない。東京なんて、だいぶ遠いじゃないか。

「それは……ごめんなさい。でも、そんな急に……もしかして、引っ越すの?」

「ええ、前々からお父さんと話してたの。もう準備はしてあるわ。明日、引っ越すわよ」

「そん……な」

 いくらなんでも急すぎる。両親は、俺と星明が会っているのを知っていて、密かに準備を進めていたのだろう。

冷たい声と、変えられない未来の宣告に、愕然とする。俺の意見には、耳を傾ける気もないようだ。

明日、ということは、約束は果たせない。星明に会って、伝えなければ。

(遊びすぎて引き離されるなんて、彦星みたいだな……)

部屋の隅で蹲れば、涙がぽろぽろと溢れた。せっかく出来た、大切な友達なのに。

(彦星も、こんな風に悲しかったのかな……。このまま別れるなんて、会えなくなるなんて嫌だよ……)

きっと、何年も会わなかったら、忘れられてしまうだろう。だから、記憶に残るものが欲しかった。

(星……そうだ!)

気づけば、貯金箱をひっくり返していた。



 翌日の昼、俺は息を切らせて、待ち合わせの丘に向かった。

「……星明ちゃん!」

「昴くん、どうしたの? そんなに急いで……まだ夜じゃないのに!」

 ころころと可笑しそうに笑う彼女に、これから悲しい事実を伝えなければいけないのだと思うと、胸が痛んだ。

「星明ちゃん……ごめんね。俺……お引っ越し、することになったんだ」

「えっ……? お引っ越し!? どうして? いつ!?」

「それが、今日なんだ……。星明ちゃんと遊んでばっかりって、親に怒られちゃって。東京の塾に通うことになったんだ」

 途端に、星明の顔がくしゃっと歪む。彼女は、今にも泣き出しそうな顔で、俺の服を掴む。

「織姫と彦星みたいに、引き離されちゃうの……? やだ! やだよ!」

「俺だって、やだよ……ずっと、星明ちゃんと一緒に遊びたい!」

(でも、星明ちゃんには笑って欲しい。だから……)

 用意していた言葉を、口にする。そうすれば、きっと彼女は納得してくれるはずだ。

「織姫と彦星だって、また会えただろ? だから、絶対にまた会える! 俺……絶対に戻ってくるから! その時はさ……また、一緒に天の川見よう!」

そして、ポケットから小さな紙袋を取り出す。

「これ、あげる! 星……好きでしょ?」

「えっ、なあに? お星様……?」

袋の中身を取り出した星明は、ぱあっと目を輝かせる。あの時と同じ、星のように。

中身は、天の川のように輝く星型の髪留めだった。ここに来る前、お小遣いをはたいて買ったものだ。

「ありがとう! 大事にするね! そっか、織姫と彦星かぁ……そうだね……」

手の中でキラリと光る髪留めを見つめ、星明はなにかを考えているようだった。

「分かった! 寂しいけど……大丈夫! ずっと、ずっと待ってるから……これ!」

「これは……?」

星明が鞄の中から出したそれは、天の川のような星のキーホルダーだった。

「あげる! こうかん! たからものだけど……約束のしるし!」

「そっか、交換か……ありがとう……!」

 お互いにプレゼントしたものを持っていたら、いつかまた会える。そんな気がして、胸がいっぱいになる。

「親が厳しくて、なかなか連絡取れないだろうけど……こっそり手紙とか出すよ!」

もらったキーホルダーを握りしめ、なんとか言葉を紡ぐ。

「だから、また、この丘で……約束!」

「うん……約束!また会おう!」


小学生の夏。茜空の下、俺たちはそっと小指を絡めた。




 その夜、東京へ向かう電車の車窓から、空を眺めた。

(天の川……星明ちゃんと見たかったなぁ)

遠ざかっていく故郷と天の川が、やけに滲んで見えた。


        ◆        ◆        ◆


それから俺は、親の目を盗んでこっそりと手紙を出し続けた。


『星明、久しぶり。最近何してる?俺は勉強、大変だけど頑張ってるよ』


『久しぶり! 私は今、星について調べてるよ!勉強頑張って! 早く戻って来てね』


『あけましておめでとう! 今年はついに受験! 絶対合格するよ!』


『あけましておめでとう! 私は、天文学者を目指して勉強してるの。応援してるから……終わったら早く帰ってきてね』


『受験、合格したよ! 親を説得したらすぐに帰るから、待ってて!』


『昴くんとまた会えるの、すごく楽しみ! 早く会いたい!』


この時から、星明からの手紙は来ていない。


そして、返事がなくなってから一年が経った。

故郷に帰ると親に告げると、一日だけ、そして祖母に会うという条件付きで許可を出してもらえた。もちろん、星明に手紙を出す。

『やっと説得できたから、一日だけだけど、来週そっちに帰るよ!』

やはり返事はない。きっと、星明も忙しいのだろう。天文学者になるのも、勉強が必要だし、大変なことだ。

(来週会ったら、星のことたくさん教えてもらおう)


 そして、ついに故郷に帰る日がやってきた。

 ガラガラに空いた電車に乗り込み、席に腰を下ろす。電車が動き出し、身体に伝わる心地の良い振動に、瞼が重くなっていく。

(星明、会ったらどんな反応してくれるかなぁ……)

 まどろむ意識の中で、彼女の笑顔を思い浮かべると、頬が緩んだ。


        ◆        ◆        ◆


「今日も一日中勉強かぁ……。本、読むのは好きだけど……」

外からは、子どもたちが遊ぶ声が聞こえる。

窓を覗くと、同い年くらいの子どもたちが、楽しそうにサッカーをしていた。

(……俺も、友達と遊びたいなぁ。友達……かぁ)

思えば、友達なんてものはいなかった。朝から晩まで勉強漬けの俺は、いつも一人ぼっちだった。

(……お外で勉強するくらいなら、いいよね)

俺は、読んでいた本を脇に抱え、外へ出た。

 玄関を開けると、ふわりと気持ちのいい春風が頬を撫でる。解放感に少し、心が踊った。

近所で遊ぶ、にぎやかな子どもたちを避けるように、静かな場所を探す。

(ここなら……!)

たどり着いたのは、静かな丘だった。外出することが少ないため、自分の住む町にこんな場所があるなんて、知らなかった。

「こんなところ、あったんだ……。風ってこんな気持ちいいんだ」

 丘の草木を撫でる、そよ風を吸い込み、大きく伸びをする。

「この辺でいいかな」

丘をのぼり、木陰で本を広げようとした、その時―……。

「ひゃあああああ!」

「!?」

突然聞こえたのは、女の子の声。

驚いた俺は、ビクッと肩を震わせ、きょろきょろと辺りを見回す。

「な、なに……?」

本を閉じ、声がした方に向かう。木の陰からそっと覗くと、そこには、小さな女の子の姿があった。

「う、ううぅ……」

……かわいい。

ひと目見て、そう思った。

くりくりした大きな目に、艷やかな栗色の長い髪。

その顔は、涙でぐしょぐしょになっていた。

(泣いてる……?)

気になって身を乗り出すと、手から滑り落ちた本が、ドサッと音を立てて開く。風でパラパラとページが捲れた。

「ふぇ……?」

その音で、少女がこちらに気づく。視線が交錯し、俺はとっさに、木に隠れる。

「だれ……?」

転んだのだろうか。少女の膝が擦り剥け、血が滲んでいるのが見えた。

それに気がついた俺は、思わず飛び出していた。

「けが、してる……大丈夫?」

 少女は、怯えたようにこちらを見上げた。

「い、いたい……っ。ご本は!? ご本も、なくしちゃった……!」

「ご本? 君も、本が好きなの……?」

「うん……! 七夕のご本なの! たからもの! でも、転んでなくしちゃった……。……っく、うぇ……」

再び泣き出す少女を見て、俺は手を差し伸べていた。

「俺は、昴。鷲尾昴! 一緒に探そう! きっと、見つかるよ!」

 少女は、涙をいっぱいに湛えた目を丸くして、俺を見上げる。そして、小さな手でその涙を拭った。

「うんっ、ありがとう……! 私は、あかり! 琴吹星明!」

「あかりちゃん、ちょっとじっとしててね……えっと、はい! これで大丈夫」

星明の膝に、絆創膏を貼ってやると、手を引いて立ち上がる。

「日が暮れるまではまだだいぶあるし、大切な本なら絶対見つけなきゃ! 俺はこっちを探すね」

「ありがとう、じゃあ私はこっち!」


それから、日が沈むまで探し回って、ようやく本は見つかった。

背の高い草の中から拾い上げた本を、高く持ち上げる。

「あった! あったよ、星明ちゃん!」

 駆け寄ってきた星明は、本をぎゅうっと大事そうに抱きしめた。

「これ……私のご本! ありがとう、昴くん……!」

勉強は出来なかったけど、星明の笑顔を見たら、そんなことはどうでもよくなった。

「ねえ、君はいつもここにいるの?」

「うん! ここはお気に入りの場所なの! 星がきれいに見えるんだよ!」

 彼女は、嬉しそうな笑顔で、汚れた本を胸に抱えて頷く。

「星……? ねえ、それってどんな本なの?」

「じゃあ、明日一緒に読もう!」

「また……来ていいの?」

「え? もちろんだよ! だって、昴くんはお友達だもん!」


『友達』。


その言葉を聞いた瞬間、色褪せていた景色が一気に輝いて見えた。

その日から、俺と星明は友達になった。


        ◆        ◆        ◆


「ん…………」

 瞼を持ち上げ、大きく身体を伸ばす。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

「懐かしい夢だったな……。星明、元気かな」

(親に許しをもらうのは大変だったけど、やっと、帰って来れたんだ……。ちょっと遅くなっちゃったけど……ちゃんと、待ってくれてるかな)

「次は、……駅~、次は~」

「もう次か……懐かしいな。俺……ちゃんと約束、果たしに来たよ」

 電車がゆっくりと停車し、ホームに降りる。駅員に切符を渡し、駅を出る。空気を思い切り吸い込むと、懐かしい匂いがした。

「ええと……こっちの道だったっけな……」

 うろ覚えで道を進む。馴染みのある風景は、年を経て少し変わっていた。

「ここ、前は畑だったのに……家が建ってる。意外と、変わっちゃうものなんだな……」

 変わった景色に、少しだけ寂しくなる。変わらないものなんてない。いつかは、この町も知らない町へと変貌してしまうのだろう。

「俺たちの思い出も、気持ちも……こうして変わってしまうものなのかな」

 少し不安になった気持ちを切り替え、星明の家を目指す。ようやく会えるのだから、悲しい顔をしていてはいけない。

「星明の家は……この辺だったよな。そうだ、ここだ」

しかし、表札の名前が変わっている。星明の苗字は、琴吹だったはずだ。

「ここで合ってる……よな?」

ピンポーン。

インターホンを押すと、すぐに応答があった。

「……はい、どちらさまでしょうか?」

「あの、俺、星明ちゃんの友達で……鷲尾っていいます。星明ちゃんは……」

「あの、うちに、女の子はいませんけど……」

 インターホン越しに、戸惑った声が聞こえてきて、衝撃が走った。ここは、どこからどう見ても星明の家だ。

「……え? いないって、ここは……」

「ごめんなさいね。家違いだと思うわ」

「もしかして、引っ越したのか……? そんな……ずっと待ってるって、言ってたのに」

でも、それも当然かもしれない。戻ってくるのが、遅すぎたんだ。

もしかしたら、星明はもう、この町には……。

「いや、まだだ。俺が信じなくてどうするんだ!」

待ってるって、ずっと待っていると彼女は言っていたんだ。星明は、約束を破るような奴ではない。

思わず、手の中のキーホルダーを強く握りしめる。すると、脳裏に可能性の火が灯った。

「そうだ……。あの場所だ。約束の場所に行かなくてどうするんだ……」

俺は、その場所へと歩き出す。約束の、丘へと。



 丘は、変わらない姿でそこにあった。

「この場所は……少しも変わってない。変わらないでいてくれたんだな」

懐かしさに丘を見渡すと、向こうに誰かが立っていた。

「……ん? あれは……」

腰まで伸びた、栗色の長い髪。、日差しを跳ね返すような、純白のワンピース。

……美少女だった。

こんな子、この町にいただろうか。

美少女は、俺に気づいたのか、風にはためく裾をおさえて、こちらを振り返る。

「……!」

振り返った少女の髪飾りには、見覚えがあった。

(星の……髪飾り……)

気づいた時には、声をかけていた。

「お前……星明、なのか?」

「……遅いよ。昴くん」

少し控えめになった、聞き覚えのある声。

いた。星明は、約束通り、ここにいた。待っててくれたんだ。この場所で、ずっと俺を、待ち続けてくれたんだ。

「星明……本当に、星明なんだな」

「うん……おかえり、昴くん」

彼女は、ふわりと懐かしい笑みを浮かべた。同時に、安堵からか、なにかが込み上げてくる。

「星明、ただいま……! 待たせて、ごめん……」

「本当に、遅すぎだよ。昴くん。でも、約束……守ってくれたんだね」

「ああ……俺、勉強も頑張ったし、説得も頑張ったよ……。」

「そっか、頑張ってくれたんだね」

「なあ、俺がいなかった間のこの町のこと、教えてくれよ。たくさん、たくさん話してくれよ」

「うん、いいよ。色々変わってて、びっくりしたでしょ」

「星明の家も違う人が住んでて、驚いたんだぞ。引っ越したかと思って……」

 星明は、困ったように笑みを浮かべた。

「そっか……そうだよね。驚かせてごめんね」

「でも、待っててくれてよかった。手紙も返って来なかったから、もう待ってないんじゃないかって……」

「そんなわけないよ。きっと帰ってきてくれるって、信じてたから」

 その言葉を聞いて、俺はほっと安堵の息を吐く。

「約束、だもんな。この丘も、あの時のままだし安心したよ」

「町の人は入れ替わってるけど、ここはずっとこのままなの。ここで星を見る人が多いらしくて……私たちみたいだね」

「やっぱりここは、星を見るには最高の場所なんだな。星といえば、星明は天文学者になりたいんだったよな」

「うん、もっと星のことが知りたくて……たくさん勉強したんだ。私が好きなのはね……」

 嬉しそうに、生き生きと、勉強したことを語る姿が、眩しく見えた。

「俺……星明が羨ましいよ」

「どうして? 私は、頭が良い昴くんの方が羨ましいよ」

俺を見つめる、彼女の曇りのない透き通った眼差しに、言葉を詰まらせてしまう。

「いや、昔から親に、言われるまま勉強させられてきたけど……なりたいものとか分かんないからさ」

「そっか……じゃあ、これから見つければいいよ。まだまだ、先は長いんだから」

星明の言葉には昔から、なんでも納得してしまうような強い力があった。

「そうだな……俺も、なりたいもののために勉強したいな」

「私はいつだって応援してるよ。昴くんなら何にでもなれそうだけどね」

それから、俺がいなかった六年間のことを、変わってしまった故郷のことを、たくさん聞いた。

星の話は、どこか幻想的で、神秘的で……話している星明の瞳も輝いて見えた。それは、長いようで、短い時間だった。

一通り聞き終わったのは、日が落ちる頃だった。

「久しぶりに話したから盛り上がっちゃったな。星明、本当に寂しい思いさせてごめん」

「いいの。帰ってきてくれただけで……七夕の日に、また会えただけで、嬉しいから」

「これからは、もっとたくさん会いに来るから! 頑張って勉強もして、親に許しももらうから! 勉強する意味も……夢も、見つけるから」

 必死に言うと、星明はゆっくりと頷いた。

「うん……ありがとう」

「楽しみだな。これからは、もっと会えるなんて。今度は、待たせたりなんかしないからさ!」

「うん……うん、ありがとう。そうだね……嬉しい、な」

「そうだ! 星明、今夜久しぶりに、一緒に天の川……」

その先の言葉を阻むように、星明の細く、白い手がふわりと俺の手に重ねられる。

「暗くなって来ちゃったね。帰らなくていいの? 怒られちゃわない?」

「もうこんな時間か……今日はばあちゃんちに泊めてもらうよ。会う約束もしてたしな。じゃあ、あとでまた来るから!

ここで、待っててくれるか?」

「うん……また……」

星明の笑顔は、どこか儚げに見えた。


 星明と別れ、祖母の家の前に立つ。インターホンを押そうとして、躊躇してしまう。

(ばあちゃんちに来たはいいものの……俺のこと、どう思ってるかな)

ずっと顔を見せなかった孫のことを、怒ってはいないだろうか。

不安になりながらも、古びたインターホンを押す。

「……はい?」

「ばあちゃん……久しぶり。昴だけど……一晩だけ泊めてくれる?」

「昴……!? 本当に昴なのかい? 入りな。ご飯とお風呂、用意してあげるから」

祖母が喜んで迎え入れてくれて、安心する。

家に入れば、温かい夕飯が準備されていた。

「ばあちゃんも、ずっと会いに来れなくてごめんな。星明も待たせちゃったし……」

「いいんだよ。大変だったでしょう。星明ちゃん……? ああ、昴はあの子と仲良かったねぇ」

「町もずいぶん変わってるし、星明の家、違う人が住んでたからびっくりしたよ」

星明の名前を出した途端、祖母の顔色が変わった。何故か、眉根を寄せて険しい表情をしている。

「……昴、そのことも含めて、話があるんだよ。星明ちゃんは……星明ちゃんはね」

 なんだか、嫌な予感がした。その先は、聞きたくなかった。しかし、祖母はゆっくりと続けた。

「……一年前に、亡くなったんだよ」

「え……?」

目の前の景色が、ふっと色を失う。

祖母は、そんな俺を見て、棚の引き出しから、なにかを取り出した。

「これをね、星明ちゃんから預かっていたんだ。出せなかった手紙だって」

それは、何通もの封筒だった。

俺に出すはずだった手紙。俺に、届くはずだった手紙だ。

「それ……どういうことだよ……死んだって……じゃあ、さっきのは……?」

信じられない。だって、さっきまで丘で話していたじゃないか。そんな話、受け入れられるわけがない。

「いや……そんなわけ、ないだろ。星明が、死ぬ……なんて……」

「昴っ!」

確かめなければ。あの場所に行かなければ。

手紙を奪い取るように受け取って、俺の足は、走り出していた。

(そんな……確かにあの場所に、星明はいたんだ。俺のことを、待っていてくれたんだ)

嘘でも、幻でもない。あれは確かに、星明だったんだ。

会って確かめればいい。きっと、あれは祖母の悪い冗談だ。

ぐっと拳に力を入れれば、手の中の手紙が、くしゃりと潰れた。

「はぁ、はぁ……、星明……」

 丘にたどり着くと、夕闇にぽつんと浮かび上がる白いワンピースが見えた。

(ほら、嘘じゃないか。星明はちゃんと、ここにいる)

「星明っ!」

「……昴くん? どうしたの? そんなに急いで……忘れ物?」

 星明はあの時のように、可笑しそうに笑った。

「星明、俺、ばあちゃんから変な冗談聞いてさ……。星明が死んだって、わかりやすい嘘だよな。まったく……嘘つくんなら、もうちょっとマシな……」

だが、どうして星明は、待ち合わせ時間を指定していないのに、丁度ここにいたのだろう。一度家に帰った様子でもない。

(まるで、ずっとここにいるみたいな……)

「……嘘じゃないよ」

 思考を遮るように、星明がゆっくりと告げる。

「星明まで変な冗談、やめてくれよ……。そんな真剣な顔で言っても、俺は騙されな……」

 星明は、俯いて黙り込んでしまった。それが、答えを示していた。

「……本当、なのか?」

「それ……嘘じゃないよ。おばあちゃんが言ったことは、本当。私は……」

(やめろ。やめてくれ。その先は、言わないでくれ……!)

 しかし、星明は待ってはくれなかった。柳眉を下げて、切なげに笑う。

「もうこの世にはいないの。……ごめんね、昴くん」

「なあ……嘘だよな。嘘だって、言ってくれよ……そんな嘘、信じないぞ……」

 それでも、星明は言葉を続ける。

「中学に入った頃かな。その頃から、身体がおかしくなって……入院してたの。お医者さんには、治療が難しい病気で、余命は一年だって言われた。でも、約束があったから……」

「そんな……」

突然の真実に、膝が笑って崩れ落ちそうになる。

「昴くんが帰って来るまで、待ってなきゃ。約束は守らなきゃ……だから、頑張ったんだ。そしたらね、一年が過ぎても大丈夫だったの。もしかしたら、約束を果たせるかもしれないって、思った」

「だから……あんなに早く帰って来てって、書いてあったのか」

 今になってようやく、あの言葉の重みが分かった。

「ごめんね、約束だし、ずっと待っていたかったんだけど……約束、守れなかったよ」

 星明の声は、震えていた。今にも泣き出しそうなその声に、耐えきれなくなる。

「そんなことない! 星明は、ちゃんと約束を守ってくれた! だからこうして、この日にまた会えたじゃないか! 天の川だって、見れたじゃないか……!」

「ちょっとは期待したんだよ……大丈夫じゃないかって……でも、去年、急に容態が変わって……」

もういい。いいよ、話さなくて。

「ごめん……俺がもっと早く、戻って来ていたら……」

「私だって、待っていたかった……待っていられたら……!」

「ごめん、本当に、ごめん……俺のせいだ……」

 自分が情けなくなって、歯を食いしばる。そんな俺を慰めるように、星明は言った。

「違うよ、君はちゃんと帰ってきてくれた。私たち、織姫と彦星みたいに、また会えたんだよ」

「星明だって、頑張ってくれたじゃないか……頑張って、待っててくれただろ?」

俺がいない間に、星明は一人で闘っていたんだ。

辛かったはずなのに、たった一人で、俺を待とうと、約束を果たそうと必死に……。

「なあ、俺……ずっとここにいるよ! 毎日、ここに来るから……だから」

しかし、星明は、ゆるゆると頭を振った。

「それはダメ。私は、約束を果たすためにいるんだから」

「それ……どういうことだよ」

「約束はもう果たしちゃったから。夜が明けるまでしか、一緒にはいられないの。だから、君は帰らなきゃダメ」

そんなの、残酷すぎる。せっかく、これからを楽しみにしていたのに。

「そんな……俺、どうすれば……」

「約束だから……ほら、一緒に天の川見よう? 今日は、特別綺麗に見えるよ」

天の川なんて、見たくなかった。見たら、星明が消えてしまう。もう、会えなくなってしまう。

それでも、星明は空を見上げた。俺も、涙がこぼれ落ちないように、空を見上げた。

出来ることなら、星明を取り戻したい。でも、そんなことが出来ないのは分かっていた。

俺に、何が出来るのだろう……。全てを投げ出して、立ち止まってしまいたい。もう会えないくらいなら、星明について行きたい。しかし、星明はそれを許さないだろう。

そこまで考えて、俺は気づいてしまった。

 彼女は、初めて出来た友達で、今は、それよりも大切な……。

……ああ、俺は、星明のことが好きだったんだ。丘の上で出会った、あの時からすっと。

独りぼっちだった俺を救い出してくれたのも、離れていてもずっと支えてくれていたのも、星明だった。

俺は、なにより彼女の、陽だまりのような笑顔が大好きだったんだ。こんなところで気づくなんて、馬鹿みたいだ。

もっと、早くに気づけていたら。もっと、早くに会いに来ていれば。気持ちを……伝えられていたら。

(もう……遅いよな……)

「……見て、日が昇ってきたよ。今年も、織姫と彦星は会えたかな」

白む空に、天の川も星々も、薄くなって消えていく。

「きっと、会えたよ。だって、あんなに綺麗だったんだ」

彼女の方に視線を戻した俺は、はっと目を見開いた。

星明の身体は、朝日に透けて見えた。もう、あまり時間がないのだろう。

「……私も、昴くんと会えて良かった。もう、思い残すことなんて……」

(俺はまだある……! やっと、気づいたばかりなのに……嫌だ、星明が消えるなんて……そんなの、嫌だ……! でも、これ以上、俺に出来ることなんて……)

その時、ふとある考えが浮かんだ。

「じゃあ、また来年会おう! 約束……してくれるよな?」

 その提案に、星明は悲しそうな顔をする。違う。そんな顔をさせてくて言ったわけではない。彼女だって、出来ない約束はしたくないのだろう。

「どうして……? 私はもう……」

「約束があったから、星明はここにいられたんだろ!? なら、次の約束があれば……きっと」

無茶苦茶な考えかもしれない。でも、今はそれに縋るしかなかった。

約束で、星明が残っていられたのは事実だ。ならば、また約束を上書きすればいいはずだ。

「本当に君は、いつもびっくりするようなアイデアを出すね。そうだね……もしも、君が一年間振り向かずに、前向きに進めたら……きっと、また来年会えるよ」

 納得したのか、星明は、ふわりと柔らかく微笑んだ。

「私……君には前を向いて進んで欲しい。悲しい顔は、してほしくないから」

星明の答えは、予想どおりだった。だから、俺も答えるんだ。滲む天の川を見ながら、考えた答えを。

「星明、俺……医者になるよ。考えたんだ。俺になにが出来るか。……失った人はもう戻って来ない。だけど、失うのを防ぐことは出来る」

 星明は、黙って俺の話に耳を傾けていた。

「星明の命を奪った病気だって、治してみせる。こんな悲しい思いをする人を、減らしたいんだ」

「昴くん……」

 ようやく、勉強してやりたいことが見つかったのだ。それも、彼女のおかげで。

「だから、医大受けるよ。絶対に合格して戻ってくる。その時、また一緒にここで天の川を見よう。いい報告持って来るからさ……約束」

頑張って笑顔を作ると、星明も笑った。それは、俺の大好きな笑顔だった。

「分かった。また約束、しよっか。……その手紙、開けてみてくれる?」

言われたとおりに、握っていた手紙を開けると、星明にあげた髪飾りが入っていた。

「これ……」

「約束の、しるしだよ」

「ああ……約束だ」

  俺は、涙が溢れそうになるのをこらえて、頷いた。

「俺、星明に会えて良かったよ。ずっと約束、果たせなくてごめん。また、絶対に会おう。待ってて……くれるよな?」

「……うん。ずっと……待ってる。私、また待ってるよ」

もし、また会えたら……その時は。

「その時は、星明に伝えたいことがあるんだ! 俺……っ」

「……昴くん」

その先を阻んだのは、彼女の唇だった。体温は感じなかった。

それでも今、俺の唇に重ねられているのは、確かに星明の唇だった。

微笑んだ彼女の口が、無音で言葉を紡ぐ。それは、確かに俺が伝えようとしていた四文字の言葉だった。

「また、この丘で……約束ね」

昇った太陽の光が辺りを包み、その眩しさに目を瞑る。目を開けた時には、もうそこに、星明の姿はなかった。

 その瞬間、ダムが決壊したかのように、涙が溢れ出した。膝から崩れ落ち、嗚咽を漏らす。

 必死に涙を拭いながら、握りしめていた手紙を開く。星明が、最後に残してくれたものだ。


『拝啓、昴くん。私……約束、守れたかな。私たちは、七夕の日にちゃんと会えたかな。私はもう、君の前にはいないんだよね。でも、昴くんと見た天の川は、絶対に忘れないよ』


 静かに、手紙を捲る。そこには、星明が勉強していた、星のことが書かれていた。


『勉強した星のこと、少しだけ教えるね。私の大好きな、七夕の星だよ。

夏の大三角っていう、星が作る三角形があるんだけどね、その中に、織姫と彦星の星があるの。

織姫の星は、こと座の中にあって、彦星の星は、わし座の中にあるんだって。琴吹と鷲尾……私たちの名前みたいだね。

だから、私たちはまたきっと会えるよ。織姫と彦星だもん。きっと……ううん、絶対にまた会えるよ。この天の川の下で』


『その時は、君に伝えたいことがあるの。だから、また絶対ここで会おうね。

あなたの親愛なる織姫より』


俺は、手紙と髪飾りを抱きしめた。強く、強く抱きしめた。

「……約束の証だ」

宝物の交換。それが、昔からの俺たちの約束だ。

立ち上がった俺は、そっと近くの木の枝にキーホルダーをかける。そして、前を見据えると、歩きだす。

朝日の中を、まっすぐに。

絶対に、立ち止まったりしない。投げ出したりしない。

また、天の川の下で約束を果たすまでは。


      ◆         ◆        ◆       



「……また、会えたね」

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