煩悩王物語

久志 須々歌

煩悩王

 とある国に三人の王子がいた。

 第一王子は統率力・武力に長け、多くの戦争にも勝利し国を盛り立てていた。

第二王子は才があり、豊富な知識を使い、国政をまとめよく王の助けとなっていた。

第三王子は上の兄弟のような優れている点はなかったが、一度も周囲に愚痴をこぼさず、常に父である王の命に従い、真摯に王を支えていた。しかし、王の息子たちに対する態度は大きく違い、特に末っ子ということもあり、第三王子には大きな期待をかけず、感心を示さなかった。そのため、王子もだんだんと多くを語らず寡黙になっていった。それでも、王子は決して愚痴をこぼさず、王を支えていた。そんな王子を周囲の者は「感情無き者」として嘲笑っていた。


 ある時、もとより対立していた「かの国」が攻めてくるとの知らせが入った。王はこの戦いこそ、世界を大きく変える戦争だと決意し、大勢の兵を率いて戦争に赴くこととなった。もちろん、力の強き第一王子と軍師ともなる第二王子を伴って。第三王子は、王と二人の王子が留守の間の国の平定を任されたのだが、これは表向きの話であり、足手まといになると判断された王子は取り残されたということになる。それでも王子は嫌な顔一つせず、凛々しくそして力強く父と兄たちを見送ったのである。

 大軍を率いて臨んだ「かの国」との戦争だったが、後に戦況は悪化し、恐れおののいた王は、いまだ多くの兵が戦っているのも構わず、自らの身の安全を確保するために、数名の家臣と共に命からがら祖国に戻ってきた。

 だが、王が王宮へと駆け込むと、目の前には数多くの死体が転がっていたのだった。王の側近、女中、警護の者も。王は愕然とした。「かの国」の者がついに王宮に侵入したのではないかと、とっさに感じた。すぐさま応戦できるよう、剣を鞘から抜き構えの姿勢をとった。何人侵入しているか分からない。油断できない。

 王の背中に冷たいものが走った。

 すると、玉座の奥から一人の男が現れた。留守中の国を任されていた、あの第三王子だった。その手には、鮮血が滴る剣があった。多くの者を手にかけたためか、自らも返り血を浴び、服にはおびただしい程の血がついていた。

 王子は表情も変えず、じっと王を見据えて近づいてくる。王の傍にいた家臣の一人が、大きな声をあげながら王子に向かって剣を振り下ろした。しかし、一瞬にして血に塗れた王子の一振りで家臣はあっけなく倒れた。あまりの速さに王と家臣たちは目を丸くした。

 王は知らなかった。彼の剣の腕が、武力に秀でているあの第一王子に引けを取らぬほどものだということを。

「私は力無き者ではありません。私は無知な者ではありません。私は感情無き者ではありません。」

 また一人家臣が殺られた。

 王は知らなかった。彼がこれほどまでに感情を露わにし、自らの主張をすることができることを。

「私は父上の地位が欲しい。私は兄者たちよりも優れているのだから。私は欲しい、全てが欲しい。国が、地位が、名誉が。」

 最後の家臣が殺られた。

 王は知らなかった。彼にこれほどまでの野心があったことを。いや、これは野心というべきなのか。

「父上、私は兄者たちよりも優れていることに、なぜ気づいてくれなかったのですか。私が第三王子だからですか。私はずっと考えていたのです。私のように力も能力もある者がなぜ、三番目だというだけで虐げられなければならないのかと。そこで、その順番を変えてしまえばいいのだと気づきました。」

 王の眼前に、王子の切っ先が向けられた。

「「かの国」との対立は父上にとって、決着をつけなければならないもの。必ずしや「かの国」が攻めてきたと分かれば、いてもたっても入れずあなたは戦地に赴くでしょう。もちろん、あなたが優れていると信じている、二人の兄者を連れて。」

 剣先が王ののどぼとけをつつく。

「しかし、妙だとは思いませんか。なぜこの時に「かの国」が攻めてくるのか。確かに対立はしていはいるが、大きなきっかけはない。・・・そんなもの、作ればいいのですよ。だってそうでしょう。どちらかが仕掛ければ、すぐさまこの二つの国は戦争を始める程に対立をしているのですから。」

 王は、まさかと王子を見つめた。開いた口が塞がらなかった。のどはカラカラに乾いていた。

「そうですよ。私が「かの国」に、この国が攻め込む準備をしていると嘘の情報を流したんです。「かの国」の対応は早かったですね。すぐに大軍を動かしてくれた。そして、予想通りの展開となった。」

 王は腰を抜かし、ヘタリと尻を床につけた。王子は剣先を王に向けたまま、体をかがませ王にさらに近づけた。

「あなたが一人で戻ってくるということは、やはり兄者は死んだのですね。・・・悲しいですね。王のために、国のために死んだのですね・・・。では・・・兄者亡き後、この国を治めるのは私しかいませんね。」

「「かの国」が攻めてくるんだぞ。」

 咄嗟に王は叫んだ。しかし王子は優しく微笑んで言った。

「安心してください。私は戦争など好みません。「かの国」には殺るだけのことを殺ってもらったら退却してもらう手はずなのです。父上、残念ながら私は「かの国」との友好関係を結び、新たな国の王として君臨しようと思っているのです。長年続いた戦争を終わらせ、平和を作り、皆に愛される王として。」

「私が王だ。」

 一瞬の抵抗だった。しかし、王子の声を聴くより先に王の耳に入ってきたのは、自らの心臓に剣先がめり込む鈍い音だった。

「残念です父上。すでにその筋書きも計算しているのです。あなたは、戦争を続けようと王宮に援軍を再編しようと帰ってくる。そこで、民を苦しめるだけの戦争をやめさせようとする私と意見が対立し、刃を交えるまでになってしまう。」

 王は意識が朦朧としていた。ただ、王子の声だけははっきりと聞こえている。

「乱心している王を止めようと、多くの家臣がなだめたが、王は所かまわず切り殺した。そして、私がやむなくとどめを刺す、というものです。・・・安心してください。私は多くの者に「寡黙で、剣の腕も才も無く、感情も無き者」として知られていますので、こんな大惨事をまさか起こせるとはだれも思わないでしょう。」

 王は知らなかった。彼がこれほどまでに頭が切れるとは。いや、才があるわけではないのだ、狡猾なのだ。自らの野心のために、父を、兄を裏切ることができるのだ。

「お、思い通りにはいかぬ…。」

 精一杯の声で王は息子に告げた。しかし、王子は呆れた表情で父を見つめた。

「これが本当の私です。私の本質を見抜けなかったのは、父上、あなたです。人間にはだれしも「欲」があるのです。私にもあって当然です。それに気づけなかったのは、あなたですよ、父上。」


 王は死んだ。後継者である、兄者たちも死んだ。もはや、第三王子のみが生き残り、問答無用で彼が次の王となるのだ。王子は、ふっと笑い、王の胸に刺さった剣を抜いた。これで、全て終わったと悟った。ついに自分の物になるのかと思い、高揚感で満ちた表情で玉座へ向かった。

 玉座の間の外が騒がしくなった。だれかが走ってくるようだ。

 次の瞬間、大きな足音が聞こえたかと思うと、勢いよく扉が開いた。息を切らして立っていたのは、第二王子だった。王子は、目の前の光景に言葉が出なかった。とにかく目に留まったのは、弟の足元で倒れている王だった。

「ち、父上・・・お前、なんてことを・・・。」

 第二王子は目いっぱいに涙をため、怒りの形相で第三王子を睨み付けた。第三王子は、表情一つ変えず、静かにため息をついた。

「兄上、生きておられたのですね。それは何よりです。しかし、ひどい傷ですね。多くの血も流してる。あなたの命も、きっとそう長くは持ちませんよ。」

「お前は何を考えている。こんなことをして・・・。」

 第三王子は、そんなことも気に留めず、玉座へ向かって歩き続けた。口調は変わらず、驚くほど落ち着いていた。

「特別な理由はありません。この国が欲しかったのです。王の座が欲しかったのです。ただそれだけです。」

「王は父だけだ。お前など、その地位にはなれぬと分かっていて、なぜ・・・この所業がどれほどの大罪か。」

 「大罪」という言葉に、体が固まった。メラメラと熱い感情が沸き立ってきた。自然と拳に力が入る。

「・・・大罪ですか。大罪というなら、兄上はどうなのですか。父上はどうなのですか。私が今までどれだけ絶望感に苛まれていたか、兄上は分かるのですか。」

 今までとは違い、声に覇気が増し、荒々しくなった。それは、怒りのなにものでもなかった。

「私は第三王子というだけで、父上からの愛情を受けなかった。武力もなく才もなく、何もできぬ奴だと罵られてきた。それでも、ずっと刃向かいもせず従順に、ただひたすらに王のために尽くしてきた。兄上も知っているでしょう。私が「感情無き者」と言われていることを。・・・考えてください。私だって人間なのです。皆と同じように、辛く、悲しく、空しく過ごしていたのです。」

 王子は、目を見開き、大股で兄に近づいてきた。息が荒いのがよくわかった。胸に手をあて、さも心臓をえぐるかのように、ぎゅっと服をつかんでいる。その表情は、自分の感情をどうにもできないような、歯がゆさと悲しさに満ち溢れていた。

「だれが私を見てくださいましたか。だれが私を認めてくださいましたか。だれが私を愛してくださいましたか。私のしたことが大罪ならば、父上や兄上たちが私にしてきたことも、一人の人間、実の弟に対しての大罪だったのではないですか。」

 ついに第二王子の目の前まで迫り、その息の荒々しさが肌に伝わってくるほどだった。肩に手をかけられたが、あまりの握力に怯んだ。

「だから、私は決意したのです。王をこの手で殺し、邪魔な人間たちは「かの国」の者たちに消してもらう。この国の王となり、「かの国」と和平を結び、この国を救った、誰からも愛される王となる。だれも私を罵らない、だれもが私を認めるそんな王に・・・。だから兄上、あなたも・・・。」

 王を刺したその剣が再び、鞘から抜かれそうになった。肩に深い傷を負って、大量の血も流していた第二王子には、振り切れる力は残っていなかった。もはやこれまでと、第二王子はじっと弟の成すこと見つめた。

 しかし、弟は兄を刺すことができなかった。なぜなら、兄を殺す前に、自らの胸を貫通する剣先が見えたからだ。後ろから誰かが剣を突き刺したのだった。手から剣が落ち、第三王子は崩れ落ちた。たどたどしい息で、精一杯の力で、後ろをみると、何本もの矢が体に突き刺さったままの第一王子がそこにいた。傷ついた体はもはや満身創痍。弟を刺した後、兄もその場に崩れた。

「「かの国」が全てを話したぞ。お前の誤算は、けしかけられた「かの国」もバカじゃなかったということだ。情報を怪しみ、戦いが始まって間もなく我々と交渉を持ちかけた。できれば、我々がもう少し痛手を食う前に願いたかったが・・・。」

「そして、兄たちはそう脆くはできていなかったという誤算もだ。」

「そ、そんな。わ、私は・・・お、王の・・・」

 第三王子は腕をめいっぱい伸ばし、玉座をつかもうとした。しかし、空を切った。二人の兄はじっと弟を見つめた。

「眠れ、弟よ。お前の望みはもはや度を超えている。」

「ちがう・・・あにうえ・・・わからない・・・かならず・・・おうに・・・。」

 刺された心臓からの血が床を濡らしていく。赤い絨毯がさらに濃くなっていった。王子の目から流れる涙が血と混ざる。もはや、腕を伸ばすことはできない。細い息遣いだけが聞こえた。唇が微かに動く。何度も「王」と言っているようだった。

「眠れ、弟よ。お前はもはや、煩悩だけに支配されてしまったのだ。お前は王ではない、煩悩の王なのだよ。」

 第三王子は、細い目でじっと玉座を見つめていた。

 そして微かに動いていた唇でさえ動かなくなった。

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