三章 ~終幕~


 狂ったように笑い続ける小山。いや、ようにでは無くこいつは狂ってしまった。何がこいつを変えてしまったのかはもう分からない。


「ハハははハはハハハはハはハハハははハハ――――ッ!!」


 その小山が急に思い出したかの様に、笑いをやめて俺に飛びかかってきた。


「ハァァアッ!!!」

「クッ!!?」


 咄嗟に避けれたのは俺の運動神経のおかげか、それとも張り詰めていた空気のおかげなのか。数メートルは離れていたはずなのに、気づいた時には眼前に迫ってきた小山の手を俺はギリギリで躱した。


 躱した?いや、今のは掴んで組み合うなり投げるなりすればよかったんじゃないか?なんだ……ただ掴みに来ただけなのに、何故俺はこんなにも恐怖を抱いているんだ?


 その時、勢いを殺しきれずに突っ込んでいった小山の手が、道端のポリバケツに触れた。


 ――ボッ!!


「なんっ!!?」


 ポリバケツは音を立てて一瞬にして掻き消えた。


 これは速度の違いはあるが、町の人が消えた時と同じ現象?これが、神隠し?つまりは小山のあの手に触れたら、人でも物でも一瞬で、それこそ考えてる暇もなく消されるって事か!?


「じ、冗談じゃねぇぞ!なんだそのデタラメ!?ゲームやアニメじゃねぇんだぞ!!?」


「ヴァァアア!!」

「ク、ッソォ!!!」


 ――ブォッ!!ブンッ!!


 小山の手が執拗に俺に迫ってくる。その動きはデタラメだが、明らかに先程より動きが格段に速い!このままじゃいつか掴まれて消えちまう!


「ハハハアハハハははははあハァアッ!!!」


 俺が逃げ惑う様が可笑しいのか小山はまた笑いだした。

 ちきしょう余裕だなッ!?


「しつ、けぇんだ、よッ!!」


 俺は手当たり次第に近くに落ちていたゴミ袋やカバンなんかを投げつける。だがそれらは小山が触れた側から瞬時に消えていった。


「クソ!!やっぱりだめか!」


 少しでも時間稼ぎになればいいと思ったが何の足しにもなりゃしねぇ!こんなもんどうしろって――。


「ヒァアッ!!」

「ぅぉおッ!あぶねぇッ!!」


 か、考えてる時間もねぇのかよ!?


 小山は息つく暇もなく頻りに俺に向かってくる。ただ目の前の邪魔者を消すだけの存在になっている。


「手に触れたらアウトなのか!?それ以外はいけるのか!?」


 分からねぇ!だからって触れてみて駄目でしたじゃ俺はそこで終わりだ!取れる選択肢が避ける一択だなんてその内捕まるのが目に見えてる。なにか無いのか?あんなもん素手で対処しろなんてごめんだ!


 と、俺が辺りを探し始めると民家の壁に立てかけてあるものが目に入った。


「しゃぁ、あれだッ!!」


 襲いかかる腕を前転の要領で躱しその長物を手に取った。重さを確かめる様に一度大きく振る。


「ホウキゲット!!」


 得物と言っても竹ボウキだが、こんなものでも無いよりはマシだろ!ホウキの穂先を小山に向けて間合いを取る。


「こいよ!掃除なら得意だぜ!?」


「ハぁア!!」

「オルァア!!」


 ガッ!!ドガッ!


 首を刈る様に振りかぶられた右腕の手首辺りを打ち払うように凌いだ。冷静に見ればスピードは速いが相手は執拗に掴みに掛かってきている。狙いが分かれば対処はできる。そして落ち着けば相手を観察出来る。


 こいつ……小山はさっきから明らかに様子がおかしい。


 今日最初に会った時から挙動不審でおかしかったが、そういうレベルの話じゃない。見た目からして運動が得意な奴には見えないのに、時たま人間とは思えないような軌道を取る。


 動物を相手にしているみたいだ。この気配のせいでよりそう思う。こんなのもう殆ど人間じゃないぞ!?


「――ヒャハッア!!」

「うぉッ!?」


 いきなり横にブレたと思ったらもう目の前に腕が迫っていた。やばい!見えなかった!ま、間に合うか!?


「クソッ……たれッ!!」


 ボッ!!


「あぁ!?し、しまったホウキがっ、チッ!!」


 がむしゃらに小山の腕目掛けてホウキを振ったら穂先が消し飛ばされてしまった。クソ、なんとか助かったが得物が……。えぇい!もうこんな取ってだけの短い棒なんかいらん!ホントは掃除なんて苦手なんだよッ!


「まずい、まずいぞ……間合いが取れねーとあの速度にゃついていけねぇ……何かねぇのか他に!?」


 何回か攻防を繰り返していたらいつの間にか少し広い道路に出ていた。地面には人が突然消えた痕跡が、色々な物が落ちている。

 だがそんな喧嘩で使えそうな武器なんて……!


「って、いいのがあんじゃねぇか!都合よすぎだ、ぜッ!!」


 小山がまた襲ってくるまえにいち早く地面に落ちていたソレを拾う。ホウキなんて掃除道具より、もっと荒事に向いている長物。


「よし!手に馴染む、安心感が違うぜ。いい感じだ竹刀!」


 俺は真竹で出来てそうな竹刀を軽く振り、感触を確かめる。体の真ん前で正眼に構えて小山と向かい合った。剣道なんて中学以来だが、やるしかねぇ!!


「ツぁアッ!!!」

「おぉッ!こ、てぇッ!!!」


 パァアアン!!!


 俺が振った竹刀は勢い良く小山の手首に吸い込まれ、景気の良い音を上げて弾いた。ホウキよりずっと振る事に特化したこの得物なら振り遅れることもない。


「おいてめぇ!!聞こえてんのか!?なんでおまえこんな事、皆を消したりしたんだッ!?」

「ウぁアッ!!」


「クソッ!!――け、消した奴の中にはてめぇの知ってる人間もいたはずだろ!仲が良かった人もいたんじゃないのか!?おまえはそれをなんとも思わなかったのか!?」

「カぁァアッ!!!」


 俺がいくら呼びかけても人間らしい反応は返ってこない。なにがどうなってこんな事になってるのかさっぱり分からないが、最早言葉は通じないのか?


「ッチ!!消されていい人間なんていねぇし、誰かを消していい人間なんていねぇんだぞ!!存在ばかりか、記憶まで奪いやがって!!他人を操って!好き勝手しやがって!!てめぇは神様にでも、なったつもりかよッ!!!?」

「ルァァアアアアアアア!!!」


 その時、執拗に俺を狙っていた腕が、急に軌道を変えてあらぬ方向に振り払われた。俺は迎え撃とうと構えていたのに、気概を外される。


 なんだ?一体なにを……小山の腕が向けられた先には、電柱…………ッ!?まさかッ!!


 ――――ボッ!!


「う、っそだろォオッ!?」


 電柱の根本部分が根こそぎ抉られてその自重を支える土台が無くなった。そして、人ひとりなど容易く押しつぶすであろう重量が俺目掛けて倒れ込んできた。



 ドゴォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!!!



 ――――――――――――――――――――――。



 コンクリートの地面にヒビが入り粉塵が舞う。俺は地面に倒れ込んだ電柱の真横で九死に一生を得ていた。

 あ、あぶなかった……。あと少し反応が遅れてたらグチャグチャだった。クソッ!今の騒動で竹刀もどっか行っちまった!早く立ち直さねぇとあいつが……。


「……って、あいつは!?」


 意識が状況は把握しようと思ったその瞬間に、不意に地面の感触が消えた。


「――――――あ?」


 重力に引かれて落ちる体、陥没した地面、傾く視界、目に入ったのは。


 円形に抉られた地面の縁に、手をついた小山。そしてその姿が次の瞬間には目の前にあった。口が裂けそうなほどに嘲笑った小山の顔と至近距離で目が合う。


「――ケヒッ!」

「しまッ――」



 ――死――ん――――――――――――――――――――――。




「だめぇぇえええーーーーーーーー!!!!!」


 ッツ!!この声は、エリッ!?


 今まさに小山の手が俺の顔に触れるというその時、らしからぬ大声をあげて急にエリが飛び込んできた。エリは飛びかかる小山目掛けて猛スピードで体当たりを仕掛けようとしている。


 なんでここにッ!それにお前がそんな事をしてもッ!


「わぁああーーーーーーー!!!」

「アぁアッ!!?」


 ――ドンッ!!


「えぇっ!?」

「はっ!?」


 勢い良くぶつかられた小山は、手が触れるあと少しというところで弾き飛ばされた。だがぶち当たって驚いているのは体当たりを仕掛けた本人だ。


「エリ!?おま、お、おまえ触れるのかっ!?」

「え?え??なんで?わかんないわかんない!?」


 咄嗟にその肩を掴もうとして腕を伸ばしたが、いつものように俺の腕はすり抜けて空を切るだけだった。エリの方から触ろうとしてみても同じである。


「触れねーじゃねぇか!一体どういう事だよッ!?」

「えぇ?あれ?あれぇ??こっちが聞きたいよ!?」


 え、なに?つまりなんだ?俺とエリはお互いに触れないし、他の物質も同様に触れないけど。あの小山にだけは触れるって事か?


 …………おい待て、こっちから触れるって事は触られるって事で。


「ゥァアアアアアアアアアッ!!!」


 触られたら、消されるって事じゃッ!!?


「――え?」

「エリィッ!!避けろぉおッ!!」


 突然の事過ぎて反応が出来ないエリ。そのすぐ後ろまで来ている小山。だめだ、このまま、じゃッ!!


「ぁ、ぁああああああああああッ!!!」


 俺は目の前にいたエリをすり抜けて、そのまま庇う様に間に入った。自分から進み出た俺と小山の距離はすぐに縮まる。盾に出来るような物も、凌ぐものも何もない。

 自ら死に向かったというのに、何故か不思議と恐怖は無かった。ただ、守らないと。と、それしか頭に、心に無かった。


 すまん、エリ。お前だけでも……。


 小山の両手が無情にも、締め上げるように俺の首を強く、掴んだ。


 …………。

 ………………。

 ……………………………………?


「ァ?」

「……ん?」


 消え、て…………ない……?

 俺は小山に、たしかに首を掴まれている。直に両の手で触られているのに、消えて……いない?


「なンデ」


 まだ…………俺は…………ッ!!


「ナンで、オ前、はッ!キ、えナ、い、ン、ダ、ヨォ、ォオォオおぉオぉオオオオオ!!!!!」


 俺は、死んでないッ!!!


「ッ!!おぉおおおおおッ!!!」

「ガァッ!!?」


 がら空きの小山のどてっ腹に懇親の前蹴りを御見舞してやる。その反動で小山は吹っ飛び、同時に俺の首を締め上げていた両手も外れた。


 肺に空気を取り入れる為に荒く大きく息を吸う。い、生きてる……俺は、生きてる!?


「クソッ!一瞬、マジで死んだと思ったぞ……ッ!!」

「トーヤ!と、トーヤ!大丈夫、だ、大丈夫なのっ!??」


 エリが心配するように駆け寄って俺の体を触ろうとスカスカしている。


「あぁ、大丈、夫だ。消えてねぇ、消えて、ねぇぞ!!」


 消えてない、確かに俺の体は消えてないが、体がすごい重い。意識が、霞んでいる。掴まれている間、俺の中の何かが剥がれて抜け落ちていくような、そんな感覚があった。


 なぜ俺が瞬時に消されなかったか原因は分からないが、ずっと掴まれていたらきっと俺も同じように、消える。状況は幾らか良くなったと言えるが、あいつをどうにかする解決策が無い。


「どっちにしろやばい……か」

「……大丈夫、私がどうにかするよ」


 俺が頭を悩ませているといきなりエリがそんなことを口にした。


「は?どうにか?どうにか、ってお前どうにかできんのかよ?」

「失礼な!私をなんだと思ってるのトーヤ!」


「……幽霊」

「あー、そうだったね……」

「ん?」


 なんだ?なにか間違ったか?いつも言ってる事だが。


「ヴぁアアアアアア!!!!」

「ッ!?」


 声のした方を見ると起き上がった小山が咆哮をあげて怒り狂っていた。俺を消せなかったのが相当頭に来たらしい。


「まずい、ありゃどう見てもキレてるぞ。どうやって止めりゃいいんだ……?」

「大丈夫って言ったでしょ!トーヤ!次あいつが動いたら殴ってでも止めて!」


「は?いや、だから早すぎて止められねぇんだって!」

「問題無いよ!!こんなの私にかかれば――障害でもなんでもないよ!!」


 エリの言葉が終わると同時に小山が残像を残して突進してきた!その姿はもう捉えきれない。今まで以上のスピード。


「くっそがぁッ!!!」


 俺は無我夢中で前に出た。俺が触られても一瞬で消えないのなら!エリに盾ぐらいにはッ!!その時、後ろから聞こえてきたエリの声が、不可思議な感覚を伴いながら俺の耳に届いた。



「――In Script"Boost time=10000"!!!」



 一瞬、視界が淡い光に包まれた。


 体に力が漲る。血が熱くなる。目が冴えて全てが遅く見えるようだ。見えるよう?いや、違うッ!?


「ゥぁア――アア――ア――ア――――――ァ――――――――ア――――」

「な、なんだッ!?」


 視界に映らないほど高速で動いていた小山の動きが、信じられない程遅くなっていた。その現象は死の間際全てが遅く感じるという、スローモーション?


 コレは小山が遅くなっているんじゃない、俺の思考が早くなっているんだ!!


「(時間は体感で10秒しか持たないよ!相手の手に触らなきゃ大丈夫!この10秒の間に、決めてッ!トーヤッ!!)」


 加速しているはずの俺に通常通り話しかけてくるエリ。さすが幽霊なんでもありだな。……だが!!


「それでこそお前だ!!このチャンス、無駄にはしねぇッ!!うらぁあああああああ!!!!!」


 目前まで迫ってきていた小山の腕を余裕を持って躱す。

 今までのお返しとばかりに顔面に懇親のカウンターを打ち込んだ!


「――――ア――――ァ――――!――――」


 慣性の法則で吹っ飛んでいく小山。だが思考が加速している俺にはゆっくり飛んでいる様に見える。俺はすかさずその伸びた腕を、手に触らない様に掴んで、玲人がやっていたように一回転して地面に向かって投げた。


 そして倒れ込んだ小山を腕を捻り押さえ込む。ジャスト、10秒ッ!!


「――――ッ――――ク――ソ――ォッ!!はナせぇエえ!!!」


「よしッ!!止めたぞォ!エリッ!!」

「うんっ!!」


 俺の声に答えたエリは祈る様に両手を合わせて何かを唱えだす。懸命に言葉を重ねるその姿は幽霊と言うより、まるで慈愛を秘めた聖女のようだった。


「クそォッ!!な、なンだ!?なンなンだ、なンナンだそいツはァッ!!クソォガァアア!!!ボくは!!神ガ!カミだけガ!!こ、こンなセカイ!!コンなセカイなンかッ!!!ボくには、なにモッ!!!ボくは!ぼくハッ!!ぼくはっ!!――――――僕はただッ!!」


「――――ごめんね」

「――――――――――ぁ――」


 エリの手からほのかな光が放たれ、それに呼応して小山が一瞬光ったかと思うと、今までの成りを潜めて小山は眠るように意識を失った。


 まるで人ではないかのような狂乱が嘘であったかのように、安らかな顔をしている。最後、こいつは何を言いたかったんだ?こいつにも、ここまでになるような何かがあったんだろうか。


 ………………だとしたら、なんだかやるせねぇな……。


「……とにかく、なんとかなったな」

「そうだね、なんとかなったね」


 一息ついて、改めてエリの顔を見た。エリも気づいたように俺に視線を向ける。


「……エリ、その……悪かった、な。おまえに、あんな事言っちまって。……俺、どうかしてたよ」

「ううん、いいよ。トーヤの事は、分かってるから」


 エリはもう気にしてないように薄く笑って首を振った。


「……それでも、謝らねぇとって、思ったからよ」

「ふふ、それも分かってるよ」


「…………そか」


 あぁ、駄目だな。俺は多分、ずっとコイツから離れられないんだろう。

コイツがいつかこの世から旅立つその時まで。俺はその時まで、コイツを一人にはしない。


「サンキュな」

「うん」


 太陽が陰り闇が広がる中、俺は幽霊に向かってお礼を言った。その存在が現世に留まっていることに。


「はぁ、でも町の人は……その、元に戻る、のか?」

「…………それは、無理かな」


「そうか……」


 一体どれだけの人が消えたか、誰も彼も戻ってはこないのか。俺の平穏も、大切な場所も、人達も。玲人……涼ねぇ…………沙希……ッ!


「――――大丈夫!トーヤ、私にまかせてって!」

「……はぁ?」


 俺が暗い気持ちに沈みかけたその時に、エリはわざとらしく明るく声をあげた。


「レイトもチグサも、サキも。消えた人達ぜーんぶ!元に戻るよ、きっと」

「な、なんでそんな事言えるんだよ」


「トーヤが言ったんだよ?私が幽霊だって。幽霊の私には出来ないことなんてないんだから!」


 そう言ってまたエリは、先程のように祈る様に唱えだした。すると、エリを中心にして円形状に光が広がっていった。


「――――ハハッ、さすが幽霊、なんでもあり。だな」

「…………さぁて?どうかなぁー♪」


 俺が溢れる光の中で見たその顔は、いつものムカつくニヤケ顔だった。


「――In Script "Format record"――」


 ――――――――――――――――――……………………………………。




 ……………………?


「――ハッ!?」


 こ、こは……ばあちゃん家?見たことのある天井だ、てかいつも見てるじゃねぇか!

 え、俺いつのまに帰ってきたんだ?なんでこんなところで寝て……。


「そ、そうだッ!沙希ッ!!」


 俺は靴を履くのも煩わしいぐらいに急いで家を飛び出す。


 夕日に照らされた緩やかな下り坂を、かっ飛ばすように走り抜けていく。道路にはこれから祭りに行くのだろうか、浴衣を着た人達が歩いていた。

 息を吸うのを忘れるぐらいに俺は全速力で沙希の家にひた走る。そして、かつての実家の近くにある一軒家の前に着いた。


「こ、ここで、間違い、ないはず……ッ!!」


 表札は梓山!!あいつの名字は梓山!!一度呼吸を落ち着けて俺は意気込んでインターホンを押した。


 ピンポーン…………。


 ……しばらくして人の足音が聞こえ玄関の扉が開かれた。出てきたのは前に見た沙希のお母さん、のはず。


「俺!大神透哉って言います!あの、沙希はいますかッ!?」


 気がはやって若干前のめりになってしまった。頼む、頼む頼む!ここにいてくれ!


「はぁ。沙希、ですか?」


 こ、この反応、なんだよ。まさかまだ沙希は……ッ!?



「おかーさーん?どしたのー?」



 その時、俺が聞き望んでいた、親しみのある懐かしい声が届いた。扉の向こうにあいつが駆け寄る足音がする。それに気づいた沙希のお母さんが後ろに向かって話しかけた。


「沙希あんた彼氏でも出来たの?ちょっと、紹介しなさいよー!大神透哉、君っ♪」

「は、ちょ、え、え?な、何言ってんの何言ってんの何言ってんのっ!?」


 母親を押しのけて玄関先に出てきたその顔を見た時、もう俺は抑えきれなかった。


「沙希ッ!!!」

「えっ?何っ、え?何これ?え、なんで、透哉君!?え!?えぇ?」


 俺は力の限りその存在を確かめる様に沙希の体を抱きしめた。ここにいる、消えてない。……ここにいる!


「……よかっ、た。ほんとに、よかった……!!」

「何!何これ!?なんでなんで!?何が起こったの!?どゆことーー!!透哉君ーーーー!!???」




 あの事件、神隠しという怪奇現象を解決した後。


 突然前触れもなく親の目の前で、娘さんをこれでもかと言うほど抱きしめてしまった俺は、当然のごとく沙希に散々文句を言われた。俺はなんであんな事をしたのか渋々説明したが、沙希はさっぱり理解してくれなかった。


 というか、どうやらあの事件の事。自分が消えていた事は何も覚えていないらしい。


 それは沙希だけでなく、玲人も涼ねぇも、この町の人誰一人神隠しのことなど覚えていなかった。あんなに大事になったのに、皆夢でも見ていたかのように記憶が曖昧だった。


 まぁ、ほとんど悪夢みたいなものだったからな。覚えてないなら、それでいい。


 ――ドンッ。


「あ、すいません」


 考え事に集中しながら道を歩いていたら人とぶつかってしまった。メガネを掛けた男の学生は軽く頭をさげて気にせずに行ってしまう。……ん?どっかで見たことあったような。


「今の知ってる人?」


 隣を歩いていた沙希が俺に聞いてくるが。


「……いや、多分気のせいだろ。で、なんの話だったか?」


「だから!すっごいビックリしたって話だよ!あたしが!!」

「あ、あぁ。だから、悪かったって」


 あれから数日経ったっていうのに、今でもまだ思い出したように小言を言われる。理由があったとはいえあんな事をしてしまったのだ。気持ちも察せるので俺からは何も言うまい。


「……まぁ、その、……い、いやじゃ、なかったけどさ……」

「お、おう……」


 そうやって目を反らしながら言われちゃ、ほんと。俺からは何も言えねぇよ。なんだかんだ、いい結末になったのかもしないな。ばあちゃん家に続いている坂を沙希と一緒に登りながらそんな事を思った。




 ………………ただ。


 ふと気になって後ろを振り返り、何もない空間を、空を見上げた。そこに誰かいたような、ずっと誰かといたような気がする。


「?どしたの?変なとこ見て。なにかある?」

「…………いや、なんでもない」



 ――なにか。


 そう、なにか忘れているような。そんな気がするだけ。

 ただそれだけだ。


…………………………………………。

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不可思議はいつもそばに アーサー石井 @Arthur-EC4869

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