朦朧

鍍金 紫陽花(めっき あじさい)

第1話

 本の内容が頭に入ってこない。


「拓磨、今期のアニメ見た? エロかったよな」


 隣席の女子が間を開けた。通りやすい道ができる。


「清水、学校だって」

「何でだよ。アニメの話したって誰も聞いてねえ。隠す方がかえって気持ち悪がられるんだぜ。だから、面で叫ぶべきだ。妹ものサイコーって!」


 校舎裏で女子高生が刺されたらしいよ。隣席の女子高生がコンテンツとして消費する。俺は本を置いてお手洗いに行く素振りで外に出た。清水は付いてこない。


「……アイは知ってるんだろうか」


 俺はアイに電話するけど繋がらなかった。血痕を前にして、野次馬の熱気がある。校舎裏の端に缶コーヒーが放置され、中は吸い殻が詰まっていた。もう一度携帯を鳴らす。着信はブルーシートの先で鳴った。


「え?」


 電話を一度切って、もう1度確認する。同じことが巻き戻しのように起こった。


「アイ?」

「……君、ちょっといいか」


 大人達が俺の肩を掴み騒然とする。取り巻きは俺に好奇心を向けてきた。その後は大人達が俺に説明を求めてくる。自分の知っていることを全てさらけ出した。父親が迎えに来るのを待った。

 帰宅したら母は無言で出迎える。テーブルには晩飯が用意されていた。箸を持ち固まった米を口に運ぶ。


「アイなのか?」


 先日に彼女は電話越しに告げた。俺は不意にその発言を思い出す。


『拓磨と私ってどっちが最低なんだろうね』


 昨日の俺は聞こえないふりをして耳を近付けた。アイは再び口にすることはなく、記憶の中にとどまり続ける。なんで今思い出したのだろう。


【君は犯人を見つけるべきだ】


 頭の内から問いかけられる。その声はアイに似た愛嬌があり吐き気がした。


「お前は誰だ」


 親は台所から出て、テレビをつける。不釣り合いなバラエティが放送されていた。


【お前が作り出した女性像だ】


 アイに似た声は俺を嘲る。


【君はそう驕っていたんだよ。話しただけで彼女を知った気になっていた】

「うるさい」

【お前はアイに理想を押し付けた。創作で出てくるような不幸な女性に、重ね合わせたんだよ】

「うるさい」


 俺は箸を置いて便器に駆け込む。頭で響くアイは身体に悪い。口に人差し指を突っ込んだ。


【吐いたところで彼女に近づけない】

「黙れ黙れ黙れ」

【お前の感情オナニーに付き合ってくれたアイに償いをしないのか】


 俺は悪い幻想に取り憑かれた。自分が自分を虐めて楽になろうとしている。死ぬから消えてくれと念じた。


【自分の歪さを認めたらどうだ】

「……わかってんだよ!」


 酸っぱい匂いが気分を悪くさせる。窓から月が俺を笑うように明るい。


「子供のやれることなんて、ない」


 トイレを流すために大に回す。水が渦を巻いて穴に落としていく。俺は洗面台で手と口を洗った。


「アイ、許してくれ……」


 頭から聞こえた雑音は止まった。酔っぱらいの鼻歌が洗面所に届く。


 翌日の朝に目が覚める。居間に出るとテレビが付いていた。キャスターが犯人は捕まったと報道している。犯行理由は彼女に付き合いきれなかったからと供述していた。彼女は目を覚まさないらしい。

 アイは一般的な理由に刺された。彼女は普通の人間ではない。


「彼氏がいたのか……」

【高い買い物してあげたのに裏切られたな】

「違う。俺達は友達だった」

【お前は胸を見ていたが?】


 台所の蛇口をひねり母親が皿を洗ってるようだ。自身の部屋に音が漏れている。水の勢いは増していた。トイレの渦を思い出す。


「彼女が分からない」

【なら、納得するまで探したらいい。何かしないよりマシじゃないか】


 俺は制服を着替えて学校に行く。同じ学校の生徒達は俺のことを動物みたいに、顔から足まで観察する。教室に行かず担任を尋ねることにした。


「失礼します」

「拓磨、今日は休みになってるが……」


 教員室はマフラーをとって手に持った。暖房は髪の毛に当たってる。


「アイは生前虐められていたんですか」

「え?」

「俺、何かしないと『終わる』んです。終わりたくないから知りたいんです。アイのことを知ってる限り教えてください」


 担任は後ろの教員を呼ぶ。誰も曖昧な返事しかしない。俺の奥底が幻滅で冷えていく。脳内のアイが高笑いする。


「先生が知ってることは少ないけど、それでもいいか」


 アイは普通の家庭に生まれた。友達は多くはない。彼氏とは仲睦まじく疎まれる程だった。先生の口の端に泡が付いている。目をぼんやりとして俺の知ってるアイを思い出していく。

 彼女は八方美人で誰も好きじゃない。友達というより、自分の言いなりになる地味な女子を揃えてる。父親はブスなのに態度がデカくて気に食わない。


「ありがとうございます」


 教員室を出たら、ある女性が立ち尽くしていた。背後で先生が何か言っていたけど無視をする。


「え、アイちゃん?」


 彼女はアイの友達だった。学校に何故いるのか知らないし興味がない。


「いいひとだったよ。こんな私でも話しかけてくれたもん」

「アイは変わったことあった?」

「アイちゃんはいつも正しかった。私がよく間違えたんだ」


 彼女は眼鏡の奥で目線を合わせてくる。外の風景は寒そうに見えない。


「間違え?」

「私が失敗したときは叱ってくれたんだ。『いい加減ちゃんしろよ』って言ってくれたもん」


 アイちゃん昏睡状態らしいねって呟かれる。返しを求めてない言葉にどうすることもなかった。事件後の学校は騒がしくないだけだ。


「アイのこと好きだった?」

「いい人だった。貴方は?」


 彼女は話すたびに体がゆれる。歯は黄色い。


「俺は、分からない……」


 突然、携帯がなる。清水から着信があった。アイの友達と別れる。


「清水、今日は遊べない」


 彼は真面目に否定した。そんなことは今まで無かったから面食らう。


『アイの事だよ。学校の靴箱にいる』

「すぐ行く」


 制服姿の清水は手元の飲み物を膝で蹴っていた。俺に気付き大げさに手をあげる。


「あのさ、アイさんのことについて聞きたいことがあって」

「何?」

「付き合ってたの?」

「そうじゃないけど」

「その割には熱心じゃん」


 履き変えず靴脱ぎ場に踏み入れる。金魚のように口を開閉するのが滑稽だった。


「何が言いたい」

「俺って、お前に話しかけられるまで一人で眠ってたじゃん。その時って、結構周りの声聞こえてくるもんなんだよ。ほら、俺の悪口とか」

「いいから」

「アイさんのいい噂を聞かないんだよ!」


 彼は期待はずれの人間だった。残っている純粋性をすくい上げられない自分の落ち度でもある。


「Twitterで悪口言ってるらしいし、男性のことを嫌ってるんだよ。関わらなければいいのにヲタクを笑ってたんだ。拓磨も例外じゃなかった」

【お前に心配される筋合いはない】

「お前に心配される筋合いはない」


 手のひらが汗をかいていた。携帯をポケットに閉まったら、小銭にぶつかる。


「拓磨。自分のツイート忘れたの?」

「は?」


 彼は俺のアイコンを表示した。タイムラインには俺の支離滅裂な文が並ぶ。無意識に俺が打っていた。ツイートを消していく。


「やっぱおかしいよ。アイの事件から変わってしまってる」

「俺は何も変わっていない」

「彼氏でもないのに気を使うの。普通におかしいって」


 気付いたら彼の肩を掴んでいた。彼の顔が歪み振り払おうとする。僅かな殺意が湧いた。


「俺と話すのは、それ以外に友達がいないからだろ」

「そ、そうだけど」

「自分から話にいけばいいじゃねえか。もう俺に構わないでくれ」


 彼を突き飛ばす。傘立てを背に彼は倒れていた。俺は先生の顔を見る。驚いた様子で清水を支えた。


「いい加減にしろ!」

「俺、退学します」

「自暴自棄になるな! おい!」


 外に出た俺はアイの携帯に着信を入れる。新聞紙が風に遊ばれ飛んでいた。猫は建物の影に消えていく。


【アイのことが分かったか?】

「ますます分からなくなった」

【いや、嘘をつくな。彼女はお前のことなんて見ていなかった。都合のいい男だったんじゃないか】


 アイに繋がらない。コール音に飽きるほど耳にしてる。


【警察が押収してるだろう。お前の中のアイが考えつくことに目を背けるな】

『黙れ偽物。アイの声で騙そうとするな』

【偽物分かってるなら、自分でやめろ。自問自答の為に、他人を引き合いに出すな】


 授業中にテロリストが入ってくる、帰宅途中で不良に絡まれる女子を目撃する。繰り返しする妄想の一つに過ぎない。俺は気を落ち着かせるために、頭の中で思い描くアイを構築した。間違いは正されず腐った大人になっていく。嫌なことから逃げている俺は、一番好まない人種に似ている。


【拓磨は心配されても耳を貸さない。お前は、自分にしか興味無い】


 頭を何度も叩いた。血が出れば落ち着くはずだ。でも、頑丈だから痛いだけで虚しくなった。携帯にクラスのラインを開く。


『病室わかる人いる?』


 クラスのラインに初めて右側をつける。ラインは悲しいが暴発していた。悲しいを表すスタンプ、そんな娘じゃなかったと誇張。コンテンツとして人の死がなくなる。

 返事は誰もしてこない。既読数が増えるだけの場所になってる。

 学校を後にして病院に走る。近くで一番大きい場所で俺は受付に走った。


「アイはどこにいます」


 受付の女性は隣と耳打ちする。その次、何かを伝えてきた。


「拓磨さんですか?」


 俺は淀みなく病室に通された。集中治療室の中に彼女がいて、窓を挟んだ場所に通される。そこは彼女の母親が目を腫らしていた。


「貴方が拓磨さん?」

「え、ええ……」


 カノジョの母親は俺にテスト用紙を渡してくる。裏返すと彼女の文字があった。


「……」


 病室の彼女に目を向ける。


「寂しくないのか……」


 俺は紙を丸めた。ポケットに閉まって不明の彼女を睨む。今、距離が遠い。


【良かったじゃないか】


 周りなんてどうでもよかった。彼女が目を覚まさなかったらいい。もし、それでも現実を生きたいと起きたなら、鈍感になってほしい、そう祈った。そのまま死ぬなら、それも幸せの一つだ。

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朦朧 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou

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