まだ幼き心
「あれ、ここは……」
扉を開けると、見覚えのある景色が広がっていた。道路は広く、綺麗に整備された住宅街。僕が住んでいる街であり、僕が塾へ通う道だ。
「あそこの角のコンビニって潰れたんだけどな。あそこのラーメン屋も今はカレー屋なんだけど」
ここは確かに自分の住む街だが、今とはどことなく違う。どうやら、数年程前の光景のようだ。
「ここが聡真の住んでいるところですか。閑静でいいところですね」
いつの間に、隣にポースの姿があった。
「……ポースも着いて来るの?」
「おや、いけませんか?聡真がどうやって過去と向き合うのか見てみたいのですよ」
軽く溜め息をつき、聡真はゆっくりと歩き始める。とりあえず、知り合いには会いたくない。下手したら過去の自分とも会ってしまうのではないか?
「ねえ、ここが過去なら僕がもうひとりいるってこと?」
「いえ、この世界に聡真はただひとりだけです。あなたがこの世界にいる限り、過去の聡真の存在はないものとなっています。ほら、今の聡真は少し幼い姿ですしね」
ほっと安心したのも束の間、そうなると誰か知り合いに会ってしまった場合は、すべて僕が過去の僕として対応しなければならないということじゃないか。
それはそれで非常に面倒だし、もう過去のことは忘れたいのに本当に厄介だ。
「……聡真、あちらの方から声が聞こえました。行ってみましょう」
ポースが向かう先へ顔を向けると、聡真は一瞬頭が真っ白になった。
住宅街の中にひっそりと佇む小さな公園。遊具は三つしかなく、ベンチが二つに自動販売機が一つ。そして、古い公衆便所が設置されている。
「聡真、どうかしましたか?」
知ってる、あの公衆便所。塾の行き帰りにたまに寄っていた。時刻は夕暮れ時、辺りは真っ赤に染まっている。公園には誰もいない。まさに時間帯も状況も同じだ。
「あ、やっぱり声がしますね。なんだか罵声のような声ですね」
聡真はポースと共に一歩ずつ足音に注意しながら進んで行く。あのときもそうだった。公衆便所へ入ろうとしたそのとき、中から罵声が聴こえたんだ。
「黙ってないでなんとか言えよ!持ってんだろ!?さっさと出せばいいんだよ!」
その声に思わず立ち止まる。……恐喝。中で誰かが金をせびられている。
「なんだか危険ですね、戻りますか?」
「……いや、ちょっと覗いてみよう」
そう言うと、聡真は息を殺し中へ入って行く。
「ちょっと、大丈夫ですか?」
姿勢を低くして壁から片目だけを覗かせる。こちらに背を向けて恐喝しているのは高校生二人、その奥には手提げ鞄を持った少年が一人。
「……やっぱり」
「助けるんですか?」
唇を噛み締め、首を横に振った聡真は公園を後にした。
***
聡真とポースは自宅の方向へ歩いていた。とりあえず、あと二時間は塾にいることになっているため、自宅周辺で時間を潰さなければならない。
「休んでしまうと、塾から家に電話がいくのでは?」
「それは平気。とても大きい塾でね、生徒もたくさんいるんだ。学校みたいに必ず出席しなければならないわけじゃなくて、自分が受けたい授業を受けるシステムになってる」
二人は自宅近くのコンビニへ向かった。建物の脇にベンチが設置されており、万が一知り合いがコンビニに来たとしても見つかる可能性は低い。
「それにしても、よく中の様子を確認しようと思いましたね。正直、すぐにでも引き返すかと思っていましたけど」
「前にもね、同じことがあったんだ。僕が塾に通っていたときだから、小学六年生のとき。あの日も声が聴こえてきて、恐る恐る中を覗いてみたんだよ。でも見つからなかったから、今回も大丈夫かなって」
公衆便所の奥で青い顔をしていたのは同じ塾の大野君。隣の小学校で、塾ではたまに話す程度。
「そのときはどうしたんです?結局中を覗いただけですか?」
「うん、そう。だって相手は高校生二人で僕は小学生だ。大人を呼ぶとか警察を呼ぶとかそんなことは焦って思いつかなくて、僕も捕まったら嫌だからその場からすぐに逃げたよ」
聡真は、俯きながら少しずつ記憶を辿っていく。助けを求める人を見捨てたあの日、なんとか塾には行ったが先生の話などまるで頭に入らない。
どうなっただろう。殴られただろうか、金は盗られただろうか。結局、その日大野君は塾へは来なかった。
「そうすると、この過去の世界は"助けることが出来なかった後悔"でしょうかね。そして数年経ち、聡真がどう出るか見ものですね」
聡真は眉間に皺を寄せて考えていた。あのときはただ逃げてしまったけど、まさか同じ場面に遭遇するなんて。
「身代わりになるんですか?」
「まさか。そんなことをしても、次の日にはまた同じことの繰り返しだよ。少し考えがあるんだ。前にも考えていたことなんだけど、結局実行しなかった。それをやってみようと思う」
***
翌日。今日は土曜日で学校は休み。だが、夕方にはまた塾がある。
「いつも通り家に帰っただけなのに、昨日はなんかすごく疲れちゃったよ。僕なのに僕じゃないみたいで、変に気を遣っちゃった」
「三年前といえど、中学生と小学生ですからね。今の聡真は、少し大人びた小学六年生なんでしょう。……ところで、それは?」
聡真は、一通の手紙と数枚の写真を取り出した。
「大野君の家族の写真だよ。三年前に撮ってたやつ。それとこの手紙も、ちゃんと引き出しに残ってた」
大野君の家は、お父さん、お母さん、おばあちゃん、そして大野君の四人家族。当時の僕は、そのひとりひとりの写真を隠し撮りしていた。
「その手紙は?」
「これは脅迫状。これを大野君の家に置いて来るんだ。差出人は不明で、"明日十万持って来なければ一人ずつ消す"って書いてある」
写真を封筒にしまいながら、聡真は軽く笑みを浮かべて話を続ける。
「昨日のあれ、しばらく続いてたんだ。次の日から塾には来たんだけど、明らかに顔を殴られた痕があったし。そこでこの脅迫状。これを見た大野君は、差出人は絶対にあの高校生たちだと断定する。そしたらさ、さすがに大野君だって立ち向かうと思わない?」
「そうですね。なるほど……とは思いますが、そんな簡単にいくでしょうか」
「まあ、追い払うことは出来なくてもさ、なにか言い返せればいいんだよ。学校にチクるからな!とか、警察呼んだからな!とかさ。大野君プライド高いしお母さんがすごい怖いらしいんだ。いい加減、お金のこととか誤魔化せなくなってると思う」
「要するに、彼を奮い立たせるわけですね」
***
そして、塾が始まる二時間前。聡真は大野君の家の玄関下に手紙を置いてチャイムを鳴らした。これでいい、これで大野君が立ち上がってくれれば……!
昨日同様、公園は夕陽に照らされ真っ赤に染まっている。すでに大野君は公衆便所の中。怒りと恐怖が入り混じり、鎮まることを知らない心臓はさらに鼓動を激しく打っているだろう。
「あ、来ましたね。昨日の高校生」
公園の入り口に二人の高校生が姿を見せる。彼らが公衆便所から出てくるとき、いったいどのような表情を浮かべているだろうか。
聡真は一度大きく息を吐いた。上手くいくだろうか、なんの意味もなくなってしまうだろうか。お願いだ、大野君。どうか勇気を出してくれ。
「どうなったんでしょう。昨日みたいな罵声は聞こえてきませんね」
高校生たちが公衆便所へ入ってから五分が経過した。五分あれば、金を盗ることも殴ることも出来る。
「やはり、彼も所詮は小学生。いくら脅迫状が届いたところで、なにも出来なかったのではありませんか」
わずかな望みに懸けていたが、ポースの言う通りなのかもしれない。たかが小学生が高校生相手に立ち向かうなど、やはり無謀だったのか……。
「……あ、誰か出て来ました」
目を凝らし、公衆便所から勢いよく出て行った人影に注目する。
……あれは大野君だ。お金を渡して逃げて来たのか?なんとか言い負かすことが出来たのか?
「蒼白な顔をしていましたね。大丈夫でしょうか」
「ちょっと公衆便所まで近付いてみよう」
少し迂回をして、入り口の側面に腰を下ろした。もう大野君の姿は確認出来ない。聡真は、しばらくこの場で身を潜めていた。
「彼が飛び出して行ってから、もう二十分経ちましたが」
「中、見てみようか」
そっと立ち上がり、周囲を見回しながら中へと入る。物音や話し声すら聞こえない。小窓から外へは出られないし、高校生たちはまだ中にいるはずだ。
「はっ……」
奥を覗いた聡真は、大きく目を見開き息を呑んだ。薄暗く光る電灯の下、二人の高校生は血塗れになって倒れていた。
「聡真、これは。まさか彼が……」
高校生たちの側に、赤く染まった包丁が落ちていた。二人の息はもうない。一人は喉を切られ、一人は腹部を滅多刺し。非常に強い殺意が感じられる。
「……行こう。誰かに見られたら、僕がやったと思われちゃう」
「せめて警察に連絡は」
「いい!」
聡真は自宅近くのコンビニまで走った。こんなことになるなんて。どうしよう、どうしよう。
ベンチに腰掛け、呼吸が落ち着くのをしばし待つ。血塗れの高校生たちの姿が頭から離れない。青い顔をして逃げて行く大野君の顔が頭から離れない。
「聡真、どうしましょうか。彼の仕業だと警察にばれるのも時間の問題ですよ」
未だ聡真は身体を大きく揺らしながら荒い呼吸をしていたが、それは次第に笑い声へと変化した。
「はは……。やってくれた、見事成功だよ。ははは!やった!」
清々しい顔で聡真は笑っていた。まるで、こうなることを願っていたかのように。
「どういうことですか?彼が高校生たちを殺してくれたことに喜んでいるのですか?」
「違うよ、ポース。僕は、あの高校生たちなんてどうでもいい。僕が喜んでいるのは、大野君が殺人犯になったことだよ!」
そして笑い顔から一転、聡真は険しい顔つきで口をつぐむ。
「……大野君はね、僕のことをずっといじめていたんだ。高校生に盗られた金を僕から回収して、僕を殴って僕を罵倒してストレスを発散していた。だからね、当時の僕はどうにかしてやり返したかった。そして、遂にこの計画を思い付いたんだけど、怖くなって手紙は引き出しに入れたままになってしまった」
「では、聡真は初めから彼を助けるつもりなどなかったと」
「もちろん。むしろ、昨日あの光景を目にして嬉しくなったよ。今度こそ大野君に復讐出来るって!まさか、ここまで上手くいくなんて」
満足気な表情を浮かべ、聡真はベンチから軽くジャンプをして立ち上がる。
「さあ、もう戻ろう。ここに用はないよ」
「戻ってからどうされるんです?聡真も、自分自身を滅多刺しにする決心がつきましたか?」
「それは後で考えるよ。とにかく、今は三年越しの復讐が上手くいってドキドキしてるんだ。これなら、もう一回くらい過去に行ってみてもいいかも」
そんな聡真の背中を、ポースは黙ってじっと見据えていた。今はまだ彼の好きにさせといてやろう。この先、必ずどん底に突き落とされるときがやって来るのだから。
きっと君はこう言うだろう、こんな世界など滅べばいいと 上羽理瀬 @rise7
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