僕にはもう、なにもないから

 僕にとって、現実世界は死後の世界と言っても過言ではない。いや、まだ死後の世界の方が楽なのかもしれない。

 今の現実から解放されるのなら、こんな命惜しくはないなって、今にも呼吸が止まりそうな真夜中の病室でふと思ったんだ。


 僕はいじめを受けている。

 きっかけは親友の転校だった。僕には、中学一年の頃からの親友がいた。

 彼の名は橘遥斗たちばなはると。入学式の日に初めて出来た友達で、それからは一緒に行動するようになった。

 遥斗は頭も良くてスポーツも万能で、すぐにクラスの中心人物になったんだ。男女関係なく、先生からも人気があった。


 僕は、そんな遥斗をとても格好良いと思っていたし、彼の親友でいることが誇りだった。

 でも、あまりにも僕と正反対過ぎるから、たまにどうして友達でいてくれるんだろうって考えたりもしていたかな。本人には聞かなかったけど。

 二年生で一度クラスは離れてしまったけど、三年生になってまた同じクラスになった。

 やっぱり遥斗はいつの間にか中心人物になっていて、学級委員にも選抜された。

 生徒会からもずっと勧誘されていたけど、部活が忙しいからと断っていたな。遥斗が生徒会長だったら、学校がさらに楽しくなっていたかもしれない。


 だけど、六月になって突然遥斗が引っ越すことになったって言い出したんだ。急に父親の転勤が決まって、来週にも引っ越さなければならないと。


「地方に行くんだ、ここからとても遠い。俺もさ、昨日聞いてまだ信じられないんだ。せっかくまた聡真と同じクラスになれたのに。本当に残念だよ」


 そう言って俯く遥斗の顔は忘れない。僕も寂しいけど、ひとり転校して行く遥斗の方がよっぽど寂しいに決まってる。

 引っ越し当日は学校は休みで、僕は遥斗の家まで見送りに行った。遥斗はサッカー部に入っていたから、転校先でも使えるようにとタオルをプレゼントしたんだ。あまり話すことは出来なかったけど、ちゃんと見送れて良かった。

 その帰り道、梅雨の時期だから急に雨が降ってきちゃって。でも、僕にはちょうど良かった。雨が涙を隠してくれたから。

 中三の男がなに泣いてんだって自分でも思ったけどさ。遥斗の前ではなんとか我慢していたけど、もう堪えきれなかった。とてもとても寂しかったんだ。


 ***


 そして、この日を境に僕にとって地獄の日々が始まった。

 遥斗はたくさんの人たちに人気があったけど、実は良く思っていない人もちらほらいて、遥斗がいなくなった途端そいつらが出しゃばって来たんだ。

 もちろん、そんな奴らを支持する者なんていないからそいつらは空回り。僕も一切相手にしなかった。

 それなのに、その日の放課後に僕は奴らに呼び出された。相手は三人。僕にはどうすることも出来ないことは重々承知だから、仕方なく話を聞くことにした。


「……何か用?」


 そう訊ねたら、開口一番顔を殴られた。固い拳でもの凄い力だった。その衝撃で思い切り尻もちをついたほど。痛みと衝撃とで立ち上がれなかったんだけど、そいつは今度僕の襟を掴んでこう言った。


「楽しい日常も今日までだ。明日からは覚悟しておけ」


 そう言い放ち、僕を壁に叩きつけて去って行った。

 どうして?なんで?家に帰ってからも、ずっとそう考えていた。遥斗がいなくなって奴らが出しゃばり始めたのはわかる。でも、僕は関係ないだろ。


「……ただ気に入らないからって、勝手過ぎる」


 おそらく、人気者の遥斗のことをずっと疎ましく感じていて、そんな遥斗の親友である僕のことも邪魔だと感じていたんだろう。

 それだけならまだしも、自分たちがクラスの中心になれなかったから、その怒りと苛立ちの矛先が僕に向いてしまった。いい鴨だったんだ。


 それから夏休みに入るまでの約一ヶ月、僕は奴らのしもべとなった。

 受験を控えていることもあってか、暴力を受けることはそんなに多くはなかったかな。主にパシリと宿題代行、たまに金をせびられ苛ついたときに見た目ではわからない腹などを数回殴られる。

 言葉にすると確かに酷い行為ではあるが、さすがに地獄は言い過ぎだろうと思うかもしれない。だけど、僕にとっては毎日が生き地獄。

 遥斗の他にも友達はいたけど、みんな目を付けられたくないからって僕から離れて行った。先生は地味な僕にはなにもしてくれない。たぶん眼中にさえ入っていなかったと思う。


 誰にも話せなかった。相談じゃなくていいんだ、誰かに聞いてもらえるだけでも良かったんだけどさ。

 奴らに家も知られていたし、僕には二つ下の中一の妹がいて、下手なことをすれば妹にも手が及ぶと怖れていた。

 耐えて耐えて、気が付いたら終業式を迎えていた。これでしばらくは解放される。そう安堵していた矢先、それは起こった。

 下校途中に、奴らは僕の鞄を引ったくって財布を盗ろうとしたんだ。財布は仕方ないにしろ、携帯電話は盗られたくないと必死に後を追った。

 奴らはお目当ての財布を片手に用済みの鞄を道路へ投げ捨てたから、思わず僕も道路へ飛び出してしまったんだ。大型トラックの目の前に飛び込んでしまった。


 夏休み一日目から ICU送りで、つい数日前に通常の病棟に移されたばかり。そして、数時間前に意識が戻ったのも束の間、容態が急変し生死を彷徨う羽目になってしまった。

 遥斗もいない、友達もいない、信じられる大人もいない。金は盗られ家は知られ、夏休みと言えど不安は残る。

 そんな怯える日々を過ごすくらいならこのまま入院していたかったが、どうやらそうもいかなくなってしまった。


 だから、もう僕は現実世界には戻りたくない。この若さで人生を終えるのは勿体ないとも思うけど、別に自殺したわけじゃない。意識が戻ってからの数時間、僕は生まれ変わりに期待しようと結論を出した。

 そして、医師たちの目を盗んで酸素マスクを外そうと考えていた矢先、タイミング良く僕の身体は悲鳴をあげたんだ。

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