八話 こんにちは未恋のサキュバス


「……あいつ、さっさと揺らいで折れそうね」


 一対の少年少女が抱き合う姿の一部始終を眺めていたサキュバスはしみじみと呟いた。


「そうなったら意外とお似合いのカップルよね、あの二人。……ちっ。サキュバスのあたしが、なんで恋のキューピッドもどきをやっちゃったんだか」


 愛をもてあそぶサキュバスとしては不服だ。いびつな関係ではあるが、それでも恋の後押しをしてしまったのは気分がよくない。生き残るためとはいえ、不本意極まりない。

 だからこんな胸がもやもやするのだと眉をしかめて愚痴をこぼすサキュバスの右手には、先ほど雪菜が落とした恋の銃器が握られている。先ほど雪菜が落としたものを抜け目なく回収したのだ。

 そして左手も空というわけではなかった。


「あっはっは! まったく、お笑い草ですよね。サキュバスのさっちゃんが私のお株を奪うだなんて……いやぁ! これ以上の笑い話はそうそうありませんよ! そうですね、あるとすれば、さっちゃんがサキュバスのくせに処じ――」

「だ、ま、り、な、さ、い!」


 淫魔として最も言われたくないことを漏らしかけたバカに、サキュバスは羅刹の形相になる。握りつぶさんばかりの勢いでサキュバスの左手に胴体を掴まれているのは、クソ神ことキューピッドだ。雪菜の手から恋の銃器を手放させるのが龍二の仕事で、キューピッドを捕まえて雪菜から引き離すのがサキュバスの役目だった。その計画は見事達成され小憎たらしいキューピッドの小さな頭にサキュバスは天製武器・恋の銃器を突き付けている状態だ。

 だがキューピッドはまるで気にした様子もない。


「しかし意外といえば意外です。その面白い生まれから魔王たちや他のサキュバスにやたらと過保護にかわいがられていたさっちゃんが、どうして今回派遣されたのですか?」

「うっさいわね。いい加減経験して来いって先輩たちと魔王様に送られたのよ。童貞相手ならあたしでも相手を手玉にとれるだろうって判断されてね」

「ははぁ、なるほど」


 童貞の高校生相手なら特殊な生まれをしたサキュバスである彼女でもどうにかなるだろうと送りだされた結果が、他に類を見ないほどの超高難度の案件だったというのだから笑えない。


「まあ、気にすることはないと思いますよ? さっちゃんは乙女の少女達の情念がこりかたまってサキュバスになったという面白い誕生をしていますからね。清い身なのは当然です」

「……ふ、ふふふふ。そうよ。わたしは経験のない女の子の情念と執念、そしてイチャイチャするリア充どもへの怨念でできたサキュバスよ! だから淫魔のくせして経験のない処女ですけど、なにか!? 笑いたければ笑えばいいじゃない!」

「あははははっははははははははははハハハハハ!」

「死にくされぇっ、このファッキンゴッドがぁあああああああ!」


 本当に指さして笑いやがったQPにサキュバスは引き金に指をかける。

 サキュバスの心に、神殺しへの畏敬など欠片もない。特に相手が愛の神だというのならなおさらためらう理由がない。さっちゃんと呼ばれるサキュバスの彼女は、その生まれからして愛を決して信じない。神に唾するための悪魔だ。そして、末端とはいえ悪魔のサキュバスが神を殺せる千載一遇の機会を逃すわけもない。

 神に届きうる数少ない例外、天製武器。憎きこのファッキンゴッドを殺せるなら本望だと迷いなく撃鉄を上げ、嬉々として引き金を引こうとして――けれどもできなかった。


「な、なんで……」

「恋をしなさい、さっちゃん」


 渾身の力を込めても動かない引き金に愕然とするサキュバスに、愛の神はにやりと笑って恋を勧める。

 恋の銃器には、ロックがかかっている。恋する者以外には、決して扱えないのだ。それを悟って、サキュバスは激しい舌打ちを飛ばす。


「……なにが恋よっ。それをもてあそぶのが私たちよ!? 愛してもらえなかった彼女たちの人生に誓って、私は全ての愛と恋を手の平に乗せてもてあそぶって決めたのよっ!」

「いいえ、さっちゃん。あなたの心に種は植えられました。その芽吹きを待ちなさい」


 左手で掴まれていたはずのキューピッドが、サキュバスの眼前で羽をはためかせていた。

 サキュバスが気付いた時にはもう遅い。左手の感触は空を切り、右手で突き付けていたはずの天製武器すらもいつの間にか取り上げられていた。

 弓の代わりに銃を持つキューピッドは、にこりと笑った。


「さっちゃん。この地上で、恋の花を咲かせなさい。あなたはそのためにこの世界に来たのです。恋を芽吹かせ、茎は育み、蕾をほころばせ、花を咲かせなさい。そうすれば、あなたは今よりほんの少しだけ救われ、それ以上に絶望するでしょう。そうなった時、今一度あなたにこの恋の銃器を差し上げますよ」


 神々しい神託を下したキューピッドは、やっぱり何の前触れもなくふっと姿を消した。


「……ちっ。知ったような口を」


 サキュバスはキューピッドが消え去った空間を忌々しくにらみ付ける。


「だから愛の神って嫌いなのよ! どいつもこいつも適当でぱっぱらぱーな頭してんのに意味深な説教してきやがるんだから……気分最悪っ。もうさっさと帰って……って、あ」


 頭をかきむしったサキュバスは、そこで自分が帰るための方法を思い出した。




 ***



「じゃあな、雪菜」

「うん、龍二君!」


 上機嫌に弾む声で扉を閉めた雪菜を見送り、龍二は隣の自分の家に帰宅した。考えることは山ほどある。これから雪菜を騙しとおしていかなければいけないのだ。心構えも計画も練っていかなければいけない。

 だがちょっと油断すると、龍二の脳裏にはサキュバスとのキスが思い出されるのだ。


「……痛かったな、あれ」


 やはり失敗の方が記憶に残るということなのか。自分でもよくわからない気持ちを抱えたまま、龍二は自分の部屋の扉を開ける。

 ベッドにサキュバスが寝転がっていた


「あ、おかえりー」

「いや何してんの、お前?」


 どうやって入ってきたのか問いかけるのは、吸精の淫魔相手に野暮というものなのだろう。寝所に忍び込むのは、彼女たちにとっては得意中の得意な行為のはずだ。


「まあ、何? 成功したみたいでよかったじゃない」

「まあな。お祝いの言葉でも届けに来てくれたのか?」

「まさか。報酬をもらいに来たのよ」


 報酬? と首をかしげてから思い至った。

 彼女は最初から言っていた。自分が帰るためには、あることをしなくてはならないと。


「そーゆーこと。ほら、いらっしゃい」


 サキュバスは色っぽく布団をめくりあげて、やることをやろうと迎え入れようとする。


「童貞が女をもてあそぶなんて無理なんだから、余裕ぶるためにも経験しとくのもいいでしょ。ほら、ちゃっちゃっとやっちゃいましょう」

「キスの時も思ったけど勢い任せというか、雰囲気ないな……お前の方こそ照れてるんじゃねーのか?」

「そ、そんなわけないでしょう!?」


 強がり半分だった龍二の言葉だったのだが、意外にもサキュバスが顔を赤くする。


「ったく。いいから、早くしなさいよ。……それとも、なによ」


 恥ずかしそうに顔を逸らした後に、頬を染めて龍二を見あげた。


「わたしじゃ、不満?」


 濡れた瞳に初心な仕草。淫靡ないつもとのギャップに、ぐらり、と龍二の理性が揺らいだその瞬間だった


「龍二君!」


 けたたましく部屋のドアが蹴破られた。


「なにか不穏な気配を感じたけど、いったい――ぁ」


 超人的直観に満ち地かれた雪菜は、ベッドに居座るサキュバスを見て言葉を途切らせる。


「さっちゃん……」

「あら、雪菜ちゃん」


 恐怖の大王雪菜の登場だがサキュバスは余裕の笑みを崩さない。何せ今の雪菜には天製武器がない。邪魔できるものならばしてみるがいい。いっそ雪菜の目の前でやることをやって、トラウマという心の傷をつけるのも一興だとすら思う。

 だが、やはり雪菜はサキュバスの予想など軽々と飛び越えた。


「……天地一切清浄祓――召喚(サモン)」

「え?」


 簡潔な祝詞と共に雪菜の手から魔法陣が形成される。そこからひょっこりと出てきたのは白い羽をもつ神様だった。


「はいはいー、どうしました。あ、さっちゃんじゃないですが。さっきぶりですね」

「あんた人間に召喚されるとか神としてのプライドがないの!? ていうかさっきの神道の祝詞でしょうが! あんたらのそういうスチャラカさは何なのよ!」


 悪魔ならばともかく、神が人間に使役されているなど前代未聞である。もはや雪菜の素質たるや、末は魔王か悪魔公爵かと言わんばかりだ。

 サキュバスの動転には気を払わず、目のハイライトをベタ塗した雪菜はQPに手を差し出す。


「キューちゃん。あれ、頂戴」

「ああ、これですね。どうぞどうぞー」

「ねえっ、QP! あんたどんな弱みを握られてるの!? 本当にどういう関係なの!?」


 あっさりと天製武器が譲渡される光景に慄くサキュバスを置いて、龍二は余裕の顔だ。なにせ今回、彼には万全の言い訳がある。笑顔でサキュバスを指さして、 サムズアップ。


「雪菜。俺の知らないうちにこいつは入り込んできたんだ! さっさとぶっ殺して――」

「……雪菜ちゃんに、キスしたことばらすわよ」


 ぼそりとつぶやかれた言葉に、龍二も固まった。

 歯と歯がぶつかった龍二のファーストキス。もしばらされたら、サキュバスは殺されるだろう。そして当然、龍二も来世にゴーする可能性が極めて高くなる自爆テロ発言だ。


「雪菜……」

「え? え?」


 神妙な顔をして肩に手を置いた龍二に、雪菜は戸惑う。

 にやにやと見送るQPの邪悪さには反吐が出るが、まずは逃亡を優先しなくてはならない。手じかにあったタオルをするりと結んで、雪菜の腕を拘束する。


「え!? これはどういうこと、龍二君!?」

「すまん! 後で絶対説明するから!」

「じゃあね、雪菜ちゃん! わたし、命は惜しいの!」


 サキュバスと龍二は、手と手を取り合って逃避行に身を投じた。むろん、それをおとなしく見送る雪菜ではない。


「浮気は……許さないよ!」


 銃を発砲し、戒めを解いた雪菜が気炎を上げる。背後の気配に二人は戦慄した。


「やばいやばいやばいやばい。落ち着かせたと思ったのに、これだよ!」

「あんたもう一回! もう一回雪菜ちゃんを説得してきなさいよ!」

「説得の内容を考える時間ぐらいお前が作れ!」

「はあ!? なんでわたしが浄化の危機にさらされなきゃいけないのよ!」

「今回のことは大体お前のせいだろう!?」

「どういうことなの!? どうして龍二君はそんなにさっちゃんと仲が良さそうなのかな!? わたしっていう彼女がいるのに! ねえ、なんで!?」

「あはははははははははははははははは! 神に逆らった神罰ですよ!」

「ウザ!?」


 言い争う二人と、それを追いかける一人。その泥沼を笑って眺めるのは、一柱の神。

 天魔人の三界の要素がまじりあった恋愛模様は、神でも予測できないほど混迷した色合いだった。

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恋の銃器と未恋のサキュバス 佐藤真登 @tomato

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