七話 こんばんはクズ男


 一人になった龍二は、まず校庭に出た。

 銃を相手に、遮蔽物のない開けた場所に出るのは自殺行為だ。だが、龍二はあえて姿をさらす。撃たれない。銃弾は飛んでこない。ひとまずそれにほっと胸をなでおろした

 そのまま、校庭に植えられた大樹の下に行き、叫んだ。


「雪菜ぁあああ! 話がしたい! 出てきてくれ!」


 龍二の叫びに窓から狙いをつけていた雪菜が顔を出す。

 対話の要求に対し、すぐさま銃弾が飛んでこなかったのは傍にサキュバスがいなかったからだろう。それでも銃はぴったり龍二に狙いを付けたままだ。


「……話って、いまさらどうしたのかな」

「雪菜は、どうしてそこまで俺を殺したいんだ?」


 口説き落とせというサキュバスの注文に対し、龍二か選んだ方法は簡単だ。

 真正面から問いかける。ただそれだけである。


「だって……」


 まっすぐに問いをぶつけられた雪菜は、銃口はそのまま顔をうつむける。そこにいたのは、傷つきやすい一人の少女だった。


「……わたし、龍二君に嫌われて、当たり前だもん」


 予想もしなかったセリフに、龍二は目を見開く。


「……どういうことだ」

「どういうこともなにも、わかってるよ。自分で、わかってるよ! 私、龍二君に対してひどいことしたもん! 騙して、嵌めて、それが全部バレて、だから嫌われているなんて、わかってる!」


 ぽろりと涙がこぼれる。雪菜は、泣いていた。自己嫌悪で涙をぼろぼろと流した。


「お姉ちゃんの甘言に乗ってあの計画に乗っちゃった時点で、わたしが最低だってことはわかってるの! それでも、それでも龍二君が好きだけど、龍二君の彼女になりたかったけど、わたしの汚いところが全部バレちゃって……完全に、嫌われちゃった。だから、一緒に死のうって、いまはこんな最低最悪な私も、来世ならちゃんと龍二君にふさわしくなるはずだから……だから、だからね、龍二君」


 あふれ出る涙をぬぐいもせず、胸に抱えた罪悪感をそのままに、雪菜はどこまでも不器用に、自分でもどうしようもないほどの恋心を抱えて、笑う。


「一緒に、死のう?」


 そう言う雪菜はどこまでも純粋だった。真心のままどこまでも献身的に、それでいてあくまでも譲れなくて暴走する自分の愛をかなえるために雪菜は龍二を殺そうとしていた。

 ああ、本当に簡単だ。

 龍二は理解する。いままで雪菜の制御に思い悩んでいた自分のことをふがいなく思う。こうまで行動が読みやすく、制御しやすい相手がいるだろうか。なにせ雪菜は、自分のことを愛しているのだ。


「許すよ、雪菜」

「え」

「許すって言ったんだよ。よく、正直に告白してくれたな」


 一歩、近づく。撃たれない。銃口はカタカタと震えている。二歩、三歩。やはり撃たれない。なぜか。なぜ撃たれないのか。それは簡単だ。

 雪菜は自分の愛が満たされると知れば、龍二を傷つけたりは、できないのだ。


「雪菜さん、いけません! そいつの言葉に耳をかたむける価値はもがぁ!?」


 雪菜の後ろでパタパタしていたQPが何やら喚こうとしたが、木の上から現れた腕に口をふさがれ連れ去られる。それを視界の隅で見送りつつも、龍二は言葉を続ける。


「俺さ、なんで雪菜にだまされたのか、今まで全然わからなかったんだ。もしかしたら、遊び半分でもてあそばれてからかわれてるのかなって、そう思った」

「そ、そんなわけない! わたしは、本当に龍二君のことが――」

「そうだよな。聞いてわかったよ。……もっと早く、聞かせてくれればよかったのに」


 もう一歩も近づけなくなった距離。龍二は雪菜の背中に腕を回す。


「ちゃんと、付き合おうぜ、雪菜。俺たちさ、一からやり直そう」

「……龍二君」


 震える声に、うるむ瞳。庇護欲を掻き立てる魅力的な仕草に本懐を忘れてグラリと心がよろめきそうになり、

 ――恋をしないって決めたんでしょう!?

 叱咤の声が、心で響いた。

 思い出した彼女の声になぜか心の均衡が保たれる。龍二は己の目的を思い出す。そうだ、恋はしないと決めた。愛をあざ笑うと決めた。あのサキュバスのように、演技をしろ。騙しとおせ。軽々とキスぐらい恥ずかしげもなくやり遂げて見せろ。


「雪菜」


 雪菜を抱き寄せ耳元で彼女の名前をささやき、顎を持ち上げる。放心して身を震わせた雪菜が、ぽとりと恋の銃器を取り落とした。すかさず樹上から糸が伸び、上手く銃に絡めて音もなく回収される。

 危険物が無事に回収されたのを確認し、龍二は改めて雪菜に集中する。密着して感じる柔らかい体に、頭がくらくらとしそうな甘い匂い。そのすべてが龍二を惑わそうとして、だが彼の心は乱れない。体の密着も近づく唇も、サキュバスを相手に通った道だ。

 唇と唇を近づける。雪菜がそっと目を閉じる。龍二は、目を閉じずに慎重に顔を近づけ、そっとキスをした。

 歯は、あたらなかった。

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