六話 女優も男優も、嘘を演じるのは優しさである
「こわいこわい雪菜ちゃんこわい……!」
何とか雪菜から逃げ切ったサキュバスは、膝を抱えてガクブルと震えていた。無慈悲に来世の運命を確定させられそうになったのだ。怯えるなという方が無理である。
「なあ、サキュバス。俺、名案を思い付いたんだ」
「ほんと!?」
恐怖に震えていたサキュバスが、あの恐怖の大魔王雪菜を打破できる案があるのかと、ぱぁっと顔を輝かす。
「恋の銃器の特性を考えればさ、もしお前が先に撃たれたら、雪菜は次に虫かなんかでリセットしなきゃいけないんだろう? その間、俺は雪菜に撃たれる心配なくあのリボルバーを取り上げることができるわけだ。……サキュバス。お前、ちょっと撃たれて来いよ」
「ぶっ殺してやる! 今すぐあんたを縛り上げて雪菜ちゃんの前に連行してやるわ!」
「や、やめろぉ! なんでお前はそんなひどいことを思いつくんだ、この悪魔!」
「うっるさいわよ、このクズ男! あんたなんて雪菜ちゃんと結ばれて一生銃口に怯えるのがお似合いよぉ!」
協力を誓ったことをあっさり忘れ、命が狙われているこの状況でも押し付け合いを忘れない二人は間違いなく悪魔と神に見捨てられた愚者だった。取っ組み合いの末、ぜいぜいと息を切らしたサキュバスは、不毛な言い合いを止めにする。全力で暴れたおかげで、いっそ冷静になっていたのだ。
「龍二。わたしに一つ、案があるわ」
「片方を犠牲にする案は辞めろよ。あ、自己犠牲精神は尊重させていただきます」
「あんたもう黙ってなさい」
いっそすがすがしいクズっぷりを発揮させている龍二をぴしゃりと叱咤し、サキュバスは提案する。
「龍二。いまから雪菜ちゃんを口説きなさい」
「は?」
「いいこと、よく聞きなさい。雪菜ちゃんみたいな女の子はね、基本的に恋愛がうまくいっているときは暴走しないのよ」
「……まあ、一理ある」
龍二は雪菜にほだされかかっていた時には、雪菜に命を狙われたそぶりは一度もなかった。雪菜のような愛が深すぎるタイプは、恋愛がうまくいっているときには相手を傷つけるようなことは絶対にしない。なぜなら彼女たちは、相手を愛しているからだ。深く、それはもうどこまで深く愛し、普段はどこまでも献身的な少女なのである。
それが裏返るのは、その挺身が報われなかった時だ。
彼女たちは、愛している相手に愛されるために愛する。愛が相手に届かなかった時、その深い愛は弾丸となって相手の心臓を物理的に撃ち抜く。その狙撃から逃れる方法は実に簡単である。
「だから、雪菜ちゃんの愛を満足させなさい」
行き場のない彼女の愛を、受け止めてやればいいのだ。
サキュバスの正攻法ともいえる方法に、龍二はしかめ面になった。
「ふざけんな。はっきり言うが、俺は雪菜のことは好きじゃない。幼馴染だから多少の情はあるけど、裏切られたせいで割とトラウマ的な相手だ。そんな相手と、彼女彼氏の恋人関係になれって? 俺にそんなことしろっていうのか、お前は」
「当たり前でしょう?」
サキュバスの提案は、彼女にとってみればいっそ当たり前のことだった。
恋と愛をもてあそべと、つまりは淫魔である自分と同じことをしろと彼女はささやいているのだ。サキュバスは、龍二の胸ぐらをつかんで言い放つ。
「恋をしないんでしょう? 愛なんてくそくらえって思ったんでしょう? なら、逃げるなッ。戦いなさいっ。恋心をもてあそびなさい! 愛のくだらなさを、その心と体で証明しなさい!」
顔を近づけて、己の生まれた理由、信念とも言うべきそれを人間にたたきつける。
「どうせ相手はあんたに好感度マックスの女の子よ。甘い言葉をささやいてキスでもすればコロッと落ちるわ。簡単でしょ」
色欲のプロからのアドバイスに、龍二はふいっと顔を逸らす。
「キスって……は、はじめてには夢があるんだよ!」
「ちっ。童貞が」
「お前いまなんつった」
舌打ちをしたサキュバスは、じとりとヘタレた龍二をねめつける。
「はじめてに夢があるからできないとかほざいたわね」
「お、おう」
鬼気迫るサキュバスの表情に、龍二がうろたえながらも頷いた。もう一度、サキュバスが舌打ち。一瞬何かにためらい、すぐに意を決した顔になる。ぐいっと掴んだままの龍二を引き寄せ、反動で勢いよくサキュバスの顔が龍二に接近した。
え、と龍二は思う。サキュバスの顔が、ぎゅぅっと目をつぶったサキュバスの顔が近づいて、唇が、自分の唇と――重なった。
がちん、と歯がぶつかるような不器用な口づけ。唇が触れ合っただけの初歩的なキス。それでもファーストキスはファーストキス。初めてのそれに龍二は顔を真っ赤にした。
「これでいいでしょ。初めては終わりよ」
「お、おま……」
「あ、雪菜ちゃんには黙っておきなさいよ。わたし、浄化されたくないから」
顔を真っ赤にして口をパクパクさせる龍二に対し、サキュバスは平気な顔だ。密着していた体を放して、龍二の背中を押す。
「ほら、行ってきなさい」
二歩、三歩。たたらを踏んだ龍二が、ちらりと後ろを振り返る。サキュバスは、しっしと龍二を追い払うように手を振り、ふと動きを止めた。
「あ、そういえばなんだけど、あんたって割とクズなのになんで雪菜ちゃんに好かれたの?」
「……春江さんに会うために雪菜と仲良くしてた。春江さんによく見られたかったら、雪菜に優しくしてた。そしたら惚れられたんだよ」
「……自業自得って知ってる、クズ龍二?」
「うっせぇ」
罵倒を吐いて龍二はため息を一つ。自分だけは恥ずかしがったのにと少し不公平な気がしたが、相手はサキュバスなのだから慣れたものなのだろうと折り合いをつける。
その龍二の背中が見えなくなった後に、サキュバスはがくりと崩れ落ちた。
「あー……うぅ」
そこには耳たぶまで真っ赤に染め上げ片手で自分の髪をぐちゃぐちゃにかきむしり、もう片方の手で自分の唇をそっと抑える少女の姿があった。
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