五話 輪廻は人の特権にあらず


「QPをぶっ殺すわよ、龍二」

「わかってる。あいつの頭をぶち抜くまでは俺たちは運命共同体だ、サキュバス」


 校内でサキュバスと合流した龍二は、改めてお互いの意思を確認した。キューピッドをぶち殺す。その目的に向け、二人の間には短期間で種族も性別をも超えた強烈な仲間意識が生まれていた。

 雪菜は、あれでただ純粋なだけである。

 だがQPは違う。あれは悪意の塊だ。愉快犯の権化だ。人間を振り回し楽しむという高尚極まりなくて低俗にしか感じられない神々の遊びに興じているファッキンゴッドである。


「けど、どうするんだ? 俺はあいつを何度も何度も、それはもう初対面のときから顔を見るたびに叩き殺してやろうとしたけど無理だったぞ」

「そうね。ド畜生とはいえあいつは神様。あらゆる物理に干渉されるような存在じゃないわ。人間はもちろんのこと、あたしぐらいの格の悪魔じゃ傷つけることは許されてないの」

「それは……」


 キューピッド殺害のための道行きの困難さに龍二は顔をゆがめる。


「あきらめろってことか? このまま雪菜の気がまぎれるまで尻尾巻いて逃げ続けろって? あいつ、諦めない事には定評があるぞ。ストーカー被害者の俺が保証する」

「いいえ。QPをぶち殺す手段が、手の届くところにひとつだけあるわ。雪菜ちゃんが持っている天製武器よ」


 天製武器。それは神が作り出した武具の総称だ。時として神のしもべに与えられるそれは、人知の及ばない効力を発し悪魔に対し絶大な効果を示すが、その威力は神にまで及ぶ。


「QPはこの世に干渉されない代わりに、この世に干渉できない。いくらかの例外としてあるのが、天製武器よ。雪菜ちゃんの持っている恋の銃器なら、あいつをぶっ殺せる可能性があるわ」

「なるほど……」


 雪菜があれを使ってQPを脅せているのだ。確かに可能性はある。


「けど、その案を実行するにはひとつ大きな問題があるぞ」

「ええ、わかってるわ」


 沈痛な面持ちの龍二に、サキュバスも重々しく頷く。


「雪菜ちゃんね」

「ああ、そうだ」


 そもそも二人が逃げる原因となったのが、恋の銃器を振り回す雪菜なのだ。いくら二人がかりとはいえ、弾数無限で弾替え不要、照準精度が恋する心に比例して精密になるというふざけた武器を相手にするのは分が悪い。


「雪菜とキューピッドの関係は、俺にはよくわからん友情があるからな。そもそも今の俺たちがのこのこ顔を出したらその時点でばっきゅんだ。雪菜を倒すのは相当厳しいぞ」

「そんなことわかっているわよ。雪菜ちゃんを倒すつもりはないわ。そもそもあの子は間違いなく、死後は魔界に来て爵位を受け取れる逸材よ。わたしとしては、将来上司になるだろう彼女とは今のうちから仲良くしておきたいわ」

「え? 雪菜って悪魔のお前がそう確信するレベルでヤバいのか?」

「ええ、あれはヤバいわ。快適な現代日本で不自由なく生まれ育ってあの闇を抱えられるなんて並大抵じゃないもの。だから雪菜ちゃんの行動をとめるためにも聞きたいことがあるんだけど……龍二。あなた、そもそもどうして悪魔を召還しようとするまで思いつめることになったの?」

「……」


 サキュバスの言う通り、龍二にはその心当たりがあった。

  雪菜が龍二の心臓を打ち抜くことにためらっていないのは、もちろん恋の銃器により来世の結びつきを保障されているからというのが最大の理由だ。だがそもそもを考えれば、今世の龍二との関係に不満がなければ龍二を殺そうとするはずがない。今世は龍二と結ばれないという確信があるからこそ来世に望みを託している状態に陥っているのだ。


「もちろん今はあたしが龍二に迫ったせいで雪菜ちゃんが暴走しちゃってるわけだけど、あんたはその前から悪魔を呼び出そうとしたわけでしょう? その理由はなに?」


 それさえ解消すれば雪菜が龍二を殺そうとすることは止めることはできる。だからこそ問題の根幹を共有しようというサキュバスに、龍二は苦々しい顔で語り始めた。


「……俺さ、好きな人がいたんだよ」

「なによいきなり気持ち悪い。死ねば?」

「いや、いきなり死ねばは言い過ぎだろ」


 初手から繰り出された辛辣な意見に苦言を呈するが、サキュバスは顔をしかめて言葉を翻さない。そもそも彼女は、生来から恋愛が嫌いなのだ。


「サキュバスに恋愛の話は鬼門よ。で、まあ、でも話の流れからしてその好きな人って雪菜ちゃんじゃないんでしょ。よく生きてたわね」


 むろん龍二が好きだった相手が雪菜に撃ち抜かれなかったのが驚きだという意味である。


「いや、その好きな人って、雪菜のお姉さんなんだよ」

「へー。で?」


 雪菜なら姉だろうとためらわなさそうだし、どっちにしても恋愛する奴なんて全員死ねばいいのにという顔をするサキュバスに、龍二はポツリと告げる。


「その人が結婚したんだ。俺の兄貴と」


 気まずい沈黙が落ちた。

 自分の好きな人が自分の兄と結婚。サキュバスをしてなんと労わればいいのか迷ってしまう関係である。


「別にそれはいいんだ。気にしないでくれ」

「そ、そうなんだ。結構アレな話だけど、気は使わなわなくていいのね?」

「ああ、話の本番はこれからだからな」


 実にヘビーな話を聞かされていたと思ったが、まだまだ底があるらしい。


「その時は俺も落ち込んでさ。その時に雪菜が慰めてくれて、正直、俺はその時に雪菜になびきそうになったんだよ」


 失恋して傷心の時に、幼馴染が慰めてくれる。定番だ。


「で、その時にふとした拍子で俺は知っちまったんだ。その流れが、全部あの姉妹の計画通りだったってことを」

「……計画?」


 サキュバスの疑問符に、龍二は恐るべき姉妹の計画をぽつりぽつりと事情を話していく。


「春恵さん……ああ、雪菜のお姉さんの名前なんだが。とにかくその人がな、もとから兄貴のことが好きだったらしくてさ。俺に優しくしてたの、そのためだったんだ」

「ん? どういうこと?」

「ようするに、俺に優しくする様子を兄貴に見せつけて、兄貴の気持ちを煽ってたんだって。それで、失恋した傷心の俺を雪菜が慰めるところまで、ばっちり計画通り」


 サキュバスをして絶句しかできない。さすが雪菜の姉だねとしか言えない話である。


「へー……ど、どんまい」

「一見優しいだけに見える女の計算高さを思い知らされて、俺は決めた。もう二度と恋愛はしないって、そう決めたんだよ……! そのためには、雪菜をそそのかすあのクソ神を排除しないといけないんだ……!」


 壮絶な経験から、恋をしないという断固たる意志を感じさせる。共感できるその意思に、サキュバスは手を差し伸べた。


「そう。わかったわ。辛かったのね。恋が嫌いになったのね。愛におぞけを感じるのね。なら簡単よ。恋も愛もくだらないって叫んで、もてあそんでやりましょう。それがわたしたちよ!」

「ああ、やろうぜ、サキュバス」


 二人は固く握った拳をぶつけ合う。お互いの意思を確認し――廊下が、吹っ飛んだ。


「へ?」


 呆けるサキュバスを置いて、続いて反対側の廊下が爆発した。上から下へと、砲撃でも放たれたかのような壊れかたである。


「や、やば……! 雪菜だ!」

「え、ちょ、これ拳銃の威力じゃないわよ!?」

「バカ野郎!? あいつの武器を常識通りと思うなよ!」

「そうだよ、さっちゃん。これは仮にも神様のキューちゃんが創り出した武器なんだよ?」


 上の階にいたのだろう。穴の開いた上階から、するりと雪菜が降りてくる。さりげなくすごい身体能力である。


「来世で結びつけるとかいう誰得な機能以外にも、まだ変な機能が付いてるの!?」

「変でもなんでもないよ。これの弾丸は、私が龍二君に向ける愛そのものだもん」


 かつかつとローファーの靴音を響かせながらも雪菜が掲げたリボルバーは戦車の装甲すら撃ち抜く凶悪無慈悲な火器と化している。なぜか。その理由は誰もが納得できる理論で説明できる。


「だからこの銃弾は、私の龍二君への想いに比例して威力を強くすることができるんだよ」

「愛が重い!」


 日本が誇る耐震性の抜群の校舎の廊下を吹き飛ばす愛の威力に思わず絶叫してしまう。だがキューピッドが制作者なのである。あれは悪い意味でとことんまでやる神だ。


「落ち着いて、雪菜ちゃん!」


 銃口にさらされたサキュバスは、しかし慌てなかった。自分から撃ち抜かれることはないだろうという確信を持っていたからだ。

 順番の問題があるのだ。あの銃器でもし最初にサキュバスを撃ち抜いたらどうなるか。この場に、他の人間はいない。というか、恋の銃器の機能によってこの場にいられる人間は龍二と雪菜だけだ。サキュバスを先に始末してしまうと自然の成り行きで、次に撃つ対象が龍二になる。

 そうすると来世でサキュバスと龍二が結ばれることになってしまう。それは雪菜が絶対に許容できない事態だ。だからこそ自分が龍二より先に撃たれることはないと、サキュバスは銃口を恐れずに説得に向かえる。


「ふふん。その銃じゃ、もう私は撃てないでしょう? だから、ゆっくりと両手を挙げて私の話を聞いて」


 身の安全を保障されているからこその降伏勧告。だがそれは、あまりにも浅はかだった。


「安心してよ、さっちゃん」


 雪菜は穏やかに、聖母のような微笑みを浮かべる。


「わたしがさ、屋上で意味もなく発砲したと思う?」

「え……?」


 言われて、サキュバスは雪菜が屋上で四回ほど発砲を繰り返していたことを思い出した。


「一発目は威嚇と、同時に隔離機能の発現のため。引っ付いているのが目に余ったから、仕方ないよね。一応、事情も聴きたかったか空に向かって撃ったんだ。二発目はキューちゃん黙らせるための脅し。三発目はお祈りの時間を上げるための合図だよ、それでね」


 にこやかに説明する雪菜の笑顔に、サキュバスの胸が焦燥に焼かれる。自分は、何かを見落としている。だが、なにを。

 焦燥感にあぶられるサキュバスに対し、その答えはすぐに雪菜の口からでてきた。


「四発目は屋上でかさこさしていたゴキブリを撃ち抜いたんだ。……お邪魔虫の来世の相手に、とってもお似合いだよね」


 聞いた瞬間、迷わずサキュバスは後ろにいた龍二を前に突き出して盾にした。


「お、おま! 何してくれとんじゃこらぁ!」

「いやよ! 来世でゴキブリと結婚するのはいやよぉおおおおおお!」

「お、落ち着けっ。ゴキブリと結婚するわけじゃないッ。前世ゴキブリ男との結婚だろ!?」

「ならあんたがその対象になりなさいよ! 前世ゴキブリ系女子と結婚しなさいよ!」

「嫌に決まってんだろ馬鹿かお前はぁ!」

「その気持ち! 私がさっき言われて感じたの、それよ!」


 来世でゴキブリと結び付けられると恐怖に屈した二人が、世にも醜い押し付け合いを繰り広げる。だがサキュバスとて何の考えもなく龍二を盾にしてるわけではない。


「順番よ。雪菜ちゃんが撃つ相手には、順番があるのよ」


 圧倒的恐怖に半べそをかきながらも、サキュバスは涙ながらに訴える。


「いま龍二を撃てば、龍二は来世に、前世がゴキブリだった存在と結ばれることになるわ」

「おい。マジでおい」

「聞きなさい。つまり、龍二と来世で結ばれたい雪菜ちゃんがあんたを撃つことはないわ」


 なるほど、と龍二が表情を明るくする。

 確かにその理論ならば、龍二が恋の銃器を恐れる必要はない。むしろ今はチャンスだ。恋の銃器がなければ、雪菜は普通の少女……少なくとも身体的な能力では人類の枠におさまっている少女だ。

 希望が見えた。いまならリボルバーの恐怖はない。顔を明るくした龍二に対し、雪菜もにこりと笑う。

 雪菜が窓に銃口を向け、迷いなく空に飛んでいた蝶々を撃ち抜いた。


「待たせちゃって、ごめんね?」


 リセットが終わった銃器を、龍二に向ける。

 二人は、迷わず遁走した。

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