四話 人より悪魔より傲慢ゆえに神である


 天製武器・恋の銃器。

 愛の神キューピッドによって作り出されたそれは、製作者の趣味を反映してリボルバーの形をしている。銃弾は恋する心で補充され、照準も恋する心で自動的にロックオンされるため、使用者に技量は求めない。想い人と二人きりになりたいという乙女の欲求をかなえるために、銃声を響かせた瞬間から周囲五キロ四方を巻き込んで位相空間に転移し、他の人類を寄せ付けない。その引き金には常にセーフティロックがかかっており、それを解除するための資格はたった一つ、恋する心だけだ。

 リボルバーの形をしているそれの使い方は至極簡単だ。まずは銃器の持ち主が想い人の心臓を赤み弾けたとばかりに打ち抜く。そして次に自分の心臓を打ち抜く。そうすると、二人は結ばれるのだ。

 来世で。


「噂には聞いていたけど割と最低の効果よね、それ」

「何故ですか? 心臓を打ち抜いたら人間は死にます」


 キューピッドは当たり前のことを当たり前の表情で当たり前だよねと言った。


「銃で心臓を打たれたら死ぬ。それが道理です。そこを捻じ曲げてどうするのですか」

「いや、なんでそこで融通効かせないのよ。道理を捻じ曲げて運命を打破するのが天製武器でしょうが。なんで恋を叶えるための銃器に実弾性を持たせたのよ」

「仕様です」


 製作者はきっぱりと言い切る。だがキューピッドの悪行を知っているサキュバスからすれば、悪意がある仕様としか思えない。絶対この神様、今世で心中することで来世にて結びつけるというシステムを意図して作っている。完全にヤンデレを煽って楽しむように設定してあるに違いない。

 そして、たぶん何らかの事情でその銃を雪菜に強奪された挙句、脅されているのだ。ざまぁとしか言いようがない。

 ならばとサキュバスはキューピッドを無視することに決める。


「雪菜ちゃん、聞いて? そいつの名前はキューピッド。天界でも悪名高いクソよ! たぶんあなた騙されてるわっ。そいつに関わった女性はだいたいひどい目にあってるもの!」


 いまここにいる愛の神がどうしようもない神様なのは神話が証明している。だからこそサキュバスの説得は力強いものだった。

 だが、仮にも雪菜はキューピッドから天製武器を強奪せしめた人物である。


「キューちゃんがクソとか、そんなの知ってるよ? 常識だよ。キューちゃんの性格の悪さなんて、しゃべって三秒で察せるよ? ただキューちゃんが死んじゃったら、この天製武器は効力を失っちゃうらしいから、生かさず殺さずの体制をとってるんだよ?」

「雪菜ちゃんって、びっくりするくらいいい性格してるわね。友達になりたいわ」

「そうかな? ありがとう」


 悪魔に褒められてあっさり受け入れて例まで言える彼女とは、死んだら地獄で仲良くなれそうだ。だが現世で敵対するにはあまりにも恐ろしい倫理観を持つ人間である。


「ねえ龍二。雪菜ちゃん止めなさいよっ。このままじゃあたしが浄化されちゃうじゃない。あんたの彼女でしょあれ?」

「だからちげぇって言ってんだろうが! そもそも雪菜が制御可能だったら最初っから悪魔呼ぼうなんて思わねえよ。ていうか、いいからあの神様ぶっ殺してくれよ。そのために呼んだんだからさぁ!」

「あたしがそんな戦闘向きに見えるの!?」

「じゃあなんでお前が来たの!?」


 自分のストーカーをそそのかすクソ神を排除しようと悪魔を呼んだら何を間違えたかそれがサキュバスだった。それに迫られたせいで絶対絶命の危機に陥っている。なんでそんな踏んだり蹴ったりの状態に陥ってるんだと訴える龍二に、サキュバスは逆切れした。


「童貞の男子高校生が何か狂信的なまで必死になって悪魔を呼んでるから、どうせ童貞捨てたいって願い事だろって面白がった魔王さまに判断されて、先輩のサキュバスから後押しされたアタシが派遣されたのよ! 何か文句ある!?」

「あるわボケぇええ! お前ら男子高校生なめすぎだろ!? てかそれなら帰ってくんない? とばっちりで俺まで雪菜に殺されそうになってるんだからさぁ!」

「無理よ……呼び出されたからには契約を果たさないと帰れないもの」

「契約……?」

「こっちにあたしたち悪魔が来る際のルールがあるのよ。悪魔は、報酬を受け取らない限り帰れないの。報酬は種族ごとに違うけれども、サキュバスのそれは簡単よ」


 契約など結んだ記憶がない龍二にサキュバスが説明する。自力でお手軽に降臨できるどっかの神様と違って、悪魔の顕現はノーリスクという訳には行かないのだ。

 だがその説明を聞くにつれ龍二の中で嫌な予感が膨れて上がっていく。正しく言うと、オチが読めたとも言い換えられる。


「あたしがなにを必要とするかは、召還されてすぐのときに言ったでしょう。だから龍二」

「え、ちょっと待って。それ以上なにも言わな――」

「一発、やりましょう」


 一発の銃声が屋上に響き渡った。

 大気を揺らした銃声に、バサバサと鳥が飛び出す。恋の銃器に備わっている位相空間への転移はあくまで他の人類を寄せ付けないための機能だ。他の生物や幻想の一員は普通に巻き込まれてしまうのである。

 意外なことにまだ死んでいない龍二とサキュバスは、二人一緒に顔をひきつらせた。

 仲良く同時に錆びた機械のような動きでグギギと首を動かした二人の視線の先には、にこにこ笑った雪菜がいた。


「キューちゃんがいてちょうどよかったね。神様の手前、祈る時間だけあげるね。だから二人とも、次の発砲まで真摯に祈りをささげて突っ立ててね」


 不気味なほど明るい言葉に合わせて、かちりと撃鉄があげられる小さな音が響く。雪菜の狙いから解放されたQPがぱたぱたと羽をはためかせて宙に浮きあがり、神々しい口調で宣言する。


「悪魔よ、愚かな人の子よ、これが愛の力です。あなたたちが知らぬ愛の威力に怯えなさい。さあ、雪菜さん。現世に愛の銃声を届かせるのです!」

「こいつウザ!? 信じられないほどウザさねQP――って、違うわ。落ち着いて雪菜ちゃん! あたしが欲しいのは龍二の身体よ。さっさと帰りたい、それだけなの! だから大丈夫! 浮気じゃないわ!」

「ごめんね、さっちゃん。あたし、ちょっとだけ人より潔癖で独占欲強いから無理。死んで?」

「ちょっと!? もしかして雪菜ちゃんてば強欲の悪魔並みな執念の自覚がないの!?」


 殺害宣告よりもなお自分を過小評価しすぎている雪菜に衝撃を受ける。

 そのサキュバスを押しのけて、龍二は己の言い分を主張する。


「分かった雪菜! その悪魔を浄化するのは目をつぶる! だから俺は見逃してくれ! それでウィンウィンだ。その悪魔しか不幸にならないだろ!」

「ダメだよ。悪魔なんかに頼ろうってことは、龍二君は今のあたしに何か不満があるんだよね。大丈夫。生まれ変われば、運命があたしと龍二君をむすびつけてくれるから、何の不安もいらないんだよ」


 自分だけは助かりたいという気持ちがひしひしと伝わる薄汚い主張は、弾んだ声で却下された。もはや説得の余地があるようには到底思えない。遠回しの銃殺宣告を受けた二人は顔を見合わせて笑い合う。


「うふふふふふ龍二あんた十秒後には死ぬわよ?」

「はははははお前なんて五秒後に浄化されるだろ」

「あっはははっは! 死ぬ前の二人は仲良しですねぇ。これだから愛を持たない存在はいけません。意地汚い人間と薄汚い悪魔らしく、もっと醜い押し付け合いを繰り広げてくれて結構ですよ?」


 純真に悪意にある神様のお言葉に、人間と悪魔を支配していた生への諦観が失せ殺意という名の生きる原動力が沸き起こった。


「嫌なこというね、キューちゃん。相変わらず性格悪いね」

「いえいえ、雪菜さんほどではありませんよ?」

「あはは。まったくもう、冗談が上手いんだから。キューちゃんを撃ち殺せないのが、本当に残念」

「ふふふ。雪菜さんもウィットが効いたユーモアが素晴らしいですよ」


 どっちもどっちな会話している元凶どもをよそに、龍二とサキュバスは視線を交わす。


「……龍二」

「……なんだサキュバス」

「QPに一杯食わせるまで、死ぬのはなしよ」

「おお。初めて意見が合ったな。俺もあのクソ神には目にもの見せてやりたいんだ。ほんっと恨み骨髄なんだよ……!」

「あのファッキンゴッドをぶちのめしたいなら、この場をどうすればいいのかわかるわね」

「もちろんだ」


 雪菜はなんというか、いっそ尊敬の念を覚えるレベルで突き抜けているのだが、キューピッドはただひたすらうざいだけである。キューピッドへの殺意により仲間意識が芽生えた二人は、目と目で次の行動の打ち合わせを済ませる。ここで雪菜に撃ち殺されるわけにはいかない。ならばやることは決まっている。

 次の瞬間、二人同時にその場から駆け出した。

 二手に分かれた対象に、雪菜の銃口がぶれる。動く二つの対象に対してどちらを狙うべきか、まったくの素人である雪菜ではとっさの判断ができないのだ。


「雪菜さん。とりあえずは厄介なさっちゃんの方を……ちっ」


 キューピッドが指示を出そうとしたときにはもうサキュバスは屋上のフェンスをひらりと乗り越えていた。フェンス越しでキューピッドにあっかんべーをして、 その身一つで飛び降りる。現世に召還されたサキュバスの身体能力は人間並みだが、彼らは羽を持っている。普段はしまっているそれを使って減速し、無事着陸したサキュバスはそのまま校内に消え去った。


「龍二さんは……とっくに扉をくぐってしまいましたね。しかし、銃口を向けられているのにああまで大胆に動くとは予想外でした。雪菜さんが反射的に引き金を引く可能性もあったでしょうに」

「ありゃりゃ。逃がしちゃった」

「ああ、心配ご無用ですよ雪菜さん」


 ぽりぽりと頬をかく雪菜を安心させるように、キューピッドはにっこりと笑った。

 その視線はサキュバスが着陸した校庭に向けられている。サキュバスはそこに着陸し、そのまま校内に入っていった。

 いくらでも逃げ道がある校外へ向かわず、わざわざ校内に入り込んだ理由は明快だ。


「彼らはまだ、校内にいますからね。意趣返しをたくらんでいるのでしょうが、しょせん相手は人間と低級悪魔。二人きりになりたいという恋の銃器の効力によって、この学校の敷地は内で次元は断絶されており、他の人間はいません。これから、じっくりと追い詰めましょう」

「そだねー。絶対に逃がさないよ……龍二君」


 それはもう楽しそうに言うキューピッドに、雪菜は口元を三日月に吊り上げた。

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