三話 乙女の想いは聖なる銃弾のごとくあれ


 意外なことに、初弾の発砲は空に向けて行われていた。


「こんにちは昆虫類の人、これが本物だってことは理解できたかな」


 さりげなく初対面のサキュバスを昆虫扱いしてディスった雪菜は、にこやかに銃を掲げて挨拶をする。さっきの威嚇は手に持つ凶器の威力の証明なのか。重みのある銃声で龍二とサキュバスを凍り付かせた彼女はは、薄く硝煙を纏っているリボルバーの狙い二人に向ける。

 もちろん、銃口を向けられた龍二とサキュバスとしてはたまったものではない。


「なんであの子、リボルバーをもってるのよぉ! ここ日本でしょう!?」


 サキュバスの動揺ぶりを情けないというのは酷だ。日本の女子高生が銃器を振り回さないことぐらい幻想の住人でも知っている。その常識を三段飛ばしに踏み越えられたのだ。そりゃビビる。

 だが、それ以上に狼狽していた龍二にはサキュバスに構っている余裕などゼロだ。


「ゆ、ゆゆゆ雪菜っ。お前は何か勘違いをしてる! 落ち着いてくれ。落ち着いて俺の話を聞くんだ!」

「何を言ってるのかな、龍二君。わたしは勘違いなんてしてないよ。よりによって、龍二君に対してだけは、勘違いなんてしたことがないもん」

「おい。すげえさらっと嘘つくな」

「やだなぁ、嘘じゃないよ?」


 雪菜はにこやかに答えるだが龍二は知っている。この明るさは、表面上だけなのだ。


「だって、さ」


 明るくにこやかなのは表面だけであり、完全に瞳の奥からは光が消えていた。


「前にも言ったよね。浮気は死刑だって」

「浮気もくそも、俺たちそもそも付き合ってないからな!?」

「え? 彼女じゃないの、あの子?」

「彼女じゃねーよ! ご近所の幼馴染で同じクラスなだけの関係だよ」

「……ほんとに彼女じゃないの?」


 その関係性でただの友達というのもおかしい気がする。

 うろんな目つきになるサキュバスに、龍二は必死になって首を横に振る。


「違うっつったら違うんだよ! 雪菜が何を言おうと、あいつがいくら外張り埋めてこようと、あいつは彼女じゃないっ。ただの幼馴染だ!」

「うんうん、大丈夫だよ、龍二」


 サキュバスの戸惑いも龍二の訴えも、雪菜は気に留めた様子はない。ただ声を弾ませる。


「わたしはね、龍二君と幸せになるためにいっぱい頑張ってできる限りのことをするお嫁さんになるけどね。その努力が実らなくって、もし現世が駄目になっても……来世の私たちは、きっと成功するよ!」

「落ち着け雪菜ぁぁああああああああ!」


 とうとう龍二の心臓にきっかり銃口を合わせてきたのを見て、悲痛な叫び声があがる。

 想像以上の修羅場になった現場を見て、ある意味では元凶ともいえるサキュバスは頬を引きつらせた。


「……ねえ龍二。何でリボルバーなんて持ってるか知らないけど、あんたの彼女、頭おかしいわよ」

「知ってる。そしてあいつは俺の彼女じゃない。雪菜は自分のことを俺の彼女だと思い込んでる頭のかわいそうなやつで、ついでにストーカー気質のやばいやつだ」

「そう。で、どんすんのこの状況」

「どうしよっかなぁ……」


 いくら言葉で否定しようと、にこにこと笑顔でリボルバーを構える雪菜は消え去らない。この物質世界、いくら言葉を尽くそうと現状を一切打破し得ないのなら救いはないのだ。


「龍二君、大丈夫だよ。きちんと心臓を打ち抜くから。その後、私も自分で心臓を打ち抜いて後を追うから、あとは神様に任せよ? ちゃんと来世で私たちを結びつけてくれるはずだから」

「やめろってマジでぇ!」


 情緒不安定のヤンデレとそれに振り回される男。なかなか珍しいものを目の当たりにしたサキュバスは、ひとつため息をついた。


「はあ、仕方ないわねぇ。この場はひとまずあたしが収めてあげるわ」

「マジで!? 俺、死ななくてすむのか!」

「ええ、もちろんよ」


 すがる先を見つけた龍二は、あなたが神かとでも言わんばかりにサキュバスを見あげる。サキュバスとして人間を言葉で篭絡するくらいお手の物だ。篭絡の対象は男性のみとは限らない。やれと言われるなら同性でも落としてみせる手練手管を持つのが淫魔と称されるゆえん。いくらヤンデレとはいえ女子高生を諭すことなど朝飯前だと彼女は自負している。


「ねえ、雪菜ちゃん、って言ったかしらぁ? ちょっとあたしの話を――」


 サキュバスが艶やかな仕草で前に出たのにあわせて、雪菜はためらうことなく発砲した。


「――ぇ?」

「話かけないでくれるかな初めましての人。これから私たちは来世でつながるための神聖な儀式を行うんだよ? そこに不純物が入り込む余地なんてないから、お邪魔虫は虫けららしくどこか行ってくれるととっても嬉しいなって思うんだ」

「え、えっと……」


 にこやかな言葉とは裏腹に、銃口からは殺意の余韻を感じさせる薄い硝煙がたなびいている。こめかみに銃弾を掠めさせられたサキュバスは、顔をひきつらせてフリーズした。


「なに? なにか言いたいことがあるの? ダメだよ、虫が喋ったら。あのね、もしこれ以上私と龍二君の間に割り込むつもりなら、来世すらつぶされる覚悟だけはしておいてね」


 その瞳に一切の理性を感じさせない雪菜は、とんとん、と己の眉間を指す。


「今度はここにぶち込むから。……あはっ。それともお邪魔虫って、頭を吹き飛ばしても生きていられるのかな。だって虫だし。試してみようか。うん、それもいいかも」


 うふふと明るく笑う雪菜の狂気には斜め後ろで見ていた龍二はもちろん、悪魔のサキュバスをしてドン引きだった。目が濁りきっている彼女は、相手が人間でも迷わず同じことを言っただろう。というかそもそも、雪菜は相手が人間ではないと知らないのだ。見た目が完全な人間であるサキュバスにためらいもなく発砲したのだから、もはや雪菜にためらうものが何もないのは明白である。


「な、何よ」


 それでもサキュバスが虚勢を張ったのは悪魔ゆえだ。説得が無理だというのなら力押しで道理を通す。超越者としての誇りを掲げ、人間なんかに脅されてなるものかと胸を張る。


「さすがにリボルバーなんて凶器には驚いたけどそれだけよっ。ただの銃弾が、悪魔の係累たるサキュバスのあたしに通じるわけがないでしょう!?」

「……サキュバス?」


 サキュバスと聞いて目を見張る雪菜に、ますます勢いづく。


「ええ、そうよ! あたしはサキュバス。幻想の一員として、人間の兵器なんかに傷つけられることなんてありえないって断言するわ!」

「サキュバス……悪魔……ふうん。なるほど」


 サキュバスの言葉を口の中で転がした雪菜は、ほんのわずかだけ口の端を持ち上げる。

 それは、悪魔がビクッと肩を震わせるほどにねっとりした微笑だった。

 人外すらも恐怖に突き落とす微笑み。静かな狂気のまま歪んだ唇を、雪菜は開く。


「悪魔、なんだね。なら、ここで始末しちゃってなんの問題ないね。よかった」


 始末が具体的になにを示すのか、わざわざ言葉にする必要もない。人類だろうと迷わず打ち抜いただろう雪菜が持ち上げた銃口は、寸分たがわずサキュバスの眉間にぴったり合わせられていた。


「だ、だから無駄だって言ってるじゃない! どんな武器だって、人間が作ったものが――……ん?」


 無駄な脅しだと再度主張しようとしたところで、ふと口をつぐむ。

 雪菜の構えるそれから、人造では決して発生し得ない聖なる力が発せられていたことに気が付いたのだ。


「それ、聖遺物……? でも、近代以降の重火器に聖別が施されているわけが――って、いや、それ聖遺物どころか現役の天製武器じゃない!」

「そうだよ? いまさら気が付いたの? 悪魔って意外と鈍いんだね」

「な、なんで人間のあなたがそんなものを持ってるの!?」


 人間の兵器ならばいくら打ち込まれようとかすり傷にもならないが、天製武器となれば話は別だ。天製武器とは文字通り天界謹製の武具の総称だ。神から生み出された人知を超絶した聖なる武器である。あんなものを食らえば、一発で浄化されかねない。

 天敵を前にあわてふためくサキュバスに、雪菜はあっさり答えを出す。


「これなら、もらったよ?」

「もらったぁ!?」


 サキュバスの驚きも当然だ。天製兵器を人間が授与されるなど、神話の時代までさかのぼる。御伽噺の英雄たちが艱難辛苦を乗り越えて初めて手に入れられるものなのだ。


「もらったって、一体誰から――」

「やあ、雪菜さん」


 サキュバスの驚愕をさえぎって、唐突に、本当に何の前触れもなく、ハトがくるっぽーと鳴いて着陸するくらいの気楽さと前兆のなさで、空からぱたぱたと神が舞い降りてきた。

 現世に気軽に舞い降りてきたのは、天使のような姿をした神様である。金髪のふわふわとした巻き毛で、赤ん坊のような容貌がかわいらしい。服も白い布を巻きつけたようなもので、絵画によくある姿にそっくりだ。


「どうも恋の銃器が使われた気配があったので見に来ましたよ。どうしました? 今度はどんな面白い修羅場が起こったんですか?」

「あ、キューちゃん」

「出たな元凶……!」


 かけらも神聖さを感じさせない神の降臨に、二人の人間の反応は対照的だった。普通に挨拶する雪菜とは裏腹に、龍二の声には憎悪がこもっている。


「発砲をしたということは、また彼氏が浮気でもしましたか? やれやれ本当にしかたない男ですね。いいですよ。さっさと撃ち殺して――おや?」


 ふと言葉を切ったキューピッドの視線の先には、驚愕する幻想の一員がいた。


「あ、あんた……」


 天の幻想にふさわしい神々しさなどまるでないフランクなその神を、サキュバスはよく知っていたのだ。


「QP! 仮にも神様のあんたがなに気軽に降臨してるのよ!?」

「フットワークの軽さが私の美点ですからねぇ。それにしても、さっちゃんではありませんか。さっちゃんこそなぜここに……いえ、ははぁん。なぁるほどぉ」


 サキュバスと龍二を見比べたキューピッドは、ろくでもない笑みを浮かべた。


「龍二さん。あなた、雪菜さんという女性がいながら性欲をもてあましサキュバスたるさっちゃんを呼び出したのですね。いえ、わかっていますよ? 男子高校生の性欲は抑えがたいものだということぐらい私でも存じています。でもいけませんよ。女性は結婚するまで純潔を守るべきです。そして男性は女性の貞操に応え、 己の欲望に耐えぬかなければなりません。だというのに性欲に屈しサキュバスを呼び出すなど……これは死刑ですね」

「黙れお前ぇ! お前のそのいい加減で下世話が過ぎる妄想のおかげで俺が何回雪菜に心臓打ちぬかれそうになったのかわかってんのか!? マジふざけんなよこのクソ神!! 死ね! 死んで俺に詫びろ!!」

「お黙りなさい。私から言わせてもらえば不貞ととられる行動に走ること事態が罪です。さ、雪菜さん。その銃でもって、龍二さんの心臓を打ち抜きなさ――」


 QPの発言をかき消す銃声が響いた。

 雪菜だ。QPの言葉を遮るためだけに発砲した彼女は、まだ熱を持っている銃身を、ごりっと力強くQPのこめかみに押し付ける。


「キューちゃんはお話が長くて趣旨が変な方向に行くのが欠点だよね。それにキューちゃんったら、いつから私に命令できるくらい偉くなったのかな。いま私、龍二君を大切なお話をしてるから、邪魔しないでね?」

「はい。申し訳ありませんでした。ささっ、どうぞお話を続けてください、雪菜さん」

「なにあの子、QPに頭下げさせたわよ!?」


 天真爛漫にして傲岸不遜のいたずら小僧として天下天界に名をとどろかすQPに頭を下げさせるという偉業にサキュバスは驚愕する。


「ていうかQP! 雪菜ちゃんが持ってる拳銃あんたのでしょ!? なんで人間に自分の天製武器を渡してるのよ!」

「いえ、この子に渡したら面白いかなって思っただけですよ。他意はありません」


 言葉通りに他意なく言いつくろう気すらない自白だ。まさしく愉快犯の名に恥じない行動原理は、悪魔をして白目をむきかねないほどの正直さだった。

 だが当の雪菜は心外だとばかりに、ぐりぐりと銃身でQPのこめかみを抉る。


「違うよね、キューちゃん。そんな理由じゃないよね」

「あ、違いました。善意です、善意」


 貸主のこめかみに銃口を突き付けられてそんなことを言っている人物の、何を信じろと言うのだろうか。あからさまに脅迫されているQPは、雪菜の言葉にこくこくと頷いた。


「ええ、ええ。私は愛をつかさどる神の一柱として、純粋な想いを貫く敬虔な愛の信徒たる雪菜さんの助けになればという善意による貸し出しでした。ハレルヤ!」

「善意とかどの口が……ていうか宗旨が違う聖句とかいっそすがすがしいというか……! あんた、仮にも愛の神の一員でしょう!? それが女の子に銃器渡して何の解決になるって言うのよ!」

「さっちゃん。仮にも幻想の一員であるあなたともあろうものが、私の天製武器・恋の銃器の効力を忘れましたか」

「効力って……げっ。あ、あんたまさか!」


 キューピッドが言外ににじませる恋の成就の方法にサキュバスもようやく思い至る。

 過去、恋慕をあおる金の矢や恋を冷ます鉛の矢を放っては厄介な揉め事を下界で起こしまくったというキューピッドの天製武器・恋の弓矢。あまりの悪行三昧の結果、 キューピッドの天製武器は母神ヴィーナスに取り上げられ、処女神ディアナにへし折られた。キューピッド自信もミネルヴァの女神にこっぴどく打ち据えられ軍神マルスじきじきの折檻を受けたはずだが、それでも懲りずに新たな天製武器を作り上げたという噂はサキュバスも小耳に挟んでいた。

 天界きってのいたずら小僧、愛の神たるキューピッドが作り上げた新たな天製武器・恋の銃器。その効果は、確か――


「私 が作り上げた天製武器・恋の銃器は、心臓を打ちぬいた二人を永遠の愛で結び付けます。それは愛の神キューピッドの名において保障します。その愛は朽ちることなく、揺らぐこともないでしょう。この銃器に心臓を射抜かれ赤い実弾けた二人は幸福な愛に包まれるのです。そう――」


 初めて神の一員らしく重々しく荘厳に言い放ったキューピッドは、世界で一番余計な一言を付け加える。


「――来世で」

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