第10話 一抹の希望、そして
『セントリアライブをプレイの皆様へ、ご報告とお願い』
『現在、一部ワールドのプレイヤー様におきまして、ゲーム内にログイン出来ない現象が発生しております。当該プレイヤー様につきましては、下記リンク先のURLより、専用ページにてご報告頂けますようご協力お願い致します。個別に対応をさせて頂きます。なお、ご報告に虚偽の内容が認められた際には、当該アカウントを永久停止とすることもございます。発生日時とサーバー名、プレイヤー名を正しくご報告ください』
(ああ……)
画面を見つめたまま、口元を両手で覆う美織。そしてその黒い瞳を潤ませ、何度も文章に目を走らせる。
(生きている……)
それは美織のキャラであるミオリが、まだ消されていないことを意味していた。
「私、まだ生きてるよ……」
それに――。
(私だけじゃないの……?)
運営事務局のメールを見る限り、美織以外のプレイヤーもゲーム内にログイン出来ない現象が起こっているようだ。きっと他のプレイヤーが不具合を報告してくれたのだろう。美織もそれをすべきだったのに、追い詰められていたからか、心に余裕がなかったのだ。
安堵からだろう、美織の目からは、ほろほろと涙が零れ落ちていた。それを何度も指で拭い、再び美織は画面に対峙した。
あの世界の『ミオリ』はまだ生きている。たまたまエラーが発生し、美織のアカウントはログイン障害を起こしていただけだったのだ。
「何よ、何よ。ぜーんぜん心配することなかったじゃない……」
パソコンのディスプレイの左右を手で鷲掴みし、美織は自らを落ち着かすように揺らす。ディスプレイは迷惑そうに振動を繰返し、やがてはゆっくりとその動きを止めた。美織は胸を撫で下ろしながら、1つ息をついた。
しかし、美織は思い出す。セントリアライブに戻った瞬間、ミオリの世界は終わりを告げることを。そう、ミオリはあの野蛮な男ヴァインに殺されかけていたのだから。後1秒でもログアウトが遅ければ、ミオリは完全に命を失っていたはずだ。そう、ただわずかながらに延命しただけのことなのだ。
(でも……)
まだ終わったわけじゃない。ほんの一瞬であっても、美織はまたあの世界に帰ることができるのだ。あの世界の空気を吸うことが出来るのだ。
――終わることの決まったミオリの世界。
それだけでいい。もうそれだけで十分だ。そしてそのまま死ねばいい。終わりたくはないけれど、避けられぬ運命なら、最期の瞬間を楽しもう。それに奇跡だって起こるかもしれないのだから。檻に閉じ込められた美織を助けてくれたあの人が現れたように、美織自身だってまだ何か出来るかもしれない。やれるかもしれない。ミオリが生きた証を残せるかもしれないのだ。
(そして次の誰かの夢の糧となる)
揺らぐことのない意志が、美織の中に芽生えた。
美織はメールに添付されたURLから、運営の報告ページに飛ぶ。そこでアカウント名などを入力し、送信ボタンを押す。
(あれ?)
『指定されたアカウントが存在しません。削除されたか、停止された可能性があります。IDとパスワードをもう一度ご確認ください』
入力を誤ったのかもしれない。今度は間違えないようにと、美織は手元を確認しながら、打ち込んでいく。
(えっ……)
しかし、非情にも、画面に表示される結果は同じだった。
「嘘、嘘……どうして」
再び入力を繰り返す美織。しかし、何度ミオリのアカウントでログインしようとしても、結果が変わることはなかった。
美織の世界は凍りつく。動き始めたかに思われた時間は、完全に停止してしまったのだった。
(何よ、それ……)
「何なんなのよ!」
手の指先から足のつま先まで、一気に血の気が引いていった。骨が溶け、腱が断裂したかのように全ての感覚はなくなり、ただ、美織の精神にぶら下がっているだけのものになった。
胸にぽっかりと穴が空いた。
もう、終わり?
これで本当に終わりなの?
ミオリは終わってしまうの?
何もなくなってしまうの?
(私は何?)
(私の人生は何?)
(私は何のために生きていたの?)
本当に何のために?
生きる意味なんてあったの?
生きてる価値なんてあったの?
死んだって誰も気づかないようなキャラだった。
消えたって、誰にも覚えてもらえないような存在だった。
仮想世界だって、現実だって。
だったら、もう……もう……。
死んでもいいよね……?
美織は自らの心を、今、完全に閉ざした。
自らの意思とは関係なく動き始める美織の身体。まるでゲームのおつかいミッションのように、それは次々に目当てのものを見つけ集めていく。これは美織の精神のシャットダウンの準備だ。
――そう。
美織の手にあるのは大量の睡眠導入剤に、放置してぬるくなったミネラルウォーター。
――これで終わり。
もう悲しくはない。終わることに後悔はない。そして、美織は自らの死のフェーズを最終段階に移項していく。
放り込まれる錠剤。口に含まれる水。そして喉奥でぶつかり合う白い粒と粒。身体が終わりを悟ったのだろう。片目から何かがこぼれ落ちた。
ガタガタと震え始める手足。頭がぼうっとしていき、舌が痺れ始める。終わりは近いと美織は感じた。
――だけれども。
『助けにきたよ』
声がする。
しないはずの優しげな声が頭の中で囁かれる。
――どうして……。
誰もいない部屋で、千切れそうなほどに胸が締め付けられる。張り裂けそうになるくらいに胸が熱くなる。
朦朧としていく意識の中、その声を求め、手を伸ばす美織がいる。
「助けて」
嗚咽を漏らし、飲み込んだものを吐き出す美織。しかし、吐けない。
――死ねないよ。
指を口に突っ込む。真っ赤に充血した目からは涙が流れる。
――だって、あなたの声をきいたから。
飛び散る唾液、酸っぱい胃酸の臭いと共に、白い錠剤が絨毯に飛散する。
――あなたに助けてもらった命だから。
だから。
――そう、だから。
「諦められないじゃない!」
――あなたを救いに戻らなきゃ。
だって、彼にはまだ何の恩返しも出来ていないから。
――生きなきゃ。
生きて、彼にお礼を言わなきゃ。
――そして、再び会えたのなら。
今度こそ、きちんとお別れを言おう。
震える指先でマウスを握る美織。やがて美織はディスプレイに映る『新規登録』の文字をクリックした。
仮想世界でも、ノックスの十戒は有効ですか? lablabo @lablabo
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