第9話 勧誘
「セント……リ……」
美織は思わず口籠ってしまう。
(よりによって……)
そう、よりによって、この陸田が薦めるゲームが、まさかあのセントリアライブとは……。
「知ってるかわからないけどさ、セントリアライブは、今発売されている世界中のゲームの中で、もっとも感覚や視覚が現実世界に近いVRMMOゲームなんだ。いや、それでいて現実を遥かに超えた広大なファンタジー世界が広がっている。だからVRの世界でリアル以上の体験や経験もすることが出来るんだ。ねえ、素晴らしいと思わないかな? だからさ、ねっ、一緒にやろっ?」
「無理……」
「まあ、最初はどうやればいいかわからないだろうから、全部俺がサポートするからさ」
「無理っ」
「確かに最初は難しいけど、一緒にやれば何とかなるし、楽しいから。ねっ?」
――バンッ!
「無理って言ったら無理なのっ!!」
瞬間的に沸いた怒りは、美織の手を、激しく廊下の壁に叩きつけさせた。
(あっ……)
美織の一撃で、さっきまでの放課後の喧騒が、嘘のように静まり返る。時間が止まったかのように、周囲の生徒たちの動きもピタリと止まる。
(やってしまった……)
周りの女子たちが引いているのがわかる。動きを止めたみんなの全視線が、今、美織に向いているのだろう。そんなつもりはなかった。美織はただ誰とも話すことなく、平穏な日々を送りたかっただけだった。だからこそ今までずっと一人でいたのに……。そう、いたはずだったのに!
(どうしてセントリアライブなの?!)
あのゲームでなければ、美織は感情を剥き出しにすることなく、この場を後に出来ただろう。セントリアライブでなければ、怒りや歯痒さを壁にぶつけることもなかっただろう。でも、違った。陸田が口にしたのは、あのゲームだった。
(痛い……)
遅れて痛み始める手のひら。じんと痺れ、指先まで赤くなっているのがわかる。指先だけではない。その赤みは、心の痛みと共に、やがては全身にまで回った。
「あれ、俺、何か悪いこと言った?」
目を丸くして口をポカンと開けている陸田。反論、彼に反論、そう、今すぐ反論という名の言い訳をしなければ。美織は痺れる手を摩りながら、陸田を睨みつけた。
「あなたはねえ、今、言ったらいけないことを私に言って……」
(言って……?)
――なかった。
そう、彼はただ美織を戦力にするために、ゲームに誘っただけだ。
「言ったらいけないこと? 俺が? 何か言った?」
陸田の言葉に、美織の顔は上気したように赤面する。
「別に言ってないわよっ!!」
「えー、はむりんが、また怒ったあー」
(はむりん……?)
「私の前で甘えるな。ってか、はむりんって何」
「だって葉室さんだろ? だからはむりん。可愛いじゃん、ねえ、はむりん?」
「だから、何度も甘えるな! それに誰がはむりんじゃあーっ!」
美織は目に角を立て、陸田に声を荒らげた。周囲から悲鳴が上がるかと思いきや、何故か女子たちから上がったのは、黄色い声だった。それと同時に禁止されているスマホを取り出し、撮影までし始める男女が数人現れた。
「あー、もう。何で騒ぎが大きくなっちゃうかなー」
さっきまで余裕の笑みを浮かべていた陸田も、流石にこれには堪えたようだ。
(よし……)
これに懲りて、彼が美織の勧誘を諦めてくれれば、それはそれで問題がない。明日からまた何もなかったかのように、誰とも話さずに生きていけば良いだけなのだから。
咄嗟に美織の目の前で影が動いた。
――えっ?
その影は美織の手を取ると、耳元に息を吹きかけながら呟くのだった。
「行くよ、はむりん!」
そう言って強引に美織の手を引く陸田。
「ちょっと……やめて……」
その手に美織が逆らおうにも、やはり男の力には敵うはずもなかった。半ば強引に、美織はその場から連れ去られてしまったのだった。
「はぁ……はぁ……」
どのくらい走っただろう。気がつくと、息を切らしながらも校門の外まで辿り着いていた。日ごろの運動不足からか、肩で息をしてしまう美織。一方陸田はというと、息を乱すことなく、美織を見てニコニコしているだけだ。
「はむりん、危なかったねー」
(危ない……?)
「何が危ないだ! この誘拐犯! 変態!」
美織は彼に罵声を浴びせる。
「あはははっ。変態はそうかもだけど、誘拐犯はあんまりだよ、はむりん」
「だから、はむりん言うな!」
一体何回言えばこの男は……。
「でも、それだけは譲れないなあー。救ってあげたお姫様には、何をしても許されるって相場が決まってるんだから。ねっ?」
「決まってねえよ!」
一体どんな作品に脳が侵されているのか。
「怖い怖い。いつものはむりんだ。でもさ……」
「何よ……?」
「よっぽど怖かったのか、まだ僕の手を離さないね。はーむりんっ」
――えっ?
美織の青くなっていた顔が、また一気に赤く染まる。慌てて手を振り解こうとするが、陸田はニヤニヤしたまま、なかなか手を離してくれない。苛立った顔を浮かべながら、何度も変態扱いすると、観念したのか陸田はようやくその手を離してくれた。
「ったくもう、一体どんな教育受けてきたんだか……この変態男子」
「それはこっちの科白だね。今まで色んな女の子見てきたけど、はむりんクラスのガードは初めてだ」
「てか、何で私なの? わざわざ同じ学校で探さなくても、他の学校やSNSで探せば、ギルメンくらいいくらでも見つかるでしょ?」
怒り口調の美織の視線を、意に介さずクスクスと笑みを零す陸田。そしてまるで女性であるかのように、その長い髪を耳にかける仕草をした。
「はむりんがいいからさ」
「だから何で!」
強い口調で美織が言うと、陸田は微かに照れ笑いをした。
「知らないの? はむりん、クールなキャラ過ぎて、女子たちに影で人気なんだよ?」
「私……が……?」
「もちろん、ドMの男子たちにもね」
――ド……エム?
寒気がしてきた。まさか美織がそういう目で見られていただなんて。
「どうして……」
「ん? あんまり自覚ないの?」
「自覚? それならあるわ。私、人付き合いしたくないから、あえて誰とも話したりしなかったのに、どうして……そんな……」
「いや、そういうのじゃなくてさ……まあ、いっか……。でも、わかるよ。俺もそうだったから。高校まではずっと引き篭もってゲームだけやってたからさ」
(えっ……?)
同じ? 彼もまた同じ環境で育ったというのだろうか。いや、こんな明るい容姿の彼が、そんな暗い人生を歩んでいるとは、美織には到底思えない。騙されるな。これは彼のやり方だ。
「だから、一緒にゲームしよ?」
――ほらっ!
「し・ま・せ・ん!!」
「あははっ、やっぱ駄目かー」
「絶対無理っ!」
美織が言いきると、陸田はようやく諦めたように息を吐いた。
「はむりんなら、セントリアライブでも良い線行くって思ったんだけどなー、夜とか休日も、一般高校生以上に時間がありそうだしねー?」
「一言多い、陸田君」
「あ、でも名前は覚えてくれたんだね。はーむりん?」
「だから、はむりん言うな!!」
こうして否応なく、美織は陸田に絡まれる日々を送ることになるのだった。
※
一人ぼっちの飾り気のない部屋に帰り、パソコンの電源を入れる。美織にとって当たり前の動作であり長年染みついた癖。しかし、OSの起動と共に美織の胸に広がるのは空しさと、行き場をなくした悲しみだけだった。
ディスプレイを見ると、新着メールの表示がポップアップしている。ほとんど何のサイトにも会員登録をしていない美織に来るのは迷惑メールくらいだ。いつものように何も考えずにメールのアプリを起動すると、そこには美織を震えさせる文字があった。
・FROM セントリアライブ運営事務局
・件名 重要『セントリアライブをプレイのお客様へ』
息が止まりそうだった。それが全ての終わりを意味するかもしれなかったから。
――それでも。
美織は前に進むしかなかった。震える指で、画面のタイトルをタッチしたのだった。
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