第8話 ログアウト
強制的にゲームからログアウトされた葉室美織は、両手でVR専用ヘッドセットを頭から脱ぎ、そのままデスクに放り投げる。樹脂で出来たピンクの個体が、デスクの上で寂しそうに揺れ動く。蒸れた熱気を飛ばすように、頭を左右に振りながら、美織は大きく息をついた。乱れた長い黒髪が簾のように顔に覆い被さり、現実とゲーム世界の境界を和らげてくれているようだった。それでも今は、意識が現実世界にあることが、美織にとって信じられないことだった。
(戻ってきちゃった……)
安堵しているのか、それとも焦っているのか、予想外の出来事に、美織はただただ戸惑いを隠せなかった。
それからすぐにゲームに戻ろうとしたが、何度ログインしようとしても、「S.R.L server busy」と表示され、ゲーム世界に入ることは出来なかった。サーバーが人でいっぱいということだろうか。
(そもそも強制ログアウトって何?)
通常、本人の意志に関係なく、ゲーム世界からログアウトさせられるとすると、運営によるサーバーメンテナンスしかない。定期メンテナンスはこの間終わったばかりで、ほぼ一ヶ月は行われないだろう。だとすると、緊急メンテナンスが行われたということだろうか。もし、そうなら運営のアナウンスくらいあってもおかしくはないはずなのだけれど。それにまず、ログインしようとしたら、システムメンテナンス中と表示されるはずだ。それが出ないとすると……。
(まさか……)
「ミオリ」のアバターは死を迎えたのだろうか。死んだからこそ、ゲームにログイン出来なくなっていると考えると、全ての辻褄が合う。死んだからこその強制排出。死んだからこそのログイン不可状態。つまりはあのヴァインに降り下ろされたシークレットソードの凄まじい攻撃で、「ミオリ」の命は絶たれてしまったということだ。
「あははっ……」
笑えてきた。何も出来ずに命を落とした美織自身に。他人を巻き込み、誰一人救うことなく、最後の最後まで自分勝手だったその浅はかさに。
胸が痛くなる。笑いながらも、涙が頬を伝う。堰を切ったように溢れてくるのは、美織が流したことのないほど大量の温かい涙だった。美織は泣きたくなんてないのに。愚かな自分をただ笑いたいだけなのに。窮屈なほどに胸が締めつけられ、息が出来なくなる。
「まだ終わりたくないよ……」
誰もいない部屋の中、白い天井を見上げ、美織はただ咽び泣くのだった。
翌朝、美織は学校でもずっと沈み込んでいた。もともと友人がいるわけでもなかったが、先生の授業も耳には入らず、ただボーッと窓の外を眺めていた。美織の心には、空を覆う黒い雨雲のように、何処か淀んだ喪失感が隙間なく埋め尽くしていた。
変化があったのは放課後だった。教室を出てしばらくのところで、不意に知らない男子に話しかけられたのだった。
「葉室さん、だよね? 二年B組の」
振り返ると、美織より頭二つ背の高い男子が彼女を見下ろしていた。肩までかかる、およそ男子というには長過ぎる褐色の髪。まるで乙女ゲームの美少年キャラか、一歩間違えばギャル男だ。でも、その目は可愛らしくクリクリとしていて、どちらかというと母性本能をくすぐるタイプ。おまけにニコッとした笑顔が、反則級に魅力的だ。一般的な女子受けは抜群だろう。当然、面識はない。きっと誰かと間違えているのだろう。美織は、彼を見なかったことにして、再び廊下を歩き出した。
「ちょっ、ちょっと、待って、待ってよ、葉室さん」
美織はその男子に左手を掴まれる。ムッとしながら、美織は彼を振り返る。
「で、誰?」
冷たく言い放つ美織の言葉を、気にもしない様子で、彼は美織に笑いかけるのだった。
「
陸田? 初めて聞く名前だ。
「それで、私の貴重な時間を奪って、何の用? 私、これから忙しいんだけど」
そうは言いはしても、昨日までの美織と違い、家に帰ったとしても、美織が望む世界には、入れないのかもしれない。そう、もう二度と「セントリアライブ」のゲーム内にはログイン出来ないかもしれないのだから。
「ああ、じゃあ帰ってゲームでもするのかな?」
(何……)
こいつは何か知っている。少なくとも、美織について情報を手に入れているはずだ。でなければ、女子に対してゲームという単語が、この限られた数の会話の中で出てくるはずがない。周りの生徒たちも、珍しい組み合わせに足を止め、二人の様子を窺っている。そんな中で出てきたゲームという単語。美織は恥ずかしめにあっているようで、顔を真っ赤に染めてしまった。
「知らない……」
「ははっ、人前でゲームって言うの、何か恥ずかしいよね。僕もそうだった。でも、今はもう平気になったんだ。みんなに言ってまわったからね」
だから何だと言いたいのだろう。美織は彼を無視して、その握られた手を振り解こうとした。
「君はこれから帰ってゲームをする。だから、これから一緒にどうかなって思ってさ」
――絶句。
(こいつは何を言っているんだ?)
普通の同級生を誘うならともかく、どうして美織なんだ。人付き合いが苦手で、ずっと自分を押し殺して生きてきたのに。だから誰とも話さないで、ずっと不機嫌そうな顔をして過ごしてきたのに。それが今更人と関わるなんて、絶対に嫌だ。しかもそれが男子だなんて。
(絶対にありえない!)
「君ってさ、VRキットのプロバージョン持ってるんだって? 今度さ、今やってるゲームで、新しくギルドを作ろうと思っててさ。同じ学校で環境整えてる人間なんてそうはいないだろう? だから、是非一緒にどうかなって思って」
確かに美織が持っているのは、現在販売されている中でも、最新鋭のものだ。だからこそ、負荷のかかるVRMMOやその他のVRFPSゲームであっても、動かないものはない。でも、それを持っているなんて、誰にも公言していないはずだ。
「友達にでも頼んだらいいじゃない」
美織が冷めた口調で言うと、周りの女子たちから、何故か黄色い声が上がる。向かい合っている陸田が、それほど女子に人気があるということなのだろう。もちろん美織は興味がないのだけれど。
「いや、それがさあ、ほら、VR環境揃えるの、まだまだ高いじゃん。だから、周りの奴ら、環境がなくって、誰もやってくれないんだよ。だからね、いいだろ? ねっ?」
「無理。絶対に無理」
ボソッと美織が呟くと、まるで動物園の希少動物が動いたかのような歓声が、何故か沸き起こる。確かに美織が人と話している姿なんて、この学校では見ることは出来ないだろう。他人と関わらない。それが、今まで美織が必死で守り続けてきたことなのだから。
「そんなこと言わないでさあ。本当に周りでゲームの推奨環境ある奴いないんだよ。特にさあ、僕がやっているセントリアライブが出来る最高スペックのマザー
鳥肌が立った。聞き間違いかと思った。でも、確かに彼は美織がログイン出来ないあのゲームの名前を、口にしたのだった。
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