第2話
草木が燃え尽き、黒く炭化した残骸が風に流され宙を舞う。川は蒸発し、乾燥された土がひび割れている。水を失った川魚はとうの昔に息絶え、干からびていた。
季節は秋。しかし紅葉した葉はどこにもない。代わりに舞い上がる火の粉と血痕の赤があるだけだ。
ユニ・メトリアは戦線後方に立っていた。人の肉が焼ける匂いに顔を歪め、両手で杖を握りしめている。握る手は震え、顔面は蒼白している。
魔法使いであるため前線に出ることはなかった。そのため激しい攻撃に見舞われることなく、まだ傷一つ負っていない。栗色のくせっ毛は少しも汚れていない。しかしこのままでは、すぐに辺りの木々や魚や、そして死んでいった仲間たちと同じ運命をたどることになる。恐怖に怯えながら、しかし、それ以上に死を恐れて、相対する相手からユニは目を離さなかった。
ユニ達の向かいには人型の、しかし、とても人間とは言えない何かが立っている。
怪物と人々は呼んでいた。翼と角に鋭い牙を持ち合わせていながら人型であることが、対峙するユニたちに不気味な威圧感をあたえていた。禿頭には血管が浮かび上がり、目は真っ赤に染まっていた。魔法を使えばあたりが焦土となり、拳を振るえば地が割れる。その蹂躙の前にユニたちは、彼を含めて三人しか残っていなかった。皆、一様に不安げな表情を浮かべていた。怪物の放った業火が延焼するなか、皆、背中に冷や汗を流し、鳥肌を立てていた。
怪物は突如として現れた。
いくつもの村が一晩のうちに消え去った。初めは、誰も生き残らず、その存在が知られることはなかった。しかし時が経つにつれ、潰された村を訪れた商人や、奇跡的に生き延びた人々によって漠然とその噂が立ち始めた。
当初、誰も信じなかったが次第に現実味を帯びて行く。襲撃が段々と国の中心地へと近づいていったからだ。そして同時に被害はより大きくなっていった。
人々は恐怖におののいた。ある者は、神の使いだと崇拝して被害を逃れようとし、またある者は十字架をいくつも身につけた。気が触れ、悪魔が到来したのだと叫んだ者は教会によって鞭打ちにされた。
被害を無視できなかったマーラ王国とシンバル王国は、停戦協定を結び、そして共同戦線を立ち上げた。建国以来、対立を続けてきた両国が初めて手を取り合った。
歴戦の勇者や、屈強な剣奴、猛獣の操者。多くの強者が国中から集められた。そして、選別され、その数は二十となった。
ユニはその中の唯一の魔法使いであり、同時に最大火力として期待をあびていた。しかし、それは本人の意思とは完全には一致していなかった。
戦いが始まる前から、すでに民たちは勝利を確信していた。誰もが敗北など頭から消し去っていた。
選出された本人も同様だった。だが、実際にはことはそう上手くは運ばなかった。
ユニを除いた十九人は戦争の経験がある。つまり、互いに戦場で合間見えているわけだ。だから、その実力については信用していた。そして、冷静な判断に基づいて勝利を疑わなかった。
連携を特別に練習せずとも、互いを深く知らずとも、十分に勝てる戦いであった。それほどまでに個の力が突出していたのだ。決して油断していたわけでもなかった。それでは、何がここまで戦況を悪化させたのか。
戦闘開始直後、すぐに怪物を圧倒しはじめた。致命傷は与えていなかったが、手数の多さで怪物を追い込んでいた。防御力も段違いだった。怪物は身を守るのに必死で反撃する機会を得なかった。討伐隊は皆、勝ちを確信した。そこで余裕が生まれてしまった。戦いの最中、彼らは考えはじめてしまった。
怪物を敵国側の人間にとどめを刺されてしまってはどうなるのか。
国民たちの失望を呼び、名声が失墜することは間違いない。余裕のある戦況だけに、皆で勝ち取った勝利などとは言えるはずがない。国は等しく褒美を与えるだろうが、市井では称えられるのはとどめを刺したものだけだろう。
次に、共通の敵の怪物を失った時のことだ。
もともと国同士が不仲な間柄である。そのため怪物がいなくなれば、きっとまた戦争が始まるだろう。だからと言って、怪物を生かそうなどとらは誰も考えないが、別のことを考え出してしまった。
彼らは戦時中のことを考え始めた。
死んでいった部下や、殺された家族、捕虜として捕まった知人。
一旦加速した思考は止まりようがなかった。同時に彼らの中で憎しみが膨れ上がって行った。
如何に不慮の事故に見せかけて殺すか。そればかりを考え動き、奇妙な間が増えた。攻めの手を妙なところでやめたり、助けに入るのを遅らせたり、次第に状況がおかしくなっていった。
本人たちは真剣だった。しかし、怪物にとってはただの好機でしかなかった。
結局、不意を突かれて怪物が投げた火炎に隊長格が巻き込まれたのを端緒に戦線は瓦解しはじめた。そして気づいた頃には三人しか残っていなかった。
しかも、戦いなれていないユニはまともに役に立たなかった。開戦直後から一度も魔法を放てずにいた。彼は戦場に出るのには優しすぎた。
仲間の指示に従おうとしても、人型であるためにためらってしまった。きっと元は人なのだから、殺さずに済ませられないのかとさえユニは考えた。魔法を打とうとするたびに、罪悪感が彼を止めたのだった。
昼に始まった戦いも刻々と時間は過ぎ、すでに陽は落ち、月が煌々と光っている。
男たちは疲労を顔に浮かべている。このままではどうしようともないことを受け止め、一人が駆け出した。
熊のように屈強な体に、獅子のたてがみのように顔を覆う髭。丸太のように太い腕で自身の身の丈ほどの長さの斧を軽々と抱えて走る。
ケッツァル・ベルバートは斧を大きく旋回させ怪物へと切りかかった。
怪物は後ろへ飛び避け、落ちている大剣を拾い上げた。
絶え間なくケッツァルは斬りかかった。一撃一撃ははやく、そして重い。
怪物が受け止めるとその度に火花がちり、激しい金属音があたりに響きわたった。
しかし、ケッツァルが何度も斧を振るってもかすり傷さえ負わせられない。ケッツァルはただただ疲弊していった。限界を迎えて、距離をとった。肩は大きく上下させ、顔中に汗を浮かべていた。
だが怪物はケッツァルに休む暇を与えなかった。
怪物が剣を振りかぶり、そして振り下ろす。悲鳴のような風切り音が発生した。
ケッツァルは斧の柄で受け止めるが押し込まれてしまう。背丈に差があるぶん、単純な力比べでは怪物が有利だった。
隙だらけの腹部を怪物が蹴り上げた。
ケッツァルは吹き飛び、なんども転げ回った。何とか回転を止めて立ち上がる。そこへ火球が飛んでくる。
目の前に迫る業火に反射的に脳が信号を送ったが、疲れた体は反応しきれなかった。
転ぶようにして避けた彼には、もう次を防ぐことはできなかった。
怪物がケッツァルを指差した。
不可視の刃がケッツァルの脚を切断する。円形の断面から、一拍おいて血が噴き出した。
「え……?」
自己防衛のため痛覚は遮断されていた。だが、動かそうとするも微動だにしない、先程まで体の一部だった肉塊を見て、間抜けな声をあげた。
立つこともできず、混乱した脳では何をしたらいいのかもわからない。滲み出る血液が止まらないことに狼狽する。
構わず距離を詰めた怪物が大剣を振るう。
ケッツァルはただそれを見つめていた。視界はやけにはっきりとしている。
素早い影が過ぎ去った。
振るった剣に肉を断つ感触が伝わらない。不可解に思った怪物が目を凝らすとそこにケッツァルの姿はない。
「ユニ‼︎ 援護しろ‼︎」
ケッツァルを抱えて走る影が叫んだ。
「……はい‼︎」
ユニは勇気を振り絞って魔法を放った。ケッツァルを救うためだと腹をくくり、怪物の追跡を妨害した。かすりもしなかったがケッツァルを逃すのには十分だった。
1人になったユニはポツンと立ち尽くすしている。
怪物は真紅の眼で射抜くようにユニを見据える。
戦いが再開した。
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