顆粒化した痛み

平方和

顆粒化した痛み

 店の同僚の年若い娘がぼくの左手の人差し指に興味を持ったらしい。この三日程、片時も絆創膏を剥がせずにいる。絆創膏を剥がす度に、その変化のなさに呆れていた。相変わらず血は溢れ、傷を負った当日と同じ様子だった。指の上では時間は流れていないかの様だった。

 店のバックヤードで、作業用の机の収納作業をした。垂直に立て、足を畳んでいた時、その屈折部分に噛まれたのだ。裏側の無骨な金具に、設計上の配慮などある筈もなく、可動部分のパーツは容赦なくぼくの指を噛み第一関節の上を剔った。軽傷ではなかったのだが、何かに不自由するものでもない。ただ疼き、その後幾日も出血が続いただけだ。

 その場では鞄に常備していた絆創膏を巻き付けただけだったが、その下で出血が続いているのが判ったから、もっと密閉性の高いものを買うべきだと思った。帰宅途中で薬局に飛び込んだ。

 駅を出ると既に商店街は扉を閉ざす時間帯だった。シャッターを片面閉じていた薬局に、詫びの言葉を口にし乍ら入り込んだ。怪我をしてしまって。絆創膏を買わせて下さい。防水用というのはありますか。

 慣れた様子で店員が示して呉れた棚から、勧められた二つの商品を、鵜呑みに買った。早く貼り替える必要があったのだ。帰宅して、血に染まった絆創膏を剥がすと、悲惨な傷が目に入った。痛みを覚悟した上で、石鹸で洗った。数多くはない手持ちの医薬品のうちから消毒液を取り出し、派手に掛けた。その上で、買って来た絆創膏を慎重に巻き付けた。違う商品を重ね合わせて使った。

 それから漸く、夕食の支度に取り掛かれたのだ、と語った。自炊してるんですか、凄い、と同僚の娘の興味は一筋ズレた処に落ち着いた。

 深刻な話の似合わない娘だった。若いだけに、やはり人の輪の中では当然、真ん中に居たい、と思うらしい。けれどその立場で彼女は、笑われていたいらしいのだ。自慢げに語るのは失敗の話題だった。私ってこんな事ばかりで、と語って周囲が笑って呉れれば、安心出来るらしかった。


 指の傷の痛みが、ひと呼吸だけ甦った。

 駅まであと少しという交差点で、今朝も信号に立ち止まった。この二カ月程の習慣で、歩道の端の木陰に立っていた。この早い時間であっても一旦顔を出した日差しは容赦なく、僅かの間でも直射日光の下には居たくなかったのだ。

 けれどこの朝、気づいた。足許に落ちている影の様子が違う。枝を繁らせた大きな樹が通り沿いの敷地にあって、その葉の不定形の影の中で後頭部を陽に曝さずに済む場所は小さな範囲だった。だが今、足許にはこの敷地の塀の影までが落ちて、日差しを避けられる範囲はずっと拡がっているのだ。それが季節の変化だった。

 銀色のタンクローリーが、前を横切って行った。日差しを平たく映して返す輝きの透明さが、浜に転がったビールの缶の様だった。けれどこんな車種なのだから、と振動を重く伝えて鈍く揺らめく内容物を想像していた。その矢先、視線が捉えたのはBulk Track For Granulated Suger.と言う表示だった。

 目的地に着いてタンクのバルブを開くと、そこから渇いた白い粉末が軽やかに流れ出るのだろうか。遠い南の島で幹から絞り取られた砂糖が、この都会を経過してどこかへ運ばれている。目的地という言葉の印象に、意識は空に浮かぼうとしていた。

 ほんの少し前に通過した図書館の、周囲に集められた樹々が落とす陰の下には涼感があった。数種の蝉が競って声を降らせ、あたかもシャワーを浴びているかの様だった。故郷では当たり前だった蝉の声を、この都会では希有なものとして聴く様になっている。

 山間の地で生まれ、就学の為にこの街に流れ着いた。親の願いがどうなのかを配慮する努力は放棄し、そのままこの街で職にも就いた。そして新しい環境でまた夏を迎えたのだ。

 住まいはもとより永住の場ではない。だからこそ家財さえ禄に揃ってはいなかった。いずれはまたここも去るのだ。ぼくはこの先、何処まで流れて行くのだろう。生きて行く事は、やはり旅の一種なのだろうか、と思った。


 客商売だから、終業時間は夜になる。事務系のオフィスの様には行かない。それを承知した上での転職だった。出勤の時刻は世間の多くのひとの三時間後だ。退勤の時刻が三時間遅く設定されているからだ。この職に就いて以来、誰もが楽しむ夕食の時間帯は完全に逸していた。

 帰途はいつでも夜闇の中だった。最寄り駅の周辺ですら殆どがシャッターを閉じているのだから、住宅地に入れば人影すら疎らだった。カーテンやブラインドを透かしてこぼれ落ちる灯りを幾ら集めても、街は暗かった。ぼくはこの街の様相を、実際には知らずに暮しているに違いない。

 都会に珍しい繁みの前に、銀色の幌を掛けたバイクがある。前面で両側に持ち上がったハンドル。前に突き出たタイヤ。後ろに僅かに上がったサドル。その意味する原型は理解できるのだが、僅かに翳った月光の下ではそれがどうしても小象に見えてしまう。

 この処、連日ここに停めてある。だがこの帰途で遠くから目を止める度に、いつでも最初に抱くイメージは象だった。今日も偏頭痛が続いた。呑めばやがて眠くなってしまうとは知りつつ、店で頭痛薬を呑んでしまった。やがて効き目は顕われ、痛みは遠退いた。仕事をしている間は、ぞれを忘れて居られた。

 だが終業時間が近づくにつれ、効き目にムラが出始めた。痛みのロングトーンを覆うサイレンサーはそれ自体は効果絶大なのだが、継ぎ目に弱点がある様だった。ふと痛みが兆すのだ。そして僅かな時間で消える。

 同様にして、ふと眠りが兆しているのではないだろうか。それがこうして歩いていても夢を誘うのだ。象が佇んでいる住宅街という発想に、自分では違和感を持っていないのだから。

 ぼくが帰り着く住まいは実在しているのだろうか。それさえもが、疑えるのだ。足取りは自分では直線のつもりだが、ガードレールが時折寄って来る様に思えるから、どうやら蛇行しているらしい。時折雲が覆う月の下に見えてきたアパートは、昼の日差しの下にもあるのだろうか。

 こんな生活は、歳長けた男の取り得る選択肢なのだ。夕暮れに帰る生活は、若いうちの初歩。こうして長く社会に暮した者は、経験を活かして就業時間を大きくズラすのだ。一線の仕事は、活動的な世代に任せよう。作業の指示すら彼等から受けてもいい、と思う。指導権を譲る事にさえ、もう拘っていなかった。意志が通らなければ辞めてもいい、などという強固なものさえ、もう持ってはいなかった。

 指の傷の疼きまでが間欠的に戻った。店の同僚の年若い娘は、ぼくの秘密を探りたいなどと言う。どうして秘密がある様に見えるのだろう。言葉遣いは平易にしていた。感情表現はソフトに保った。若い頃に隠さなかった皮肉な性格は、長い社会生活の末に擦り切れて消えた筈だった。

 こんな判り易い中年もないだろう。だがどうしても彼女の対人感覚に触れるものがあるとすれば、それはただ一つ、ぼくが彼女を好きじゃない、という事に尽きる。その違和感に敏感になっているのだろうか。


 数秒だけ指の傷が痛んだ。

 乗り換え駅でのドアは、気づいた時には閉じていた。ここでまたひとつ不運を重ねたとは思ったが、それにしても大した問題ではなかった。隣に座った会社員が連れに話し掛ける声が大きかった。どうしてなのか、中年男性はビジネスソフトの使い方について話す時、つい誰もが声が高くなる。

 幾つかの術語を駆使して語られるパワーポイントの操作方法は、ぼくにはどうでも良い事だったから、敢えて手許の文庫本に没入していた。それで降りるタイミングを逸したのだ。

 この朝は部屋を出るのが三分遅れた。どこをどうぐずついたのか、自分でも理解出来なかった。けれどその為に通勤の地下鉄は一本後になってしまっていた。その結果がこれだった。

 ひと駅先で逆へ乗り換え、地上の路線との乗り換えを漸くして、オフィスのある駅に着いた。駅前のコンビニエンスストアに寄る必要はあった。このまま買いに出られない筈の昼食の用意だ。何が欲しいなどと探して迷う事もなく、有り触れたハムサンドイッチを手にレジに並んだ。

 ぼくの前にいた客は一人で、そうそう手間取るとは思えなかったのだが、こんな日には都合良くは行かないのだ。前の客が出した高額紙幣の為に、店員は煩雑な確認作業をしつつ釣りを返さなければならなかった。

 そうして会社に着いたのは始業時間の二分前だった。間に合ったのだからそれで良かった。過ごしてしまった出来事にこれ以上拘る必要は無かった。いつかどこかで拾っていた幸運のお返しを、ここでしたのだと思えば、気の済む事だった。


 指の関節辺りにはかつても傷痕があった。若い日にネジをいじっていて着けた深傷だった。裂け目を塞ぐまでの治癒の後、掌の皺の上で変化を止め傷は痕を残した。それは生涯残るものかと思った。

 その時々に傷を負ったからこそ、遣り仰せた出来事があった。それらを越えてここに健在でいられる事の証として、幾つもの傷痕は残るのだと思っていた。

 刃物の傷って残るんだよね、と言う言葉が甦った。若い日にも自分の迂闊さを見せようとした女友達がいた。先づ思い浮かべたのは、その女友達がぼくの傷に並べて見せた手首の傷痕だった。

 私もこんな怪我をして、と言い乍らこちらに向けたのだ。左手首を横切って白く浮いた古傷だった。じゃがいもを剥いていて包丁の刃が滑ってしまったんです、と言う。けれどこれはいかにも訳ありの傷痕だった。

 今、記憶を辿り乍ら見回す掌に、若い日の傷痕は見つからない。中年に至って慢性化した酷い手荒れの結果、傷痕部分の皮膚も強制的に撤去させられたのだ。老いた故の変化だった。

 痛みこそが、この年齢になって最も耐え難いものだった。長く付き合ったあの女と別れたのも、結局は彼女のもたらす精神的な痛みに、耐えかねての事だった。人を「好き」になる時、脳内では相手のイメージに対応して快感物質が分泌される。同様に常に痛みのイメージが甦る相手ならば、反応は「嫌い」に直結してしまうのだ。

 アパートの鍵を開いて、暗い室内へ踏み込む。灯りを手探りした。台所に立って夕食の支度をしなければならない。日常生活はここから始まる。ここは終着点ではない。だからこの生き様を旅とは呼びたくなかった。


 この辺りに風を運ぶのは少し先にある幹線道路だった。ここからは流れ去るヘッドライトばかりが見える。擦過音を引いて走る光の列は、まるでせせらぎだった。だから光が涼しげに見えた。ぼくは窓を開いて風を入れた。

 同じ歳の女と付き合って、話が老い先へ至ると、自分が先に死ぬのが前提になってしまう。生まれ年が同じならば、平均寿命という数字は抗い難い。ここでは、ぼくが先に死ぬのは既定の事実なのだ。それはまるで不治の病を患っているのも同然だった。

 女の住む街の商店街に、老衰した犬を飼う店があった。店頭に横たわった犬は、呼吸さえ苦しげだった。店主は無骨な掌でその犬に触れる。すると不思議に犬は、呼吸を和らげるのだ。

 無口な店主に街の誰もが敬意を表する。彼に不埒な態度を取れる者は居なかった。彼が伺わせるキャリアとは、彼の人生より長いものなのかも知れない。幾度もの生まれ変わりを経て積み重ねたキャリアが、もの言わぬ彼の態度から滲むのだ。それが老犬にも判るではないだろうか。


 思えば昨夜が涼し過ぎたのだ。午前の日差しはやがて厚い雲を呼んだ。曇ったな、と思う間もなく落ち始めた雨は、僅かな間に激しさを増した。

 豪雨の雨音は、その強さの余り耳を経過し、鼻孔の奥にまで沁みていた。鞄から取り出した折畳みの傘など効果も薄く、ぼくは諦めて足を止めた。街路の僅かな軒先に背筋を伸ばして立った。遥かに遠い昔に同じ姿勢で、通り雨の過ぎるのを待っていた筈だった。

 何を急いでいたのだろう。ぼくは到達出来ない取引先を思って、気を揉んでいた。仕事への気負いが、必要以上に手順を急かせた。あの若い日に、まだ携帯の電話などは存在していなかったから、ぼくは連絡さえ取れない状況に苛立っていたのだ。

 仕事にのめり込み乍らも、ぼくは頭上に限界の線を引いていた。それを越えたらもう、耐える事は出来ないと思っていた。その時には潔く辞めてしまおうとも思っていた。

 同じ歳の同僚はその朝、平気で三十分も遅刻した。二分前で何とか間にあったぼくは、自分を足止めしたものどもを容認するのと同じ思考回路で、彼女を鷹揚に許した。過ぎた事には何の興味なかった。

 営業に出る前の時間に、ぼくは新しい書類棚を組んでいた。四角柱の二辺だけを持つ金属の柱材に、棚板をネジで止めていた。前後の四辺を緩く止め、立たせてからネジを締めて行く。そんな作業の場に、彼女は飛び込んで来た。

 工具を握っても彼女は何をするでもなく、ぼくの脇で話し掛けていた。この先に何がしたいですか、と彼女に問われて答えに窮した。欲しいものは何ですか、と畳み掛けられて更に困った。あの頃既に、興味という感情を持たなくなっていたのは、どんなきっかけからだったろうか。

 私は物に執着するひと、と彼女は言った。マニキュアを使いきらず、半端に残った瓶を溜めている。試供品を喜んで貰い、使わずに溜めている。貰い物のリボンやタグも何処かに残している。私はそーゆーひと。

 そこまで言われると、ぼくの方が否定をしてみたくなった。簡単に規定する事ないじゃない、あなたはもっと深いひとかもしれないじゃない。そんな言葉を口にした時、まだ安定していなかった棚板が傾いだ。締めていなかったネジが弾けてぼくの指に当たった。

 あの頃にはまだ、オンナの生々しさを知らなかった。そうでなければ、あの時に、愚かな判断ミスなどしなかったに違いない。ぼくは指に最初の傷を残す。怪我が彼女をぼくに結び着ける。やがて彼女の為に散財し始める事になる。

 金や物が結びつける人間関係など、どれ程の信用が措けるのだろう。若い頃には思慮もなく、乞われるままに消費を重ねた。時が流れても若者の行動原理にさほどの違いはない。今の勤め先の店などもそんな用途で客を集めている。自分が、若者達に散財をさせる立場となっているのが、不思議な気もする。

 あの夏の朝の、タンクローリーの冷たい輝きが甦った。イメージの中で、タンクローリーは何処かに辿り着いて荷を降ろしている。開いたバルブから顆粒化された砂糖が、軽やかに止めどなくこぼれ落ち続けている。

 驟雨の音とばかり思っていたが、通り雨はいつか止んでいた。狭い軒の上に降り注いでいたのは、今では蝉時雨だった。


 駅までの道すがらに、ひまわりの花壇があった。この遅い朝、ひまわり達はどれも首をうなだれ自分の影を覗き込んでいた。その姿は力無く見えたが、その一方で足許に種を落とすという行為を着実に為してもいた。

 ひとりの暮しで最も難儀なのは、夏の暑さだった。またあの都会に特有の耐え難い暑さが来る、と春の終りには憂鬱になっていた。だがこうしてひまわりが枯れ始めれば、漸く夏も終わりなのだろうか。それは気温の示すものではない。もの言わぬ植物の体内の暦が示す経過なのだ。

 この夏にはトマトのジャムというものが出回った。プレサーブのものだったが酸味と匂いは強く、確かに癖はあった。不味くはなかった。ひと瓶は楽しんで食べた。

 けれど店頭の売れ行きの悪さは目に見えていた。メーカーは製造を続けないだろう。製造の担当者は肩身を狭めたに違いない。ひと夏で消える商品だと読めていたからこそ、続けて買うのは控えた。味をしめてしまったら、後がないものだけに困った事になるだろうから。


 私鉄の改札を抜けると直ぐに電車が来た。次の路線の駅でもホームに降りた途端に電車が滑り込んで来た。うまく乗り継げる日もあってツキはバランスが取れる。若い日に地下鉄から乗り込んで来たのは、この駅だった。

 文庫本を取り出した。営業職と違って、一日の乗車時間は決まっている。従って読み進めるページ数も限られる。一冊の本を読み終えるにも幾日も費やした。だから若い日の様に本を買い溜める事もしなくなっていた。

 焦らずとも良かった。忙しく立ち回るうちに本を読み終えてしまうなどという、非日常などあり得なかった。全ては穏やかに進行し、次の角まで見通せる道程だった。降車駅であと四十ページ残るなら、今日の帰途に次の一冊を買えばいいだけの事だ。

 乗客は肩を触れずにすむ程度の立ち方だった。近くの女子高生が声高に話している。担任の悪口だ。相手も楽しそうにそれに同調している。悪口は子供が最初に覚える社交なのだ。そして、この社交に気を遣う事に、頓着せずに居られる様になるまでに、あと二十年は掛かる。

 そこまで人として枯れる事が出来たら、痛みを感じずにひとと付き合う事が出来る様になるのだ。    (了)

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顆粒化した痛み 平方和 @Horas21presents

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