――(’70年代中葉)文学業界には大きな揺れがあった。
村上龍(’76)や三田誠広(’77)が登場して
新しいタイプの書き手と騒がれ、以後
「ある種の一人称小説」が業界の主流へと
のしあがってきたのである。(略)’80年代、文学業界は
完全に「僕小説」の時代に入っていた。ザ・キング。オブ僕小説作家、
村上春樹の登場はそれを象徴するできごとだったろう。(略)
この「一人称小説」は、もちろんトラディショナルな
「私小説」とは別系統だ。(略)内容がフィクショナルで、
私小説的な拘泥とは無縁だから、清涼飲料水みたいで「読みやすい」。
(略)この種の一人称小説が一派をなしていることは
周知の事実なのだから、さっさと別個の名称を
与えるべきである。ついでだから今決めよう。
「私小説」ならぬ「僕小説」と名付けるぞ。
僕小説の発祥については(略)
鮮やかな一人称を駆使してみせた「和製ライ麦畑」、
庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて(’69)」あたりが
(略)ひとまず考えられる。(略)今もときたま、
太平楽な新人作家なんかで「僕は日本的な私小説の
伝統には従いません」なーんて得意げに反旗を
ひるがえしたつもりになってるやつがいるけど、
そんな時代はあんたが生まれたころにもう終わっている、
ということだ。――
「妊娠小説(斎藤美奈子’94年6月刊)」