最終話 宴の終わりと蒼き星(7)

 俺は握りしめていたルシアンの手を解くと、彼とともに教皇の方を向いた。


 まずはこいつから、聞き出すことを聞き出さねばならない。


「なんだったっけかな。確か教皇会議の中で、ビザンの港に魔女が入ったとか、お前は言っていたっけかね。教皇様」


「あれは。教会が調査した結果を述べただけで、私は、何も」


「しらばっくれるなよ。どうもその辺り、コランタンよりお前さんの方が詳しそうじゃないかと俺は思うんだがね」


 ナイフを一つ取り出すと、俺は教皇の太ももに突き立てた。


 一応、教会から預かっている相手である。

 下手に傷をおわすのはまずいだろうが、そう悠長なことも言っていられない。


 白い聖衣にじわりと血がにじみ出る。

 同時に、目の前の老人の顔が、未成熟な茄子のようにさっと青ざめた。


 位人臣を極めた男だ。

 そうそう無様に声はあげないか。


 息を荒げながらもこちらを睨みつける辺りは流石である。


 しかし、俺もこんなことで、この男から情報を引き出せるとは思っていない。


「フリッツ。出せ」


 あいよ、と、壁の向こうから声がすれば、馬車は動き始める。


 石畳が敷き詰められた街の中である。

 当然、馬車などが走ることを想定して、道が舗装されている訳ではない。

 車輪が回る度、その石畳と石畳の僅かな隙間に滑り落ち、また、盛り上がりに乗り上げる。


 その度に馬車は大きく揺れる。

 また、教皇の太ももに刺さっているナイフも、大きく揺れた。


 がぁ、と、それでも教皇は声を押し殺す。


「なかなか気丈じゃないか。俺は数えるより早く根をあげるかと思ったぜ」


「こんなもの、何本刺されたところで」


「いいことを教えてやるよ。魔法部隊なんてたいそうな部隊に所属しちゃいるが、俺はめっきり魔法という奴には縁がなくってな」


 そっと、俺は教皇の膝の上のナイフに手を添えた。


「もっぱら魔装を使うのよ。このナイフも、そんな魔装の一つさ」


「何を」


「知っているか。魔装も、用途によって色いろあるんだ。例えばそうさな――骨が折れちまった人間向けの添え木なんてのもある。こいつが便利でな湿布と絆創膏の代わりのような働きをする。ただ固定するだけじゃなく怪我の治療もしてくれるのよ」


「それがどうしたというのだ!!」


「これはちょっと、それを改良した奴でな。まぁ、本来、仲間の手当用途のもので、お前さんみたいなのにこういう風に使うのは気がひけるんだが」


 俺はナイフの魔装を解除した。


 馬車の床を突き破って伸びたそれは槍。

 その刃先で傷口を撫でればたちまちにそれを塞ぎ、石づきで小突けば打ち身を直し、その柄を当てれば火傷を治癒する魔槍である。


 これの槍先が地面にこすれるよう、俺は計算してナイフを打ち込んでいた。


 当然、車輪が跳ね上げるのとは違う。

 直接に、体に打ち込まれた棒を、叩かれる痛さたるや言葉にできない。


 強情にも口を閉ざしてた教皇が、たまらず口を開いた。

 がぁ、ああぁ、と、老人の断末魔のような悲鳴が辺りに響く。


 普通ならばショック死してもおかしくない拷問だ。


 だが、もちろん、そうはならない。

 何のためにわざわざ貴重な治癒の槍を打ち込んだのか。


 肉がえぐれようが、骨が砕けようが、都度こいつが治していくのだ。この槍が折れるか、それともこの男の精神が折れるか、そのどちらかまで、その痛みは続く。

 青ざめた唇から涎と吐瀉物を撒き散らして、教皇は発狂したような声をあげた。


 威厳。


 尊厳。


 人間としての自我すらも歪む痛み。


「まぁてめえみたいな外道には、これくらいの罰が当たっても釣りが来るだろうよ」


「相変わらず容赦無いな、ルドルフよぉ」


「残酷。コランタン様でもここまで苛烈な拷問はしない」


「ぐちぐち五月蝿えな。んなの気にしたところでどうとなるもんでもないだろう」


 ダメ押しとばかり、俺は未だ無傷のもう一つの太ももに、ナイフを突き刺した。

 苦痛に耐えていた教皇の顔が、懇願するようなものに変わる。


「どうした、言いたいことがあるのなら、言ったらどうなんだ」


「や、やめてくれ、頼む。これを取ってくれ」


「違うな、俺が聞きたいのは、そんな言葉じゃない」


 そっと俺はさきほどと同じようにナイフの石づきに手を添えた。

 すぐさま教皇は顔を歪ませて、そして大きく口を開いた。


 その時だ。


「んだ、あれ?」


 壁の向こうから響いたフリッツの言葉。と、同時に、すっと俺の胸元を、青白い光が通ったかと思うと、部隊の制服の胸元に赤い染みが浮き上がった。


 それはじわりと俺の胸の中で広がって、やがて止まる。


 胸に感じる再生の兆し。


 林檎の紋章が目減りしているのが分かった。

 しかし、いったい何があったのか。


「おい、ルドルフ、おい、しっかりしろ」


「なんだよルシアン。俺は別にしっかり」


「違う、前を見ろ。教皇の額を」


 額。


 そう俺の胸と同じ高さにあり、俺の胸と同じ位置にあった、それは――。


 教皇の頭。


 青白く引きつっていたその額。

 そこに、一つ、赤い斑点が出来上がっているのを俺は見た。


 先程まで、無様に苦しがっていた教皇がしんと鎮まり帰っている。

 嫌な予感と共に、俺は教皇の肩に手をかけた。


 魔装を解除してすぐさま、林檎の呪印の力を頼る、だが、時すでに遅し。


「嘘だろ」


「どうなっているんだ? おい、ルドルフ、教皇は……」


 喉にも腕にも脈はなく、瞳孔は開ききっている。

 体から力が抜けて、俺が手を離すと、教皇の体はごろりとそのまま自分が流した吐瀉物の中へと倒れこんだ。


 死んでいる。


 いや、殺されたのだ。


「一瞬、青い光が走ったようだった。お前と、教皇の間に。まさか、アレが原因で」



 呟いていた。


 走る馬車の中にいる人間、その頭部を狙って破壊できる魔装。


 


 聞き覚えのない言葉にルシアンがこちらを見る。

 何を知っているんだ、と、問うような眼差しを、俺はあえて無視した。


「フリッツ、無事か?」


「無事も何も。大丈夫だが。一瞬、山の向うに、青白い光を見た気がするが」


「山の向こうだって。待て、そんな場所から狙撃したっていうのか」


 馬鹿げている。

 そう憤慨して言い放ったルシアン。


 なにも馬鹿げてなどいない。


 俺はそれを行える魔装の存在を知っている。

 そして、それを扱うことができる、化物たちの存在を知っている。


 エンゲルギア。


 神代の世界より顕在した驚天動地を起こす魔法兵器だ。

 あの異端審問官が使った魔装など話にもならない。それ一つで、小国家や衛星都市であれば制圧できる力を持った規格外の魔装である。


 そしてその他とは一線を画する強大な力を扱える者はごく一部の者に限られる。

 そう、そんな魔力を、普通の人間が操れるものではないのだ。


「教皇を口封じの為に殺したというのか。だとしたら、魔女の」


「んだよ、痺れを切らしてそちらから接触とは。しかしこう遠くっちゃな」


「安心しろよ。向こうがその気なら、教皇より先にこっちがやられてるぜ」


 こうして教皇だけを始末したということは、俺達のことなど眼中にないのだろう。


 白金の魔女め。

 いったい何を考えている。


 わざわざこんな因縁深いものまで持ち出してきて。

 そこまでして口を封じる価値がこの男にあったというのか。


「くそっ、なんだってんだ。これじゃコランタン様とアルマンにどう説明しろと」


「参ったな。どうする、ルドルフ。一旦、ロシェに戻るか」


「いや、いい、このまま公国に向かえ」


 崩れ落ちた教皇の亡骸。

 その袖の中に金糸で縫われたそれを見た。


 放心するルシアンを他所に俺は教皇のそれを確認する。


 ビザンの東、イピロスの地を表す――金毛の山羊の刺繍がそこにはあった。

 なんの意味もなく、こんな服を、この男が着ているのものか。


「何を企んでいるのか知らんが、迂闊にこんな男と接触したのが誤算だったな」

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