第51話 宴の終わりと蒼き星(6)
「まぁ、そう煽ってやるな。あの魔女にすがるような男だ、根は気が小さいのよ」
ふとどこからともなく声がした。
思わず振り返った背後。
そこには、暗闇が存在しているだけだ。
いや、その中に、よく眼を凝らすと、不可思議な空間の歪みが見える。
それはゆっくりと、まるで霞が晴れていくかのように、存在感を増していくと、いつしか人影に変わった。
そう、そこに立っていたのは、男。
それも教皇と変わらない感じの聖職者。
そして、俺がよく――というほどではないが、知っている男であった。
「ふふっ、なんでここに、という顔をしておるな」
「フランク。アンタいったい、どうしてこんな所に」
麦踏み童の会の牧師にして、教皇会議のローラン代表フランクであった。
どうしてこの男が、この馬車中に居るのか。
先ほど霞のようにして現れたのは何なのか。
頭を過ぎったのは刺客という言葉。
まさかこいつ、魔女側の。
「逆だよルドルフ。安心してくれ」
「逆だと?」
「教皇殿の身辺警護、そして、お前さんへの協力のためだ。コランタン殿は、お前さんをいたく気に入られたようでな。力を貸してやれと、私にご命じになった」
コランタン殿。という口ぶりにも違和感を感じる。
こいつ、このような話し方をする奴だったか。
ケタケタと笑う老人。
ふと、彼は自分の頬骨のあたりに手を這わせた。
そうして、何を思ったのか、その端を掴み上げると――激しい音を立てて、自分の面の皮を剥いだのだ。
何をしているのか、と、驚く前で、老人は青年へと姿を変えていた。
見たことのない風貌の男。
「まったく。アルマンの奴も大変な男に入れ込んだものだ。付き合う俺の身にもなって欲しいよ。なぁルドルフ」
「誰だおまえ」
「……そうか、顔を晒して会うのは初めてだったか」
そう言って男は俺の前に一枚の板を投げつけた。
間違いない。
拾い上げたその鋼の板には、両方の端に鋭い刃が付いている。
「蛇剣の板じゃないか、すると、これは」
「一つ抜かせて貰ったよ。なかなかおもしろい技を使うじゃないか、感心したよ。この手の曲芸染みた技を使うものがこちらにも居るのかと思うとな」
東洋人であるジーモンと似た顔つき。
それで俺は、男のもう一つの名を思い出した。
「ルシアンか?」
「お前が賢い男で助かるよ」
昨夜、教皇子飼いの異端審問官と激闘を繰り広げた、あの男である。
覆面に隠れていて見えなかったが、この声は間違いなく聞き覚えがある。
それがどうしてフランク神父に化けている。
いや、そうする理由は一つしかあるまい。
「まさか最初から」
「そんな暇じゃないさ。お前が俺が塒にしている教会の前に倒れていたのは偶然さ。フランク神父というのは、アルマンから任された俺の公的なもう一つの顔でな」
「もうひとつの顔だと?」
「言葉通りさ。こういう特技を持ってるとな、そういう風な立ち回りがし易いのよ」
そう言うや彼は自分の顔を撫でる。
すると、その東洋人風だった顔は、手が通り過ぎると同時に俺達と変わらない彫りの深い顔立ちに変わっていた。
次いで、もう一度顔の前をその手が通り過ぎれば――今度は砂漠の民のような浅黒い顔立ちになる。
「まぁこんな感じさ」
ルシアンがその鼻先を撫でれば再び元の東洋人風の顔立ちに戻る。
戦闘能力一つをとっても厄介な相手に、こんな不可思議な魔術を使うとは。
おそろしい男を囲っているものだな、ローランも。
「しかしまぁ、コランタン様が死なない男に合ったという話は聞いていたのでな。話の中に出てきた特徴からまず間違いなくお前だろうと踏んで、それとなく接させて貰ったよ。おかげで仕事がしやすかったぞ」
「仕事だと?」
「教皇会議での偽ラルフの件だよ。すっかりと、俺のことを好々爺と信じ込んでいてくれたからな。ほれ、俺の術がどういうものかは、お前もよく知っているだろう」
締め切られた馬車の中に強い風が吹きすさぶ。
そうだ、この男の魔術は風の操作だ。
あの時、偽ラルフが人知れず殺された現場を見て、どうもこれはコランタンの眼によるものではないと感じたが。
それの正体がこれか。
「本業はこれこっち、汚れ役という奴さ。本来であればコランタン様に今回のようなことはさせぬつもりだった。だが、どうしても自分でけじめが付けたかったらしい」
ローラン雇いの暗殺者ね。
そいつをわざわざ俺に付けるということは、コランタンの奴も少しはやる気になったのかもしれない。
「仮の素性とはいえ、知人であるパウラを守って貰った義理もある。ローランと我が友であるアルマンの不利益にならない範囲で、貴様の魔女追討、手助けしてやろう」
「なにが手助けしてやろうだ。寝返らないように、監視ということだろう」
そんな善意だけで動くようなタマか、あのコランタンが。
いや、意外とそうでもない、か。
滅相もない、と、ルシアンはすぐにそれを否定した。
だが、その顔はコランタンやその弟子アルマンと同じように、皮肉に満ちていた。
まぁいい。
どんな思惑にしても、手駒が増えるにはこちらとしても助かる。
よろしくと俺はルシアンに手を差し出した。
「どうもこちらの人間というのは、信頼の証に手を握りたがるな」
「んだよ文句があるのか。それじゃ東洋だとどうするんだよ」
「何も。信頼には行動で答えるのみさ」
「そりゃまたなんとも真面目なことでたまらんね。息が詰まっちまいそうだよ」
そんなことを言いつつも、ルシアンは俺の手を握った。
今この場は完全にこいつの間合いである。ここで手を引いて、俺の首を腰の小刀でかききったならば、次の瞬間には教皇の命はないだろう。
そうしないのがこいつの言う信頼への答えなのだろう。
「ただ、どこまでアテにしていいのやら」
「どこまででも。貴殿が命ずるなら、その魔女の首とやらも掻いてみせよう」
「できるもんならなそうして欲しいがな。まぁいい、それは、さておき、だ」
話を元に戻そう。
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