第5話 サブミッションはRPGのお約束 ①
草原の真ん中に、1台の赤いバイクが停まっていた。
透き通る青い空と風に踊る緑の境界線上に映えるその姿は、まるでこの世の物ではないような、幻想的な雰囲気を纏っていた。
実際、この世界の物ではないのだが……。
「あ~、なかなか臭いがとれないよぉ……」
小さな小川で顔を洗いながらそんな情けない声を漏らしたのは、先の赤いバイクの持ち主、名は草野草史という。
「草史さま、タオルここに置いておきますね」
草史の後ろから、白いタオルをそっと差し出す真っ白な髪の少女、名はフラウ・シュバウツァー。100mを4秒で走る爆走魔法使いだ。
この奇妙な取り合わせの二人は、10分程前に、旅にでたばかりだった。
スライム轢き逃げ事件に幕を開けた、魔王討伐の旅へと……。
それにしても、本当に異世界に来ているんだな、と草史は改めて思う。
つい先刻はじめて目にした魔物という存在もそうだが、目の前に広がるこの景色が、何よりもここが異世界なのだと、強く訴えかけていた。
地平線が見える程のだだっ広い草原、その真ん中にキラキラと浮かび上がる湖、一筋流れる澄んだ小川、草の葉の間からは色とりどりの野花が顔をだし、遠くには頂きを白く染めた山々が蒼く霞んでいる。
陽の光をたっぷり浴びた草原はつやつやと輝き、点々と存在する広く枝を張った木が心地よい日陰を作っていた。
真っ白な綿毛のような雲が遊ぶ空を見上げ、その青にスライムの凄惨な最期を思い出す。
その姿をそっと記憶の奥に仕舞い込み、草史は空に向かって、そっと手を合わせた。
成仏してくれ、化けてでてくるなよ。と……。
しばらく休憩してから2人は、再び赤いカブで旅を再開した。
ハンドルを操るのは草史、しかしこのMDシリーズにはパッセンジャーシートなんて気の利いた物は付いていない。だから、フラウはリアボックスに入って頭だけ出している状態だ。
土を固めただけの道は凹凸だらけで、段差を越える度に車体が揺れる。ボックスからフラウと共に頭をだす魔法の杖が、その度にゴトゴトと鳴った。
「フラウちゃん、この道ってどこまで続いてるの?」
ただ黙ってハンドルを握る事に飽きを覚え始めた草史は、そこはかとなくフラウに質問を投げ掛けた。
「この道は、パルツィアという港町まで続いています。途中、幾つかの村を通るので、比較的、旅をしやすい道ですよ」
フラウは、草史の暇潰し的な質問にもキッチリと答えてくれる。やっぱり良い子だなぁと、草史は親父心的に思った。
何とも腑に落ちない形で始まった旅だけれども、彼女が一緒ならそれほど悪くないと思える。
普段バイクで走る時なんて、配達先の事や効率的な回り方なんて事を考えるばかりだった。
こうやって誰かの存在を意識したり、景色を気にして走った事なんてほとんどない。
しかし、こうして旅の仲間を後ろに乗せて、雄大な草原の真ん中を走っていると、こぞってツーリングに出掛けたがるバイク乗り達の気持ちが少しわかったような気がした。
この道は、港町まで続いてるって言ってたっけ?
着いたら、美味しい海鮮料理屋さんでも探してみよう。
そして、のんびり宿屋を探して、夕日を眺めながらコーヒーで洒落込もう。
がたがたと走るカブに身を任せながら、草史はこれからの未来を頭の中に思い描き、その優雅なひとときに思いを馳せた。
────しかし、そんな草史の幻想は淡くも、砕け散る事になる……。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄
空に月が昇っていた。
遠く沈んだ夕日の残光が地平線を赤く描き出す。
東の空には星が瞬き、薄闇に沈んだ草原のモノクロームな景色が、視界いっぱいに横たわっていた。
道端に停めたカブのエンジンが、夜風に冷えてキンッ……キンッ……と悲しげな音を奏でる。
バイクを降りた草史の手元には、携帯食料の堅いパンとピリッと塩の効いた干し肉。
フラウのアイテムポーチに食料が入ってて本当によかった。と、草史はしみじみ、質素な夕食にかじり付いた。
その隣では、フラウも草史と同じメニューの夕食をもそもそと口に運んでいる。
夕日の残光を見送りながら地面に三角座りで無言の夕食を嗜む2人組の背中は、きっとどんな絵画よりも哀愁に満ち溢れていたことだろう。
「……フラウちゃん、港町までってあとどのくらい?」
「そうですね……、ここからですと、馬車で2日もあれば着く距離ですかね?」
げんなりと質問した草史に対して、フラウは旅に慣れているのか、いつもと変わらない調子で明るく答えた。
しかし、あと2日とは……。
小さな島国での生活に慣れきっていた草史の距離感覚では到底追い付けないスケールの大きさに、昼間に浮かれていた自分が恥ずかしくなった。
昼過ぎ頃に村を1つ通過したが、あそこで今夜の宿を探すべきだったか。なんて過ぎた事を考えて、今さらどうしようもないなと、草史は諦めと共に一人首を振った。
野宿は避けたい。
野宿だけは……。
幸い、カブにはヘッドライトがある。
この世界での一般的な夜の明かりである蝋燭やランタンに比べれば圧倒的光量を発揮するそれなら、夜道でも明るく照らし出してくれる。
初めてその明るさを目にしたフラウは目を輝かせていた。
しかし、問題はもう1つあった。
それは、草史が最も恐れていたガソリン問題である。
まさかこうも早くこの問題に悩まされるとは思わなかった。
幾らリッター100km以上の燃費を誇るカブシリーズといえど、こいつは110cc、50ccのそれと比べればパワーがある分、燃費は落ちる。
だいたい、リッター60~70kmくらいだろうか?
しかも初日にお城で逃げ回ったせいか、今日の午前中にスライムにアクセル全開で突撃したせいか、燃料の消費が予想より遥かに早い。
それらに加えて、もともと配達の帰り際でこの世界に連れてこられた事も手伝って、カブの燃料は底を尽きかけていた。
「こまったなぁ……」
1人ごちた草史の横で、フラウが不思議そうに首を傾げる。
それから彼女は、ふっと、やわらかな笑顔を見せた。
「たしか、初めてお城でお会いした時も、同じような事を呟いてましたね」
そして、過去を懐かしむようにゆっくりと、そう言葉を紡いだ。
「え? あー、そういえば、そんな事もあったね」
不意にフラウから発せられた言葉に、草史は苦笑いしながら、この世界に来た日の事を思い出す。
召喚士達から逃げ回って、広いお城の廊下で迷子になって、途方に暮れてたらフラウに声を掛けられて、そして彼女にとんでもない速度で追いかけられたんだっけ?
思えば、この世界での草史の生活は、乗っけからとんでもない波乱と、彼の常識では量りきれない出来事で埋め尽くされていた。
「草史様は、この世界に来てまだ間もないですし、知らない事、お困りになる事は、きっと沢山あると思います。────」
そうだ、ここは異世界だ。
元いた世界とは違う。
とんでもなく現実味のない言葉だけれど、これは紛れもない事実なのだ。
「────でもそんな時は、遠慮せずに、私を頼っていただいて良いのですよ? その為に、私はこうしてお側にいるのですから」
全く知らない世界、見たことのない場所、物、生き物、そのすべてが草史の心に不安のさざ波を起こし、それが幾つも重なりあってやがては大きな波になり、草史を襲ってくる。
そんな不安に押し潰されないようにするだけで、精一杯だった。
けれど、隣に目を向ければ、そこには心強い旅の仲間がいた。
魔王を倒すなんていうとんでもない目的に向かって共に進む、仲間が。
そう、頼ったっていいんだ。
1人で考える必要はない。
まだ始まって一日も経ってないけど、2人で進んできた、旅なのだから……。
「フラウちゃん、ここから一番近くで、宿が取れそうなのって、どこかな?」
本当はスマートにカッコよくエスコートして、こんな場合でも女の子に野宿をさせない方策を捻り出すのが、男として理想の行動なのだろうが、そんな事今はどうだっていい。
この世界において、特に旅をするという事においては、彼女の方が先輩だ。
仲間の足りない所は、仲間が補う。
今の草史にできるのは、せいぜいカブの荷台に彼女を乗せて走ることだけだが、今はまだ、それでいい。
「ここからですと、そうですね。この先の村まではまだ距離がありますし、1つ前の村に戻るか、この辺りを領地にしてる貴族の方の屋敷を訪ねるのがいいですかね」
「なるほど。けど、お屋敷に訪ねるのは、ちょっとリスクが大きいかなぁ……」
「ですが、前の村まで戻るとなると、かなり時間が掛かってしまいますし……」
「そうだよなぁ、あの村を通ったのって、昼くらいだったもんね」
あれよこれよと話し合って野宿回避の方策を練る。
フラウの話によれば、夜になればこういった人里離れた場所には魔物が出現するそうだ。
曰く、どちらかが起きて不寝番をし、半分づつ眠れば野宿も可能。だそうだが、それでは疲れもとれないだろうし、第一見張りをしたとて草史は戦う術を持たない。
この辺りは比較的魔物の少ない地域だとは言っていたが、やはり野宿は得策ではないだろう。
「でも、貴族様の館ってそんな簡単に入れてくれるものかね?」
草史の勝手な想像だが、貴族と聞くとどうにも、気まぐれでどこか自分勝手な人物というイメージだ。
「そればかりは、なんとも……。けれど、この辺りを治めておられる『メタ・ボリック卿』はとても温厚な方だと聞き及んでいます」
なるほど、頼ってみる価値はあるということか……。
……てか、名前すごいな。めっちゃ太ってそう。
そんな失礼極まりない事を考えながら、草史は質問を重ねる。
「ところで、旅人が貴族様の屋敷で1泊なんてのは、この世界じゃよくある事なの?」
「いえ、そんなよくあるという程ではありませんが、今の私達のように、どうしようもない時の苦肉の策といいますか、最終手段として賭けてみる。という程度ですかね」
「なるほどね……」
どうやら、この世界においても、夜中の突撃訪問は無礼にあたるようだ。
まぁ、当たり前である。
しかし、野宿はできず、ここから一番近い村はバイクで半日程度。となれば、残る選択肢は1つしかない。
「よしっ! メタ・ボリック卿の館、いっちょ訪ねてみますか!」
そして、草史はなんとも軽いノリで、この辺りの領主を勤めているというメタ・ボリック卿の屋敷を訪ねてみることにした。
「はい! どこまでもお供いたします!」
フラウも食べかけの乾パンを握りしめながら、明るい声音でそう応えた。
それから草史達は、しばらく草原の中でバイクを走らせ、森を抜け、湖をぐるりと迂回し、大きな門へとたどり着いた。
そこは、綺麗な白亜の門柱が印象的な屋敷だった。
大きな館はやや古い造りながらも丁寧に管理されている様子が伺え、透明に磨き上げられたガラス窓の向こうから柔らかな灯りが漏れていた。
「よかった、まだ起きてるみたいだ」
もし、相手が眠っていたらどうしようかと危惧していた草史は、とりあえず安堵の息を漏らす。
眠っている相手を起こして入れてもらうなんて身内ですら憚られる行為なのに、見ず知らずの相手にそんな事できようはずもない。
蝋燭の灯りで照らされた重厚な扉の前に立ち、草史は大きく深呼吸をしてからその扉を叩く。
すると程なくして、扉の向こうで人が動く気配がし、近付いてきた足音が、観音開きの扉を片方だけ小さく開けた。
隙間から漏れた橙色の灯りが、細く草史達を照らす。
次いで扉から顔を覗かせたのは、フラウより一回り背の大きいメイドだった。
彼女の視線は、こちらを値踏みするように、油断なくこちらの姿を捉えている。
「当屋敷に、なにか御用事ですか?」
扉の隙間から顔を覗かせたメイドは、落ち着き払った冷めた声でそう問い掛ける。
こんな時間に突然アポなし訪問したのだ。無理もない。
「あぁ、えっと、旅の者なのですが、宿に困ってまして……。どうか、一晩の宿をお願いできませんでしょうか?」
できるだけ低い姿勢で、敵ではない事をアピールするように、草史はゆっくりとそう告げる。
すると、草史が言い終わるよりも早く、メイドの女性は眉根にしわを寄せ、訝しむように草史の頭から足先までを観察した。
「……少々おまち下さい」
そして、それだけを告げると小さくお辞儀をして、扉の向こうへと消えてしまった。
小さな足音がパタパタと遠ざかっていく。
再び宵闇の中に戻され草史は後ろを振り返った。
フラウは落ち着いた様子で、行儀良く草史の後ろに控えていた。
何か喋りかけようかとも思ったが、特に話題も見つからず、結局また前を向き、閉じられた扉を見詰める。
こうしてただ無言で他人の家の玄関に立っているのは、どうしても落ち着かなかった。
やはり、何か話でもしようと、フラウに向けて口を開きかけた瞬間、ギィという古い蝶番が軋む音が聞こえて、2人の前の扉が開かれた。
隙間から漏れ出た光が2人を照らし出す。
その光の中に、先程のメイドとは違う人影が真っ黒なシルエットのように浮かび上がる。
丸い。そう、まるで直径1メートルのボールから手足を生やしたような……。
そこまで考えて、草史は慌ててその考えを頭から追い出した。
「ようこそ、旅の方。ワタシが、ここら一帯を治めている、メタ・ボリックだ」
太った……、ふくよかな貴族はそう名のって丁寧にお辞儀をした。
「さあ、夜は冷える。はやく上がりたまえ。ちょうど、夕食の肴に旅人の話でも聞きたいと思っていたのだ」
メタ・ボリック卿は、そう言って歓迎の意を現すように、両腕を軽く広げてみせた。
どうやら、野宿をするという最悪の選択肢だけは、回避できたようだ。
勇者はカブでやってくる 十匹狼 @nekotokotatutomikanbako
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