第35話 ペルピナル神魔殿へ!

 ペルピナル神魔殿への行きすがら、俺が御者をしている間にもその馬車の中で魔導師と聖女との攻防が否応なく再燃していた。

「聖女様っていっても実際の所、神魔殿での案内はどの程度出来るのかしら?」

 マギがアンに対して挑発的に切り出してきた。

わらわか――ペルピナル神魔殿か? わらわもまだ行ったことが無いからのう」

 そんなマギが発する空気を読まずに、是もまた彼女の気持ちを逆撫でするような発言をアンが即座に返してくる。

「えっ! 初めてなの?」

「そうじゃ、わらわとて簡単に行ける場所では無いからのう」

「それじゃ何の為の案内役なのよ!」

「初めてじゃとは言ったが案内が出来ないとは言ってはいないぞ、勘違いするでは無い」

「行ったことが無いくせに偉そうに言うわね。初めてでどう案内出来るわけ? 訳わかんないわよ」

 マギがぷりぷりと怒った声を馬車の中に響かせている。そんな事にはまったく意も返していないアンの態度が更に輪を掛けてマギにいらざる刺激を与えていたんだが……。

「マギ殿とか言ったのう、わらわの事を良く思わないのは仕方が無いが『法力ほうりき』は信じてくれるであろうのう」

「『法力ほうりき』?」

「そう『法力ほうりき』じゃよ」

 天下御免の大魔導師のマギとしても『法力ほうりき』は知っているだろう其れでも疑問符を付ける質問をするところを見ると実際に目にする事は少ないとみた。

「マギは『法力ほうりき』を目にした事があるの?」

 マギの傍らで二人の遣り取りの先行きを案じていたサギがマギの気持ちを落ち着かせるように二人の間に踏み込んできた、流石はサギっ! 実にいいタイミングだよ。御者に専念している俺は彼女等の話には割り入っていける場所には居なかったからな。

「ん~っ、『法力ほうりき』って言われても実際に目にした事が無いから私も良くは知らないのよサギは見たの?」

「うん、私はさっきねアンに『法力ほうりき』で射かけられたのよ、まあラリーが受け止めてくれたし彼女が言うには人間には影響が無いって」

「えっ! 其れって撃たれたって事なの? アンに……」

「言い方が悪かったわ、悪戯いたずらされたって事かな……ねっ、アン」

 サギがそう言ってアンに話しの続きを促した。

「サギにはここに来る前に冗談半分に力を試させて貰ったのだ――まあ、サギには悪いことをしたとわらわも今は反省している、この通り謝るでのう、すまなんだ」

 何故かアンもサギに対してはいつの間にか好意的に対処してくる様になっていた。

「そう言うわけでサギにはわらわの『法力ほうりき』を垣間見て貰った訳だが其れだけでは無いのだぞ。『法力ほうりき』を使って物を見る事の方がずっと使い勝手があるのだぞ」

 サギのお陰でアンの事にも皆が関心を持ち始めたようだった。そうするとアンも調子が出てきたのか饒舌に話し始めた。

「『法力ほうりき』を介して人を視ると其奴そやつの真の心が視えるのじゃ、悪意か善意かを見分けられるのじゃ」

 得意げになって来た様でアンが自慢げに胸を張って見せ始める。

「え~っ、本当に当たるの~ぉ?」

 ここぞとばかりにマギがいぶかしげな顔色でアンを見つめる。それに対してアンはふっと力を抜いた様な表情に変わると突如その眼が全ての色を失ったかのような白眼になった。時間にしてほんの一瞬の出来事だったが……。

「えっ! な、何っ? あんた?」

 そうマギが喋ったその瞬間、アンの目を見たままその眼差しに吸い込まれたかの様にマギ顔つきが固まりそして次の刹那に解放された様にマギはその眼を泳がしていた。みんながマギの様子を固唾を呑んで見守る。

「私に何をしたの? アン」

 マギが蒼白な表情で聖女に問うた。

「何って言われても特に何もしておらぬぞ――お主の身体にも別段変化は無いであろう」

 アンは淡々とそう告げてきた。

「ただのう、お主の本心にちょっと触れてみただけじゃ――マギよ嫉妬心は身を焦がすぞ」

「なっ、何を……」

「お主がわらわに突っかかるのは悪意では無いが、お主の本意でも無いらしいのう。まあ良い、わらわはただ皆と一緒に大公様を助けに行きたいだけじゃ。それ以上でもそれ以下でも無いぞ、其れとラリーとの許嫁の話はわらわの事では無く公女殿下の事だからのう、勘違いせんで欲しいぞ」

 アンはそう言いながらペロッと舌を出しておどけて見せた。まったく一筋縄ではいかない性格を惜しげも無く出してマギまで翻弄してくるとはこの先の暗雲を暗示するような筒闇の中、俺は馬車を目的に地に向かって一心不乱に走らせ続けた。


 馬車の中でアンの隣に座っていたウギが詰め寄るようにアンに問いかけた。

「さっきのお主の白眼はその『法力ほうりき』と言うものなのか?」

「んっ! そうじゃぞ、まあ相手の心を見通すような力しか無いがのう、しかしお主もそのなんじゃのう、グラマラスな胸を……羨ましいぞ、どうしたらそうなれるのじゃ?」

 アンが毎度のこととなった目線の錯綜にて自分の胸元とウギの其れを見比べて大きく溜息を付いた。そんなアンの視線を物ともせずにウギは自分の頭の後ろに両手を回してその凶暴に突きだした双峰の辺りを更に固持するように胸を張っていらぬ事を口走る。

「やはりラリーに揉んで貰うのがいいかもしれないの~ぉ、お陰でわらわの胸もワンサイズアップしたんだぞ」

 柔やかに笑いながらそう告げるウギに俺は蒼白な顔でブルブルと首を横に振っていた。が、その横で突き刺さるようなアンの半眼の目が無性に痛かった。


 先程までの会話の流れで剣呑けんのんな雰囲気だったマギの方も無自覚のうちに脱線したウギの話しに思わず失笑していた。そして苦笑いを浮かべながらアンにひと言助言を加えてきた。

「ラリーが好きなのは――豊かな胸とは限らないかもよアン、彼の心の中を覗いてみたら?」

 おい! その申し立ては俺の気持ちを無視してないかいマギっ! と思っては見たものの……。

「おおっ! そうじゃのうではさっそく……んっ、待て待てマギっ? わらわがいつラリーの気を引きたいと申したかのう?」

 とアンがそう反駁はんばくしてきたが、其れすら想定範囲とでも言わんばかりに更にたたみ掛けるようにマギが投げ返えした。

「あら、違ったのかしら? 私はそう取ったわよ、そう思うでしょねぇサギっ?」

「ええっ! 私に振るの――え~っとその件についてはノーコメントとさせて貰います」

 突然振られたサギは一瞬ドギマギしていたがそれでも瞬時に態勢を立て直すと一旦身を引くことにしたらしい。

「ちぇっ、サギったらずるいわね」

 マギもサギを仲間に率いられなかった事に舌打ちまでして不満をこぼしていた。そうは言っても、まあそれも致し方ないと納得したのかサギを見る目に優しさが滲み出していた。

「まあ、ラリーの好み絡みの話しだとサギとしても深入りは出来なわね――正妻の立場としては」

「こら~っ! 正妻って言うな!」

 マギの捨て台詞にサギが真っ赤な顔で間髪を容れずに突っ込んでくる。

 俺の方はと言えば御者台に座って馬車を操る役責をしっかりこなしながらも背中に聞こえてくる姫子達の痴話話に注意深く聞き耳を立てているんだが……そんな背筋に何か冷やっとしたものを感じて思わず後ろを振り返った。と、アンがまさにその彼女の白眼を俺に向けようとしていたところだった。

「おいコラっ! アン! 覗くなよ俺の心を」

 そう言いつつアンの『法力ほうりき』を回避する為に瞬時に覇気を纏う。

「あっ! 何で?」

 アンは俺の心を見透かせなかった事に戸惑いを感じていた様だったがそんな事に今は構っていられなかった、なぜならもう目の前にペルピナル神魔殿がらしきものが見えてきていたんだ。

「あれがそうなのか?」

 思わず俺の口から驚嘆とも言える台詞が吐かれた、其れを聞いたみんなが御者台の方に身を乗り出してくる。

「「『なっ……何んなのあれって!』」」

 そんな言葉が俺も含めてそれぞれの口からいて出た。

 俺達の目の前に在るのはその大きな建物が在るだろうと思われるだけの影だった。月明かりに照らされてその影は山ひとつ在るであろうと思われる大きさを誇っていた。が、その影を作っているべき建物それ自身が其処には見当たらなかったのだ。

「私には見えないけどみんなには見えるのかしら?」

 サギが自分の眼を何度か手で擦りながらその目を凝らして何とか影を作り出している本体を見定めようとしていたが……首を左右に振りながら諦めた様に周りのみんなに訊いてきた。

わらわも見えないぞなもう」

 ウギも同様らしい。

「それを言うなら私にも影しか見えないわよ!」

 マギすらままならない事実に苛立ちを隠さない様な口調で応えてくる。

「ほほう~っ! やっぱりそうなのじゃなぁ。わらわには視えるぞ、そら其処にそびえるまが々しい存在がのう」

 そう告げるアンの言葉に他の皆が驚きと疑惑の混ざった眼差しで訊ねる。

「「『えっ? アンには視えるのか? 本当に?』」」

 

 俺も含めてアン嬢以外には目の前に立ちはだかっている神魔殿らしき建物は見えていなかった。というか、何となく存在を感じることは出来るが視覚として認識出来ていない状況であることはそれぞれの顔色からお互いうかがい知ることが出来ていた。そんな中でささやかな膨らみを固持するようにその胸を張ってエヘンと鼻の下に人差し指を擦り合わせる定番の振り付けを加えながらもここぞとばかりに自分の存在を誇示するアン嬢が其処にいた。

「マギよ、どうじゃわらわとて役には立つことがわかったのじゃろうがのう」

「クッ……」

 アンの挑発じみた問いに苦虫をかみつぶしたような顔つきになってマギがぼやいていたと、はたと思ったのかニヤリとして反問してきた。

「アン! あなただけに見えていてもね~ぇ、是からどうするのよ~ぉ、みんなが見えるようにならないと意味が無いんじゃ無いの?」

「……あんっ?」

 マギの問いに今更ながら気が付いたとでも言う様な反応を返すアン。彼女の顔色が瞬時に血の気が失せたように真っ青になっていくのがわかった。

「あんっじゃないわよもう……どうすんのさ~ぁアンっ!」

「……わらわには……それ以上は何とも……助けて! ラリーっ!」

 マギに素気無すげないじられて涙目になりながら俺に縋ってくるアンが其処にいた。

「二人とも――まったく、マギも大人おとなげないぞ、幼気いたいけをいたぶってさ~ぁ。んっ?」

 と、俺の言葉に何やらもの凄く反応したアンは俯き加減で背には負のオーラを蔓延はびこらせながらブルブルと手をふるわせて叫び声を上げた。

「うっ、わらわは幼くなんかな~ぃ!」

 その様相は白眼の『法力ほうりき』の過度の放出に伴いこめかみにクッキリとした青筋が立っていて、柳眉を逆立てた形相からも憤怒の極みに達していたのがうかがい知れた。

「俺っ! なんか地雷踏んだか?」

「『ニブチンっ!』」

 俺が振り無理ざまにサギとマギを見るも彼女等の半眼の目とそのつぶやきが全てを物語っていた。


 俺の失言がアンの何をそうさせたのわからなかったが、彼女の『法力ほうりき』と負のオーラが合い混ざって馬車の周り一体を包み込み始めた。彼女のその隠れた力が解放されたのか俺達の目の前に確かにアンが言う様なまが々しい程の様相に息を呑むようなペルピナル神魔殿そのものが現れ始めていた。

「マジかっ!」

「『うそ~ぉ!』」

 俺を始めみんなが感嘆のうめきを洩らしていた。

 そんな出来事が身の回りで起きていることにすら気が付いていないのか、アンは未だに俯いたまま目を伏せて……何かに取り憑かれたようにボソボソとたったひとつの言葉をうなるように繰り返している。

わらわは……(幼くなんか無いぞう)」

「……おぃ、アン……さん?」

 俺は今更ながらに自分の発言の落ち度を恥じていたが、そんなアン嬢に掛ける言葉を見つけることが出来ないでいた。と、いつもの如くウギがそんな事にはまったく意も返していないような態度でアンにいきなり抱きついた。

「アンっ! お主は凄いでは無いかのぅ、わらわにも見えるようになったぞ――神魔殿がのぉ!」

 ウギはそう叫びながら後ろから飛びつくようにアンの身体を抱き締める。その勢いからウギのたわわな胸がアンの背中越しに『』と潰れるように押し付けられてその瞬間、何故だかアンが赤面しながらそのおもてを上げてきた。

「わわわ……ひっ! ウギっ! こらこらわらわの背にお主の豊満な……もうよいわ」

 アンは悟ったような、そして諦めたような顔つきでその肩越しに首だけでウギの方に振り返りひと言。

「お主は……羨ましいのう」

「……んっ? アンっ? な~んじゃのぅ?」

 そんなアンにちょこっと首を傾げて問い掛けながらも咲きこぼれるような笑顔を投げかけるウギが俺には眩しく見えた。

 取り敢えずというか何となくうまく進んでいるというか、アンの『法力』の思わぬ暴走のお陰で俺達の前にはその禍々しさと共に巨大にそそり立つ神魔殿の姿があった。

 「如何どうするの? 此から?」

 何気にサギが俺の耳元に顔を寄せてきながらそう呟く。

 如何どうするのって言われてもどうするもこうするもなる様になるだけだろうと思っていると案の定、向こうから何かが近寄ってくるのを感じる。

 ガシャッガシャッと金属がすり合う音を不気味に響かせながら其れはゆっくりと俺達の方に近づいてきた、暗い闇が全てを覆い其れが一体なんなのかも解らない様相を呈していたが只一人その様子をじっと見ながらニッコリしているものがいた、それはアン嬢だった。


 「誰かこっちに来るぞ、人間でも無いし、魔族でもなさそうだが」

 俺がひとりそう呟くとマギが俺の耳元でひそひそと話しかけてきた。

 「ラリーっ、数は多くなさそうだ、奴らを一気に畳み込むか?」

 「いや、此処は向こうの出方を少し見ておこう」

 そう言って、御者台から俺がひとり降りて相手をしようとしていた所にスッと割り込んできた小さな影があった。アン嬢だった!

 「其方達そなたたち、わざわざ出迎えご苦労であった、ステファン卿は何処じゃ? 案内を頼むぞ」

 そう言うが早いか、暗い闇に向かって両手を添えて祈りを捧げ始めた。するとどうだろう一瞬にして闇が消え去ると同時に二体の甲冑騎士がその場にひざまずいているのが目に映った。

 「なっ! アンっ!」

 その光景に俺もマギ達女性陣も含めて唖然とした表情でアンの事を見つめていた。

 「なに、わらわにはこんなことしか出来ないからのぅ」

 まさに聖女の笑みを湛えたアン・リトル嬢がそんな事を言いながらニッコリと其処に立っていた。

 まさかのアン嬢の『法力ほうりき』に驚かされながらもひとまず馬車から降りて、俺達は甲冑騎士等の案内に従って神魔殿の中に足を踏み入れる事にした。

 「アンっ! さっきの一体なんなのじゃの~ぅ? 凄い力じゃぞぅ」

 ウギが興奮した口調でアンに抱きつきながらそう言ってくる、そんなウギの仕草に相変わらずアン嬢はたじろぐように逃げ惑っていた。

 ウギに背中越しに抱きつかれて引き攣った顔しているアン嬢にかまわず屈託のない笑顔で俺の方を見ながらウギが言ってくる。

 「是ならあのエロ爺からの召喚状は用なしじゃのぅ、破り捨てても良いかのぅ」

 そう言って彼女の胸元の谷間から召喚状のふみを取り出して俺の方に投げて寄越した、一体何て所に隠し持っていたんだか……。ウギの香気のほのかな移り香とまだ生暖かいその文を手に取りながらひと言ウギに返して置いた。

 「捨て去るのは後でも出来るから俺が預かっておくさぁ――んっ!」

 ふっと、手にしたふみの中に何か違和感のあるものを感じて急いで其れを自分たちが進んでいる通路の先の方に大きく投げ出した。

 「なんじゃ、ラリーでもそのふみは用なしと思ったのじゃのぅ」

 そうおどけながらマギが柔やかに笑い出していたが、其れには応えずに皆に大声で叫んでいた。

 「……つっぅ! みんな伏せろ!」

 そう言うが早いか既に駆けだしていた俺は二体の甲冑騎士に従って列の先頭を歩いていたアン嬢とウギを庇うように後ろから二人を抱き抱えて床に伏せる。マギ、サギが俺の叫びに瞬時に呼応してくれていたのを後ろ手に見届けると抱き抱えた二人の頭を自分の胸の下に隠すように引き込んだ、次の瞬間とてつもない爆風を伴って投げたふみぜるのを背中で感じていた。




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英雄たちの回廊(Ⅱ) 松本裕弐 @matsu2041

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