第6話 剣の里(4)

 


 秋が来て、刈り入れが終わり、山々が色づき始めたころ、出兵していた兵たちが帰ってきた。里は連日の祭りのような騒ぎとなった。

「これで若先生も、家督が継げますな。里も安泰じゃ」

此度の戦働きによって、師匠は準男爵から男爵に陞爵した。


 師匠が里に帰ってきたからといって、そうおいそれと会えるものでもなかった。

 三年半も領地を留守にしていたのだから、子供の俺には想像もつかない面倒な仕事が山積していたことだろう。

 師匠はその合間に、屋敷にある上の道場に顔を出し、高弟たち一人一人の修練の具合を見、貴族や大商人の子弟といった新弟子たちの挨拶を受けた。

 それが終わると街にいくつかある中の道場、そして街の外に広がる村々と順にまわった。

 だから俺の村に来る頃には、すっかり冬になっていて、里は雪に覆われていた。


 薄曇りの空から、ときおり雪が風に舞う肌寒い日であった。

 けれど師匠の前で剣の技を披露する者たちはみな、高揚していて、寒さもどこか他人事のようであった。

 宿舎の前の広場に張り巡らされた陣幕の中には、村人がこぞって集まった。人であふれた会場で、みな寒さを忘れていた。


 中伝の、それも上伝に近い者たちから技の披露が始まった。

 一人ずつ前に進み出て修行の成果を報告する。

 最初の組にガキ大将の姿もあり、その面持ちは緊張の中にどこか誇らしいものがあった。

 師匠が連れてきた高弟の小先生たちに胸を借り、順に乱取りを披露する。

 中伝の者たちが終わると次は初伝、そして最近剣を習い始めたばかりの幼い者たちの型の披露と出番は移った。


 俺はといえば、基本の一の型すら覚えていないのだから、一番最後であった。

 まだ剣を持って間もない幼い者たちが一の型を披露した後、ただ一人だけで師匠の前に進み出た。


「お主は何をやっていた」

と師匠が問う。

「素振りをしておりました」

と俺が応える。村の者はみな失笑した。

「素振りだけか」

と師匠。

 ガキ大将とその取り巻きは腹を抱え、声が出ないよう我慢したためか目に涙を浮かべていた。

「教えていただいたのは素振りだけでしたので、この三年半、ただ一心に素振りだけをしておりました」

 日に何百、何千。これまでに何万、何十万とただ木刀を振り続けてきた。

「ならば見せてみよ」


 ならば見せてみよと師匠は言った。ならば見せるまでだ。

 だが俺にはここで一つ、朝からずっと悩んでいることがあった。

 それは、もし俺がここで本気で踏み込んで素振りをやってしまうと地面がとんでもないことになってしまうことだ。

 俺が日ごろ素振りをやっている山寺の裏は、俺の踏み込みに、土が石のように、石が鋼のようになっている。だから本気で打ち込めもしよう。

 今の俺ならば、いつか満開の桜の森で見た鬼の3倍のものでも、5倍のものでも切り伏せることができる。そんな本気の一振りをここでやれば、こんな柔らかい土の上で、しかも溶けた雪でぬかるんでいるところでやれば、辺りは大きく陥没し、大くの泥をまき散らすことにもなりかねない。

 だから俺は、日ごろ打ち込むように構えたあと、気の多くを外に放ち、いつか師匠が見せてくれたような一振りを、俺が何度も頭の中で思い描いた一振りをここで再現しようと思った。よどみなく流れるように、大きく、静かで、そして美しい一振りを。


 俺は己の中心、丹田に意識を向けた。そこにあふれる内気を練る。

 体にみなぎる覇気も、俺の内に集める。

 そして俺を取り囲む世界に満ちる外気をも俺の内に集めた。


 俺を中心に気が風になって四方から集まる。

 陣幕をはためかせ、外の雪まで運んでくる。

 木刀をゆっくりと頭の上に運び、大きく構えをとる。

 俺は十分に気を練ってから、余分な気を一気に外に放った。

 俺を中心に突風が吹いた。

 とつぜん足元から吹きあがってくる雪に目をとられ、村人たちは手をかざし、顔を背けた。

 そんな中で、師匠だけが覇気を身にまとい、風を遮っていた。

 師匠はまっすぐ俺を見ていた。

 俺は大きな構えから、ただ美しく剣を振ろうとした。

 その時だった。

「待て」

 怒気をはらんだ大きな声で、師匠の制止がかかった。

 師匠の目がカッと大きく見開かれた。

「そこまでだ。今すぐ構えをとけ」

 なぜ師匠は怒っているのだろう。

 わからない。

 いや、俺のような未熟者が気を抜いた剣を振ろうとしたことを咎めているのではないか。俺のような馬鹿は、やってみせよといわれれば、あれやこれやと考えず、ただ全力でやってみせればよいだけではなかったか。

 わからない。

 わからないけれど、俺は待ちに待ったこの日に、ただ一振りの素振りすら許されなかったのだ。

 幾万も、幾十万もただこの日のために木刀を振り続けてきた俺だというのに。

 

 師匠は腕を組み、目を閉じていた。

 一秒一秒が俺には、ただただ長く、息が詰まった。

 周りの者たちも息を呑んで成り行きを見守った。

 重く長い沈黙の後、

「明日、ワシの屋敷に参れ」

 と師匠は言い残し、席を立ってしまった。

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花斬る剣士の物語 西向十一郎 @nisimukutouitirou

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