第二話 胸にぽっかり空いた穴(精神的)

勉強とはどういうものなのだろう。


 将来自分を立派にするためのもの。社会に出てからの自分を助けるもの。様々な考えはあるだろうが、知識を得て前に進むことが勉強の定義であるとレイは考えている。


 勉強することで人は知識を得て、会社に就職したり、進学したり。そうすることで、人は前進し続ける。無論、例外はいくらでもある。知識なんかなくったって立派になった人はいるし、目指す道によっては邪魔になる場合もある。


 では、レイはその例外なのだろうか。そうではない。レイは特化した才能もないただの一般人だ。特別ね地に生まれたわけでもない。道端で合えば十秒後には忘れそうな、ただ目つきの悪い少年。隣の家に『完璧超人』がいるだけの少年だ。


 勉強することをやめたレイは前進していないのだろうか。知識を得ず、前に進んでいないのだろうか。そうではない。体は成長し、無駄であろうと頭には知識が入ってくる。

だが、それでもレイは、自分は前進していないと考える。これ以上交代することなく、前進をすることもなく、楓との関係を保っていると考えていた。結果はご覧の有様。前進を恐れ、変わることを恐れたのがいまのレイだ。


 手を伸ばせば届くものがあるというのに、ただ闇雲に求めたところで、望む結果など手には入らない。結局は前進することでしか人は望みを叶えられない。でも、例えそれが自分を破滅に向かわせる方法であろうと。


─────俺は、楓との関係を崩したくはなかった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 「────現在7:45分。学校が終わるのが4時過ぎ。用事があっても精々6時には帰れるはず。部活にも委員会にも入っていないあなたとしては、少々遅すぎるのではないのかしら?」


 ドアを開けたレイを待っていたのは、きっとした鋭い目つきが特徴の、機嫌が悪そうな女性だった。その鋭い目つきからは、レイの目つきの悪さと似たような雰囲気を匂わせるしかし、その目つきでもで表せないほどの怒りを抱えているのを、今までの体験から知っている。

 その女性は何を隠そう、レイの母親、加古川 愛子かこがわ あいこだ。入ってきたレイに対し、愛子は正座の体制から「どっこいしょ」と腰を上げ、仁王立ちの体勢になった。その様子はまるで阿修羅のよう。


「で? なんで遅くなったの?」


 同じ質問を問いかけられる。なぜかと言われれば、先ほどのことがあったからだが、そんなこと言えるわけがない。言ってしまえばどうなるか分かったもんじゃない。大変なことになるだろうとは予想がつく。


 しかし、いつもならこういう場面、冷や汗をかいてしまうところだが、大分落ち着いていた。皮肉な話だが、先ほどの喪失感からか、多少は落ち着ているようだ。その事実に少しレイは悔しく思いつつも、愛子へ言葉を投げかける。


「……ちょっと、楓の買い物に付き合っていたんだよ。少し遠くまで行ってさ」

「ふぅん? 本当に?」

「……本当だよ」


 愛子の鋭い目がレイを貫く。はぐらかされているとでも思ったのか、まるで親の仇を睨んでいるような眼だ。その眼に一瞬レイは怯んでしまうが、ここで根負けしてはダメだとすぐに立て直す。だが、愛子の威圧感は変わらず、むしろさらに睨みが強くなった気さえする。そのうち般若の仮面をかぶりそうだ。


 だが、このままではレイが嘘をついているという事になる。いや、実際嘘のようで嘘ではないのだが、捏造が含まれていることは確かだ。何かいい策はないかと思ったところで、レイは楓が買い物に言った理由を思い出した。


「ほら、今日セールだったんだ。チラシとか来てない?」

「……ええ。来ていたわ。じゃあ、今日のセールでは何が一番安かったかしら?」


 まさかの質問が来た。だが、この質問は効果的だ。レイは見た通りめんどくさがり屋だ。そのため、いちいち興味のないことを覚えていない。いや、楓の買い物に付き合ったわけだから、多少は覚えている。しかし一番安となるとなかなか覚えていない。

 確か、楓が「安いから二つ買おう」と言っていた商品は──────


「豆腐」

「残念胡瓜」


 思わずガックリしてしまう。どうやら大外れだったようで、カスリもしなかった。レイは今思い出したが、楓は案外野菜が嫌いだった。

 そこで、ふと思い出してしまう。さっき持っていた袋にも、野菜は入ってなかったと。


 (グぅ……)


 今の会話で少し紛れていた喪失感が突如として浮上してきた。レイの胸がズキズキと痛む。まるでその過ちを忘れてはならぬと、一緒後悔し続けろと言っているようだ。だがレイはその痛みを強引に抑え込む。若干の冷や汗をかいてリうが、こうでもしないとばれる危険性が上がる。


「ごめん母さん。ちょっと気分が悪くなったから部屋で休んでいいかな……」

「……いきなり気分が悪くなるなんて、そんなの信じられないわよ。やっぱり何かあったんじゃない? そんなに言えないことなの?」

「違う。ちょっと、気分が悪いだけだ」

「……まあいいでしょう。これからは遅れないようにね」


 適当にお茶を濁し、その場を去ろうとする。これ以上話しても気分が悪くなるだけだし時間の無駄だ。早く寝て忘れてしまいたい。早く楽になりたい。

 だが、その背後に、愛子は言葉を投げた。


「……問題だけは起こさないでよ? 『ダメ息子』」

「ああ、わかっている。俺の分まで前夜には頑張ってもらわないと」


 『ダメ息子』


 普通なら息子にそう言う言葉は言わないだろうが、レイの場合は違う。愛子は完璧主義だ。100%を目指そうとする。競争では一番を目指し、やると決めたことは絶対にやり遂げる。それだけ聞けばただのハイスペックな人間かもしれないが、言い方を変えれば自分の他人を犠牲にできる人間という事だ。そういう人間は強い。たとえどんなことがあってもやり遂げるとレイは確信している。その愛子に言わせれば、レイはまさに『ダメ息子』というわけだ。まだやる気があるなら支えたかもしれない。そこは親である以上当然だろう。


 だが、レイは見ての通りだ。これでは見捨てられてもしょうがない。『中学までは面倒見るからそこからは自分の力で生きなさい』なんてことまで言われている。法的に大丈夫なのかと言われそうだが、この親なら名前を変えること、経歴詐称ぐらい簡単にやってしまいそうだった。無捨てられるのが怖いわけではないが、自力で生きていく自信もなかった。


「……もう、今日は寝るよ。ご飯はいらないから」


 もちろん嘘だ。レイは眠くない。ただこの場から離れる口実に使っただけである。


「……分かったわ。けど、明日はちゃんと食べなさい。明日は休みだからいいけど、食事ぐらいちゃんととらないと。死なれたらこっちが困るもの」


 あくまで自分の為という態度に一瞬レイは悔しそうにした唇を噛むが、愛子に背を向けている為その表情は見えないだろう。それは仕方がないことだ。すべてはレイのせいであり、楓のせいなんかではないのだから。

 そのまま、背中を向けたままレイは二階へ上って行った。 


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ドアを閉め、カギを掛ければ、部屋と外界は完全に遮断されたことになる。

 あらゆる手を使おうとも、それこそドアをぶち破るか、窓から入ってくるぐらいじゃないと、入れないはずだ。


それに、カギが閉まっていることによって、『寝ているから邪魔されたくない』と思わせることが出来るだろう。


 フラフラと覚束無い足取りで椅子へ向かう。

 しかし、顔は俯いたままだ。


「はぁ……今日は災難だった」


 そんな言葉が口からこぼれ、気を取り直すようにパソコンを付けた。そしてすぐインターネットを開く。


「……ん?」


 ふと、ネットニュースが目についた。もちろん、レイはニュースなんて見ない。だが、ネットニュースはたまに面白い記事があるから好きだ。


 その中でも、今日は不思議な記事があった。それは


 『氷と炎、二つの現象に同時に襲われた』


 という記事だった。事件現場は首都近く────レイの住んでいる場所の近くだった。詳細を要約するとこうだ。


『深夜の道を歩いていたら、なんか焦げ臭い匂いがしたからそっちへ向かってみると、上半身だけ・・が焼けている死体があった。けど、下半身は凍っていた。下半身の方に近づくと、冷たかったんだ。氷は見えなかった・・・・・。でも確かに凍っていた』


 割と意味不明な事件だ。それはつまり、溶けない氷があるような言いぐさである。今この事件は実在するかどうかも怪しまれているが、あまりに死体が綺麗だったため、ネットニュースに上ったという事。


 それを見て、レイは面白いと思った。溶けない氷なんてまるで超能力だと。下手したら探ってみたいとも思うが、それはさすがに危険だろう。昼ならまだしも、深夜なんて誰に襲われるかわからない。その『氷と炎』なんかに遭遇したら簡単にやられるだろうし、対抗できるような勇気もないだろう。


 結局、レイにできるのは、こういうネットニュースなどで楽しみだけだ。『氷と炎』に若干の興味を持ちつつ、ベッドへ向かう。


「お休み……」


 返事の来ないつぶやきを残し、レイは眼を閉じた。

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クソッタレ野郎の決める道 竜胆蘇芳@冬月 @yuuta06114134

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