第一話 本音の代償
スーパーで買い物を済ませ、二人は帰り道を歩いていた。楓は淡々と歩いているが、その横にいるレイは生徒に見つからないかと挙動不審である。
周りをきょろきょろと見渡しながら、時々カバンで顔を隠している姿を他人が見れば、間違いなく怪しまれるだろう。
「今日は買い物に付き合ってくれてありがとうね」
「あ、ああ。大丈夫だよ。荷物でも持とうか?」
「そう? だったらお願いしようかな」
どうやら挙動不審なレイの様子に楓は気づいてないらしい。ごまかす目的として荷物を受け取っておく。
そのあとは、レイと楓はしばらく話をしていた。学校でのこと、家でのこと、そんな他愛のない話だ。レイは投げやりに話しているが、楓はそれでも楽しそうである。
なかなか一緒に帰ることがなかったせいか、久しぶりに会話したレイも心なしか楽しかった。何でもかんでもめんどくさいと考えているレイだが、日常会話まで否定する気はない。むしろレイはおしゃべりである。学校でしゃべる友人などがいないだけだ。いや、どこにも居らんけど。
しばらく会話していたが、話題が途切れたことで無言になっていた。
そのまま歩いているうちに家の前についてしまう。二人の家はどちらも一軒家だ。どちらも二階が部屋で、窓を開ければ普通に会話できるだろう。実際楓が話しかけてきたりするのだが、決まってレイはカーテンを閉めているので会話が発生することはない。
「ふう。着いたな。それじゃ、また明日────」
そう告げ、荷物を返そうとしたところで気づく。
楓が、レイを見ながら悲しそうな目をしていることに。
「ねえ……なんか悩んでいるんでしょう? 相談、してくれないの?」
時間帯が夜のせいか、その声はレイの耳によく通った。どことなく攻めるような口調。だが、その声色はひどく優しげだ。悩んでいるという、楓の推測は見事に的中している。放課後楓が来る前に悩んでいた、自分の将来について、だ。
どうやらこの幼馴染には筒抜けだったらしい。さすが、と言うべきだろうか。
「あ、ああ。なんだバレていたのか。いや、でも、大丈夫だから」
「いや、でも──」
「大丈夫だから!」
「───っ!」
レイの口から大きな否定の言葉が出た。声を荒げるつもりはなかったが、どうしても否定しなければならなかった。───だってそれは、レイにとってどうしても触れてほしくなかったことだから。|周り(・・)に追い付こうとして、努力を重ねて頑張って。けど、どうしても届かなかった事だから。
「あ、いや、ごめ───」
「なんで……」
「え?」
「なんで相談してくれないの!」
大声を出してしまった事実を謝ろうとしたレイの声を、楓が強引に遮った。それはただの叫びではない。それは、まさに悲痛という言葉がふさわしい。後半は少し嗚呼が混ざっている気もする。
相談なんて、できるはずがない。レイが、楓に。原因に相談などできるものか。レイはそんな胃が痛くなるようなことやりたくないし、もし相談したとしても、楓がそんなことを知ってしまったら精神が参ってしまうだろう。
───楓は、あまりにも優しすぎる。放っておいてほしい。こんな奴の事なんか。俺の事なんか!
嘆いたところで、現状が変わる訳がない。楓は怒りを表している。この状態をどうにかしないことには話が進まないだろう。
さあ、|誤魔化すのが大変だ(・・・・・・・・・)。そう思いながら、レイは嫌な現実に目を向けた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「いや、違うんだ。本当に些細な事なんだよ。えーとほら、そう! 友達と喧嘩して!」
「そんなことじゃないでしょ? もっと、大事な事なんでしょ!? 第一レイに友達いないじゃない!」
「うっ! そ、そうなんだけど……」
これはもう、誤魔化しがきかないかもしれない。本当のことを話さないと楓が満足しないだろう。だが、話すとしてもどうするか。『将来のことについて悩んでいた』なんて馬鹿正直に言ったら、レイが勉強しない理由を話さなければいけない。
レイは、諦めたように話し出す。
「……ははは。まあ、実は。自分の将来について悩んでいたんだよ。俺ってバカだから」
「しょ、将来? それってすごく大事な事じゃない! しかもバカって…」
「そもそも」と、少し間をあけて。
「レイ、そこまで勉強できないわけじゃないよね? 得意教科はないけど、苦手教科もないはずだし……平均、だよね? 勉強さえすればそこそことれるぐらいの……」
顎に手を当てて考える楓。そう。レイは学習能力がないわけではない。良くも悪くも平均。勉強すればそこそこの点数を獲れる。中の下程度だろう。
「い、いやいや、バカだよ? 授業なんて全然分かんなくて……」
「────何か、勉強しない理由でもあるの?」
そして、楓の疑問はついに確信に。一番触れてほしくなかった地点に到達してしまった。以前楓が気づいていない。レイが勉強をしない理由を。
(誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ誤魔化せ!)
そんな思いがレイの中をめぐる。真実を知られたら一巻の終わりだ。平和────いや、平和とは呼べないが、今までの生活が壊れていくことだろう。レイの脳裏には楓が泣く姿が容易に想像できる。レイは楓に好いてほしいわけでも、泣かしたいわけでもないのだ。
息が荒くなり、視点が定まらない中で必死に答える。
「な、ないよ。ないさ。そんなことないよ。た、ただ、えーと、その、あの、勉強、が、めんどくさくて、は、ハハ……」
「? とにかく、勉強しないと進学できなくなっちゃうよ? めんどくさいなんて言わずにさ! 私が勉強教えるし、勉強できないなんて些細なことだよ」
「────」
「うん。そう。レイならすぐに理解できると思うし、私が教えるんだから大丈夫だよ」
「─────言うな」
「何だったら塾に行ってもいいかもね。それか家庭教師とか」
「────それ以上はダメだ」
「|勉(・)|強(・)|で(・)|き(・)|な(・)|い(・)|な(・)|ん(・)|て(・)|理(・)|由(・)|、(・)|些(・)|細(・)|な(・)|こ(・)|と(・)|だ(・)|よ(・)」
言って欲しくなかった。些細な事なんて言って欲しくなかった。レイが悩んでいる原因を。せっかく、楓にばれないように今まで誤魔化してきたのに。この日常を壊したくなかったのに。
このままいけばうまくいったはずなのに。
楓ならそれを気付いてくれると思った。理由はまだしも、言いたくないと気づいて欲しかった。だが、もう遅い。楓の言葉はレイの逆鱗に触れる言葉だ。
───そして、その言葉は日常を壊す言葉だ。
「───っ! ふっざけんじゃねえええええええ!!!」
まるで空気が震えるような怒声をレイは出す。
「俺が勉強しなくなったのはお前のせいじゃねえか! 小さい頃は俺が先を行っていたのに、努力したとたん俺を追い越しやがって!」
まるでレイの感情と連動しているように、体を大きく動かす。喉の痛みを押さえつけ、自分の言いたいことを続ける。
「勉強? 勉強ならしたよ! 何度も頑張った。けど、お前には追い付けなかった!」
脳裏に浮かぶのは、小学生低学年の自分と楓の姿、数学のテストの光景。レイは100点、楓は80点。このころはまだ楓より優れていた。
そして次に浮かぶのは小学校中学年の光景。レイは95点、楓は100点。いつの間にか追いつけなくなった。
「最初は俺を追い越したお前に追い付こうとして、図書館にも行ったし、塾にも通った! そのせいで中学年の頃は二人そろって天才だとか言われていたな! けど! だけど! それでも一歩及ばなかった。」
追いつこうと努力をして、何度も頑張った。だが、その努力は届かず、常に楓の一つ下だった。成績表に5が並んでも全くうれしくない。楓に追い付こうとしただけだ。
「届かない。だから悟ったのさ! 勉強しても意味ないってな! そのせいで今やこの体たらくだ。お前のせいでな! 勉強しても、お前に届かなかったら俺には『勉強』の意味がないんだ!」
いつしか、届かないことに気づいた。だが、今まで通り勉強しようと思わなかった。レイにとって『勉強』とは、『楓に追い付くための手段』に過ぎなかったから。楓に追い付かなければ、レイにとって勉強とは価値のないものになる。
「勉強しなくなったのはお前のせいだし、勉強させなくなったのもお前のせいだ。─────何とか言ってみろよ。『完璧超人』!」
言いたいことを言い切り、すっきりしたような、もやもやが残るような微妙な気持ちがレイの中を駆け巡る。言いたいことは全部言った。すべて楓が悪い。俺が勉強しなくなったのも楓のせいだ。自分は正しい。この状況を招いたのは楓だし、俺は悪くない。そんな、そんな何もかも|人任せ(・・・)な考えが、今までの怒声をレイに出させた。
だが、その発言は、楓以上に日常を終わらせる発言であり、聞くに堪えない────いや、もはや聞くことの価値すらない、自分勝手で、どうしようもない、『クソッタレ野郎』の発言だ。
故に、今まで無言だった楓はこの言葉を紡ぐ。
「……そっ、か」
帰ってきたのは、怒声や鳴き声でなく、その一言。
表すのなら、『呆れ』の感情が含まれている声だった。
「うん。そっか。レイは私のせいで勉強しなくなったんだね。ごめんね、レイがこんなになるまで気づけなくて」
レイに、予想外の楓の言葉がかけられる。まさかこんなにもあっさりとした返答だとは思わなかったのだ。
そして、その言葉は、すべてが終わることを意味していた。
「あ、ああ! お前が悪いんだ!」
「だね。私が悪い。レイにとって私は邪魔だったんだ」
「え…? あ、いや。それはちがっ」
「もう関わらないようにしよう」
投げかけられた、はっきりとした言葉にレイは唖然としてしまう。
何を言われたかわからない。唯一つ分かるのは、もう戻れないという事だった。
「なんで、そうなるんだ!」
「だって、そういう事でしょ? レイは私がいるから成績が下がり、勉強をしない。だったら私がかかわらない方がレイにとって幸せでしょ?」
その言葉で、レイは取り返しのつかない発言をしたと自覚した。レイにとって楓の成績が今までの意味をなくすのなら、楓にとって今のレイの発言が、今までの意味を無くしたのだろう。考えてみればわかることだった。勢いに任せて大変なことを言ってしまった。
自分で積み重ねた関係を、自分で踏みにじってしまった。
「い、いや、別にお前との関わりを消したいわけじゃ……」
その言葉はもう遅すぎた。すでに、楓の意志は決まっている。
「駄目だよ。私はレイにとって邪魔だった。|あなた(・・・)は私の今までを踏みにじった。それでお相子。もう遅いよ」
楓のレイへの呼び方が、もはや名前ですらなくなったことで、レイはやっと遅すぎる理解を得た。
「あ、いや…」
呼吸が乱れ、汗をかくレイに対し、もう楓は返答しない。そして、楓は家の玄関まで歩いていく。
もはや、レイは止めたくても止められなかった。もうどうしようもない。止めても無駄だという事は、レイにも理解できる。今はただ、今までの行動を悔いるしかできなかった。
(違う……違うんだぁ……別にお前がいなくなることを望んだわけじゃぁ……)
楓は玄関までつき、ポケットの中にある鍵を手に取る。
(待ってよぉ……今まで一緒にいたじゃないかぁ……そんな急にぃ……)
心なしか、涙は出ない。脳が現状を信じられないのだろうか。だとしても現実は変わらない。レイの目に映るのは、手に持った鍵を家の鍵穴にはめた楓の姿だ。
ガチャリ
という音ともに、楓はドアノブに手をかけ━━━
「いままで、ありがとう……さようなら」
────という声とともに、家の中に入って行った。
その瞬間、レイの視界が絶望で染まった。足掻いても過ぎたことは戻れない。もう無駄なのだ。だが、今まで怠惰を貪り続けたレイにとって、当然の報いと言えるかもしれない。願いだけでは届かない。努力を続けていたら届いたかもしれない。レイにとって楓より勝ることが見つかったかもしれない。そんな考えを起こそうともしなかったレイへの罰だ。
レイは、楓の入って行ったドアを見つめながら、悲しみの涙も流せず、大きな喪失感を胸に抱いて、家の方へ歩いて行った。ただ今思うのは、『これからどうしよう』や『謝らないと』という、前向きな考えでなく、『もうどうでもいいや』という、ひどく『クソッタレ野郎』らしい考えだった。
────この瞬間、楓に届かないまま、努力することを諦めた『クソッタレ野郎』のレイと、努力を続け、決して諦めることなどなかった『完璧超人』の楓。幼い頃より仲が良かった二人は、完全に道を違える……どんなに完璧であろうとも、人の悪いところを日ごろから見ていようとも、人の感情を完全に把握することなどできない、二人は、距離が近すぎた。
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